3月29日 ディヤ
コンクリート塀の上に立ち、前方を睨みつけた。
服装は動画でおなじみの格好。やっぱり、この姿が一番気合いが入って気持ちが引き締まる。
「皆の衆、戦じゃあああああっ!」
「「「おーーーっ!」」」
「お、おー」
拳を振り上げて吠えると、同じく塀に上った面々が呼応する。
お姉さんだけはちょっと恥ずかしそうに。
約束の時間まで残りわずか。こっちの準備は万端。
マイカーと重機のほとんどは庭に移動させた。外に置きっぱなしだと壊される確率が高いから。
足下のコンクリート塀は頑丈に仕上がっている。厚さ高さも充分な鉄壁の守り。
そして塀を取り囲むように堀を設置。この二重の構えを越えてくるのは至難の業。
堀の方は当初の予定ではコの字型に掘るだけだったのだけど、思ったよりも時間が余ったので門扉の前以外は堀で囲った。
ゾンビに堀を避ける知性が残っているなら門扉前が密集する。それを見越して残った丸太と廃材でバリケードを築いている。
自分たちも出られなくなったけど、これが終わってから排除すればいいだけ。
門扉も海外製の頑丈な物に取り替えている。鋼鉄製で格子状に鉄骨が張り巡らされている。その隙間は拳が入る程度で、どう足掻いてもモドキがすり抜けることはできない。
この隙間から槍や棒で攻撃が可能だし、視界も確保される。ボウガンも打ち放題。
私たちの武器は金属バット、パール、ボウガン、その他諸々。
警察に調べられたら、お縄になるような物もちらほらあるのは……見なかったことにしよう。あと二日で警察も法も意味のない世界が訪れるはずだから大丈夫でしょ。
「籠城の準備は潤沢のようですなあ、殿」
「そのプレイはいつまで続くんだ。あと殿って俺か?」
こっちがノリノリで城主の部下を演じているのに、陣は呆れ顔だ。
「ノリの悪い男ってモテないよ?」
「この状況でモテ男を目指してどうすんだ。女性のモドキにたかられろと?」
「それはそれでデコイとして優秀じゃない」
軽口を返せるぐらいの余裕はあるみたいね。って、人の心配をしている場合じゃないか。
明るく振る舞っているけど怖いに決まっている。黙っていたら手足の震えがバレそうだから、大げさな仕草で大声を張り上げる。
仲間と自分を鼓舞するために。
「陣、目の下のクマがすっごいことになってるけど、眠れなかったの?」
「まあな。結構、緊張しているみたいだ」
「仮眠してきたら。長丁場になるんだし」
「始まって余裕がありそうだったら、考えるよ」
とか言いながら無茶するに決まってる。
ネットで何度言葉を交わしてきたと思ってんのよ。陣の考えなんてお見通し。
……予知夢は意外だったけど。
「叔父さん、覚悟は決まった?」
「ふっ、探偵ってのは逆境において輝くもんだぜ」
「探偵にそんな習性ないです」
塀の上で格好を付けている叔父に日野山さんがツッコミを入れる。
こちらも通常運転みたいね。
あとは……一人だけ。一番心配な相手。
私の左隣に視線を向けると、至近距離でじっと見つめるお姉さんと目が合う。
「ディヤちゃん。大丈夫だから安心して」
そう言って私の手をぎゅっと握ってくれた。
温かい。私の手は緊張で冷え切っているのに。
「頑張ろうね。みんなで明日を迎えられるように」
「うん!」
元気づけるつもりが逆に元気をもらえた。
防衛の目的は全員が生き延びること。モドキ討伐がメインじゃない。そこを忘れないようにしないと。
――まだ、元人間を殺す覚悟はできていない。
これが今日だけならなんとか凌げばいいだけの話なんだけど、この後も異様な世界は続く。わかってる、わかってるけど。
「ディヤ、うじうじ考えてんじゃねえぞ。汚れ仕事は俺に任せろ。どうしようもなくなったら、そんときに考えろ」
「自分は手を汚さずに叔父さんに全部押しつけるのも、嫌なの」
叔父は完全に吹っ切れた様子。相手を殺す覚悟が完了している。日野山さんも同じみたい。
二人に任せたら私は人殺しにならない。
でも、それは違う。他人任せの人生設計なんてうんざり。自分の道は自分でつかみ取る!
「そろそろ、時間だ。相手も準備できたようだぞ」
陣の見つめる先には五台の大型トラックがある。
まだかなり距離があるけど、そこから動く気配はないみたい。
周辺は日野山さんが操るドローンで調べ終えている。
この家に繋がる道は完全に封鎖されていた。工事現場の作業員に扮した人たちが、湖畔一帯に入れないように妨害していた。
周辺の別荘に人影はない。今は春休みの時期だから誰か滞在していてもおかしくないというのに。
人払いは完璧で騒ぎを起こしても誰かが助けに来る可能性は少ない。
開始時刻まで残り二分。全員が黙って大型トラックを監視していると、着信音が響いた。
「俺のか。……幹島からだ」
陣がスマホのスピーカー機能をオンにする。
『待ちに待った開戦の時刻まであとわずか。どうだね、気分は』
「最低だよ」
『おやおや。私は最高の気分だというのに。では、最後にもう一度ルールのおさらいをしよう。今から十二時間生き延びたら君たちの勝ちだ。治療薬と岩朗君を返す。途中で君たちが全滅したら君たちの負け』
そりゃそうでしょ。全滅して勝ちなんてことはあり得ない。
『あと、私が死んでも君たちの勝ち、というルールは覚えているかい』
「もちろん、覚えている」
一キロ以上離れた場所から命令するだけの幹島。
自分が絶対に倒されない自信があるからだよね。
こっちが守るので手一杯なのを知って、追加で決めたルール。
少しでも助かる可能性をちらつかせて、希望を見せたところでどん底にたたき落とす。
そういうゲスなことを平気で考えてそう。
『なら、結構。では、そろそろ始めようか。五、四、三、二、一、ゼロ。開戦だ』
通話が切れた。
視線の先にある大型トラック荷台の幌が外された。予想通り巨大な檻があって、中には十数体のモドキが蠢いている。
一つだけ檻の鍵が外され、中のモドキがあふれ出た。
「さーて、あいつらどういった動きをするのか見物だな」
叔父は双眼鏡を目に当てながら舌なめずりをしている。
こんな状況でも楽しそうなのはちょっと……かなり引く。
以前からモドキはどれだけ命令に従うのかが疑問視されていて、操る方法も判明していない。ここですべてが明らかになりそう。
まだ五百メートルぐらい距離があるから、じっくり観察できる。
今のところトラックの周囲をうろうろしているだけ。目的があって動いている素振りはまったくない。
トラックから少し離れた場所にドイツ車があるけど、あそこに幹島たちがいるのはドローンで確認済み。
今も上空から車を注視していて、その映像は陣が持っているノートパソコンにリアルタイムで映し出されている。
「車から幹島と運転手が出てきた」
陣の呟きを聞いて全員が一斉にノートパソコンに注目する。
幹島はボンネットに座り足を組む。
「かーっ、無駄に格好付けやがって。足が長い自慢か」
「大丈夫ですよ。先輩は座高で勝ってますから!」
「お前はあとでしばく」
二人の漫才は無視して幹島の様子を眺めていると、胸元からスマホを取り出した。
そして画面に指を滑らせていると、そのタイミングでモドキが一斉にこっちへ向かって歩き出す。
「モドキの操作方法って、アプリなのかよ!」
陣が思わずツッコミを叫ぶ。
よかった、陣が言わなかったら私が言ってた。
相手の動きは普通の人の徒歩より少し速く、駆け足とまではいかない程度。
動きはよくあるゾンビ映画っぽい。映画の描写って実は真に迫っていたんだ、と妙な感心をしてしまう。
「あいつらは道路の上を歩いているようだな。そこまでの操作が可能なのか、それとも人としての習性が残っていて歩きやすい場所を選んでいるのか」
「そもそも、どうやって操作しているのかな。アプリを使ってとかじゃなくて、その原理がわかんないんだけど」
「電波によって操られている、と考えるならどうやってモドキは受信しているのか、という疑問に突き当たります。映画やゲームでよくある設定は脳にチップを埋め込む? でも大量のモドキ全部にチップを埋め込む労力と経費を考えたら馬鹿げていると思うのですよ」
日野山さんの考察に頷く。
一人二人を操るならありかもしれないけど、今動いているだけで十数体。
それにまだ数十体が檻の中に控えている。あれ全部に脳手術をしてチップを埋め込むなんて無茶だし、効率も悪い。
「私なら全部のモドキに通用するような操作方法を考えます。電波という考えは悪くないかと。モドキだけが反応する特定の周波が存在して、それに向かって進んでいるとか。あのスマホは操作しているのではなく、特定の何かを起動させただけ」
「ゾンビって音に敏感だったりする設定があったりするよね。だとしたら、この家にそういった音を発生させる装置を付けられたってこと?」
「可能性は高いと思います。そして、それを見つける方法は……おそらくないでしょう」
盗聴器なら叔父と日野山さんがなんとかしてくれる。探偵の仕事で盗聴器発見の仕事も結構あるらしく、その為の探知機を持っているから。
実際、この家に仕掛けられていた盗聴器を二つ見つけた実績がある。
だけど、それは盗聴器前提なので、モドキを呼び寄せる装置には反応しない。
「わからないことはそれ以上悩むな。今はモドキの対応だけ考えろ」
そうだ。この謎が解けたとしても解決方法がないなら意味がない。
話をしている間にモドキは残り百メートルぐらいの距離まで迫っている。
道路を進むルートなので、このままだと堀に落ちることはない。だけど、道路の途中にもバリケードを設置しておいた。
道路を完全に封鎖している丸太の山。モドキから向かって左側に避けて動いたら、その先はちょっとした崖になっていて、そこを落ちると湖に沈む。
反対の右側に進むと堀が待っている。
改めて防衛に適した立地だよね。ここに家を建てた陣のお父さんに感謝、感謝。
「さーて、お手並み拝見」
モドキたちはバリケードの前で立ち往生している。何体かは丸太の山を登ろうとしているが、何度も落ちては登ってを繰り返しているだけ。
五体ほどがバリケードを迂回して動いているけど、崖側まで進むと湖に落ちていく。
残りの二体は堀に進んで――落ちた。一切の迷いなく突っ込んだ。
高さがあるので落ちた際に脚を痛めたのか、這いつくばった状態で匍匐前進をしている。丸太にぶつかっているが、それでも前に進もうと足掻く。
もちろん、それ以上は前に進むことができないけど。
「動きに個体差が見られますね。すべてが同じ思考パターンではない、つまり生前の性格や性質がモドキになっても少しは反映される。もしくは薬の進行具合によって思考力に差が出たのかも」
私がモドキになったらバリケードをどうにか登ろうとか考えそう。
モドキになると人より怪力になる理由は脳のリミッターが外れて、人の限界を超える力が出せるかららしい。
人って元々、もっと力を発揮できる体のつくりになっている。だけど、身体がその力に耐えられないから脳がそれを制御している。
一流のスポーツ選手は自ら脳の枷を外すことで、常人よりも優れた身体能力を手に入れた。
モドキは自分の体がぶっ壊れようが関係ないので、その枷が存在しない。だから、人を超えた筋力を振るうことができる。……全部、日野山さんの受け売りだけど。
これはスムーズに理解できた。だって、前に読んだ格闘マンガで同じような記載があったから! リミッターに枷でしょ、知ってる!
「このまま、十二時間過ぎてくれないかね」
「だとしたら、楽なんですけど」
叔父と日野山さんが願望を口にしている。
そうなったら嬉しいけど、相手がそれを許してくれないよね。
で、一時間が経過した。
今のところ何もしてこない。バリケードを上ろうとしていた個体がようやく諦めて、湖に投身自殺したぐらい。
あと、堀に落ちたモドキが「うーうー」言ってる声が気になる。
叔父に借りた望遠鏡で幹島を見てみると、布製の椅子に座って優雅に紅茶を嗜んでいた。
「うっわー、あの顔ムカつくー」
「こっちが見ているのをわかって挑発してんだろ」
叔父の言葉を肯定するかのように、幹島がこっちを見てウインクした。
あの余裕ぶった顔面をグーで殴りたい。
この戦いなんて幹島にとってお遊びか余興。ゲーム感覚で攻めているとしか考えられない。
だって、今更私たちの口封じをする意味がないから。
ネットで情報を流した後だし、今日も含めたあと三日でゾンビパニックを止められるわけもない。
幹島を倒したところで、計画はもう止まらないと本人が言っていた。
「絶対負けないゲームを楽しもうなんて悪趣味の極みよ」
「違いねえ。ゲームはハードモードの方が面白いのにな」
「先輩、そういう意味じゃないです」
批判しているけど、私たち三人も端から見たら危機感が薄いと思われそう。
ただの強がりだとしても、絶望して泣き叫ぶなんて絶対にしてやらない。
こんな状況だからこそ辛気くさいのは無し!
もし、ここで死ぬとしても最後の最後まで明るく振る舞ってやる。元アイドルでも花子でもなく、ディヤとして。
「おっと、相手もしびれを切らしたようだぞ」
動かなかった残りのトラックが一斉に向かってくる。
バリケードの前に停車すると、運転席と助手席から作業服の男たちが出てきた。
そして、手にした工具を使ってバリケードを除去し始める。
「あーっ! 汚ーい! モドキ以外も使ってる!」
「人間を使ったらダメだってルールはなかったな」
「それも条件に出しておくべきでしたね」
言われてみればそんな約束もしてないし、ルール上の違反行為でもなかった。
それでもムカついたから、陣から教えてもらっていた番号に電話する。
二回の着信音の後に繋がった。
「ちょっと! 人間使うのは卑怯でしょ!」
『ルール違反ではないはずだが?』
「言うと思った! なんていうか、ずるいじゃん! ただでさえ、数も多くて有利なのに!」
普通に話し合いをしても口が達者な政治家に勝てるわけがない。
理屈でなく感情論で押し切る!
『そうだな。では、このバリケードは壊すが、その後は人間を一切参加させないと誓おう』
「モドキも元人間じゃないんですかー」
「バカ煽るな!」
叔父に頭を小突かれたが、嫌みの一つでも言わずにいられなかった。
『逆境で毒を吐く。気骨のある女性ではないか。もう二十ほど年を食っていれば愛人にでも迎え入れたのだが』
「結構ですー。でも、お金だけ振り込んでおいて!」
そういって一方的に切った。
相手の神経を逆なでしたかもしれないけど、スッとした!
「ディヤ。お前、アイドル時代も我慢できなくて、ファン相手にやらかしたことが――」
「あーっ! 聞こえなーい」
両手で耳をふさいで大声で遮った。
言われなくてもカッとしやすい性格なのは自覚している。特に自分よりも仲間に悪意が向けられたときに我慢ができない。
「でも、まあ、よくやった」
「はい、ディヤさんは間違ってないです」
「だよねー」
「反省はしろよ……。おっと、無駄話は終わりだ動くぞ」
道路のバリケードが破壊されて道が開けた。
さーて、ここからが本番!
私たちは、そのまま門扉の近くまで塀の上を移動する。
道路のバリケードは突破されたけど、まだ門前には健在。
近くまで移動してきたトラックの檻が解放されて、無数のゾンビが解き放たれた。
「十、二十、ちょいって感じかな」
「そんぐらいか。なんとかなるだろ」
「なんとかしないと死んじゃいますしね」
門扉前のバリケード前で足掻くモドキ。
脇へと移動した個体は堀に吸い込まれるように落ちていく。
「知能って大切」
「生物としての死への恐怖がないから、危険を回避する気もねえんじゃないか」
「痛みも感じないみたいですし」
堀に落ちたモドキの半数が片足か両足を痛めているようだが、そのまま塀を上ろうと動いている。
手を伸ばしても届かないぐらい深く掘っているので、誰も堀から出られない。
なんとかよじ登ったところで目の前にはコンクリートの壁。
この二段構えを越えられるモドキが出てこないのを祈るしかない。
「先輩、あそこ!」
穴に落ちたモドキが丸太にすがりつくような格好になると、その背を上っていく別のモドキ。
あれは考えての行動じゃない。本能の赴くままに動いているだけ。
ゲームでもゾンビがそういった行動を取ることがある。あれと同じ。
叔父はコンクリート壁に立てかけていたハシゴを下りると、ステンレス製の物干し竿を持ってきた。
「ほらよ。突け突け」
私にも渡してきたので受け取って、上からモドキを突く。
「相手に捕まれたら抵抗せずに放せ。力勝負はするな、負けるぞ」
「わかってる!」
頭を狙っていると、先頭にいたモドキが落下した。
よーし、次々。
「ディヤさん、下!」
「えっ?」
日野山さんの鬼気迫る声に促され、視線を下に向けると青年のモドキが他を踏み台にして、私の脚を掴もうと手を伸ばしていた。
ヤバい!
慌てて飛び退こうとしたけど、モドキの手が足首に触れ――
ドシュッ、と鈍い音がすると、頭から矢をはやしたモドキが仰け反って落ちていく。
「油断するな」
叔父の手にはボウガン。
つまり……そういうことだ。
「うん、ごめん」
一線を越えたことで吹っ切れたのか、叔父は物干し竿を手放してボウガンを撃ち続けている。
体に矢が刺さってもモドキは動き続けているけど、頭に刺さった者はもう動かない。
こういうところは映画やゲームと同じなんだ。
「減らさないとジリ貧だ。結局、こうするしかなかったんだよ」
吐き捨てるように言う叔父。
私も日野山さんも黙って頷くことしかできない。
「こうなったら、とことんやってやる! 火炎瓶も持ってこい!」
「わかりました!」
もう、ためらわない。
私だってやるしかない!
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