3月20日    桜坂 陣

「あれはいったい、なんだ、ったんで、しょうか」


 木にもたれ掛かり、肩で息をしながら日野山が疑問を口にする。


「なん、でしょう、ね」


 様子のおかしい老人に遭遇した場面で、俺はこのままやり過ごすことを提案した。

日野山も先輩を探すほうが優先だと賛成してくれて、その場を後にしたのだが、それからずっと山をさまよっている。

 ちょくちょく休憩もはさみながらとはいえ、山での捜索は疲労が大きく休憩することにした。

 時刻は六時。空を見上げると闇を押しのけるように明るみ始めている。


 もう、朝なのか。

 あれから十人ぐらい村人らしき人と遭遇したが、皆あの老人と同じく明かりも持たず、奇妙な動きをしていた。

 赤い瞳に虚ろな目。

 おぼつかない足取りに意味不明なうめき声。

 日野山さんは何かしらの薬物でも摂取しているのではないか、と結論付けていたが俺は平然を装いながらも、心境は複雑だった。


 アレに似た姿を知っている。

 俺は――見たことがある。

 

 予知夢で見た光景。襲い掛かる人々の群れ。

 ゾンビのような姿。あまりにも酷似している。


「まるでゾンビみたいでしたね」

「……ははっ、確かに」


 苦笑してみせたが内心は穏やかじゃない。

 まさか生まれ故郷の集落に近い村が予知夢で見たアレと関わりがあるなんて。

 いや、集落に近い村じゃない。この期に及んで現実から逃げるな。状況証拠から考えて、集落が原因の可能性がある。

 排他的でありながら六神通を得るためなら非人道的なこともためらわない一族。

 超能力、呪術、魔法。日本、海外を問わず怪しげな力を持つといわれていた人々の血を取り込んできた。


 血だけではなく――オカルトの知識や技術までも。


 村での生活は厳しく窮屈だった。

 古くさいが大きな屋敷に住み、生活に困ることはなかった幼少期。

 能力を開花させるためと説得され、幼い頃から山登りや瞑想や滝に当たるという古風な修行をやらされ、俗世に染まることを許さないとテレビすら観せてもらえなかった。

 あれは幼児虐待として訴えられるレベルだ。


 幼い頃は超能力というものに憧れがあったので辛い修行にも耐えられた。いつか、自分は能力に目覚めてヒーローになれると本気で信じていたから。

 学校でこそっと見せてもらったマンガに出てくるヒーローのように。

 だけど、なんの能力も得られなかった俺は、来る日も来る日も役立たずと罵られた。庇ってくれたのは姉と両親のみ。

 俺の境遇を見るに見かねた父は一族を捨てて集落を出た。


「桜坂さん、桜坂さん。そろそろ、動きましょうか」


 名前を呼ばれてハッとする。

 かなり長考していたみたいだ。辺りはかなり明るくなっている。

 これならランタンも必要ない。


「そうですね、行きましょう」





 ディヤの叔父――神宮一が書き残したであろう矢印を追っているのだが、進む方向が山頂へと向かっている。

 逃走が目的なら上に向かうのは愚策でしかない。自ら逃げ道を無くしているようなものだから。


「これは頂上へと追い込まれていますね」


 日野山が逃走経路から、神宮一の状況を考察する。

 あれからも何度か見かけた村人を遠くから観察していたが、山をぐるりと囲むように等間隔で配置され山頂へ向かって登っていた。

 日が昇ってからはゾンビみたいな連中を見かけなくなった代わりに、普通の村人を目にするようになっている。

 両者の見分け方は簡単で、ゾンビは体を揺らしながら視線も定まらず単独で歩く。もう一方は複数人でグループを作り、辺りを警戒しながら進んでいた。

 全員の共通点は進路方向――山頂だ。


「このままだと、いずれ先輩たちが捕まるか、我々が見つかることになるでしょう。矢印を探しながら移動しているので、こちらの移動も速くはないですから」


 歩く速度は村人たちより上だけど、矢印を見つけるまで時間のロスがある。

 日野山の言う通り、厳しくなる一方だ。


「そこで、ここからは矢印を無視して一気に山を駆け上がります。先輩と岩朗さんの名を呼びながら」

「二人を見つけるのが先か、村人に見つかるのが先かの勝負ってことですか」

「はい」


 ディヤの叔父と岩朗さんがいなくなって六日以上が経過している。

 水分補給は大丈夫だとしても食料はどうにもならない。動く気力も体力も限界か尽きていても不思議ではない。

 危険な賭は承知の上で勝負に出る気だ。


「わかりました、やりましょう」


 これが分の悪い賭けでも、ためらう必要は無い。

 四月一日の予知夢を見たということは、その日まで俺が生きていることは確定している。夢の中で怪我の跡や痛みもなかったということは、大怪我も負わないことは確定事項。

 この捜索に同行を決断したのはディヤの心配を取り除いて要塞化を効率よく進めてもらうため。

 それに加え、どんな目に遭っても俺だけは生き延びられる確証があったから。

 水分を補給してから、山頂へ早足で向かう。


「岩朗さーん!」

「せんぱーい! いたら返事してください!」


 耳を澄ますが二人らしき声はない。

 更に上へ上へと進み、大声で呼びかける。


「かなり山頂が近いですね」

「上につくまでに先輩が見つからなかったら、登ってきたルートとは反対の方向へ降りましょう。それで見つからなかったら、残念ですが」


 少し前を進んでいた日野山が、振り返ることなく苦渋の決断をする。拳を握りしめ肩を震わせながら。


「見つかるといい――」

「動くな」


 耳元で不意に聞こえてきた声と、喉に当たる冷たい物体。

 聞き覚えのない男性の声。

 しまった! 話に夢中で村人に近づかれていたのに気づけなかった!


「桜坂さんを放せ! 何が目的……先輩?」


 怒りの表情が豹変して、気の抜けた顔になる。

 今、確かに先輩って言ったよな。てことは、俺を羽交い締めにしているのはディヤの叔父なのか。


「おっと動く……あれっ? 日野山か! じゃあ、こいつは……桜坂陣がなんでこんな場所にいやがる」


 初対面だがディヤからの依頼で顔は知っていて当然か。

 横合いから覗き込んできた顔は無精髭が伸びっぱなしで、髪もボサボサだ。

 一週間近くもの逃亡劇がどれだけ辛かったのか、見ただけで伝わってきた。

 あと、かなり臭い。密着しているから嫌でも悪臭が漂ってくる。


「あの、そろそろ放してくれませんか?」

「お前ら、正気だよな? あのゾンビもどきみたいになってないだろうな」


 と言いながらも解放してくれた。

 ゾンビのような状態なら、そもそも会話が不可能だ。


「危険を冒して助けに来た、可愛い後輩に言う台詞がそれですか。神宮一先輩」

「悪い悪い。助かったぜ。念のために非常食は携帯してたんだが、それも三日前に尽きてな。食いもんあるなら、なんでもいいからくれ」

「はいはい、これをどうぞ。無事で良かったですが、岩朗さんはどこに?」


 携帯食を旨そうに頬張っていた神宮一の動きが止まった。

 目を見開き、日野山を凝視している。


「ちょっと待て。アイツもまだ行方不明なのか!? 先に助かったんじゃないのか!?」


 後輩の肩を掴み激しく揺さぶっている。


「落ち着いてください! 岩朗さんはまだ見つかっていません。てっきり、先輩と一緒にいるものだと」

「まさか、そんな……岩朗っ」


 俺も二人は一緒にいると思っていた。

 話を聞くと逃げている最中にはぐれて、そのままらしい。


「先輩……酷なようですが、このまま山頂に向かいます。そこで見つけられなかったら反対側から山を下りましょう」

「そう、だな」


 疲労困憊なのは目に見えてわかる。元気に振る舞っているが、体力も気力も限界に近いはず。

 この状況下で岩朗さんの捜索を続けることの無謀さを即座に理解し、冷静な判断下せる大人のようだ。

 日野山が肩を貸しながら山頂へと向かう。

 山頂にはベンチと机が置かれていて、小さな展望台もあるらしい。

 土砂崩れで不通になった道路の先にハイキングコースがあって、そこからだと半日ぐらいでたどり着く。……と、日野山が教えてくれた。


 登っている最中に何があったのかを神宮一が口にする。

 初めは驚きながらも真剣に聞き入っていたのだけど、とある話に差し掛かったところで穏やかではいられなくなった。


「陣君の親父さんはマジシャン、トオルキングだったそうだけど知っていたかい? あと、七下上一族の長だったことも」

「父が、です、か?」


 説明が続いているがそれどころじゃない。

 寝耳に水とはこのことだ。

俺でも知っているあの有名人、トオルキングが父?

 記憶の中の父は陽気でいつも笑っていて、家族のためならどんな苦労もいとわない人だった。


 言われて思い出したが、父は「仕事がめっちゃ忙しい」と口癖のように言っていて、よく家を空けていた。

 帰ってくる時間も不規則で深夜に戻ってきたかと思うと、俺が目覚めるより先に家を出るなんてことも。

 父の正体に家族なら気づいて当然だと思われてそうだが、あの頃の俺は集落での生活がトラウマで超能力やオカルトといった存在を毛嫌いしていた。

 そういったものから意図的に目をそらして極力触れようともしなかった。

 だから、トオルキングの名は知っていたがテレビで観たことは一度もない。


 それだけでも驚愕の真実なのに、七下上の集落で長の立場だったなんて。

 どちらも初耳で驚くしかない。そういえば、俺を罵倒していた連中も父が居る前では何も言わなかったな。

 父に偉そうな態度を取る人も見たことがない。どんな相手にも腰が低かった人なので、そんな偉い立場だったなんて想像したことすらなかった。

 極力、そんな姿を俺や家族に見せないように気を配っていたのだろう。

 父は有名マジシャンであり、集落の長。つまり……。

 まだ話の途中だけど、とんでもなく重要なことに気づいてしまった。


 力がある者が一族の長になる。

 力とは六神通という超能力。

 自ずとこの答えにたどり着いてしまう。父は――超能力が使えた。


 普通なら笑い飛ばす妄想でしかない。

 だけど、俺は――予知夢を見ることができる。

 ずっと自分だけに備わった特別な力だと思っていた。でも、違った。あの集落では俺みたいな能力に目覚める者が他にもいたんだ。

 それが修行の成果なのか、受け継がれてきた血のなせる技なのかは不明だが。

 父がどういった力の持ち主だったのかはわからない。マジシャンとしての活動は、その力を利用してなのか、種も仕掛けもあるマジックだったのか今となっては調べようがない。

 ここまでの情報だけでも腹一杯なのに、更に予知夢で見たゾンビにこの集落が関わっている可能性まで出てくるなんて。



 

 

 道なき道を進んで行くと、急に視界が開く。

 木々は消え開けた場所に出た。

 四本の柱で支えられた屋根。その下には四角い木製の机があり、取り囲むように長椅子が設置されている。

 ここが山頂か。

 神宮一を椅子に座らせてから、奥にある柵へと近づく。


 この視線の先に俺が生まれ育った村があるはず。正確には火事で廃墟となった村の跡が――ない?

 柵から上半身を乗り出して、目を凝らす。

 村があったはずの場所は急な斜面になっていた。木も草も無く、地肌がむき出しになっている。


 ……これは大規模な土砂崩れの跡か。廃墟となった村は土の下。

 被害を受けていない中腹辺りには道が見える。あれがハイキングコースだろう。

 視線を徐々に上げていくと生い茂る森と川があり、かなり先の方には町並みが見える。

 地元だというのに、こんな美しい景色を見た覚えがない。

 日々の修行で精一杯だったから、当時は景色を楽しむ心の余裕がなかったのか。


「岩朗はいなかったか」

「残念ながら」


 二人の落胆する声。

 岩朗さん、無事でいてくれるといいけど。

 心配はしているが、他人の身を案じている場合ではない。

 気持ちを切り替えて、今度は逃げる算段をしなければ。


「少し休憩したら、こちら側から下りましょう」


 非情な決断だが、一番付き合いの短い俺が言うべきだろうと判断した。

 二人にも思うところはあるだろうが、黙って頷く。

 山の片側が急斜面になっているので、必然的に柵側から下りる案が没になった。

 斜面側を封じられたことで、下りで村人との遭遇率は上がるだろう。時間が経つにつれ相手も山頂に近づいてくる。休憩時間もそんなには取れない。

 とはいえ、神宮一の体力回復は必須。

 辺りを警戒しながら、もう一度斜面の方へと目を向ける。

 そこにはハイキングコースを進んでくる、何十人もの人影があった。


「こりゃ、大ピンチだな」


 いつの間にか隣にやって来ていた神宮一が呆れた声を出して天を仰ぐ。


「日野山、探偵道具のアレくれ、アレ」

「あれじゃなくて、ちゃんと何が欲しいか言ってくださいよ」


 ぼやきつつ、鞄の中から取り出したのは望遠鏡だった。


「ひーふーみーよーいつーむー」

「そこは、一、二、三、四でいいでしょ」


 わざわざ古い数え方をしている神宮一にツッコミを入れる日野山。

 二人でいたときより、合流してからの方が生き生きしている。


「見える範囲だけでも相当な数だ。他にもどれだけの人数が登ってきているのか」

「それも調べてみましょうか。逃げるにしても最適なルートを探すべきですし」


 再び鞄に手を突っ込んだ日野山が取り出したのは、一台のドローンだった。

 四つのプロペラが付いた小さな機体。もちろん、コントローラーもある。


「ちゃんと持ってきたのか」

「そりゃそうですよ。何かと使い勝手がいいですから」


 最近の探偵はこんな物も使うのか。

 音もなく飛び立ったドローンからの見下ろした映像が日野山のスマホに映っている。


「尾行と証拠写真の撮影……調査に便利ですからね」

「時代は進むねぇ」


 なんで同じ探偵の神宮一が感心しているのだろう。

 小さなスマホを三人で覗き込む。

 意外にも山頂に近い場所には人影が見当たらない。

 中腹よりも下。まだ麓に居る人が大半で、それもゾンビもどきは皆無だ。


「追われているときに思ったんだが、どうやらゾンビもどきは夜だけ参加しているみたいだな」

「確かに日の当たる時間には遭遇してません。夜行性なんでしょうかね」

「というより、夜目が利くのかもなあの状態だと。もしくは人の目に触れるのを恐れているか」


 二人の会話を黙って聞いている。

 夜行性という線はない。予知夢では元気いっぱいに昼間から活動していた。

 可能性としては人目を避けている、の方が高いだろう。

 こんな過疎地でも登山客や無許可でキャンプをやる連中が来る可能性だってあるから。


「しっかし、こりゃやべえな」

「あー、これは……」


 二人の切羽詰まった声を聞き、思考の海に沈んでいた意識が現実に引き戻される。

 スマホの画面に視線を落とすと、山の麓に集まった無数の人。ざっと、数えただけでも五十は超えていた。

 それも、一般的な服装の人だけではなく、警察官、消防隊員、場違いなスーツ姿まで。

 普通に考えるなら、遭難した二人の捜索メンバーと見るべき。

 だけど、警察官たちの近くにはトラックが二台あり、その荷台にはビニールシートのような物を被された巨大な檻が設置されている。

 ブルーシートの隙間からチラリと見えたそれを、俺たちは見逃さなかった。

 中で蠢いていたのは――ゾンビもどきだ。


「おいおい、どんだけ本気なんだよ。あの警察は偽物かそれとも、警察もグルなのか」

「直ぐに動くような気配はないですが……うわっ、最悪ですねこれは」


 荷台が四角く膨らんだ大型のトラックが更に二台、麓に到着した。

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