3月13日    神宮一 源治郎

「渡した資料は読み終えたか?」


 助手席で巨大な体を窮屈そうに縮めて、熱心に紙の資料を読んでいる後輩に声を掛ける。


「なんで、紙なんですか? データをスマホに送ってくださいよ」

「かーっ、お前は未だに男のロマンがわかんねえのか。味気ねえだろうがよ」

「……そうですか」


 こういうこだわりを理解しないのが、こいつの欠点だ。

 俺は愛車(社用車)である軽自動車を運転して目的地へと向かっている。

 今回の相棒は大学時代から付き合いが続いている後輩。

 大柄で柔道の有段者。見た目は厳ついが気が弱いところがあり、手先は器用で大人しい。

 昔から見た目に反して何故か女子に人気があり、今は動画配信者をやっていて岩朗を名乗っていた。本名を嫌っていたので、俺も最近はその名で呼ぶように気をつけてはいる。


「岩朗、どう思う?」


 資料を膝の上に置き、大きく息を吐いたのを確認して、もう一度問う。


「正直、驚きました。桜坂さんは……辛い目に遭われたのですね」


 そう言って目元の涙を拭っている。

 顔に似合わず優しいやつだよ。


「早くして両親がお亡くなりになって、それからは姉弟二人で力を合わせて生きてこられたのですね」

「金は十二分にあったみたいだけどな」

「先輩。お金があればいいってものではないのですよ! 大切なのは愛情です!」


 皮肉めいた口調で言う俺に対して、少し怒った口調で注意する岩朗。


「けどよ、金って大事だぜ? 金持ち喧嘩せずとか言うだろ。あれって、金があることで心に余裕が生まれているから、ちょっとやそっとのことじゃ腹立たないって意味だろ。離婚問題で揉めるのは大概、浮気か金絡みだからな」

「金持ち喧嘩せずの解釈、間違ってません?」


 大男が小首を傾げて唸っている。

 こんな見た目なのに、この仕草がちょっと可愛く見えるのが恐ろしいところだ。


「話が逸れちまった。で、どうよ」

「どうもなにも、桜坂さんの収入源って確かなのですか?」


 資料の一ページを抜き出し、俺に突きつける。

 運転中なのでちらっとだけ確認して大きく頷く。


「おうよ。桜坂陣、八重の両者は働いてない。……というのはちと違うか。俗に言うトレーダーってやつだな。株、FX、仮想通貨とかで金を稼いでいるらしい」


 こういった金の動きは一般的な方法では探れないのだが、うちの事務所は色んな所に顔が利くので調べる方法はいくらでもある。

 所長曰く「浮気調査の依頼は高学歴や金持ちからの依頼も多くてな。まあ、自然にコネが形成されるってわけだ。あと、やっちまった側だと弱みを握……おっと、これは聞かなかったことにしてくれ」とのことだ。


「投資で稼げるなんて頭がいいんですね」

「そうだな。俺はそっち系ちんぷんかんぷんだ」


 事務所の同僚が株で大儲けしたと自慢していた頃があったが、数ヶ月後には意気消沈していた。……どうやら、その後に暴落して大損したらしい。


「桜坂さんがお金持ちな理由がわかってスッキリしました。これで気持ちよくお手伝いできます」

「そう……だな」


 岩朗は晴れ晴れとした顔で大きく頷いているが、俺はまだ納得していない。

 家からほとんど出ずに稼いでいるのは間違いないだろう。トレーダーとして成功しているのも資料が物語っている。


「じゃあ、これで依頼は完遂なのでは? 桜坂さんの資金源が判明したのですから」

「まあ、そうなんだが。個人的に気になってもうちょい詳しく調べてみてな」

「また、余計な仕事を増やしたんですか。前も身辺調査で業務外のことまで調べて所長さんに怒られてませんでしたか?」

「ぐっ」


 岩朗の苦言に反論しようとしたが、言葉に詰まる。


「探偵業はやる気が出ないとか言っている癖に、仕事になると無駄にやる気出しますよね、先輩は」

「無駄とはなんだ、無駄とは。詳しく調べることによって新たな謎を解き明かしたこともあるんだぞ」


 今までの活躍を思い出し胸を張る。


「それって、浮気調査で旦那の浮気を証明した後に依頼者の浮気を発見した話ですか?」

「あれは……余計なことするな! って、こっぴどく怒られたな」


 DV疑惑がある夫が浮気もしているクズ男、という前提で依頼を受けて調査したんだが、結末は依頼人である妻が先に浮気を……それもかなりゲスいのをやらかしていたというオチ。

 あまりにもムカついたから、その情報をこそっと旦那の方に流したんだよな。


「探偵は依頼人に頼まれたこと以上の仕事をやる必要はない! とか抜かしやがるんだぜ所長は。あー、やだやだ。ロマンもへったくれもねえ」

「仕事としては所長さんの主張が正しいのでは?」


 冷めた目でこっちを見るんじゃねえ。


「それで、今回はどんな余計なことを?」

「余計なことを前提で話を進めるんじゃねえよ。色々調べているうちに興味深いことがわかってな。桜坂陣、八重の両親についてだ」

「お二人は交通事故で亡くなったと書いてましたよ?」


 岩朗は事故の詳細について書かれたページを取り出し、読み返している。

 そこには当時の記事がコピーされていた。

 事故現場の写真もあり、ごく一般的な普通車の前方が潰れている。かなりの衝撃だったことが伝わってくる。

 側には加害者の乗っていた車も見えるのだが、そちらもある程度は壊れているが被害の少なさは一目瞭然だ。


「相当なスピードが出ていたみたいですね。これだと運転席も助手席も……」

「潰れちまっているよな。相手の方は頑丈が売りのドイツ車だけあって、この程度の被害で済んだみたいだが」


 一昔前の金持ちや権力者がこぞって、とあるドイツ車を愛用している理由がこの安全性だ。トラックと正面衝突しても無事だったという前例もある。


「この交通事故に気になる点でもあったのですか?」

「んー、事故よりも両親自体に興味があってな。中堅企業のサラリーマンと専業主婦の二人であんな豪邸を購入したんだぞ。おかしくないか?」

「それは……確かに。あれだけ立派な建物と広大な土地を所有しているとなると、普通は無理ですよね。あっ、もしかして実家が資産家なのでは」


 正解でしょ、と言わんばかりのドヤ顔を俺に向けている。


「外れだ。母方の両親はごくごく平凡な家庭。お世辞にも資産家とは呼べない」

「ということはお父さんの方が?」

「そっちは田舎の山奥にある集落出身だ。数十人しかいない住民のほとんどが血縁で構成されていたらしい。そこも裕福とはほど遠い、限界集落一歩手前って感じだ。それに父親は両親や親戚一同と完全に縁を切っていた。追加のこれを見てみろ」


 あえて渡していなかった追加の資料を手渡す。

 ページをめくる音が止み、沈黙が続くが時折「えっ」「まさか」「んー」と呟く声が左耳に辛うじて届く。


「なかなか興味深いだろ」

「えっと、本当のことなんですか、これ? にわかには信じがたいのですが」


 書かれている内容を疑う気持ちはわかる。俺も自分で調べておいてなんだが、胡散臭いというか冗談かと思った。


「面白いだろ。動画配信とかなら人気出そうなネタじゃねえか?」

「先輩は動画配信を舐めすぎです。PVを稼ぐのにどれだけ苦労しているか。それに各自のジャンルというものがありまして」

「悪かった、悪かった」


 愚痴と講釈が始まったので、慌てて謝罪する。


「話を戻すが、桜坂の親族が住む集落の人々は代々、神通力、六神通を得ようとしていたって話どう思うよ?」

「急にオカルトめいてきましたね。神通力はなんとなくわかりますけど、六神通なんて初めて聞きました」

「俺もだ。なんでも仏教にある六つの超人的な力だとよ。書物とネットでざっと調べた程度だけどな。まあ、ぶっちゃけ超能力だ」


 仏さんや菩薩が持っているとされている特別な力らしい。


「超能力って言っちまうと一気に胡散臭くなるが、昔は真面目に修行して神通力を得ようとした人が結構いたようだぞ。そこの住人の祖先は修験者だったらしい」


 これも調べているうちにわかった情報で、一族は何百年か前にこの地へ移り住み、他者との関わりを極力絶ち、修行に明け暮れていた。


「先輩、修験者ってなんですか?」

「あれだあれ。黒くて小さい帽子みたいなのを頭に乗っけて杖持って、天狗みたいな格好した……山伏とも言うあれだ」

「あっ、山伏ならわかります」


 ピンときたようで嬉しそうに頷いている。


「超能力を得ようとしていた祖先ですか。映画とかマンガでありそうな設定ですね」

「はっ、違いねえ」


 岩朗の指摘に思わず笑ってしまう。俺も同じことを思ったからだ。

 ただ、人里離れた村に奇妙な古い風習が残っていること自体は珍しくない。それを奇祭として今も受け継がれている村をいくつか知っている。


「えっと、つまり超能力者がいっぱいいる村だったんですか!」


 唾をまき散らしながら、興奮した顔で迫るな。

 お前の顔は間近で見ると迫力満点なんだよ。


「んな訳あるか。それこそマンガの世界だろうが」


 否定すると露骨に残念そうな顔になった。


「……と、言いたいところだが、実は興味深い話が合ってな。二十年ぐらい前の話になるが当時テレビを騒がせていたマジシャンのトオルキングを知ってるか?」

「急になんですか。もちろん、知ってますよ。大好きだったなー、懐かしい。生放送でやっていた大脱出マジックをかぶりつきで観てました!」


 鼻の穴を膨らまして嬉しそうに語る岩朗。

 当時、視聴率三十%を越える看板番組を持っていた超が付くほどの有名人。目元にマスクを装着しているのが印象的だった。

 特に子供に大人気だったので、知っていて当然だ。


「でも、さっきの話となんの関係が……えっ、もしかして?」


 話の流れから気づいたか。

 とぼけた表情が一変して真剣なものへと変わる。


「そいつは、その集落の出身……らしいぞ」

「ちょ、ちょっと待ってください。だとしたら、トオルキングがやっていたのはマジックじゃなくて本物の超能力! そういうことですか!」


 目を輝かせて熱弁を振るうのは個人の勝手だが、そういう解釈をするのか。


「馬鹿も休み休みに言え。実際は神通力や六神通なんてものはなくて、信者を騙すための手品みたいなのが代々伝わっていたってオチだろ。で、その技術を利用して有名になった」


 実際、怪しい宗教には心理学やマジックの要素を取り入れて信者を騙す手口がある。

 何故、そんなことを知っているのかというと新興宗教にハマった依頼人の母親を救うために、教団に侵入捜査したことがあったからだ。


 



 しばらくして、俺は山の麓にある集落へとたどり着いた。

 あまり整備されていない一車線道路の脇に停め、エンジンを切った。

 車外へと出て、辺りを見回しながら大きく深呼吸をする。


「ふぅー、落ち着くぜ」


 自然豊かな山間に川が流れ、それに沿うようにいくつかの民家がある。

 川の流れる音が耳に優しく、鼻腔をくすぐる草木の香りが心を癒やす。

 一見のどかな風景なのだが、よく見ると空き家が多い。人が住んでいる形跡がある民家より、も。

 以前はそれなりに栄えていたのだろう。だからこそ、空き家が目立つ。


「心が安らぐ景色ですねー」


 狭苦しい車内から解放され、縮まっていた巨躯をここぞとばかりに伸ばしている。


「こういう場所は殺人事件や怪談が似合う」

「先輩。嫌なこと言わないでください……」


 素直な感想を口にしただけだというのに、岩朗が睨んできた。


「それで、これからどうするんですか?」

「あの集落に一番近い村がここだからな。情報収集がしたいんだが、住民を見つけるのにも一苦労しそうだ」


 運転中に観察していたのだが、今のところ誰ともすれ違っていない。

 家に籠もっているのか、農作業や仕事で離れているのか。どちらにしろ、人気がなく寂しい限りだ。


「コンビニとかスーパーで話を聞くとか」

「どっちもここにはない。前は商店があったようだがな」


 俺が親指で背後を指す。

 岩朗が釣られてそちらを見て大きく息を吐いた。


「完全に潰れてますね」


 さっき確認したが、後ろにはシャッターの降りた元商店がある。

 過疎化が進む集落なんて珍しくもない。


「ちょい離れたところにある役所か郵便局にでも……おっと、村人発見」


 辺りを眺めていると川沿いの畑で作業をしている人物がいた。

 年齢は四、五十。白髪交じりの髪。首にタオルを巻き服装は上下ジャージ。細身だが農作業をしているだけ合って均整の取れた体型をしている。


「岩朗、話を合わせろよ」

「いつものですね」


 何度も手伝っているだけ合って、詳しい説明をしないでいいのは楽だ。

 俺はスーツの胸ポケットから手帳とペンを取り出し、顔に笑顔を貼り付けて村人へ歩み寄る。


「どうも、こんにちはー」

「おや、こんにちは。見かけない顔だね」


 振り返った村人は、人の良さがにじみ出た笑顔で挨拶をする。

 どうやら、気さくな人のようだ。


「実は私、こういう者でして」


 手帳に挟んであった名刺を取り出し手渡す。


「えーと、雑誌社の記者さん? こんなへんぴなところに珍しい」


 ダミー名刺の中から一番愛用しているものを今回も使う。他にも新聞社、テレビ局、考古学者、民俗学者、等々いくつか取りそろえている。


「ええ。実は懐かしの芸能人は今、という特集記事を担当しているのですよ。以前一世を風靡した、マジシャン、トオルキングさんの実家がこの近くにあるという情報がありまして」

「あー、懐かしい名だね。今はテレビでもさっぱり見かけなくなったが……」


 タオルで額の汗を拭い、空を見上げて懐かしそうに呟く。


「トオルキングさんのことをご存知ですか」

「ご存じも何も、あんたが言ったようにこの近く……といっても車で三十分以上かかるが、そこにあった集落の出身だよ。七下上さんとこのだろ」

「おー、やはりそうですか!」


 嬉しそうに見えるように声を上げ、手元の手帳に何か書き込むような素振りをする。実際には何も書いてないが。


「でも、今は誰もおらんよ。七、八年ぐらい前か、火事であそこの集落は……」


 目を伏せると右手の方角に体を向け、手を合わせて祈っている。

 その方向は焼け落ちた集落があった場所だ。


「その話は耳にしています。どんな些細なことでもいいので、その集落についてお話を聞かせてもらえませんか?」

「どんなことでもねえ。記者さんが喜ぶようなネタはないと思うが。……あっ、そうそう。あそこの人達はなんでも不思議な力が使えた、とか婆ちゃんが言ってたな。空を見ただけで明日の天気を当てたり、野山を駆ける獣より足が速かったり、相手の心を読めたり。あとなんだっけか……そうそう、占いっちゅうか未来が見えたとかなんとか。まあ、眉唾だけど」


 そう言って笑う村人。


「はははっ。興味深い話じゃないですか! もっと聞かせてくださいよ」

「マスコミさんはこういうの好きそうだねぇ」


 表向きは話にあわせて愛想笑いをしているが、背中に冷たい汗が流れ落ちていた。


「おっ、そうだ。なら、うちの爺さんに話を訊くかい? 一時期、市長もしていたから、その辺の話は一番詳しいんじゃないか」

「是非!」


 思ってもみなかった申し出だ。


「それじゃあ……明日の朝、そこの公民館に来てもらえるかい? 爺さん呼んどくから」

 

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