3月15日    岩朗

「はあっ、はあっ、はあっ」


 草木が生い茂る山をひたすらに登っていたが、足を止め大木の裏に座り込む。

 耳を澄ますと自分の荒い呼吸音が聞こえるのみ。


「どうにかまけましたか」


 丸一日、山を駆け回り逃げていた。体力は限界を超えているが眠る気にはなれない。

 こんなことになるなんて、誰が予想できたのか。


「先輩は大丈夫でしょうか」


 飄々としていて抜け目のない先輩なら、どんなことをしてでも生き延びると信じている。


「うっ」


 痛む左腕に視線を移すと、そこには引きちぎられ破れた長袖の穴と、肌にくっきりと残る歯形が見えた。


「あれは、なんだったんでしょうか」


 目の前で起こった現実だというのに、未だに頭と理性が認めようとしない。

 昨日、元市長に話を聞いていただけなのに――





「ちょっと待ってください! 写真の男、七下上通はマジシャンのトオルキングであり、七下上一族の長だと言いたいので?」

「その通り。トオルではなくツウと名乗っておったようだが」


 公民館で集落について元市長から話を聞いている最中に衝撃の事実を知った。

 桜坂 陣さんの父があの有名マジシャンと同一人物であり、七下上の長であると。

 トオルキングは常に目元を隠すマスクをしていたので素顔は不明。おぼろげな記憶をたぐり寄せ、写真の人物と口元を照らし合わせると……似ているような気がしなくもない。

 これはあとでネットで画像検索する必要がありそう。

 これが事実なら桜坂さんたちが住む、あの家の説明が付く。マジシャン時代の稼ぎがあるなら可能だから。


「この名を与えられる者は一族でもっとも力のある者」

「力とは……集落の中で一番の権力者ということですか?」


 村長とかは血族が引き継ぐのが一般的。家柄で決まって当然。


「違う、違う。純粋な力じゃよ。一族の求める力。それの強さで決まる」


 軽い口調で言っているが、その内容がとんでもない。

 元市長は意味がわかって言っているのだろうか。こんな荒唐無稽な話を。


「いやいや、冗談でしょ? 求める力って、まさか、六神通とかいう超能力のことじゃ」

「そのまさかじゃよ」


 先輩が否定したくなるのもわかる。私も同意見だから。


「あ、あの、すみません。つまり、一族の長は本当に超能力みたいなものが使えたと?」


 傍観者に徹しようと思っていたが、思わず質問を口にしてしまう。


「だから、そうだと言っておる」


 冗談を言っている顔には見えない。

 嘘か本当かは別としても、元市長はそれを心から信じている。ボクの目にはそう映った。

「個人的には信じたいところですが、これを編集長が記事として認めてくれるかどうか」


 動揺しているはずなのに先輩は自分の役割を忘れず、困り顔で頭を掻いている。

 しかし、凄い話だった。六神通とかいう超能力は眉唾だとしても、集落の人々は本気で信じて修行を頑張っていたと。


「私の考えとしてはトオルキング、つまり七上下通が手品で大成できるぐらいの腕があるなら、集落の人々に六神通を使えると誤認させることが可能だった。言い方は悪いですが、種も仕掛けもある手品で能力者のように振る舞い……騙したわけです」


 先輩がメモ帳を手に考察を始める。

 ボクはまだ考えがまとまっていないので、大人しく聞いておこう。


「ということは、集落の長は昔から高レベルな手品が使えた。そう考えると辻褄が合う。おそらく、集落の長は後継者と認めた相手に代々、騙しのテクニックを伝えてきたのでしょう」


 胡散臭い宗教団体の手口と同じというか、ほぼ一緒。

 以前、先輩の武勇伝を聞かされたときに、新興宗教の手口として同じような内容を語っていた。

 奇跡と称した手品や、病気や怪我を治したように見せて、信者を増やしお布施を集める。

 この集落では信仰の対象が六神通だったというだけ。

 面白い話だったけどネタを明かせばこんなもの。ちょっとだけ残念に思う気持ちもあるけど、この話を信じられるほどウブじゃない。


「お主らは信じられんと?」


 元市長の目つきが鋭くなった。言葉にも棘がある。

 この人は信じていた、もしくは信じたかったのか。


「さすがにちょっと。まあ、実際にその力とやらを見たら考えは改まりますが」


 そう言った先輩はボクを見て目配せをしてくる。

 同意とばかりに大きく頷いておいた。


「まあ、それが当たり前の反応か。では、ここに湯飲みがある」


 元市長はおもむろに立ち上がると、両手で包み込むようにして持っていた湯飲みを前に突き出す。

 何がしたいのかはわからないけど、取りあえず注目する。


「両手を放すと、どうなるかのう」


 こっちを見たので、少し考える素振りをしてから答えた。


「それは、落ちてしまうかと」

「うむうむ。そうじゃのう。だが」


 老人が両手をゆっくりと湯飲みから放すが――宙に停止したまま湯飲みは落ちない。


「えっ?」

「ほほう。手品がお上手なようで」


 思わず驚いた声を上げたけど、先輩は顎をさすりながら感心するのみ。


「デカい方は素直でかわいげがあるのう。そっちは捻くれておるが」

「いや、話の流れからの手品は見事ですよ。信じてしまいそうな土壌が出来上がっていたので、より効果的な演出となりますから」


 確かに。あの話を聞いた後だと、本物の超能力では? と信じそうになった自分がいた。


「これが友人から聞いた集落での手口というわけですか」

「見当外れでありながら、半分正解かのう。まず、あの友人というのはワシのことじゃ」


 元市長は自分自身を指さしながら、いたずらが成功した子供のような屈託ない笑みを浮かべる。

 その間も湯飲みは浮かんだまま。……どうやっているんだろう?


「それは驚きました。では、あなたは集落唯一の生き残りであると」

「違うな。あの集落の生き残りはワシと桜坂 陣、八重の姉弟」


 二人の名を口にした瞬間、緊張が走る。

 ちらっと視線を横に向けると先輩の目が険しい。


「何故、その二人の名を? 私は一言も伝えていないはずですが」

「七上下通の子じゃろ。集落出身者のことは全て把握しておるよ」


 田舎は情報網が半端ないと聞いたことはある。だから、親戚一同のことを把握している人物がいてもおかしな話ではない、のかも?

 それに長の子となれば、知っていて当然の情報なのかも?


「あと、もう一人おるんじゃよ。一族の生き残りが。ワシはその人の命令でこの地に止まっておる」

「命令ですか……」


 平然を装いながら先輩の視線が辺りを探っている。

 これはヤバい状況かもしれない。先輩の合図と同時に動けるように、前屈みに成り脚に力を込めておく。


「そこの探偵も知っておる人物じゃよ。最近調べておるのだろ?」


 先輩の腰が椅子から少し浮く。

 先輩が記者ではなく探偵だと知っていたのか!


「そのお方の名は幹島 平人。以前は七下上 平人と名乗られておったよ」

「岩朗!」

「はい!」


 ボクと先輩は同時に飛び出すと、元市長と村人を羽交い締めにする。

 村人の方を担当したが二人はろくな抵抗もせずに、大人しく捕まった。

 力を込めている様子がない。拍子抜けだが油断はしないでおく。


「こらこら。老人相手になんてことをするんじゃ」


 背後にいる先輩に向かって、元市長が暢気な口調で責めてくる。


「やり過ぎだった場合はあとで謝りますよ。しかし、この状況で落ち着いてますね。私の職業をどうやって知ったので? 幹島平人に聞いたのですか?」

「その通り、平人様から教えてもらったのじゃよ。最近、あの姉弟と私について調べている者がいる、とな」


 姉弟についてはその通りだけど、幹島平人に関しては事故について少し触れた程度だと先輩は言っていた。

 それだけだというのに、ここまでの警戒を?

 とんでもない事態に巻き込まれているのでは……。

 何か得体の知れないものが全身をまさぐるような悪寒がして、肌が泡立つ。


「まさか、あの議員の名をここで聞けるとは。それも七下上一族だったなんて。おいおい、サスペンスドラマっぽくなってきたじゃねえか」


 こんな状況なのに先輩の横顔は楽しそうで舌なめずりをしている。探偵としての血が騒ぐのか。

 ボクはそんな余裕微塵もないのに。


「さて、暴露話はここまでにするかのう。誰かに話しとうてうずうずしてたのじゃが、これ以上は平人様に怒られてしまう」

「いやいや、既に怒られるレベルですよ」

「すまんすまん。年を取ると話し相手が恋しくてのう。だが、あと半月もすれば世界は様変わりする。今更どうってことはないじゃろうて」


 捕まえられているというのに元市長と村人は余裕の態度を崩さない。それが不気味過ぎて寒気がする。

 さっきの発言も意味深だ。「半月もすれば世界は様変わりする」どういう意味なのか。

 詳細は不明だけど「引くべきだ!」「逃げるべきだ!」と本能が叫ぶ。

 子供の頃から培ってきた危険を察する能力が最大の警戒を告げている。


「先輩、これ以上はヤバいです!」

「お前が言うなら……しゃーないか。貴重なお話ありがとうござい――ました!」


 同時に元市長と村人を窓と反対側に突き飛ばすと、窓際に置いた靴を急いで履いて走り出す。


「逃がすな!」


 後方から元市長の怒号が響く。

 と同時に公民館の周囲から無数の人影が現れた。

 進路方向には二人。手には鎌や鍬といった農機具。

 他に逃げ道はないかと視線を巡らせるが、完全に包囲されている。その数はぱっと見で三十は下らない。


「おいおい、大事になってるぞ。こんなシーン、スパイ映画で観たな!」

「なんで嬉しそうなんですか!? 訳もわからずに大、大、大ピンチですよ!」

「悪いな巻き込んじまって。ここを逃げ出せたら何でも奢ってやるから!」


 なんて無駄口を叩きながらも足を休めることなく、進路方向にいる村人に突っ込んでいく。


「高いステーキハウスでシャトーブリアン奢ってください!」


 鎌を躱して相手を掴み、後ろへ放り投げながら約束を取り付けた。



 

 

「先輩は無事かな……」


 あれから村へ続く道は全て封鎖されていた。

 それも驚くことに警察官も協力して。

 事態の重大さに気づき、先輩はスマホで所長に協力を得ようとしたが電波が届かなかった。旅館では繋がっていたのに。

 それから山に登り、ひたすら人目を避けて移動していたのだけど途中で――


「あれはなんだったのか」


 初めは村人に追われていたのだけど、日が落ちてから見かけるようになった人々に違和感を覚えた。

 それまでは三人一組以上で手に武器を所持していたのに、さっきから見かける追っ手は大半が単独で素手。

 おぼつかない足取りで、辺りを彷徨っている。

 遠くから観察しているので顔は見えないが「あー」「うー」といった知性の感じられないうめき声がかすかに届いた。

 不気味だったが各個撃破するには最適だったので、情報収集や人質にも使えるだろうと先輩と同時に襲いかかった……けど。


「痛たたたた」


 その時に噛みつかれた腕が痛む。

 容易く背後を取り抱きしめるように捕まえたのに、尋常ではない馬鹿力を発揮されて簡単に振りほどかれてしまった。

 相手の体格は先輩よりも一回りは小さかったのに。

 散々抵抗されたが、なんとか無力化したときには新たな連中が数名現れ、這々の体で逃げている内に先輩ともはぐれてしまった。


 先輩曰く「目が血走って正気とは思えなかった。あの力もそうだがヤバい薬でもやっているんじゃねえか。この村では密かに麻薬を栽培していて、それに幹島も関与している。もっと言うなら七下上一族がそれに関わっていて、それを知る可能性のある桜坂姉弟を警戒していた」との推測……推理らしい。

 超能力うんぬんの話も、麻薬栽培を誤魔化すためのホラ話の可能性が高い。と予想していた。

 この状況下でそこまで頭が回るのはさすが。そういうところは素直に尊敬できる。

 感心しながら歩いていると、不意に体がふらついた。


「ふぅー。体がだるい……それに寒気が……」


 体調が良くない。唇や皮膚が乾燥してパサついている。

 水分を全然取っていないから、かも、しれない。

 それに急激にそれに頭がそれにまわらない、きが。

 おぞましい、なにかが、からだじゅうを、めぐっているような。


「えっ、あっ」


 あたまがゆれる。


 しかいがぶれる。


 かんがえが まとまらない。


 しっかりしないと。


 ディヤさん ジンさん てつだい やくそく。


 のどが かわいた。


 なにか のみたい。


 からだ かゆい。


 せんぱい。


 くらい。


 たすけ――

 

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