3月14日    岩朗

 障子を引いて窓を開ける。

 濃い緑の香りと清々しい空気が、温められた部屋に流れ込む。

 三月だけど山間にある村の朝はかなり冷たい。


「んー、でも空気が美味しい」


 近くの旅館に先輩と一緒に一泊して朝を迎えた。


「さみぃっ! 窓閉めろ窓!」


 布団をまとった芋虫状態の先輩が文句を口にする。


「今日は朝から元市長さんに会う予定ですよ。そろそろ、起きて準備しないと」

「なんで朝の八時集合なんだよ。じじいは朝が早くて困る」

「松木様、岩田様、朝食の準備ができました」


 入り口の扉越しに、仲居さんの遠慮がちな声がした。


「すみません、今起こしますので」


 先輩を布団から引き剥がすと浴衣から私服に着替え、朝食をいただき宿を後にした。





「人の気配が全くないですね」


 獣道に毛が生えた程度の登り道を進む。

 周囲には木が均等に植えられていて、下部の枝は綺麗に落とされている。

 たぶん、林業用の木なのだろう。

 今日は晴天なのに日の光が遮られていて薄暗い。


「住民が利用する施設だってのに、こんなへんぴな場所に作るか普通」


 林を突っ切るように作られた、この道に入ってから先輩の愚痴が止まらない。


「旅館の人が言っていたじゃないですか。元々はちゃんとした道路と繋がっていたけど土砂崩れで通行停止になったって」

「にしてもな。村人は毎回こんな道通ってるのか。健康になっちまうぞ」

「良いことじゃないですか。それにこの山の反対側に噂の集落があるなら、話を聞いた後に行けて都合がいいですし」


 昨晩、地図で確認したところ山を挟むような位置に公民館と元集落があった。


「そういや、さっきポストに何か入れてませんでした?」

「ああ、姪っ子にな。アイツがこんな面倒な依頼をしたせいで」

「余計な調べ物を増やしたのは先輩の自業自得でしょ。ほら、愚痴ってないで脚を動かしましょう」


 ぼやく先輩をなだめながら五分ぐらい歩いた先に目的地が見えてきた。

 急に視界が開けると、川をバックにぽつんと灰色の物体が一つ。

 森に埋もれた廃墟にしか見えない。……大丈夫なのかな、この建物。

 鉄筋コンクリート造で飾り気が一切無い。薄汚れた外観は嫌でも年季を感じさせる。

 表には『公民館』と書かれた看板が立てかけられているので間違いは無いはず。

 川沿いに一車線の道路が見えるけど、少し先が土砂で塞がれたまま。


「先輩、ここみたいですよ」

「想像よりも立派じゃねえか。昔はもっと住民もいて賑やかだったんだろうな、ここいらも」


 窓から中の様子をうかがうと、無理したら百人ぐらい入れそうな室内が見えた。

 ガスストーブを取り囲むようにパイプ椅子が配置してあり、そこに二人の男性が座っている。

 一人は昨日話した村人。もう一人の老人が元市長さんかな。

 頭髪はないが、代わりといったらなんだけど白い髭が長い。細身でかなりのご高齢に見えるけど腰は曲がっていない。

 この人たちも歩いてここまで来たのだろうか。田舎のご老人は元気でご立派。

 ガラス越しに目が合うと、村人が立ち上がり会釈して大きな窓を開け放つ。


「どうぞ、どうぞ。ここからでええから」


 ちゃんと玄関はあるのに、窓から入るように促される。

 窓は自分の身長より少し小さい程度の高さなので、かがめば入ることは可能なのだけどいいのかな。


「んじゃ、遠慮無く」


 先輩は窓の外に靴を脱ぎ捨て、用意されていたスリッパを履く。

 ボクも慌てて後を追う。

 村人がお茶の入った湯飲みを渡してきたので、ありがたく受け取った。

 この寒さだと温かいお茶が心地よく全身に染み渡る。


「よう、来たのう。七下上集落の話を訊きたいっちゅう話らしいが」


 元市長さんは声も大きく滑舌もいい。

 愛想の良い態度と表情から察するに、元市長だというのも頷ける。


「はい。雑誌社の記者をしてまして」

「ええ、ええ。その話は聞いとる」


 先輩が差し出した名刺を受け取らずに、大きく二度頷く。


「あの大火事で集落のもんは、みんな死んでもうたからな。あそこは外部の者と関わりを持とうとせん、変わった集落だったよ。詳しく知る者は、もうワシぐらいじゃないかのう」


 昔を懐かしんでいるのか、天井を見上げた顔がほころぶ。


「外部との接触を拒む集落の面々だったが、中にはそういう決まり事を良しとしない者もおってな。ワシの友人がそれで、集落で腫れ物扱いされておったよ」


 どんなに厳しい掟やしきたりがあっても、全員が守るとは限らない。特に若い子にとっては窮屈で面倒でしょうし。


「ほうほう」


 ここは相づちを打つ程度で話を促した方が良いと先輩は判断したみたい。


「なんせ、変わった集落でな。ご先祖は山伏だったそうで、なんでも六神通というものを得るための修行をしておったそうだ」

「その六神通とは?」


 先輩はある程度調べているのにスムーズに話を聞き出すために、あえて知らない振りをしている。

 ボクも隣で興味ありげに頷いておこう。


「その名の通り、六つある神の力らしい。確か……天耳通、天眼通、神足通、宿命通、他心通、漏尽通だったか」


 へえー、六種類あるから六神。それに最後『通』が付くと。


「詳しくは覚えてないから間違えていることもあるやもしれんが、神足通は足が速くなったり、思ったところに行くことができる。天耳通は耳が良くなってなんでも聞ける。天眼通は、なんでも見えるようになるそうだ。死や輪廻転生まで見ることができるとかなんとか。あとは……他心通は他人の心を読み取れる。宿命通は……なんじゃったかな。あーそうそう。過去や未来が見えるだったか」


 指折り数えながら説明してくれている。


「それと、漏尽通は煩悩を捨て去った最終目標とか言っておった。詳しく聞いてもよくわからんかったのう」


 これってボクの知っている超能力と似ているような。


 神足通はテレポーテーション。

 天眼通は千里眼。

 他心通はテレパシー。

 宿命通は予知能力。

 天耳通は……地獄耳?

 漏尽通はよくわからないけど。


「なんせ、それを得るためにきつい修行をしてきたそうだ。友人は馬鹿らしくてサボっていたと笑っておった」


 楽しそうに語っている姿を見るだけで、友人と仲が良かったのがうかがえる。


「あの一族は元々、紀州の山奥で修行に明け暮れていた坊さんだったそうだが、異端の力を恐れられ時の戦国大名に命を狙われたそうだ。辛うじて逃げ延びた者が、名を変えてここに移り住んだらしい。……眉唾じゃがのう」


 真剣な表情で語っていた元市長が、歯を見せて子供のように笑う。

 話半分で聞いた方がいいみたい。


「元忍者の末裔や落ち武者が起こした村とかもありますからね。本当のことかもしれませんよ」


 先輩の言葉に元市長は一瞬だけ目を見開く。


「友人も馬鹿にした振りをしていながらも、根っこの方では信じていたのかもしれんな。超能力はロマン。男ならわかるだろ?」


 ウインクをして問いかける元市長。

 中々茶目っ気のあるご老人だ。


「大変興味深いですが、他にも何か集落の思い出話はありませんか?」

「そうじゃな……。おおっ、あそこは村と接点を持たぬくせに、他県や外国から人を熱心に誘致しておったな」


 ポンと手を叩き、首を傾げている。


「他県はまだしも、外国ですか」


 先輩の疑問はもっともだ。閉鎖的で排他的な村というのは珍しくない。

 新たな住民を歓迎せずに、追い出すなんてところもあるそうだから。

 どちらかといえば、そっち側の集落だと思っていたのに誘致には熱心だった。疑問に思わない方が無理がある。


「人材不足で外国の働き手が欲しかったとかですかね。最近は都会でも外国人労働者が増えていますし」

「それがのう……昭和よりも前の時代から、という話だ」


 そんな昔から。

 話を聞いて、ますます謎が深まってしまう。


「何か目的があったのでしょうか?」


 先輩は記者らしくメモ帳を手に熱心に書き込んでいる。


「友人によると、超能力のような不思議な力の才能がある者を性別国籍問わずに集めていたそうだ。その血と才能と知識を取り込み――本気で六神通を得ようとした」


 さっきまでと声質の違う、低く静かな元市長の語りに気圧され、息を呑む。

 正直、話半分の好奇心を刺激される面白い話ぐらいのニュアンスで聞いていた。だけど、今は一族の執念じみた盲信に薄ら寒さすら感じている。


「その成果か、稀に不可思議な力を操る者が集落で生まれることがあったそうじゃ」

「まさかー。それが本当なら面白いですが」

「あのトオルキングは手品師ではなく本当は超能力者じゃった……ら、面白いのう」


 膝をパンパンと叩きながら笑う元市長。

 たぶん、友人から聞いた話を脚色して仕上げ、こうやって他人に話しては楽しんでいるのだろう。

 それぐらい、よく設定を練った話だ。


「それが本当ならスクープなんですが、ね。あ、そうそう。この方をご存じではないですか? 集落の出身らしいのですが」


 先輩が取り出したのは一枚の写真。

 見た感じ三十~四十歳ぐらいの温和そうに見える男性。

 知らない顔なのにどこか見覚えがあるような。

 眉根を寄せてしげしげと見つめる元市長。付き添いの村人も後ろから覗き込んでいる。


「名前はわかるかい?」

「七下上通さんですね」

「つう、と名乗っておったのか」


 心当たりがあるようだ。白い髭をしごきながら目を細めている。


「お知り合いで?」

「お知り合いも何も、さっきから話に出ておるではないか」


 意味深なことを口にする元市長。

 その発言内容にピンと……こない。陣さんのお父さんを話題に出したのは今が初めて。

 お年だから何か考え違いでもしているのかな?


「そこのデカいの。慈しむような目でわしを見るでない。なんじゃ、お主ら気づかずに話を進めておったのか。これはこれは」


 意地の悪い笑みを浮かべて、値踏みするような目を向けてくる。

 どういった感情が込められているのか理解しがたい。


「申し訳ありません。よくわからないのですが」

「ふむ。じゃあ、ヒントをやろう。集落に住む者の名字は七下上というが、これにもちゃんと意味がある。元々は六神だったのだが逃げ延びたこの地で変えたのじゃよ。何故、この名にしたのかわかるか?」


 まさかのクイズ形式。

 ええと、七下上という珍しい名字。それに変更した理由。

 元々は六神だから、数字が六から七になって一増えてる。で、それが? あと下上って何?


「う、うーーーん」

「なるほど、そういうことか」


 頭を捻って賢明に答えを探している隣で、先輩が声を上げる。

 えっ、もうわかったんですか!?


「七下ということは、七の一つ下の数字で六。上は『かみ』と読ますことで神様の神。七下上は六神、ということになる。どうでしょう」

「正解じゃ。意外と頭がキレるようじゃ」


 元市長と村人が手を叩いて褒めている。


「しかし、追っ手から逃げるのであれば、こんな珍しくて関連付けた名ではなく、もっと一般的でありふれた名にした方が見つかる確率も下がるのでは? 鈴木とか」


 先輩の疑問はもっともだ。印象に残る珍しい名は偽名として相応しくないと思う。


「そこは見栄とプライドではないかのう。追われた身であれど、先祖代々引き継いできた名を捨てるには惜しい。今は身を隠すが、いずれは六神通を極めてみせる。という断固たる意志を示したかった、のやもしれん」


 想像の話をしているのに、まるで当事者のように熱がこもっている。

 さっきの話は友人からの受け売りで、当時の語り口を思い出してのことなのかもしれない。


「そこで話を戻すが、七下上の長には代々受け継がれる名がある。それが『とおる』じゃよ」

「そうなんです……か。えっ、それってもしかして」


 何かに気づいた先輩がハッとした顔になる。

 ボクも遅れてだが、そのことを理解した。


「マジシャン、トオルキング。あの一族であれば芸名でも『とおる』の名は決して使わぬ。あの者は七上下一族の長じゃよ」


 ごくり、と唾を呑む音がした。

 それが先輩のものか自分から発した音か判断もできない。

 あの名前は長であることの証明でもあった、と。


「まだ驚くのは少し早いのう。『とおる』という名は漢字で書くと」


 そこで言葉を句切ると先輩が手にしていたメモ帳とボールペンを借り、そこに大きく一文字の漢字を書き込んだ。


『通』

 

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