3月23日 桜坂 陣
「これは収納庫に運んだらいいのか?」
「先輩、それは家の中に運ぶ物だそうですよ」
作務衣を着た神宮一がダンボールを手にした状態であたふたしていると、後輩の日野山が誘導している。
日野山は上下ジャージ姿だが丈が足りてないので、手足が露出した七分丈のように見えた。
二人には父の残しておいた衣類を着て貰った。
本当は自宅と事務所に戻るつもりだったようだが俺の話を聞いて考えを改め、ここに残って要塞化を手伝ってくれている。
会社にアイツの手が回っていることを恐れての行動らしい。
「そこ、ぼーっとしないで土砂を運ぶ!」
「へいへい」
偉そうに命令するのはショベルカーを乗りこなし、溝を掘っているディヤ。
ここで唯一、重機を操れる人物なので大人しく従っておこう。
溝の縁に置かれた土を手押し車に載せて運ぶ。
まとめた土砂が小さな山になっている。標高は俺の身長より少し低いぐらいだけど。
何をやっているのかというと、外壁の外側にぐるっと堀を作っている。
昨日、要塞化DIYの話を聞いた神宮一が「籠城するなら堀は必要だろ!」と熱く語っていた。
どうやら、戦国時代が大好きで籠城戦についても詳しいらしい。
探偵コンビは予知夢の話を聞いた後、しばらく腕を組んで唸っていたが、神宮一がパンッと強く膝を叩いて大きく息を吐いた。
「信じがたいが、これだけの証拠と状況。推理しなくてもわかる。マジもんだってな」
ボイスレコーダー、ネットで集めたゾンビ化についての情報が書かれた用紙、万馬券。
机に並べた三つを睨みつけるように凝視しながら、なんとか言葉を吐き出していた。
証拠と実体験。この二つが組み合わされば、誰だって信じざるを得ない。
「こうなると、残り時間が惜しいですね。問題の四月一日まで一週間ちょいですよ、先輩」
「諸悪の根源を見つけ出して、すべて解決……は無理があるか。ゲームとか映画なら敵地に乗り込んで暴れ回ったら解決! ハッピーエンド! って王道展開が待ってんだが」
それが難しいことを、ここにいる誰もが理解している。
車で少し休めたとはいえ、山で逃走を続けていた自分も含めた三人の疲労が限界に近かったので、話し合いはそこで終わった。
朝、いち早く目覚めた俺は手持ち無沙汰だったので、一人でDIYの続きをしていたら次々と参加人数が増えていき、今に至る。
「穴掘るのってたっのしー!」
ディヤは意気揚々とショベルカーを操作している。
免許を取ったのはいいが使う機会が殆どなかったそうだ。
「ジンちゃん……私は何を?」
音もなくすっと俺の背後に立つ姉。
普通なら驚く場面なのかもしれないが、挙動不審な姉には慣れた。
ディヤとはかなり仲良くなれたみたいだけど、探偵コンビとは距離がある。
それでも外に出ていることが、姉にしてみれば進化に近い進歩だ。
頭に白いタオルを巻いてジャージ姿なのは働く意志があるということ。ここで一緒に土運びは……無理か。
力仕事はまだハードルが高い。
「神宮一さんと日野山さんに荷物を運ぶ場所を指示して欲しい」
「う、うん、了解」
これで少しでも距離感が縮まってくれるといいな。
おどおどしながら、じりじりと少しずつ間合いを詰めていく姉。
そんな姉を横目で見ながら、戸惑う二人。
……頑張れ。
「今日中に北側の堀はほりほりしたいね!」
「無理はすんなよー」
周囲を完全に堀で囲むのが理想だけど、そうなると入り口をどうするか。
門扉は頑丈な物に取り替えたけど、門の前まで掘ってしまうと出入りができなくなる。
まだ荷物の出し入れもあるから、そこだけは残しておきたい。
「なあ、ディヤ。ちょっといいか!」
「んーなにー」
近づくのは危ないので遠くから、エンジンの音に負けないよう叫ぶ。
どうにか聞こえたようでエンジンを切って降りてきた。
「今更だけどゾンビについて、親とか親戚に話さなくてもいいのか?」
「あー、それね。陣は話を広めたくないんでしょ」
「そうだけど、助けたい人がいるだろ」
――俺と違って。
「それがさ父さん母さんは今、世界一周のクルージング中なの。まだ半年ぐらい戻ってこないんだなーこれが。海の上って一番安全だから大丈夫かなって。それに二人って駆け落ちしたから親戚とは疎遠なんだ。叔父さんは母さんの弟なんだけど、母さんと同じぐらい実家を嫌っていたから。あと独身で恋人もいないよ」
「つまり、助けたいと思う相手がいない、と」
「いないわけじゃないよ。学生時代の友人とかファンのリスナーとか、助けられるなら助けたい。だけど、自分の命を犠牲にしてまで……じゃない。やっぱり、自分が一番可愛いもん」
軽い調子でおどけているが、その目は笑っていなかった。
口には出せない葛藤があって当然。簡単に割り切れるものじゃない。
「日野山さんはどうなんだろう」
「学生時代に親と喧嘩して家を出たらしいよ。酷い毒親だったらしくて会いたくもないってさ。直ぐに興信所で働き始めたから、彼氏や親しい友人もいないんだって」
「いつの間にそんな詳しい事情を聞いたんだ?」
叔父の仕事仲間で以前、会ったことがあったのは聞いている。
だけど、身の上話をするような親しい関係ではなかった。
「昨日、陣と叔父さんが眠ったあとに女子会をしたのよ。お姉さんも参加したんだけど聞いてない?」
初耳だ。
三人でそんなことをしていたのか。
「とまあ、命を懸けてまで助けたい人はいないけど……助けられるなら助けてあげたい。……あっ、陣たちの考えを非難しているわけじゃないんだからねっ!」
「なんでツンデレ風なんだよ」
こういうノリは俺と接しているときの姉と似ている。
ディヤの意見は人として正しい。俺だって別に自分以外の人に死んで欲しいわけじゃない。助けられるものなら、助けたい。自分たちの安全を確保したうえで、という条件付きなら。
「でもさ、正直なところ……もう世界中にバラしてもバラさなくても同じじゃない? 村人たちに知られたってことは親玉にも伝わってるでしょ?」
「……あっ」
「あんた、もしかして思いつかなかったの?」
「……はい」
言われてみればその通り。もう、隠す必要は何処にもない。
既に目を付けられている立場なら、むしろ世界中に発信した方が安全かも。情報が広まるか広まらないかは別として。
「うかつだった」
考えることが多すぎて、こんなことに頭が回らないとは。我ながら情けない。
「お馬鹿さんね。こうなったらぱーっとネットを使って拡散したら。なんなら、私が動画投稿……動画……ふあああああああああああああああああっ!」
「どうした、急に大声を出して」
天に向かって叫び声というよりは咆哮を上げるディヤ。
声が止むとうつむき、肩を落とした。
「リスナーに説明してない! 昨日、オフ会やるって動画上げてから、なんのフォローもしてない!」
ディヤは目を血走らせて辺りを見回している。
庭の隅で隠れながら指示を出していた姉を見つけると、全速力で駆け寄っていった。
何やら話し合いをしていた二人だったが、血相を変えて開けっぱなしの玄関から中に飛び込んでいく。
「なんなんだ、いったい……」
理解の及ばない行動に唖然とするしかない。
尋常ではない二人の様子が気になるので後を追うことにした。
玄関には脱ぎ捨ててある二人の靴。ドタドタと奥の方から足音がする。
二人はリビングを抜けて廊下に出て更に進んだみたいだ。
廊下の右手には水回りが固まっていて、左手には本棚があった場所にぽっかりと空洞が口を開いていた。
ここは本棚が扉になっている地下室への隠し通路。
姉はディヤを連れてここを下りたのか。……なんで?
二人の行動に困惑するばかりだ。
地下室は防音の効いた部屋で、音楽鑑賞やカラオケで利用していた。
今は大型の冷蔵庫と冷凍庫を運び入れて、部屋の半分が食料保存庫へと変貌している。
階段を下りると防音扉が少し開いていたので、そっと中を覗き見た。
地下に備え付けてあるPCの前に座っている二人。
画面は見えないけどマイクが置いてあって何やら話している。会話に夢中みたいで俺には気づいていないようだ。
音を立てないように扉を開けて、地下室内へ潜入した。
かなり近くまで移動したけど背を向けている状態なので、まったく感知されていない。
「良い占いだけ信じてくださいませ。百発九十九中、占い師の努々現世です」
……誰だこいつ。
姉が気持ち悪い話し方で聞いたことのない声を出している。怖い。
それにさっきの名前には聞き覚えがある。ディヤが夢中になっているVTuberで日野山さんがファンだとか言っていた。
……姉さん何やってんの。
「今日は先日に引き続いて特別ゲスト、ディヤちゃんに来てもらっています」
「どもどもー、DIY界のエース、ディヤでーす」
こっちは動画で見るディヤそのもの。
二人は顔を写さずにネット配信をしているのか?
「皆様、失礼しました。オフ会を開くと言っておきながら我々は行くことが叶いませんでした。平にご容赦ください」
「ううん、ゆめゆめちゃんは悪くないの。私が急に体調が悪くなって、付き添いで病院まで来てくれて手続きまで任しちゃって……。今も病院で点滴を打っているところなの」
ディヤがすらすらと嘘を並べている。
ここはいつから病院になったんだ。
「直ぐに皆様へ伝えるべきだったのですが、慌てるあまり携帯も持たずに出てしまい、こんな時間になってしまいました」
そこからは謝罪と言い訳を続けている。
俺たちを助けた方法に得心がいった。そんな方法で人を集めてくれたのか。
二人に声を掛けることなく地下室を出る。
その足で台所に立つと、ご馳走を仕込むことにした。
「おっ、いい匂いだな」
「もうお昼なんですね」
庭に繋がる開きっぱなしの大きな窓から顔を覗かせた、神宮一と日野山がこっちを覗き込んでいる。
ウッドデッキに座って休憩中のようだ。
「少し時間がかかると思うから、リビングでテレビでも観ていてください」
「おうよ。日野山、女なんだから料理を手伝ったらどうだ?」
「先輩……。今時そんな差別的な発言していたら叩かれますよ」
靴を脱いで窓から入ってきた二人は、ソファーで何やらもめている。
「はあー、息苦しい世の中になっちまったもんだ」
「違いますよ。まともな男女平等になってきたんです。……でも、そんなことを気にする必要もなくなりそうですけどね」
あと一週間であの日だ。
日野山の言う通り、ゾンビがあふれる世の中になったら男女平等どころの騒ぎじゃない。
「お二人は誰かに伝えなくていいんですか? ゾンビパニックのことを」
ディヤから話は聞いているが、直接本人の口から聞いておきたい。
現状に対する本心を。
「正直、誰かに打ち明けたところで鼻で笑われるだけだろ」
「絶対に信じてくれませんよね」
まあ、誰かに伝えるにしても信憑性がないよな。
「あの万馬券とか未来に起きるニュースとかをネットで流せば飛びつくヤツもいるだろうが、残り一週間でどこまで浸透するやら」
「むしろ、騒ぎの元凶がここだって突き止められてマスコミが群がってきそうですよね。そうしたら、この要塞化の作業も邪魔されて本末転倒ですし」
二人の考えは俺と似ている。
事実を暴露したところで、どれだけの人が信じてくれるのか。
「親しい人だけでも伝えるとかは?」
「親しいヤツかー。特にいねえな」
「所長と同僚には教えてあげませんか?」
「言ってもいいが、あいつらは信じねえだろ。社の方針に刃向かっていた俺を邪魔者扱いしていた連中だぞ」
日野山が苦笑している。
神宮一に懐いていたのは彼女だけだったのか。
「それこそあれだ、不特定多数に届けたいならディヤ……いや、それよりも八重が情報をネットでばら撒いた方が効果的だな」
「それもそうですね。まさか、八重さんがあの、ゆめゆめちゃんだとは思いもしませんでしたよ」
二人は姉のもう一つの顔を知っているのか。ディヤから先に聞いていたのだろう。
姉のネットでの顔、努々現世は仮初めの姿なので本人を突き止められる可能性が少ない。情報公開するには最適の人選だ。
当初は姉弟二人でひっそりと生き延びる目標だったのに、随分と変わってしまった。
ただ、この情報はそこまで大きく広まることはない。
四月一日の予知夢の内容を見た限りでは――
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