3月18日 ディヤ
「マジで言ってる?」
丸一日休養を取った翌日。
昼食後のスイートポテトタイム(またサツマイモだ)に、とんでもないことを告白された。
あまりにも馬鹿げた話に鼻で笑おうとしたが、陣の顔は真剣そのもの。
「えっと、話をまとめると、陣が超能力者で予知夢を見ることができる」
そこで区切って相手の反応を確かめる。
実は冗談でしたー、とか、ドッキリだよー、みたいな展開は……ない。
「……で、一ヶ月後にゾンビがあふれるニュースを観た。だから、こうやって自宅を要塞化している、と」
「その通り」
「小説家デビューはいつ頃?」
茶化してみたが、無表情でこっちを見ている。
冗談にしては面白くないし、たちが悪い。
「えっと、話盛りすぎじゃね?」
「俺もそう思う」
向こうも同じ考えだったようで大きく頷く。
こんなあり得ない話を聞いたら、私ならもっと陽気にいいリアクションを返せると思ってた。
だけど、人って驚きのキャパシティーを越えると逆に冷静になるみたい。自分のことながら初めて知った。
「もう、ディヤに嘘を吐きたくなくて。だから、全てを打ち明けた」
いつもと雰囲気が違う陣にも戸惑うが、隣でうつむきながら壊れた機械のようにずっと頷いている――お姉さんも気になってしょうがない。
初対面はもっと楽しげな会話がよかったかな。
一切視線を合わせずに座って頷いているだけだけど、よく観察すると小刻みに震えている。人見知りは嘘じゃなかったんだ。
顔はちらっと見えた程度だけど、かなりの美人。
艶のあるロングの黒髪に色白の顔。目鼻立ちがスッキリしていて化粧はしていなかった。
それでも美人とわかるのだから、相当に素材がいい。
薄手のカーディガンに下は机で隠れていてわからなかったけど、落とした物を拾う振りをしてチェックしたらロングスカートだった。
くっ、憧れの清楚系美人か。ま、まあ、スタイルなら私が勝ってるし、たぶん。
だぼっとしたサイズの上着だから、着痩せしているだけというオチがあるかもしれないけど。
って、そうじゃない。お姉さんのことは気になるけど後回し。
「予知夢の超能力者……ね」
「信じられないのもわかるよ。ディヤが同じことを言ったら、こいつとうとう頭がおかしくなったのか、って同情するし」
「どういう意味だ、こら!」
鼻で笑う陣に凄んでみせる。
ちょっとだけ場の空気が和らいだかな。
「でもさ、やっぱ疑うわよ。そりゃ、動画配信者としては予知夢が本物だった方が面白いとは思う。なんなら、その能力を使ってPV伸ばして一儲けしたいぐらいだし。……そうだなー、証拠を見せたりできる? 無理だよね?」
あえて煽るように挑発してみた。
信じてあげたい気持ちはあるが、そんな告白を素直に受け入れるほどウブじゃない。
超能力ってファンタジー過ぎるでしょ。
「そうくるよな。もちろん、用意してある」
えっ、証拠見せられるの?
無理を承知で言ってみたのに……。
陣は机の上に一枚の小さな紙を置いた。大きさは名刺ぐらいで、無数の文字と数字が印刷されている。
「馬券?」
「今日やっている競馬の馬券だよ」
リビングにあったテレビを付けると、今放送している競馬番組にチャンネルを代えた。
「次のレース三連単で買ってある。一位、二位、三位を順番通りに当てたら配当がもらえるってヤツだ」
「ルールぐらい知ってるわよ。叔父さんが好きだから。……順位予想は予知夢で見た通りに買ったってことよね」
「そう」
動揺は一切無く、自信にあふれた受け答え。
馬券は一番難しい三連単の一点買い。それも金額は十万円という高額。
淡々と話していることで真実味を帯びているように感じてしまう。
本当にこれが当たったら……。
「始まるよ」
存在を忘れかけていたお姉さんの言葉にハッとして、視線を画面に移した。
「嘘でしょ……」
結果に呆然としてしまう。
馬券をつかみ取り、テレビ画面に流れている着順を再確認する。
「三、十一、七」
目を皿にして馬券と画面を交互に何度も見るが、どちらの数字も一致している。
「当たっただろ」
かなりの高額配当だというのに平然とした態度。
こんなのは日常と言わんばかりの立ち居振る舞い。
さすがに、これを偶然と言う気は……ない。叔父さんが外した場面を何度も見て、一位から三位までの着順を当てることが、どれだけ難しいかは理解しているつもり。
「この力を使って公営ギャンブルや株とかの投資で稼いでいる」
「ず、ず、ず」
感情が高ぶって上手く言葉にならない。
「ずっこい! そんな能力があったら楽して好きなだけ稼げるじゃん!」
「そうだよ」
あっさり肯定したな、この野郎!
「そりゃ家の改築に楽々と大金を出せるわけだ……。すうううううう、はあああああ」
落ち着こう。新鮮な空気を取り入れて脳内を冷却換気しよう。
「うぐぐぐぐっ。羨ましいを通り越して妬ましいぃぃぃ。妬みで人が呪えたらあああぁぁ」
「発想がヤバいって……」
心の声のつもりが口から漏れていたみたい。
陣がドン引きして怯えた目を向けている。
「だってだって、そんなのあったら稼ぎ放題だし! あっ、だから金持ってるのか!」
「そう言ってるだろ」
頭では理解しているつもりだけど感情が追いつかない。
驚きと妬みとその他諸々の感情でぐっちゃぐちゃ。
「まず、落ち着いて……ポケットにしまった馬券を返せ」
「ちっ、気づいてたか」
さりげなくしまったのに目ざとい。
「よ、よーし、取りあえず予知夢は信じ……る! はい、信じた!」
大きな声で断言することで自分に言い聞かせる。
問いただしたいことは山のようにあるけど、ここで躓いていたら先に進めない。強引にでも納得しないと。
「予知夢は月一ペースで年に十二回だけ使える。見る夢の内容は月初めのみ。ってことは一月一日、二月一日、三月一日、他の月も一日って感じ?」
「そうだな。今まで二日から三十一日の予知夢は見たことがない」
毎年、紅白歌合戦でどっちが勝つのかも一ヶ月前に知っていたんだ。
これって相当便利な力じゃない?
「それで、三月一日の夜に一ヶ月後の四月一日にゾンビが暴れているニュースを観たと!」
感情の高ぶるまま勢いに身を任せて、テーブルに身を乗り出して陣に詰め寄る。
「だ、だから、そうだって」
「近い、近い、離れて」
額が突きそうな距離まで迫ったら、陣の隣に座っていたお姉さんが引き剥がそうとしてきた。
力を込めて押しているみたいだけどパワー不足。もっと筋肉付けないと。
か弱い系の美人さんか、動画配信者になったら需要ありそう。
ちょっと胸元や太ももあたりの露出を上げて甘えた声を出したら、視聴者が爆釣れしそうな予感。
「えっ」
あれっ、また声に出てたみたい。お姉さんが慌てて離れると、怯えた目でこっちを見ている。
「あっ、いや、違うんです。動画配信者としてのサガと言いますか」
慌てて否定したけど、陣の背後に隠れてしまった。
そんな私を半眼の呆れた顔で見ている陣。
「ごほんっ。じゃあ、話を戻そっか。予知夢は一応納得したけど、それって絶対に当たるものなの? 予知夢と本当の夢の区別ってつくの?」
思いついた疑問を口にする。
「余計なことをしなければ百発百中。夢で見た内容と違う行動を意識的にすれば変化することもある。投資や博打の結果を変えたくないから、予知夢で見たとおりに動くように心がけてはいるよ」
「なるほど。予知夢の行動をなぞれば間違いないってことなんだね。ちなみに、わざと変化させてみたことはあるの?」
「あるよ。現実が予知夢と少し違った展開になった」
未来は変えられるんだ。
これは重要なことだから覚えておかないと。
「予知夢と本当の夢の区別だけど、予知夢は実体験とすべてが同じ。色、音、匂い、触った感触も完全に再現されている。現実と遜色がないんだよ」
「妙にリアルな夢とかとは比べものにならないクオリティーなんだ」
たまに起きた瞬間、今のは夢? と戸惑うことがあるけど、少し経てば夢だったと理解できる。
「じゃあ、四月のゾンビパニックってマジでヤバいんじゃないの?」
自ら口にすることで事の重大性が、危険性が、意味が、徐々に浸透していく。
二人は予知夢をまったく疑っていない。だからこそ、自宅を要塞化DIYなんて無謀にも思えることを実行している。
未来への備えとして。
その本気度は疑う余地がない。
「これをマスコミやネットに流して、誰かに伝えた方がよくない?」
完全には信じ切れていないが、本当に起こるなら何かしらの対策をするべきだ。
自宅の要塞化だけじゃなく世間に伝える努力を。
「四月にゾンビが日本中にあふれる、なんてことをネットで吹聴してるヤツがいたら、ディヤはどう思う?」
「嘘乙」
「そうなるだろ」
事情を知らなければ誰も信じなくて当然。
だけど、それなら同じ手を使えばいい。
「じゃあ、私にしたように馬券でも予想してみせたら予知夢を信じない?」
「それは考えたんだけど、やらない」
「どうして? 全員が信じてくれるとは思わないけど、信じた一部の人だけでも助かるかもしれないし、騒ぎになればマスコミも聞きつけてくるって」
そうなれば後は早い。
上手くいけば数日の内にネットを通じて日本中へ知れ渡るはず。
私の提案を聞いた陣とお姉さんが顔をしかめる。
「目立ちたくないんだよ。このゾンビ現象が強大な組織や国家が起こした、ウィルス事件やテロ行為だったらどうする? そういった連中がネットを監視していない訳がない。少しでも真相に触れるような話題を見つけたら即座に対応してくるはずだ。計画が事前に漏れるのを恐れて」
「強大な組織って、そんなゲームやマンガじゃあるま……」
馬鹿げていると否定しそうになったけど、この状況に現実味なんてものはない。
予知夢にゾンビ。
それこそ架空の物語としか思えない。
「黒幕に目を付けられたら、一般市民の俺たちなんて即座に消されてもおかしくない。四月になれば何千、何万、何億と人が死ぬかもしれないんだ。今更、一般市民の一人や二人殺すのにためらうと思うか?」
「それは……」
否定できない。
大量虐殺を試みようとしている連中が手を下さない理由が見つからない。
「今から最低なことを言う。俺は……自分と姉が助かればそれでいいと思っていた。だから、ここを籠城できるような環境にしようとしていた」
大量の備蓄。
電気、水といったライフラインの確保。
窓の鉄格子や防犯用シャッター。
外壁の強化。
全ての点が繋がってしまう。
「今までの疑問が氷解しちゃった」
「本当は最後まで隠しておくつもりだった。だけど、ディヤも助けたいから」
「あ……」
その言葉を聞いて胸が締め付けられる。
嬉しいのか苦しいのか泣きたいのか怒りたいのか。感情が複雑に絡み合い、言葉にならない。
黙って私を利用しておけば、陣とお姉さんは万全の備えで四月一日を迎えられる。
だというのに秘密を明かしてくれた。そのことには素直に感謝しないと。
「ありがとう、話してくれて。なら、私も秘密にする訳にはいかないよね」
叔父さんへ陣の身辺調査を依頼したこと、そして調査結果の内容を。
一度車に戻って報告書を持ってきた。
それをテーブルに広げて頭を下げる。
陣は怒りもせずに「いいよ、お互い様だから」と笑って許してくれた。
報告書を一緒に目を通していたのだけど、三枚目の途中で視線が止まる。
「七下上の集落に行ったのか」
「あそこに行くなんて」
二人は苦渋に満ちた表情で資料を睨みつけている。
視線の先を追うとそこには、
『桜坂陣の生まれ故郷である七下上一族の集落。詳細を知るため近日中に情報収集へ向かう予定。念のために危険性を考慮して人員を一人追加』
と記載してある。
「ねえ、これって陣が昔住んでいた所よね」
「小学生までだけどな。差別と偏見と狂った教えに支配された最悪の場所……だった」
「でも、山火事で集落は消滅したはずだから」
唇をかみしめ拳を握りしめている陣の肩を、お姉さんがそっと抱いている。
私が容易に踏み入ってはいけない過去があるみたい。
報告書にも山火事で集落は全焼。そこに住んでいた人はすべて亡くなったと書いてある。
「追加人員って岩朗のことで間違いないはず。タイミング的にバッチリだし。てことは、二人で七下上の集落を調べに行って……行方不明になったってことよね……」
どういうこと?
叔父さんが陣の身辺調査で集落に行ったまではわかる。
正直、そこまでする必要はなかったはずだけど「探偵の血が騒ぐ」とか「探偵の勘」だとか曖昧な動機で余計な調べ物を増やしたのだろうと想像は付く。
「にしても危険性なんてないよね? やっぱり、何かしらの事故に巻き込まれたとしか」
山奥の集落らしいから、舗装されていない山道で滑落して遭難しているのでは?
というか、そうとしか考えられない。
「警察に捜索願を出しているって日野山さんは言ってたけど」
四月にゾンビがあふれる話を聞いたせいで、最悪な想像をしてしまいそうになる。
関連のない話なのに嫌な予感が……。
考えすぎ、考えすぎに決まってる。陣の生まれ故郷にいったところで何があるわけでもないんだし。
嫌な想像を払拭して正面を向くと、感情の消えた表情の陣とお姉さんがいた。
なんで、そんな顔をしているの……。
「叔父さんや岩朗さんから電話とかメールは?」
陣らしからぬ冷たい声に内心驚く。
こんな声、初めて聞いた。
「何度も確認したけど全然」
それこそ数分おきにチェックしているけど音沙汰がない。
「元から面倒くさがり屋で滅多なことじゃ私に連絡しなかったんだけどさ。そのくせ、暑中見舞いとか年賀状とかは欠かさないのよ」
機械系は信用してないのに、アナログに対する信頼感はなんなんだろう。
「手紙……あっ、そういえば」
お姉さんが慌てて玄関の方に走っていくと、封筒を一通持って帰ってきた。
「知らない人の名前だったから不気味で。捨てようかと思ってたんだけど」
机に置かれた封筒には『神宮一 源治郎』の名がある。
封を開けて中身を取り出して目を通す。
すべて読み終わり、大きく息を吐いた。
「どうしよう……叔父さん、ヤバいかも」
そこには『桜坂さんへ。ぶしつけで申し訳ないがこれをディヤに渡して欲しい。この村は怪しい。泊まった旅館には盗聴器が仕掛けられ、村人に見張られている感覚がある。明日、人と会う約束があるのだが、もし俺が音信不通や行方不明になったら日野山に伝えて欲しい』と書かれていた。
「日野山さんに連絡するね!」
叔父さん、岩朗、どうか無事でいて!
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