3月22日 桜坂 八重
「んー、気持ちのいい朝ね」
久しぶりにぐっすり眠れたおかげで、疲労もかなり回復している。
弟たちが村に向かってからは心配で心配で、私もディヤちゃんもろくに食事を取ってなかった。
昨日の夜にあった連絡を聞いて、安堵のあまり全身の力が抜けてしばらく動けなかったぐらいだ。
「でも、本当によかった」
思い切って決行した、あの作戦。
それが見事にハマり弟たちの窮地を救えた。
弟と電話が繋がらなくなったあの日、ディヤちゃんと二人だけの作戦会議を開いた。
「野郎救出作戦会議を始めます。静粛に」
対面に座るディヤちゃんが無駄に低い声を作り、場を取り仕切ろうとしている。
ちなみに私は一言も発してない。
「事前の話し合いでは、毎日最低三回は連絡を入れるとのことでした。しかし、その約束は反故にされてしまいました。一回だけならまだしも、二、三、四回目の定期連絡の時間も、とうの昔に過ぎ去っています!」
天井に向かって熱弁を振るっていたと思ったら、急にこっちを見た。
取りあえず頷いておく。
「山奥なので近くに基地局がなくて電波が届かないだけ、という線が濃厚ですが、その場合の対策も決めていました。覚えていらっしゃいますかな」
口髭を指でしごく真似をしているが、もちろん口髭なんてない。
「え、えっと、何もなくても丸一日連絡ができなかったら、片方だけでも山を下りて連絡を入れる。その為にジンちゃんも同行している」
「正解!」
両腕で頭の上に大きな円を作っている。
私が人見知りだから、おちゃらけて場の空気を軽くしてくれているみたい。
優しくて気の利くいい人。これなら弟の付き合いを認めても……やっぱり、それはダメ。
「ということで、なんらかのアクシデントが発生したと見るべき」
「そうよね……」
弟が無事なのは確定事項だけど、それでも怪我や危険な目に遭ってないか不安になる。
「お姉さん、落ち込むのは後です」
ハッとして顔を上げる。
口角に指を当ててニコッと笑うディヤちゃん。
情けない。……年上なのに励まされてばっかり。
「対策を考えましょう! 助ける手段はきっとあるはず!」
拳を振り上げて熱弁している。
照れもせずに気持ちを全身で表せるのが羨ましい。
「まず、情報を簡潔にまとめます。叔父さんは村人たちに監視されていて身の危険を感じている。結果、二人と連絡が取れなくなった」
ディヤちゃんの叔父からの一方的な情報なので事実確認は無理だけど、実際に音信不通になってしまっている。
「叔父さんが居る場所はわかってます。これは日野山さんから教えてもらったから」
そう言って机の上にスマホを置く。
画面には上空からの自然豊かな風景が映っている。
「過疎化が進んでいる村があって、少し離れた場所のこれが叔父さんたちが泊まったであろう旅館。で、こっちがお姉さんたちが住んでいた集落の辺り。間違いないですか?」
「うん、合ってる。あと、普通に話してくれていいから」
「ほんと? 助かるー。使い慣れてない言葉って難しいよね」
やっぱり無理してたんだ。
「最悪の展開を予想するべきだよね。すべて杞憂で間違っていたら、それはそれで無事で良かったねって話だし」
「うん。みんなが無事に帰ってくるのが最優先」
その意見には私も同意する。
「考えられるパターンは、叔父さんと岩朗が村人に捕まって何処かに閉じ込められている。もしくは未だに逃亡中。大きくこの二つじゃないかと」
「うん、うん」
「そして、陣と日野山さんが捜索に向かった。そこで、叔父さんや岩朗と同じく村人に捕まったか、二人と合流して一緒に逃げているかの……どっちか」
「前者なら手の出しようがないけど、後者ならまだなんとかなりそう」
捕まって監禁されているとしたら、見つけ出すのはかなり難しい。後者なら間に合うかもしれない。
「だよね! だから、後者だと仮定して考えてみましょ! 助けられる確率が少しでも高い方がいいし」
「ジンちゃんが四月一日に生存しているのは確定事項だから、捕まってずっと監禁されることは無いはず」
弟は無事だけど……他の人は別の話になってくる。
「ぶっちゃけると、陣の心配はそんなにしてないんだ。問題は叔父さんたちの方」
ディヤちゃんもそこに気づくよね。
「村人に追われて逃走か隠れているみんなをどうやって山から逃がすか。……何か方法思いついたりしない?」
あっ、そこで私に振るんだ。
山で追われている弟たちを救う術。そんな都合のいい方法なんて。
「急に言われても困るよね。うーーーん、自衛隊を送り込んで救出! とか出来たら楽なんだけど」
「自衛隊に訴えても門前払いか、いたずら電話で警察に通報されそう」
「だよねー。村人が追うのをやめるように仕向ける。それか、混乱させるようなアクシデントを発生させる、とか」
アクシデント……。村人に対する迷惑な行為とか。
何があるのだろう。それも私たち二人でどうにかする方法なんて。
無言で考え込んでいると、静まりかえっていた室内に通知音が響く。
自分のスマホからではなかったのでディヤちゃんに視線を向けると、慌ててスマホを取り出している。
「投稿者名義の方に通知が来たみたい。切ってたはずなのに」
「確かDIYの動画投稿しているんだよね」
「よかったら、いいね、登録お願いします!」
「うん、しておく」
張り詰めていた空気が今ので少し緩んだ。
「うわー。ここ数日、投稿サボっていたからリスナーからめっちゃ届いてる」
叔父さんの一件が心配で投稿する余裕がなかったんだね。
「真面目な話の途中なのに、ごめんね」
「リスナーさんも大切でしょ。ちゃんと返信してあげないと。ちょっと休憩しましょうか。飲み物とお菓子でも」
「ありゃーっす! はあー、四日サボっただけでみんな騒ぎすぎ。ったく、死んでないっての。何が悪いと思ってるならオフ会を開け、よ」
リスナーからの書き込みを読みながら文句を言っているけど、その声は嬉しそう。
オフ会か。私も参加してみたい気持ちはある。
だけど、大勢の人に囲まれている自分を想像するだけで気分が悪くなってしまう。
私には一生無縁の世界――オフ会?
「ディヤちゃん」
「は、はい?」
あっ、思わずちゃん付けで呼んでしまった。心の中でしか、そう呼んでなかったのに。
急に馴れ馴れしい感じを出したら驚いて当然よね。
でも、動揺は後回し。もっと大切なことがある。
「私考えたんだけど、ジンちゃんたちがいる山で緊急オフ会を開くってどう?」
「……あ、ああああああああっ! お姉さん、ナイス!」
瞬時に何がしたいのかを理解して椅子から飛び上がると、私に抱きついてきた。
「山で一緒にキャンプをしよう、とか言えば集ってくれそう! 山の管理人には許可取っているって嘘吐いたらいいし! 生放送、実況、動画撮影もOKとかにしたら村人も迂闊な行動はできないだろうし」
抱きしめながら矢継ぎ早にアイデアを出す、ディヤちゃん。
声から興奮が伝わってくる。距離が近すぎてちょっと耳が痛いけど。
「あっ、でも……」
急にトーンダウンすると私を放し、頭を抱えて座り込む。
「本当にリスナー動いてくれるかな。急だし、平日だし、登録者五桁になったばかりだしぃ。少人数だったら口封じに殺されたりしないかな……」
投稿者は登録者の数でランク分けされている。
一万を越えるとある程度の収入が見込めて、十万を超えると食べるには困らないぐらいの利益が発生。
百万を超える投稿者はほんの一握りで、収益化していたらボロ儲けできるらしい。テレビに出ている芸能人よりも知名度や人気がある投稿者だっている。
一つ、打開策を思いついた。
唯一の問題は……私の勇気。
踏み出さないと。もう二度と家族を失わないために。大切な弟のために。
頭を抱えたポーズのまま床に倒れて唸っているディヤちゃんの肩を叩く。
自信の消えた表情をして涙目でこっちを見ている。
勇気を出すんだ、私。
「人気のある投稿者とコラボしてみるのはどう?」
「コラボ……。そりゃやれるならやりたいけど、急な申し出を受けてくれるとは思えないし、それに気軽に声を掛けられるのって岩朗ぐらいだし」
「一人だけ心当たりがあるの――努々現世って知ってるかな。あれ、中身……私なんだ」
結果、良い方向に転がってくれた。
勇気を振り絞り、決断、実行した自分を褒めてあげたい。
ずっと、弟が側に居るのが当たり前だと思っていた。
だけど、たった数日いなくなっただけでこんなにも辛く寂しい想いをするなんて。
弟の存在を再認識すると同時に、もっと強くなろうと心に決めた。
絶対に失いたくない。
いつまでも頼ってばかりではなく、頼れる自分になろうと。
あの後、二人でひとしきり喜び、遅い夕ご飯を食べて風呂に入って眠った。
夢を見ることもない深い眠りに落ち、ついさっき目が覚めた。
時計を確認すると朝の九時。
今までなら早すぎると二度寝する時間だけどベッドから出る。
一階に下りてリビングに移動した。当たり前だけど誰も居ない。
弟たちはこっちに向かっている最中だけど、距離からしてもう少し時間がかかる。
ディヤちゃんは起きたらこっちに来るって言っていたから、まだ寝ているのかな。
料理が苦手だからコーンフレークに牛乳をかけたものをテーブルに置いて、一人で食べる。いつもは正面に弟が座っていて、賑やかで楽しい食卓だけど今は虚しいだけ。
食べ終えて食器を片付けると、することがなくなる。
スマホを確認すると弟からの着信はない。
疲れて寝ているか運転中だろうから、邪魔をしないようにこちらからの連絡は控えている。
「良い天気だし、畑仕事でもしますか」
屋上に出ると正面から風が吹き付ける。
都会では味わえない草木の新鮮な香り。
って、都会で暮らしたのは数年程度だけど。
生まれ故郷はド田舎だったし、引っ越してから直ぐに事故で両親がなくなって、またここに引っ越した。
うん、自然に囲まれてばっかだわ。
気を取り直して、屋上の隅に置いてあったじょうろを手にする。
日課となった水やり。
少し芽が出ているだけのプランターもあれば、つぼみが膨らむぐらい成長している野菜もある。
さすがに食べられるものは、まだないけど。
「大きくなって私たちの飢えを満たすのよー」
野菜がすくすく成長するように檄を飛ばす。
少し前まで不健康でゲームばっかりの生活だったけど、こういう健全な生活も悪くない。体力も、ほんのちょっとついてきたし。
ひ弱な体を容赦なく照らす日光が眩しくて、右手で太陽を遮る。
「大丈夫、だよね。ジンちゃん」
弟は四月一日の予知夢を見た、だから四月一日まで死ぬことはない。
絶対に帰ってくる。それは、わかってる。わかってるけど……。
水やりも終わり次は何をしようか思案していると、車の近づいてくる音がここまで届いた。
急いで屋上の柵に駆け寄り、眼下に目をやる。
我が家に繋がっている唯一の一本道。その遠くから近づいてくる軽トラが一台。
「帰ってきたんだ!」
じょうろを放り出して、階段を駆け下りていく。
玄関のドアノブに手を掛けたところで足が止まったけど、迷いを振り払って勢いよく扉を開け放ち、外に飛び出す。
日頃の運動不足が祟って、門の外に立ったときには息も絶え絶えなのが情けない。
「お姉さんもお迎えですか」
いつの間にか隣にディヤちゃんが立っていた。
明るい笑顔を向けている。
「お、おはようございます」
「はい、おはようございます!」
朝から元気いっぱいに返事をしてくれた。
でも、よく見ると目元にはくまがある。
岩朗さんの安否が心配で眠れなかったのかな……。
昨日、一昨日と二人で過ごしたおかげで、かなり親しくなれた。
といっても、めげずに何度も話しかけてくれた、ディヤちゃんのおかげだけど。
ここは慰めた方がいいのかな。それとも話題を変えて触れない方がいいのか。
コミュ障になってしまった私には、どちらが正しいのか判断できない。
それでも何か言おうと口を開こうとしたタイミングで、ディヤちゃんの表情がパッと輝く。
「じーーんっ! みんなー!」
近づいてくる軽トラに向けて、飛び跳ねながら大きく両腕を振っている。
その度に胸が揺れているが……気にしない。
自分の胸元に視線を落とすが……気にしない。
軽トラが門の近くで停車すると、中から陣と日野山さん。それと荷台から、ちょっとみすぼらしい……は失礼よね。くたびれていて清潔感に欠ける中年男性が出てきた。
あの人がディヤちゃんの叔父さん、神宮一源治郎さんなのね。
「八重姉、大丈夫!?」
駆け寄ってきた弟が私の肩を掴む。
外に出て待っているとは思いもしなかったのだろう。驚いた顔を見て思わず笑ってしまう。
「それはこっちのセリフでしょ。大丈夫だった? 怪我はない?」
「俺は問題ないよ」
弟の頬を包むように両手を添える。
無理して嘘を言ってはいないみたい。
「陣ちゃーん、お姉さんとラブラブじゃーん」
「もう、からかわないでよ。ディヤちゃん」
口元に手を当てて私と弟をからかってくる。
頬から両手を放してディヤちゃんを小突く真似をすると「きゃー」と言って逃げていく。
「いつの間に仲良くなったんだ?」
「「秘密」」
二人同時に答えると、首を傾げている。
話に入れずに戸惑っている日野山さんと神宮一さんに向き直り、頭を下げた。
「皆さん、とりあえず家の中に入ってください。良かったらお風呂もどうぞ、入れておきましたから」
前を見て物怖じせずに話した。少し声が震えていたかもしれないけど。
そんな私を見て弟は嬉しそうに笑った。
「苦労したぜ」
風呂上がりのさっぱりした神宮一さんが、村に着いてから何があったのかをざっと説明してくれた。
「先輩、苦労しましたね」
隣で大きく何度も頷く日野山さん。――を凝視する私と弟とディヤちゃん。
二人は順番に風呂に入ったのはいいが着替えを持っていなかったので、父さんと弟のを貸した。
父は弟より少し背が高かったけど、それでも日野山さんにはサイズが小さく長袖のシャツが体に密着している。
「……胸がある」
「……あるな」
「……あるわね」
小声で呟く私たち。
日野山さんの胸元が膨らんでいる。
今、風呂上がりで結んでいた髪を下ろしている。この姿だけを見るなら女性にしか見えない。
声が中性的だったとはいえ、なんで今の今まで気づかなかったんだろう。
あまりにも高身長だったので、勝手に男性と決めつけていたのは反省しないと。
三人とも「女性だったんですか」なんて失礼な質問は口にせずに言葉を呑み込んだ。
「――というわけだ」
日野山さんの変化に動揺しすぎて話が半分ぐらいしか入ってこなかった。
村人に追われて岩朗さんとはぐれて、一人で逃げ続けて弟たちと合流したのは理解したけど。
「すみません、元市長との会話をもっと詳しく話してくれませんか」
弟の質問が的確で助かる。
私もそこが一番知りたかった。
「詳しくか、ならこれを聞いてくれ」
机の上に置かれたのは手にすっぽり収まるサイズの小さな機械。
上半分は小さな液晶があって下には小さな穴が無数に空いている。これって……。
「先輩、ボイスレコーダーで録音してたんですね」
「探偵として常識だろ」
とっても助かる。人伝に聞いた話はどうしても齟齬が生じてしまう。だけど、これなら間違いはないから。
再生された音声を黙って聴いた。
誰かが「はあーっ」と大きく息を吐く。
「二人はあの集落出身らしいが、元市長の声に聞き覚えは?」
「残念ながらないです。家族以外とほとんど接点がなかったので」
「私もありません」
昔のことだし、忘れようと努力していた忌々しい記憶なので怪しいところはあるけど、元市長は特徴的な声をしていたので間違えようがない。
「そうかー」
神宮一さんは腕組みをして残念そうに唸っているが、私の心境はそれどころではなかった。元市長の発言が衝撃過ぎて。
既に知っていた情報はあった。
父さんの秘密について。
一族の長だというのは父と母から聞かされていた。でも、幼い弟にはあえて秘密にしていたけど。
父親が権力者だというのは情操教育に良くない、と両親が判断したから。
問題は父さんがあの有名マジシャンのトオルキングだということ。
……しがないサラリーマンじゃなかったの?
毎日スーツを着て出社していたよね。残業や出張が多くて家を空けることは多かったけど、母さんは「重要な役職で忙しいのよ。だから応援してあげてね」と言っていた。
まさか、隠れてマジシャンをしていたなんて。
あの集落がゾンビ現象に関わっていることや、元市長が集落の生き残りといった事実に驚くべきなのに、父の秘密の方にすべて持っていかれそう。
重要度では比べものにならないのに。
……父の秘密については置いておこう。今はもっと大切なことがある。
あの事故の関係者である幹島平人が関わっているかのような発言も気になったが、それよりも先に伝えるべきことが。
弟に目配せをすると、小さく頷いてくれた。
さすが愛しの弟。声に出さなくても思いが通じる。
「神宮一さん、日野山さん。俺からもお二人に話すことがあります」
弟は姿勢を正し、ゆっくりと予知夢の内容を語った。
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