3月21日 桜坂 陣
ドローンで現状の確認を終えてから次の日。
俺は朝日に目を細めていた。
「まさか、この山頂で朝日を拝むとは」
あれから俺たちは山を下りずにここにいる。
本来の計画とはまるで違う展開。でも、生きているだけマシか。
本当なら今頃は山を脱出して、帰路についている頃だというのに――
山の中腹より下には村人が均等に配置されていた。
体力が回復しきっていない神宮一を連れての逃亡は無謀だったが、それでも何もせずに捕まるよりマシだという結論に達して腹をくくった。
まだ統率の取れていないゾンビもどきを相手にする方がいいと判断して、日が落ちるのを待っていたのだが想定外のアクシデントが発生。
疲労と緊張がピークに達していた神宮一が高熱を出して倒れ込んでしまった。
助けに来ておいて見捨てるという選択肢は当然なく、担いで移動するのにも無理がある。
ならば、相手に見つからないことを祈って山頂に泊まるしかない。
灯りを消して声を潜め、月明かりの下で一晩過ごした。
ゾンビもどきが辺りにいる状況で過ごす山頂の夜。
ホラー映画なんて比べものにもならない臨場感。あの不安と恐怖に精神が蝕まれていくような感覚は生涯忘れることはないだろう。
襲撃を恐れて順番に見張りを担当して警戒していたのだが、予想に反して山頂を訪れる者はいなかった。
「先輩、体調はどうですか?」
長椅子の上で上半身を起こして、大きく伸びをする神宮一。
何度もうなされていたが、朝まで目を覚まさなかったな。
「ああ、おかげさまでかなりよくなった。すまなかった、桜坂君も」
「困ったときはお互い様ですよ」
三人で非常食を口にして、水分補給も忘れない。
「先輩、動けそうですか?」
「万全とはいかないが、普通に歩く程度なら大丈夫だ」
肩を貸さずに動けるまで回復しているなら御の字。
これで逃げる算段も立てやすくなった。
「しっかし、なんであいつら夜の内に襲ってこなかったんだ?」
「絶好のチャンスでしたよね」
俺も同じ意見だ。
逃げ場のない山の上に三人。一人は足手まといな状態。
俺が村人の立場なら間違いなく昨晩か早朝に決着を付けていた。
「もう一度ドローン飛ばして探ってみます」
このドローンは市販されている一般的な物より性能がよく、四キロぐらいの離れた距離まで操れるらしい。
おまけにここは山の上で障害物もないので、ドローンを飛ばすには最高の環境だ。
「あれっ、中腹辺りにいた連中がいない……。麓まで移動させます」
確かにスマホの画面に映っているハイキングコースに人影がない。
麓近くまで飛ぶと、前回見た光景と大きく異なる点があった。
まず、荷台が膨らんでいたトラックが消えている。中のゾンビもどきを解き放ったとしても、回収用に必要なはず。
「ゾンビもどきごと撤退したってことか。でも、何故だ?」
警察の格好をした人が側にいたときも、平然とそこに駐車していた。
仲間同士なら人目を気にして引っ込める必要もないはず。
「何かなあれ? なんか揉めてません?」
スマホを覗き込むと数十人が二手に別れて睨み合い、何やら言い争っているように見える。
片側の団体は昨日見た村人たちなのだが、もう片方の団体に見覚えはない。
ただの追加要員かとも思ったのだが村人たちに比べて若い人が多い。服装が垢抜けている女性も結構いる。
こんな田舎の村には場違いな格好だ。
「ここの村人って感じじゃねえな。日野山、音は拾えないのか?」
「録音機能も搭載していますけど、これ以上近づくのは流石に怪しまれますって」
声が聞こえないので動作と場の雰囲気から読み取るしかない。
村人側は困り顔で、明らかに動揺している。
対してもう片方は怒っているようで、村人に詰め寄っていた。
手にしたスマホやカメラで写真や動画撮影をしている人までいる。
んんっ? あの先頭で息巻いている人、どこかで見たような……。
「日野山さん、画面をズームできませんか。あの先頭の人に」
「いけますよ、この人ですね」
映像が拡大されたことで対象の人物が確認できた。
小太りでニット帽に糸のように細い目と団子っ鼻。大きなロゴの入った長袖のシャツ。そのロゴに見覚えがある。
「あれって、ディヤがファン向けに作った、オリジナルロゴ入りのシャツですよ」
俺には落書きのようにしか見えないが「DIY・Aをオシャレに組み合わせたデザイン」というのが本人の談。
先頭の人物はディヤの熱狂的なファンで間違いない。
生配信中にチャットで俺がディヤと会話していると、毎回邪魔をしてちょっかいをかけてくるリスナーがいた。
一度、そのリスナーにファンミーティングでディヤは会ったことがあって、そのときの写真と動画を投稿していた。
あの体形と特徴的な顔は完全に一致。
観察すると他の人もロゴ入りのシャツや小物を所持していた。
だけど、それだけではなく他にもアニメのアイドルキャラのような絵がプリントされたシャツや、キーホルダーを所持している人までいる。
数ならディヤのロゴ入りより、そっちの方が圧倒的に多い。
「このアイテム、Vtuberの努々 現世(ゆめゆめ うつしよ)のじゃないですか! うわー、それも、枚数限定のヤツ! うわー、うわー、羨ましい」
急に、らしからぬ大声を張り上げた日野山。
驚いてそっちを見ると、その頬は興奮で赤く染まっている。
「ゆめゆめうつしよ? なんじゃそら」
「知らないんですか! 最近、話題沸騰のVtuberですよ! 見た目の可愛さはもちろんのこと、明るく癒やされる声! 巧みな話術! そして何よりも的中率が高いと評判の占い! 知らない人はもぐりですよ!」
早口でまくし立てる日野山さんの勢いに押されて、神宮一が目で俺に助けを求める。
「ディヤもファンだって言ってましたよ」
「マジですか! くぅー、同志なら言ってくれたらいいのに」
意外性というかなんというか。日野山さんVTuberに推しがいたのか。
「で、そのぶいちゅーばーってなんだ? 姪っ子と同じようなもんか?」
「そこから説明が必要とは。VTuberというのは二次元や3Dの体をもったミーチューバーみたいな存在です。中身は人だとか無粋なことを言っては……」
額に手を当ててあきれ果てている日野山と、宇宙人でも見るような目で引いている神宮一。
ゆめゆめなんとかが、どれほど素晴らしいかを熱心に語っているあっちは放っておこう。それよりも現状の把握だ。
あのVTuberはともかく、ディヤのファンがここにいる。これが何を示しているのか。
偶然はあり得ない。
意図的に集められた。
誰が……ディヤに決まっている。
何故……俺たちを助けるため。
こうとしか考えられない。連絡がつかなくなった俺たちを心配して、なんらかの方法で視聴者たちをこの場に集めた。
ゆめゆめとかいうVTuberにも手伝ってもらったと考えるべきだろう。予想でしかないが結論は後回しでいい。
どういった理由にしろ絶好のチャンスであるのは間違いない。
「神宮一さん、日野山さん、山を下りましょう」
あの騒動で多くの村人が一カ所に集められたおかげで無事に下山できた。
完全に日は落ちていたが、なんとか車を停めていた場所までたどり着き、素早く乗り込むとその場を離れる。
念のために神宮一さんは荷台の方に乗ってもらっている。ダンボールで外からは姿が見えないので。
一車線しかない道路を抜け、二車線の国道に入ったところで一息を吐く。
いつ追いつかれるのではないかと不安で仕方なかったが、車通りの多いこの場所なら追いついたところで手の出しようがない。
洋画ならカーチェイスが発生しそうだが、そんな目立つ真似をするほど馬鹿じゃないだろう。
「なんとか逃げられましたね」
運転席で日野山さんが安堵の表情を浮かべる。
「そうですね」
助かったことは嬉しい。だけど、素直に喜ぶことができないでいる。
村人たちとゾンビとの関連もそうだが、何よりも――岩朗さんの安否が不明。
振り返り、後部のリアウィンドから神宮一の様子をうかがう。
ダンボールを布団代わりに敷いて眠っている。無理もない。
この人よりも岩朗さんを救いたかったのが本音だ。人柄もそうだが技術者としての腕も評価していただけに。
今、どうしているのだろうか。村人たちに捕まったのか、それとも逃げる途中で命を……。
――こんなことで、くよくよしてどうする。
俺は日本中、世界中の人を見捨てる決断をしたんだ。もっと、もっと多くの人を見殺しにしても生き延びると決めた。
たった一人を見捨てただけで動揺するな。そんな権利も……ないはずだ。
車の振動が疲れた体に心地良い。このまま眠ったらどんなに気持ちいいか。
目蓋が落ちる直前、あることを思い出して目が冴えた。
「しまった!」
スマホを取り出して、電源を入れる。
電波が届かない状況だったので、電池の節約も兼ねて電源を落としていたんだった。
画面には通知履歴の山。
深夜だというのに三分前にも連絡があったようだ。
送り主はもちろん、姉とディヤ。
姉に電話をすると一回目のコールが鳴り止む前に繋がる。
『ジンちゃん! 大丈夫!? どうしたの、今まで! 心配したんだから! 怪我はしてない? 岩朗さんと、神宮一さんは無事なの? 日野山さんは?』
今にも泣きそうな声で矢継ぎ早に質問をする姉。
「落ち着いて八重姉、全部話すから。ディヤもそこにいる?」
『いるわ! で、みんな大丈夫なの!?』
姉と同じぐらい取り乱している声。
真実を話すしかない。岩朗さんのことも包み隠さず。
『そんなことがあったんだ。ジンちゃん、お疲れ様でした。疲れているだろうけど、気をつけて帰ってきてね』
「ありがとう、八重姉」
心から労ってくれる姉の声が聞けてほっとする。
『岩朗のことは、きっと大丈夫! あんなにデカいし、強いんだから! みんな、帰るまでが遠足だからね!』
岩朗とは一番付き合いが長く、仲も良かった。それなのに心配させまいと気丈に振る舞っているディヤ。一番辛いはずなのに……。
「遠足じゃないけどな。詳しい話は帰ってからするよ。そっちの話も聞かせて欲しいし。じゃあ、またあとで」
そう言って通話を切った。
あの山の麓でのいざこざについてディヤから事情を聞きたい気持ちはあったが、もう限界に近い。
「すみません、次の休憩場所まで少し眠らせてください。その後は運転代わりますから」
「構いませんよ。おやすみなさい」
疲れた。今だけは何も考えず睡魔に身を委ねよう。
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