3月19日 日野山 正
先輩が消えた村に向けて車を走らせている。
昨日、姪っ子の花……ディヤさんから連絡があり、再び桜坂家を訪れて封筒を見せてもらい詳しい話を聞いた。
先輩が厄介事に首を突っ込んで掻き回し、事態をややこしくするのはいつものことだけど、今回ばかりは暢気に構えていられない。
当人が行方不明となり音信不通。
文章も意味深だった。旅館の人に盗聴器まで使われ、村人に見張られている、と。
何があるというのだろうか、あの村に。
ざっと調べた限りでは高齢化が進む過疎地の村。
若者は都会に流れ、農作業で生計を立てている人々がわずかに住んでいる。
これといって怪しいポイントは見つからなかった。
「いったい、何をやらかしたんですか先輩」
心の中で呟いたつもりだったが、声として漏れ出てしまう。
「心配ですよね」
助手席から私を労る声がした。
集落へ向かう私に同行を申し出てくれた桜坂 陣さんだ。
「ええ、まあ。でも、大丈夫ですよ。ゴキブリより生命力の強い人ですから」
「ディヤも似たようなことを言ってましたよ」
そう言って微笑んでいる。
本来、こんな危険なことに他人を巻き込むのは御法度なのだが、今回は状況が状況だ。
冷静さを装っているけど、実際は不安で仕方ない。
普段は絶対こんなことはやらないのに、依頼人にアポ無しで深夜会いに行ったり、依頼内容を話すなんて探偵として愚の骨頂。
先輩に知られたらきっと怒られる。でも、冷静でなんていられない!
先輩の身に何かあったら……何かしないと、なんとかしないと。
昔住んでいた地元民が一緒なら捜索がはかどるのは間違いない。
ただ……何故、彼は付いてきてくれたのか。ディヤさんの依頼で身辺調査をしていたことは伝えてある。
個人情報を探っていた我々に協力する義理はない。
一つ思い当たる節があるとすれば、ディヤさんの存在。
彼女は付いてきたいと駄々をこねたのだが、桜坂さんの一言で意外にも大人しく引き下がった。
「俺が代わりに行くよ。その代わりDIYの方を進めておいて。大丈夫だって、四月一日までの安全は確定しているから」
あれはどういう意味なんだろう。
堂々と断言していたけど根拠がない。
だというのに先輩に似て我の強いディヤさんが、あんなにもあっさりと。
それに一緒に居た女性――姉の八重さんは乗り気ではなかったのに、あの発言を聞いて渋々だけど認めた。
報告書では弟に対して過保護で依存している節がある、とあったのだが。
人見知りは本当のようでこちらの目は見なかったが、手を優しく握り「弟は大丈夫なので、よろしくお願いします」と言ってくれた。……その手は震えていたけど。
彼には信頼に足る何かがあるのだろうか?
服の上からしか確認できないが、全身にある程度筋肉は付いているようだ。実はかなり腕っ節が強くて格闘技を習っているとか?
「あの、どうしました?」
「すみません、ちょっと考え事を」
じろじろ見ていたので不審がられてしまった。話を変えないと。
「しかし、本当にいいのですか。何があるかわかりませんが」
情報が不足していて判断が難しいが、先輩は身の危険を感じていた。だからこそ、私に連絡をよこすように伝えた。
本名ではなく偽名で。更に事務所ではなく桜坂家に送ったのも用心のためだろう。
封筒を使ったのにも訳がある。メール等を使うと誰に送ったかデータが残ってしまうから。履歴を自ら消したとしても復元方法はある。
探偵業をしている我々だからこそ、その手段は容易に思いつく。浮気調査の際に証拠になるデータ復元は何度かやったことがあった。
全てが杞憂で何もなかったとしたら、それこそ後で訂正の連絡を入れたら済む話。
「はい、覚悟の上です」
「覚悟ですか。そこまで気を張らなくても大丈夫だと思いますよ」
と口にしながらも、自分の言葉を心からは信じていない。今までと何かが違う。
言いようのない、例えようのない、不安。
先輩の厄介事に巻き込まれた回数は数知れず。だけど、こんな気持ちになったのは初めてだ。
隣にいる彼が先輩の調べていた相手。
依頼人は姪っ子のディヤさん。
これだけでもややこしい状況なのに先輩と岩朗さんが消息不明。
依頼内容と調査内容はすべて確認させてもらった。
記載に間違いがないか尋ねたが「はい」と答えた。
この一件について彼は何か知っているのだろうか。言動から察するに、そうは思えないが。
わからない、わからないことだらけ。推理するにも情報が足りない。
無言で考え込んでしまったが、これじゃ桜坂さんを不安にさせてしまう。
「すみません。会ったばかりの私とドライブなんて息が詰まりませんか?」
私が彼の立場なら居心地が悪いと感じているだろう。
「いえ、全然平気ですよ。姉が信頼した相手ですから」
「信頼ですか」
目も合わせてくれなかったけどね。
「姉は人を見る目がある方なのですよ。多くの人を見てきたので」
桜坂姉弟の過去については目を通している。
多感な時期にあんな経験をすれば人嫌いにもなるだろう。
「信頼していただけたのなら嬉しい限りです」
職業柄、面識のない相手を簡単に信じるのは危険だと忠告したいところだが、わざわざ警戒心を抱かせる必要はない。
「そういえば、そのリュックサックは?」
彼の格好は生地の厚いフード付きパーカーで、下はジーパン。それに頑丈そうなブーツを履いている。荷物は黒のリュックサック。
「念のために登山とかで便利そうなアウトドアグッズを放り込んできました。非常食もありますよ。あと護身用の武器も」
中をちらっと見せてくれたが、そこには折りたたみ式の警棒があった。
「それは助かります」
遭難している可能性が高いので、非常食は万が一の際に役立ってくれる。気の利く人のようだ。
警棒を持っている理由にツッコミたかったが、あんな人気にない場所に住んでいたら、そういった備えも必要なのだろう。と自己完結しておく。
私も同じように鞄を持ってきている。中身は食料と飲料水。あと、探偵道具一式。
「ところで、俺からも一つ質問していいですか?」
「答えられることなら、なんなりと」
「どうして車が……軽トラなんです?」
今乗っている車はミッションの軽トラックだったりする。それも幌付きの。
「これ実は社用車なんですよ。興信所の仕事は浮気調査が多いのですが、その際に尾行をすることもありまして、そういった時に普通車よりも軽トラの方が都合がいい場合があるのですよ。まさか、探偵が軽トラで尾行してるなんて思わないでしょ?」
「確かに」
「それに路上駐車をしていても配達中なのかも、と都合のいい解釈をしてくれる」
「あーなるほど。考えられているのですね」
他にも車を止めて中に居ても、休憩中かサボっていると思われるだけで済む。
「もちろん、普通車に比べて目に付くのでケースバイケースですよ。今回は過疎化の進む村だからこそ、こっちの方が溶け込むのではないかと」
一応、カモフラージュのために荷台にはダンボールをいくつか積んでおいた。空箱もあるが疑われないように半分以上は中身が詰まっている。
「他にも……と、おしゃべりはここまでにしておきましょう。目的地に近づいてますので」
日が落ちてから山に入り、三時間が経過した。
春前だけど夜の山となると肌寒い。
「中にもう少し、着込むべきだったかな」
念のために二人とも作業服に着替えていた。運送屋に見えるように。
暗闇を照らす懐中電灯と、桜坂さんが腰にぶら下げているLEDランタンの明かりが頼りだ。
仕事柄、体を鍛えているので私は問題ないけど、意外にも桜坂さんは軽快な足取りで付いてきている。
旅館のある村を避けて、山を一つ挟んだ道路の脇に車を停めてから山へと踏み込んだ。
先輩が訪れた場所を衛星カメラで確認してわかったのだが、大きな川と山に挟まれた立地に村が作られている。
川幅は広く急流。ここを渡るのは無茶だし、もし川に落ちた事故だとしたら助かる見込みは少ない。
ならば、生存確率の高い山に託した方がいい、と判断した。
それに先輩はアウトドア好きで山には慣れている。逃走ルートを選ぶならこっちだという確信がある。
「日野山さん、ありましたよ!」
少し後ろを歩いていた桜坂さんが大声を上げると、慌てて口に手を当てている。
静まりかえっていた山道に声が響く。
苦笑しながら駆け寄ると、大木の幹をランタンの明かりで照らしていた。
そこにはナイフで削った跡が。矢印の記号だ。
「本当にあるとは」
「お手柄です、桜坂さん。これは先輩ので間違いない」
以前、先輩に付き合わされた山で遭難しそうになったのだが、その時に先輩は特徴のある矢印を木々に掘っていた。
「これって、つまりこの方向に進んだってことですよね?」
「そうですね。生存率は上がったかと」
先輩が消息不明になってから五日目。人は一滴も水分補給をしないと四、五日で死ぬらしい。
だけど、この山に入ってから三時間程度だが、既に湧き水や小川を発見している。
先輩なら図太く生き延びられる環境だ。
「でも、危なくないですか。もし、厄介事に巻き込まれているなら、こんなものを残したら追っ手にも気づかれそうですし」
「普通はそう思いますよね。ですが、これはちょっとした暗号みたいなものでして。矢印をよく見てください。一番長い線の部分に傷が入ってませんか」
「あっ、本当だ短いのが一本斜めに入ってる」
「実はこの矢印の長い線を時計の針に見立てて、0時を指していると仮定します。すると、この短い線は何時を指しているでしょう」
「ええと、左上だから九時ぐらいかな」
「正解です。なのでこの矢印が指し示す方向は、こちらではなく九時方向へ進めということになるのです」
現代の探偵業において暗号や謎解きは必要のない知識なのだけど、先輩は創作物の探偵に憧れてこの業界に入った変わり者。
なので、無意味にも思える暗号作りが大好きで、完成しては私に解かせようとしていた。
話のネタぐらいにしかならないと思っていたけど、役に立ちましたよ先輩。
桜坂さんは気づいてなかったが、矢印から離れた木の上部に暗号が刻まれている。
矢印と違いかなり高い位置にあり、細く浅く彫られているので、私ぐらいの身長で目を凝らさないと見つけられないレベル。
それにこの暗号は先輩と私しか知らない。
つまり、これは先輩が私に向けたメッセージ。
『ムラビトニオワレテイル キケン』
――不安が現実になってしまった。
急いで削ったのだろう、辛うじて読み取れる雑な彫り込み。それだけ切羽詰まった状況に追い込まれているということだ。
「桜坂さん。申し訳ありませんが、一人で引き返してください。ここから先は自分だけで行きます」
「どうしたんですか、急に」
唐突な申し出に困惑を隠そうとしない。
「かなり危険な状況のようです」
「それなら尚更、人手がいるはずです」
「いえ、探す方にも身の危険があります。やはり、先輩は村人に追われているようです。理由は不明ですが」
「それで納得しろと」
確証はなく暗号と状況証拠のみ。それだけの材料で説得するのは無理があるに決まっている。だけど、素人を危険にさらすわけにはいかない。
「お気づきですか? この山に入ってから携帯の電波が届いていないのを」
「本当ですね……」
スマホを取り出して確認している。
電波が届かない地域ということは、いざというときに助けを呼べないということだ。今の先輩のように。
「俺を心配しているなら無用です。何があろうと大怪我もしませんし、死ぬこともないです。あの日までは」
なんで自信満々に断言できる。
強がっている素振りじゃない。根拠のない自信のはずなのに、この妙な説得力は。
「ですが――」
そこで口を閉じる。
今、何処からか音が聞こえた。
耳を澄ますと、草をかき分ける音と足音が微かだが耳に届く。
矢印が刻まれていた大木に隠れると明かりを消す。桜坂さんも同じように身を潜める。
「誰かが迫っています」
小声で伝えると、小さく頷く。
息を潜めて音を探る。
足音からして一人……か。歩く速度も歩幅も一定じゃない。
少しだけ顔を覗かせて音のする方に目をやる。
暗いがここは木の密集率が低いので、月の光に照らされる相手の姿がなんとか見えた。
先輩ではないかと期待したが、そうではない。
トレードマークのしわだらけのコートと、くたびれたスーツ姿はどこにもなく、ダウンジャケットに下はジャージという恰好。
顔には深いしわが刻まれていて、年齢は若くても七十といったところか。
夜に明かりも付けずに老人が歩いている。
認知症の老人が徘徊している可能性も捨てがたいが、こんな山奥に?
「ふらふらしてますね。酔っ払っているのかな」
「もしくはボケて徘徊しているか。でも、おかしい」
よろつきながらも近づいてくるにつれ、足音に混ざって聞こえてくる、もう一つの音。
「あっ あっ あっ」
言葉になっていない声。
ただ一定の間隔で繰り返すだけの「あ」
夜の山という状況だけでも不気味なのに、加えて怪しい言動の老人。
体がこわばるのも無理はない、よね。
「日野山さんっ、あの老人の目」
突然、切羽詰まった声を出して、私の肩を激しく揺さぶる桜坂さん。
驚きのあまり叫びそうになったが、ぎりぎりでこらえた。
文句の一つも言いたかったが、目を限界まで見開いた表情を目の当たりにして、言葉を呑み込む。
まさに驚愕の顔。
その視線につられて……振り返った私も見てしまう。
闇夜に輝く赤く染まった瞳を。
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