3月28日 桜坂 陣
「なんとか間に合いそう、か」
昼過ぎになって、ようやく堀の作業終わりが見えてきた。
穴は掘り終わっていたのだが、そこからが問題。
大量に伐採した木を丸太に加工して、堀の側面に並べて地面に差していく。単純な作業なのだが、これが思っていた以上に厄介な代物だった。
間に合わないかと覚悟していたのだが、一昨日に遅れてやってきた高性能重機が大活躍。
一見、ショベルカーに見えるのだが能力がまるで違う。
木を掴み伐採、枝を排除、均等な長さに切断を一台ですべてやってくれる。それもかなりの早さで。
林業で使われる重機で数が少ないらしく、一昨日まで空きがなかったとレンタカー屋の店員が謝罪していた。
「技術の進歩って凄いわ」
ディヤは重機の動きが興味深かったのか、作業風景をずっと撮影しながら感心しっぱなしだった。
この調子なら日が落ちるまでには堀も完成しそうなので胸をなで下ろす。
「これ使って丸太小屋とか建てたら映えそうじゃない?」
「インパクトはあるだろうな」
並んで切り株に腰掛けて重機の活躍を見守っている。
俺たちは休憩中で動かしているのは日野山だ。機械全般に強いらしく、すぐに操作方法を覚えて今ではディヤがやるより効率がいい。
モドキが攻めてきても、これならなんとかなる……かもしれない。
だけど、最大の問題が残っている。
元は人だったモドキを倒せるかどうか。
幹島の話を信じるなら「完全にモドキ化した人間はもう戻らない。治療薬を投与しても。だから、容赦なく倒したまえ」とのことだった。
なら、岩朗さんも手遅れなのではないかと神宮一が詰め寄ると、
「早期から治療薬を少しずつ投与して進行を遅らせているよ。まだ、間に合うはずだ。信じるか信じないかはお任せする」
なんて曖昧な返答をした。
わずかな望みだとわかっていても、俺たちはそれにすがり賭けるしかない。
「ねえ、陣はモドキを倒せ……ううん、違うわね。人を殺せる?」
膝を抱えるようにうつむいていたディヤが首を傾けてこっちを見る。
同じことを考えていたのか。
「わからない。容赦の必要はない相手だとは理解しているけど」
もちろん、人を殺した経験はない。
それどころか殴り合いの喧嘩ですら小学生の頃に一回やっただけ。
綺麗事の通用する状況じゃない。それはわかっている。
殺るか、殺られるか。選択肢は二つに一つ。なら、どちらを選ぶかなんて考えるまでもない。
「ゲームなら迷わないんだけどなー。現実は厳しい、ね」
「そうだな」
ホラー映画でゾンビや殺人鬼や化け物を倒すのをためらい、殺されていく人を見てイライラしたことが何度もある。
なんで、ためらうんだ。自分が死ぬんだぞ、と臆病さに呆れていた。
だけど自分がその立場になると、同じように葛藤している。
まだ相手を前にしたわけでもないのに、こんなにも……。
「昔、仕事でハワイに行ったことがあるのよ。そこで銃を撃つ体験をしたんだけど、引き金がなかなか引けなかったの。これを引いたら簡単に人が殺せるんだ、って考えちゃったら手が震えて」
当時を思い出したのか、銃を構えるような格好をして「バーン」と言い、自虐的に笑う。
この場に銃はない。本当は欲しかったけど、まっとうに生きてきたので取り寄せる手段が思いつかなかった。
だけど、ボウガンやその他にも物騒な物――人を殺せる道具ならいくつも。
「叔父さんと日野山さんはボウガンは俺たちに任せろ! って言ってたけどさ」
二人とも銃を撃った経験もあり、狩猟に参加したこともあるそうだ。
「探偵なら銃を撃って当然。ベストはマグナムだな」
「何処の国のいつの時代の探偵ですか、それ」
二人に物怖じしている様子は見えなかった……表面上は。
「堀に落として、あとは時間切れを待つだけだったら楽なんだけどなー」
この深さがあれば人間だって登るのは難しい。
実際に間違って落ちた姉は自力で上がれずに、泣きそうな声で助けを求めていた。
ただ、モドキの怪力は侮れない。老人の姿をしたモドキを岩朗さんが掴んだときも、簡単に振りほどかれたそうだ。
そんな力があるなら丸太で補強した堀も役に立つかどうか。
「まあ、やるしかないよね!」
膝を勢いよく叩いてディヤが立ち上がる。
そうだな、考える暇があるなら体を動かそう。まずは完成をさせて、悩むのはその後だ。
「よっしゃー、ペース上げるぞ!」
「おっしゃー、気合い入れるわよ陣!」
日が完全に落ちて、少し経過した午後七時。
「終わったああああああ!」
「疲れたあああああああ!」
「よっしゃあああああ!」
「うおおおおぉぉ、腰がっ!」
「先ぱーーーい!」
全員が雄叫びを上げる。
ギリギリで間に合ってくれた。
疲労困憊で立っているのもやっとだが達成感が半端ない。
「じゃあ、このまま廃材を薪にしてバーベキュー開催だ!」
こうなるのがわかっていたので、朝の内に仕込んでおいた食材を庭に運ぶ。
バーベキューコンロも設置済み。あとは火を付けて焼くだけ。
「肉だ、肉! 叔父さんは年なんだから野菜食べたら」
「ばっか野郎。年だからこそ、タンパク質が大事なんだろうが」
「でも、脂っこいのは避けてますよね先輩。あっ、それいただきます」
「私が丹精込めて育てた子がっ!」
ディヤ、神宮一、日野山が和気藹々と肉の奪い合いをしている。
俺と姉は弱肉強食の世界から距離を取り、ウッドデッキでいざこざを眺めながら肉を堪能中だ。
「なんとか、ここまでこれたね」
「長かったな、ほんと」
予知夢を見てから、約一ヶ月。
あの日はまだ先だけど、俺たちの運命は明日決まるといっても過言ではないはず。
家を要塞化して姉弟二人で生き延びるだけの計画だった。なのに今は人も増え、こんなにも賑やかだ。
夜空を見上げると無数の星々が見えた。
事故から目を覚ました夜も星が綺麗だったのを覚えている。
「予知夢か……なんであの日から急に見えるようになったのか、ずっと疑問だったんだ」
「前までも見えていたじゃない。寝ぼすけだったから、真っ黒だったけど」
六時半から七時半までの予知夢しか見ることができない、限定的な能力。
一ヶ月後の未来も目蓋を閉じて寝ていたから真っ黒な夢ばかりみていた、と信じていた。だけど、違うんだ。
「八重姉、本当は知っていたんじゃないのか。俺はあの日まで予知夢なんて見えてなかった。不完全な能力だったって」
何も言わなかったが、その表情が答えだ。
姉さん、そんな辛そうな顔をしないでくれ。
「いつから?」
「ゾンビパニックの夢を見てからかな。それまでは疑ってもなかったよ。でもさ、あれが切っ掛けで予知夢について今まで以上に考えることが増えて、ふと疑問に思ったんだよ」
俺は無能力者じゃなかった。クズでも落ちこぼれでもなかった。
その喜びが強くて、予知夢のことを疑いもしてなかった。
「毎月一日の時間限定で見る夢。だけどさ、思い返してみれば一日に早起きした日があるんだよ。小学一年生になる年にみんなで遊園地に行ったこと覚えてる?」
「覚えてるよ、ちゃんと」
涙目で優しく微笑む姉。
やっぱり、知っていたんだね。
「娯楽なんてほとんどない集落での生活だったから、遊園地が待ち遠しくて朝の六時には目が覚めて、そこから興奮して眠れなかった。なのに、三月に見た予知夢は真っ黒だった。その時間には起きていたのに」
「あの日は早朝からはしゃいでいて、私も起こされたんだよね」
上半身を仰け反らして、足をバタバタしている。
当時の姉がよくやっていた仕草だ。
「じゃあ、なんで俺は予知夢を見るようになったのか。……父さんのおかげだよね」
自分の左胸に手をやり、奥から聞こえてくる鼓動を手のひらで感じる。
「事故で大怪我を負った俺は父の心臓を移植された」
あの事故で俺の心臓は取り返しの付かない損傷を受け、生死の境を彷徨っていた。
既に亡くなっていた父の心臓を取り出して交換することで、俺は再び生を得たと姉から聞いている。
「臓器移植を受けた人って、提供者の技能や記憶を共有することがあるらしい」
今までそういった話を耳にしても、ただの創作話だと斜に構えていた。
移植を受けた人が急に知らない言語を話せるようになった。今まで出来なかったことが、急にやれるようになった。すべてが嘘臭い、と。
「心臓を受け取ったときに父の力の一部を手に入れたんだと思う。そして、不完全だった予知夢の力が覚醒した」
「そうね。お父さんが力を貸してくれた」
姉は俺を強く抱きしめて、何度も頷く。
父さんが能力者だったという話も本当のことだったと確信している。
「いい話じゃないのっ、ぐすっ」
「素敵なご家族ですね」
「年を取ると涙腺が弱くなっていけねえ」
不意に聞こえた涙声。
聞こえてきた方向にゆっくりと顔を向けると、三人が並んでこっちを見ていた。
慌てて姉を突き放して、背筋を伸ばす。
「いつから聞いてた?」
「ほぼ最初っから?」
恥ずかしさのあまり、顔が熱くなってきた。
ここは話題を変えて話を逸らそう!
「あれだ、あれ……」
上手く言葉が出てこない。かなり、動揺してるな俺。
「ねえねえ、お父さんの心臓で能力が開花したってことはお父さんも能力者で間違いないってことよね?」
「あの集落の長は能力者限定なんだから、そうに決まってんだろ」
ディヤの質問に対して、俺ではなく神宮一が答えた。
「だったらさ、お父さんも予知夢が使えたんじゃないの?」
「「「……あ」」」
ディヤ以外そのことに考えが及ばなかったようで、呆けた声を同時に漏らした。
そう、なるよな、確かに。
「お父さんは陣と違って一ヶ月に一回とかの制約なかったんじゃないの? だったら、この未来を知っていたってことない?」
「「「あああああっ!」」」
なんで、その考えに頭がいかなかった!
「だ、だが、親父さんの能力にも制約がなかったとは言えないだろ。それに、どの程度の未来が見えたのかも不明だ。今更、それを本人に訊く術もない」
「先輩の言う通りですね。もし、この未来を知っていたら子供には伝えているはずでしょうし」
「でもさ、二人に伝えたのが誰かにバレるのを恐れて言えなかったとか?」
「実際にリビングと玄関に盗聴器が仕掛けられていたからな」
三人が様々な意見を出して考察している。
みんなの意見を参考に、どうにか父の思考を読めないか試みる。
父が超能力を使えたと仮定する。
俺の予知夢を覚醒させたことから想像するに、父も同じような予知系の力があった。
それで、今の現状やゾンビパニックについて既に知っていたとしたら……父ならどうする?
「八重姉、大掃除したときに日記とか資料みたいなものはなかった?」
「なかった、と思う。残す物と捨てる物を仕分けしたときに、部屋中の物を調べたけど。お母さんって掃除と整理整頓が趣味みたいなところがあったでしょ。だから、そもそも物が少なかったし」
母は掃除好きで余計な物を家に置くのを嫌っていた。
なので、家はいつも綺麗で清潔。姉にはまったく遺伝してないのが最大の問題点か。
「な、なに、ジンちゃん。じろじろ見て」
「別に」
俺が一日放置しただけで汚部屋を作り出す姉が、勘違いをして照れている。
思考を戻そう。父は機械が苦手でPCもない。スマホは事故の日に原形も留めないぐらい完全に潰れた。
「残っているのは服とCDと本ぐらいか」
「他は捨てちゃったからね。CDは聞かないし、本もマンガとか趣味のものとか……そういえば、トオルキングの本も一冊だけあったよね」
「なんで俺たちに秘密にしてたんだろうな」
「恥ずかしかったんじゃないの。仮面付けてド派手なパフォーマンスとかしてたから」
姉は観たことあるような口ぶりだ。
正体を知ってからネットで検索をしたのかも。
あの本だけが本棚で異質だったので、俺も後で気になってパラパラと中身を確認したのだが、誰にでも出来る簡単な手品集でしかなかった。
「ねえねえ、その本って何処にあるの?」
三人での話し合いが終わったのか、ディヤがこっちに乱入してきた。
「トオルキングの本なら、寝室の本棚にあるよ」
「わかったー。おっじゃましまーっす」
ディヤはウッドデッキからリビングに入り、階段を駆け上がっていく。
しばらくして、せわしない足音と共に庭へ戻ってきた。
「これでしょ」
手には『トオルキングの楽しいマジック』とタイトルが書かれた本が。
全員が集まったので俺が代表してページをめくっていく。
カードやちょっとした小物を使った、簡単なマジックの説明とやり方が書いてあるだけ。
興味もないのでめくり続けていると最後の方で、めくる手が止まった。
「なぞなぞか?」
さっきまではイラスト入りの説明が書いてあったのだが、このページだけは趣旨が違った。
「えっと――トオルキングの挑戦だ! この暗号を見事解き明かしてくれたまえ、って書いてるけど」
その文字の隣には確かに暗号らしき文字がページをぎっしり埋めている。
カタカナのようにも見えるが、まったく読めない。何処か別の国の言葉なのかもしれない。
わからん……まったく、わからん。
答えが知りたくて真剣に悩んでいると、不意に気の抜けた声がした。
「これって、先輩」
「だよな、わかるぞこれ」
探偵コンビがいち早く解いたようだ。
「さっすが名探偵、謎解きはお得意みたい」
ディヤが神宮一の脇腹を肘で突きながら茶化しているが、何の反応もしないで本を見つめている。
「お得意も何も、この暗号は俺が考えたのと同じなんだよ」
「先輩が趣味で考えていた暗号にそっくりというか、そのものですよね」
山で神宮一の捜索をしているときに、日野山から趣味で暗号を作っているという話は聞いたが、それとこれが一致するだと……。
「叔父さん、パクった?」
「人聞きの悪いことを言うな。こう言っちゃなんだが、トオルキングに興味なんてなかった。この本も生まれて始めて見た。誓って嘘じゃない」
なら、どうして神宮一が考案した暗号がここに記載されている。
父とは接点がなかったはず。
「もしかして、お父さんが残したメッセージなのかも。予知で未来を見て、私たちだけが解ける暗号を残したんじゃ……」
姉の言葉を聞いて、この場の全員が神宮一に注目する。
「試しに解読してみるか。何々……いとしのわがこへ これをよんでいるということは すでにわたしはいないのだろう なんてな いちどいってみたかったんだ」
真剣に聞いていた全員の顔が呆れ顔になってる。
父さん、このやらかした未来は見えなかったのかな。
「あー、続けるぞ。……じょうだんはこれぐらいにして まじめなはなしをするよ とうさんはいちねんにいちどだけ みらいをよちすることができる」
俺と違って年に一回だけなのか。
「それもあいまいで おぼろげなものだ どうがではなくしゃしんのようなもの もじがうかぶときもある すうびょうだけど」
予知としての精度は俺の方が高いみたいだ。
「にねんごに こうつうじこでわたしとつまがしぬ しんぞうをいしょくしたじんはたすかる こういったことが だんぺんてきにつたわってくる」
父は自分が事故死することを事前に知っていたのか。
「しをかいひすることもかんがえた だけど みらいをかえてしまったら じんとやえがたすかるみらいがかわってしまうかもしれない だから これはこのままでいい つまもうけいれてくれた」
自分たちの死を回避するよりも、俺たちが確実に生き残る道を選んだのか。
数年後に事故死する未来を知っていながらも、そんな素振りは一切見せずに俺たちを育ててくれた。
父さん、母さん、ありがとう。
「立派なご両親だったのね」
「自慢の親だよ」
「最高で自慢の、ね」
姉さんが目元を拭いながら、笑顔で言い切る。
くよくよするな胸を張れ、俺!
両親が俺を助けたことを後悔させないように。
「続けるぞ。ぞんびのようなもののくわしいことはわからない だれがなんのもくてきでそうなったのかもわからない」
この本を書いたときの父は、モドキを作り出したのが幹島だと知らなかったのか。
それに集落が関わっていることも。
「ぞんびのそなえとして このいえをたてた」
父は詳しい事情はわからなかったけど、モドキが異常発生した未来は知っていた。
「だから、こんなにも防衛に適した家だったのね」
立地も建物も塀も、先を見越した父が手を打ってくれていたのか。
こんな日が来ると事前にわかっていたから。
「これからどうなるかは しることができなかった すまない でぃやさん ひのやまさん じんぐういちさん こどもたちをたのみます」
「任して!」
「頼まれた!」
「精一杯頑張ります!」
そう言うと俺の方を向いて笑う三人。
彼らの存在を知っていたから、父はこの暗号を残したんだな。
「さいごに やえ おとうとのためにがんばったな ちちとしてほこりにおもう」
「父さん……父さんっ」
両手で顔を覆った姉の指の間から涙がこぼれ落ちる。
「じん こんどはおまえがねえさんをまもってやるんだ おまえのなかにとうさんがいることを わすれないでくれ ――以上だ」
暗号はそこで終わりのようで、神宮一は本を閉じた。
具体的な指示はなかったが、両親の愛情は痛いぐらいに伝わってきた。
絶対に生き延びてみせるよ、父さん、母さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます