3月12日    岩朗

 再び、桜坂さんのお宅を訪ねることになった。

 今日は迎えに来てもらわず、自らトラックを運転して向かっている。

 荷台にはソーラーパネル一式を積んでいるので慎重に走らないと。かなり性能の良い高価な品なので万が一にも壊すわけにはいかない。


「普通は値段を知ったら購入をためらうのに……即決するなんて」


 見積書を渡したら、ちらっと目を通すだけで、迷いもせずに決めたのには正直驚かされた。

 ディヤさんにも前払いで大金を渡しているそうだし、本当にすっごいお金持ちらしい。

 トンネルに入って薄暗い中を進んでいると、運転中の手持ち無沙汰もあり色々と考えてしまう。


「元から要塞のような頑丈な家。ううん、それよりも一番気になったのは……塀」


 三日前――庭の塀際で私を手招きするディヤさんに駆け寄ると、声を潜めて耳打ちしてきた。


「岩朗、この壁どう思う?」

「どう、ですか? 白く塗った木の壁みたいですね」


 触れてわかったのだけど材質は木で間違いない。その表面を白いペンキで塗っている。


「うん、でもね、こっちきて」


 辺りをキョロキョロと見回しているのは、陣さんの姿がないか確認している?

 私の腕を掴み、壁の隅っこの方へと引っ張っていく。


「人気のない場所に連れていってどうする気ですか!?」

「何もしないわよ! ってか、逆でしょそれ! じゃなくて、真面目な話。ここを見て」


 胸元を両腕で隠して後ずさろうとするのを止められ、壁の一角を指差している。

 そこの壁には子供の拳ぐらいの穴が空いていた。

 言われたとおり穴を覗き込むと、壁の中は空洞になっている。

 分厚い壁だとは思っていたけど、木の壁を二枚並べて作った塀だったのか。


「えっ、あれ?」

「見えたみたいね」


 ただの二枚壁じゃない。板の間には縦と横に鉄筋が張り巡らされている。


「おそらくだけど、この壁の中全部に縦筋と横筋が入ってるわね」


 配線の仕事の関係上、ある程度は建造物についての知識はある。だけど、これって。


「意味あるんですか?」

「そりゃまあ、意味はあるわよ。これだけしっかり鉄筋が入っていたら頑丈だし。だけど、普通、木の壁でこんなことやらないわ。それよりもこれって、たぶん――」


 ディヤさんはそこで口をつぐむと、白い壁を見上げ唸っている。

 壁を軽く小突いたりしていたが、大きく息を吸い口を開いた。


「コンクリートの壁を作る前の型枠っぽい。ここにコンクリートを流し込むだけで、頑丈な壁の完成」

「つまり、元々はコンクリートの壁を作る予定だった?」

「そう、なるわね」


 ――あの時の会話を思い出すと、眉間にしわが寄る。

 ボクの背よりも高い壁。

 広い庭をぐるっと囲むように頑丈なコンクリートの壁を立てるつもりだった、と。

 そういうデザインの住宅がないわけじゃない。デザイナーの個性が爆発した、もっと変で奇抜な建物なんていくらだってある。

 元々、桜坂さんのご両親は防犯意識が高く、そういった住宅を建てる予定だったけど不慮の事故により未完成の状態で放置されていた。

 もしくは、金額の都合上で手を付けられず、後でなんとかするつもりだった、とか。


「そう考えるのが妥当なのですが」


 何かが引っ掛かる。


「桜坂さんか……」


 ディヤさんに三月中に仕上げて欲しい、と頼んだ依頼人。

 お姉さんと二人暮らしでお金持ち。

 気遣いもしっかりしていて物腰が柔らかい。とても、いい人だと思う。

 だけど、時折見せる表情と視線。感謝というより、遠慮……。違う、なんというか、哀れみ……じゃなくて、謝罪? 申し訳ない?

 同情をする人の目のような――幼い頃に周囲の人がボクに向けていた視線に酷似している気がした。


 両親は俗に言う毒親でボクは放置子に近かった。最低限の世話をするだけで子供に興味のない人たち。

 だから保身のために、小さい頃からずっと他人に嫌われないよう、両親や先生や友人の顔色をうかがっていた。

 その影響で今も無意識のうちに人を観察してしまう癖がある。


「疑うのはよくありませんね。おそらく、考えすぎ……だと……」


 こっちが不信感を持っているから、なんでも怪しく見えるという思い込みもある。

 ディヤさんとのコラボ動画として配信してもいいですか? と桜坂さんに訊ねたときも、快く了承してくれた。

 一つだけ条件はあったけど。


「なんで、四月まではダメなのかな」


 ディヤさんも動画投稿は三月中はダメだと言われたようで、四月になったら好きにしていいらしい。

 小骨が喉に引っ掛かったような違和感。


『ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで、ごめんなさい……将軍(ジェネラル)』


 一瞬、嫌な映像と声が頭によみがえった。

 繰り返される母の謝罪と懺悔。義父が自分に暴力を振るっているのを知っていながら、見て見ぬ振りをしていた母の詫びるような罪悪感に染まった瞳。

 あの瞳を彷彿とさせた。


「でも、どうして? 騙している? 何を? お金を踏み倒すどころか、前払いでもらっているのに」


 ダメだ、疑念が尽きない。

 確実な証拠や情報がないというのに。

 全て憶測の妄想だというのに。


「んっ、先輩?」


 作業ズボンのポケットから着信音がしたので取り出すと、大学時代から今も交流のある先輩の名が画面に映し出されていた。

 運転中なので近くのサービスエリアに停めて、こちらからかけ直す。


「すみません、運転中でした。お久しぶりです」

『おー、久しぶり。ジェネ……じゃない、今は岩朗だったか』

「そうですね、そっちの方が今はしっくりきます」


 先輩は本名を知っている数少ない人。昔からボクの名前や見た目で特別扱いすることなく、気軽に接してくれている。

 岩朗か……。動画配信者になって真っ先にやったのが、あの両親が与えた忌まわしい名前ではなく、別の名を自分につけることだった。


『忙しかったか?』

「いえ、移動中でしたが今は大丈夫ですよ」

『急な頼みで悪いんだが明後日から、ちょっと付き合ってくれないか。一泊二日の取材旅行なんだが』

「取材旅行ですか」


 先輩の言う取材旅行とは、記者の振りをして探偵としての調べ物をするときの常套手段。

 そして、ボクに同行を頼むということは。


「危険な仕事なのですか?」


 この体格で柔道をやっていたのを見込んで、護衛として先輩が協力を求めることが希にある。

 実際に危険なことに巻き込まれることは滅多にないのだけど「お前の存在がお守りみたいなもんだ」とは先輩の弁だ。


『ちーっときな臭い一件でな。念には念をってやつだ。正直、お前を巻き込むのは迷ったんだが……これも運命じゃないかと思ってな』

「運命、ですか。先輩らしくないことを」


 憶測でことを運ぶな。まずは情報を集め、そこから推理しろ。

 学生時代に先輩が口癖のようにいつも言っていた。占いや運とか曖昧なものが大っ嫌いな人の口から、そんな言葉が出てくるとは。


『ははっ、だよな。でもな、この話を聞いたらお前も納得するんじゃねえか』

「そこまで言われると興味が湧きますね。訊かせてください」

『実は――』

 

 

  


「ソーラーパネルの設置完了しましたー」

「お疲れ様です」


 屋上から作業が終わったことを告げると、足下の方から感謝の声がする。

 想像以上に手早く終わったのは、下準備の必要がなかったおかげ。

 ソーラーパネルが一ミリのずれもなくすっぽり収まり、電気も労せずに繋がった。

 おまけに蓄電池の設置場所まで地下に設けられていて、新品を運んで置くだけの簡単なお仕事。

 まあ、屋上に運ぶためにクレーン車を誘導したりはしたけど。

 見晴らしの良い屋上から周囲を見渡すと、左にクレーン車の先端が見える。

 本当は操作する人を呼ぶつもりだったけど、ディヤさんが鼻歌交じりにやってくれた。


「ディヤさんって実はかなり頑張り屋で有能ですね」


 当人に自覚はないようで「人気を取るための努力は苦でもない」と笑っていた。その前向きな姿勢は見習いたい。


「どうしましたー。何か不具合でも?」


 降りてこないボクを心配したのか、ハシゴを掴んだ桜坂さんが下からひょこっと顔を出した。


「すみません、あまりにも素敵な風景なので」

「ここは自然が豊富で視線を遮る建物がありませんから」


 そう言って満更でもない顔で笑っている。

 この表情を見る限り悪い人には思えない。だけど――


「あっ、そうだ! これでボクの仕事は終わりなのですが、引き続き『ゾンビに襲われても大丈夫なリアル拠点作り』の作業を手伝わせて貰えないでしょうか?」


 お願いを口にすると、桜坂さんは驚いたのか目を見開いた。


「えっと、ディヤはこのことを」

「はい、既に相談済みで、コラボの了承は得ています」

「そうですか。なら……大丈夫か。日数の問題もあるし……」


 顔を伏せぶつぶつと呟いている。

 あとは相手の判断に委ねる場面なので、美しい湖畔の風景を眺めながら返事を待つ。


「では、お願いしてもいいですか? どうしても、三月中に終わらせたいので力を貸して貰えるなら助かります」

「よかったー。あ、あの、自分から言っておいてあれなんですが、明日と明後日はちょっと用事がありまして、その後からでも?」

「全然、構いませんよ」

「申し訳ないです」


 恐縮して何度も頭を下げると、微笑みながら「気にしないでください」と言ってくれた。


「ねえ、二人ともイチャイチャしてないで、こっちも手伝ってよ!」


 響いてくる大声に反応して、桜坂さんと同時に下を覗き込む。

 クレーン車の窓からディヤさんが拳を振り上げて怒っている。


「悪かったよ。すぐ向かうから。アレがうるさいので行きましょうか岩朗さん」

「はい」


 まだまだ、やることはいくらでもある。

 次は庭に置かれている大量の物置を塀に沿って並べないと。





「では、これで失礼しますね」


 荷台が空になったトラックに乗り込み、窓から顔を出す。


「お疲れ様でした。明明後日から、またよろしくお願いします」

「よろよろー」


 丁寧に頭を下げる桜坂さんと軽いノリで手を振るディヤさん。

 こうやって見ると二人とも性格が全く違うようだけど、仲はとても良い。


「お疲れ様でした」


 頭を下げてから、エンジンをかける。

 ここでの仕事はひとまず終了。あれから南側の塀にずらっと物置を並べたのだが、意外と重労働になった。

 大まかな位置にクレーン車で運んでもらい、あとはボクと桜坂さんが持ち上げて微調整をした。中に何も入ってないとはいえ、結構な重量があったので。


「でも、桜坂さん力持ちだったなー」


 ボクは見た目通り力には自信があるけど、彼も力負けせずに運んでいた。

 あの服の下には鍛えられた筋肉が潜んでいそう。

 明日と明後日は先輩の手伝いでいけないけど、その二日間は地道な作業がメインとなるらしい。

 何をするかは戻ってきたときのお楽しみ、だって。

 興味はあるけど、今は次の仕事……先輩の手伝いに集中しないと。


 手伝う内容をある程度は聞いている。先輩が受けた身元調査らしいが、気になることがあって遠出をするそう。

 初めは簡単な仕事だと高を括っていたが、調べれば調べるほど疑念が増した。と先輩がこぼしていた。

 いつもなら、探偵マニアの先輩が小説の影響を受けて無駄に深読みしすぎた、というオチ。何度もうんざりするほど経験してきた。

 だけど「今回ばかりはそうじゃない」と先輩が断言。

 不覚ながらボクも同意見。

 だって――


「まさか、身元調査の相手が桜坂さんだなんて」


 ディヤさんが先輩の姪っ子というのにも驚かされたけど、まさかの依頼主だったとは。

 それも桜坂さんを調べるように頼んでいた。

 偶然……と呼ぶにはあまりにも出来過ぎている。先輩が柄にもなく「運命」という言葉を使いたくなったのも無理はない。

 正直なところ、桜坂さんに対する不信感というか疑問があったので渡りに船。

 依頼人を調べるという後ろめたさはあるけど、これで何もないと判明したら二人の手伝いに没頭すればいい。

 謝罪の気持ちは――行動で示そう。

 

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