3月17日    桜坂 陣

「陣、なんかデリバリーでも頼んだ?」

「こんな時間の、こんな田舎に届けてくれる店なんてないぞ」


 ディヤがとぼけた顔で疑問を口にするが、その表情に少しおびえが見える。

 時間を確認すると0時を過ぎた深夜。

 他人と出くわすことが滅多にないこの場所で、深夜に訪問する何者か。

 ホラー映画でこんなシーンを何度か観た記憶がある。


 台所の近くにあるドアフォンに駆け寄り、少しかがんで液晶に映る相手の顔を確認する。

 このカメラは門の脇にあるのだが、相手の姿がバッチリ映っていた。

 黒いスーツを着て長い髪を後ろに縛った人物。目元がキリッとしていて整った顔をしている。身長が百九十ぐらいあるようだ。

 門に施されている装飾の位置で、ある程度は身長が測れるようになっているので間違いはない。

 顔に見覚えは……ない。

 深夜に黒服のイケメン……は関係ないにしても胡散臭い。


「誰だこいつ」

「私にも見せて見せて」


 俺の肩に顎を乗せて覗き込むディヤ。


「おっ、イケメ……んんっ! あれ、この人?」

「耳元で大声を出すなっ! もしかして、知り合いか?」


 首が取れそうなぐらい頭を左右に振って何やら考え込んでいるディヤ。


「あー、もうちょいで思い出せそうなんだけど。誰だったっけ。どっかで見た……うーん」


 答えが出るまで相手を待たす訳にもいかないか。

 意を決してドアフォンの通話ボタンを押す。


「どちら様でしょうか?」

『夜分遅くに申し訳ありません。わたくし、日野山 正(せい) と申しまして』


 そう言ってカメラに一枚の名刺を近づける。

 烏山興信所 日野山 正 と書いてあった。

 興信所ということは探偵なのか。胡散臭さが増したぞ。


「あーっ! 日野山さん!」

『その声は花子さんで――』

「だーっ! 本名で呼ばないで!」


 相手の声を掻き消す大音量で叫ぶディヤ。

 だから、耳元で大声を出すな。


「私の名前はディヤ。オッケー? リピートアフタミー。ディヤ」


 なんで片言英語なんだよ。


『ああ、すみません。ディヤさん。申し訳ついでに桜坂さんに私のことを説明してもらえませんか?』


 カメラ越しに何度も頭を下げている。

 悪い人には見えないな。


「えっとね。この人は日野山さんで叔父さんの同僚なの。悪い人じゃないよ。アイド……前の仕事でちょっとしたトラブルがあって、その時に助けてもらったんだ」

「そうなのか。じゃあ、心配ないか……な」


 口ではそう言いながらもスマホでアプリを起動させる。

 岩朗さんに手伝ってもらって数日前に設置した監視カメラの映像を映し出す。

 周囲に人影はない。あの人が乗ってきた車が一台あるだけ。

 車内には誰も乗ってないように見える。角度からして窓際のみしか確認できないが。


「こんな深夜に立ち話もなんですから中に入ってください。門の鍵開けますね」


 不信感が完全に消えたわけじゃないが、過剰に警戒してはディヤに怪しまれてしまう。

 平常心を乱さずに対応すればいい。

 玄関まで行き扉を開けて日野山を招き入れる。

 映像ではわからなかったが、均整の取れた体型をしている。筋肉もあるようだ。

 身長は岩朗さんより、少しだけ低いか。でも、やせ型なのでイメージはまるで違う。

 日野山は恐縮しながらリビングまでやってきた。


「おっひさー。どうしたの、こんな夜中に。それも、こんな辺境の地に」

「辺境の地って。住んでいる桜坂さんに失礼ですよ」

「気にしないでください。ディヤのおかずを減らすだけですから」

「気にしてるじゃん!」


 笑顔で対応しているのに文句を言うディヤ。

 日野山との関係性は悪くないように見えるが。


「そこのソファーにでも座ってください。飲み物はコーヒーでいいですか?」

「大丈夫です。さっき、缶紅茶を飲みましたから」


 遠慮されたので台所には向かわず、L字型のソファーの端に腰を下ろす。

 ソファーには左端から俺、ディヤ、日野山の順で座っている。


「それで、ご用件は?」

「夜分遅くに申し訳ありません。実は早急に確認を取りたいことがありまして。桜坂さんではなくディヤさんに用があるのですよ」

「へっ、わひゃひ?」


 急な訪問者の為に出した茶菓子を遠慮無く貪っていたディヤの動きが止まる。


「神宮一先輩についてです」

「叔父さん……何やらかしたの!? また依頼人を殴った!? それとも警察のお世話に!?」


 ディヤは口のお菓子をまき散らしながら、相手の胸元を掴んで激しく揺さぶっている。

 口ぶりからして、叔父はかなり破天荒な人なのだろうか。


「おち、落ち着いてっ! は、破片がっ、汚っ!」


 話が進まないので二人を引き離す。


「あ、ありがとうございます。犯罪行為をしたとかじゃないですから。いくら先輩でもある程度の分別はありますよ。それにやるならバレないようにやる人です」

「そうだよね。叔父さんが簡単に捕まるわけないかー。よかったー」


 ほっと胸をなで下ろしているが、心配の内容がおかしい。

 俺の中で叔父の人物像がとんでもない人に構築されていくのだが。


「実は……すみません。桜坂さん席を外してもらってもいいですか? 花……ごほんっ。ディヤさんの身内の話なので」


 ディヤに睨まれて訂正する日野山。


「気が利かなくてすみません。話が終わったら電話でもしてくれ」

 他人の家庭に首を突っ込む気はないので、大人しく退散するとしよう。

 階段を上り、自分の部屋に入るとノートパソコンを起動させる。

 マウスを操作すると、見下ろし画面のリビングルームが見えた。


『それで叔父さんがどうしたの?』


 映像も音声も大丈夫そうだ。

 一階にゾンビが侵入したパターンを警戒して、念のために設置した監視カメラが問題なく起動している。


「悪いけど話が気になるから。ごめん」


 後ろめたい気持ちはあるので、小声で謝っておく。

 これはいざという時の試運転を兼ねている、必要なことなんだ。と自分自身に言い訳をして視聴を続ける。


『神宮一先輩が行方不明なのですよ』

『えっ!』

『先輩はディヤさんからの依頼を受けて、桜坂陣についての身辺調査をしていました。我が社では依頼中は最低でも一日に二回は定期連絡を入れる義務があるのですが、一昨日から音沙汰がありません』


 神宮一というのはディヤの叔父だよな。

 ディヤはその叔父に俺を調べるように頼んでいた?

 どういうことだ。要塞化DIYの依頼を疑う素振りはあったが、まさか知り合いの探偵を使って調べていたなんて。

 脳天気に見えて意外にも慎重派だったのか。


「怪しまれているとは思ってたけど、そこまでやるか」


 疑われていたという事実に落ち込みそうになるが、そのおかげで盗み聞きをしているという罪悪感が薄れる。

 ……それに、疑い深いのはお互い様か。

 ここまでの話だけでも気になる点は多い。叔父が探偵だということに加え、ディヤからの依頼内容。


『叔父さんっていい加減なところあるからサボっているだけとかは?』

『かなり前に一度それをやって減給されてからは守ってましたよ。それに先輩の手伝いで同行していた人とも連絡がつかなくて』

『それって興信所の人?』

『いえ。それがディヤさんも知っている方でして。岩朗と名乗っている動画配信者です』

『「はあっ!?」』


 PCから聞こえてきたディヤの驚く声と被る。

 ここで岩朗さんの名が……どうして。


『ちょっ、ちょっと待って。なんで岩朗と叔父さんが一緒に? どういう関係なの? 岩朗は副業で探偵しているの?』


 動揺のあまり早口で質問をたたみかけている。

 俺も同じ疑問なので、黙って答えを待つ。


『話しますから落ちついて。先輩と彼は大学の先輩後輩の間柄なのですよ。先輩は厄介事になりそうな時はボディーガード代わりとして、ちょくちょく手伝いを頼んでいました。その関係で私も面識があります』

『そうだったんだ。全然知らなかった……。じゃあ、岩朗も叔父さんと私の繋がりは知っていたんだ』

『いえ、それは知らないと言ってました。信じられないかもしれませんが、本当に偶然だそうです』


 偶然にしては出来過ぎな話だと思ってしまう。

 でも、本当に奇跡的な出会いや偶然は存在する。可能性としては低くても0%ではない。


『じゃあ、岩朗とも連絡がつかないのは叔父さんと一緒に、厄介事に巻き込まれているからってこと?』

『そう考えるのが妥当かと』


 うつむいたまま、二人とも黙り込んでしまう。

 情報の多さと驚きで混乱しそうだが、深呼吸を繰り返して冷静さを取り戻す。

 つまり、ディヤが俺のことを怪しんで探偵である叔父に身辺調査を依頼した。

 さらに、叔父は岩朗さんを誘って一緒に調査へ向かい、音信不通になる。

 岩朗さんディヤも叔父との繋がりは知らなかった。……ということか。

 俺のことを疑っていたのはショックだが、実際に隠し事をしていた身としては強く出られない。その判断は間違っていなかったのだから。


『そうでした。これを渡しておきます。一昨日までに調べた桜坂陣さんについての調査内容です』


 大きな茶封筒をディヤに手渡している。


『詳しい話はそこに全て記載されていますので。私はそろそろお暇させていただきますね。先輩の捜索を続行しないといけませんので』

『叔父さんのこと、よろしくお願いします。何かわかったら直ぐに連絡してください』


 ディヤは深々と頭を下げた。

 心から心配しているのが画面越しでも伝わってくる。

 話し合いが終わったよー、と電話がかかってきたので一階に下りて彼を送り出した。


「さーて、色々あったけど……寝ようか」

「うん、そうだね。おやすみ陣」


 早々に話を切り上げて、ディヤは自分の車に戻っていく。

 一人になって考えたいこともあるだろうと、引き留めることはしない。

 寝る前に姉の部屋を尋ねると、ゲームをしていた。

 さっきの出来事を包み隠さずに伝えたら、酸っぱいものでも食べたような顔をして腕を組み唸っている。……どういう感情なんだ。


「ディヤさん、疑っていたんだね」


 少し寂しそうに呟く。


「まあ、疑われるようなことしているから」

「それもそっか」

「あのおっきな人とディヤさんの叔父さんが知り合いで、二人揃って行方不明。それも私たちのことを調べている最中に。何か関係があると思う?」


 即座に「関係ない」と言おうとしたが言葉に詰まる。

 すべてを偶然と片付けるには無理がないだろうか。

 ディヤの叔父はともかく、岩朗さんのことは気がかりだ。だけど、そんなには心配していない自分がいる。

 数日仕事を手伝ってもらい、会話をした程度の仲。感情移入をするには関係が浅い。

 自分でも薄情だとは思うが、岩朗さんのことよりも別のことが気になっている。ディヤについてだ。

 

 もしかして、ディヤはゾンビパニックと関係があるのではないか?

 事前にそれを察知した俺を怪しんで接触してきたのでは?

 だから叔父に俺のことを調べさせていたのでは?

 

 ……ダメだ、話が飛躍しすぎている。証拠も関連性もない。

 落ち着け、落ち着いて考えろ。だけど――


 一度なら偶然と呼んでも良いが、二度三度続けばそれは必然ではないのか。


 とある組織の一員で素知らぬ顔をして近づき、こちらの寝首を掻こうとしているのでは。

 ぞわっと、全身が総毛立つ。

 例えようのない不安に取り込まれたかのような悪寒。


「ジンちゃん! ジンちゃん! 顔色悪いよ、どうしたの?」


 慌てた表情の姉が間近にいる。

 俺の顔をそっと両手で包み込み「大丈夫だから」と優しく微笑む。

 いつもはあれだけど、俺が困ったときだけは昔に戻る。あの、強くて頼れる姉に。


「ごめん、ちょっと嫌なことを想像した」

「ジンちゃん。人を疑うのは簡単だけど、信用には時間がかかるわ。ディヤちゃんとは昨日今日の仲じゃないんでしょ」


 ガキの頃、我が儘だった俺に言い聞かせていたときの諭すような語り口。

 子供扱いするなと言いたいところだけど、ざわつき波打っていた心がすっと静まっていくのがわかる。


「ジンちゃんはディヤちゃんなら大丈夫と判断したんだよね。だったら、信じてみようよ。ちゃんとお互いに腹を割って話し合いましょう。どっちも隠し事があるから、色々と余計なことまで悩んじゃうのよ」

「そうかも、しれないな」


 互いに秘密があるから怪しまれる。

 なら、全部明かした上で話せばいい。単純なことだけど……勇気がいる。

 だけど、姉に背を押してもらえたから、大丈夫だ。


「明日、全部話してみるよ。今日はこれ以上、頭に詰め込むとパンクしそうだし」

「そうよね。ゲームとかマンガだったら情報量詰め込みすぎ、ってネットで批判されそう」

「違いない」


 ディヤもやることは山積みだろうし、頭を整理したいはず。

 今日一日は作業も休みにして、明日すべてを告白しよう。

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