3月4日    桜坂 八重

「ぐがぁぁぁぁー」

「きゃああああっ! 誰か誰か助けてぇぇぇ」


 男のうめくような声をかき消す女の悲鳴。

 それを、リビングのソファーでクッションを抱き怯えながら凝視している私。


「何してんの」


 呆れたような声が背後からした。


「見てわからないの。ゾンビ映画観てる」

「八重姉がホラー映画? えっ、マゾに目覚めた?」


 失礼なことを言う弟ね。確かに怖いのが苦手なのは否定しないけど。


「何で今頃。もう一ヶ月もすれば本物を嫌でも見物できるのに」

「勉強よ、予習。こういうのに少しでも詳しくなった方がいいかと思って」


 フィクションとノンフィクションの差はかなりあるけど、心構えとしては悪くないと思う。

 少しでも耐性を付けておかないと、本物を目の当たりにしたときにパニックになりそうだし。

 気を利かせた弟が冷蔵庫から飲み物を取り出し、コップとスナック菓子も用意して隣に座った。

 肩が触れあう位置にまで距離を縮めると、苦笑している。


「映画鑑賞にはこれが必須だろ」


 コーラーをコップに注ぎ、私に差し出す。


「気っが利くぅー。ありがと」


 なんだかんだ言っても優しいのよね。

 さっきまではかなりびびっていたけど、弟が近くにいるだけで恐怖が薄まっている。


「アメリカだったら銃があるから戦うって選択肢もあるのにな」

「日本じゃ仕方ないわよ。でも、万が一のための武器とか欲しいよね」

「使わないに越したことはないけど、持っていて損はないか。武器、武器、何かあるかな」


 弟が愛用しているノートパソコンを開くと何やら調べ始めた。

 しばらくすると、私の肩を叩きディスプレイを見るように促す。

 グロい映像にうんざりしていたので喜んでそっちに視線を移すと、ネット通販サイトの画面が広がっていた。

 警棒、スタンガンという物騒なレパートリーが並んでいる。


「警備関係のグッズを売っているサイトなんだけど、どれもパッとしないんだよ」

「スタンガン? ゾンビに電気って効き目あるの?」

「さあ。元は人間なんだからある程度は効くかも」


 ゾンビに襲われるゲームはいくつかやったことがあるけど、スタン系は強力な武器の一つだった。けれど、現実ではどうなのか。


「威力があって使えそうな武器。なおかつ日本でも手に入れられる物となると、クロスボウあたりか」


 そういってPCを操作して画像を見せてくれた。

 弓と銃が合体したような見た目をしている武器。

 何度かゲーム内で見たことがある。銃と比べて威力は弱めで連射が効かないという欠点があるけど、物音がしないという利点があった。

 弟曰く「法改正で許可制になったそうだけど、抜け道はあるのでやりようはある」らしい。


「矢も合わせて多めに買っておくか。あと、使えそうなのを見繕っておくから」

「うん。武器のことはよくわからないからお任せするね」


 こんな話をしながらも緊迫感に欠けていることを自覚している。

 予知夢を疑っているわけじゃない。実際にその能力のおかげでこうやって楽な暮らしができているのだから。

 でも、あの夢の内容はあまりにも現実離れしていた。


「ホラー映画ってバッドエンドが多いのが、ちょっとね」


 主人公が仲間を置いて一人で立ち向かうシーンを観て、ぽつりとこぼす。


「バッドかハッピーかは受け取り方の違いじゃないか」


 問いかけたつもりはない独り言だったけど、律儀にも答えてくれた。

 その声に反応して視線を横に向けると、真剣な表情でテレビを見つめている。


「だって。主人公とかヒロインが死んだり、生き残ったとしても希望もない世界が続くみたいな感じでしょ」

「それでも、主人公が納得しているならどんな終わり方でもハッピーエンド……だと思う」

「視聴者じゃなくて、主人公が、なの?」


 引っ掛かったところを口にすると、弟は小さく頷く。


「主人公が満足しているなら、それはハッピーエンドなんだよ」

「うーん、そうなのかな」


 私はいまいち納得がいかなかったけど、こんなことで揉めるつもりもないので話題を変えてみた。


「ところで話変わるんだけど、昨日のディヤさんはいつ来るの?」


 妙に親しげだったのは気になるところだけど、そこは昨晩に散々追求したから言わないでおく。言い分を信じるなら「本当にただの友人」らしい。

 でも、弟が本心からそう思っていたとしても、相手がどう思っているかはわからないのよね。


「明日の昼頃に着くらしい。まずは家や庭を見ないことには話が進まないそうだ」

「そっかー。じゃあ、私も挨拶ぐらいはしておかないと……だめ……だよね」


 最後の方は小さく囁くような声になってしまった。

 じっと床を見つめ顔を上げることすらできない。

 膝の上で握りしめた手が小さく震えている。


「八重姉、無理しなくていいよ。対応は俺がやるから」

「……ごめんね」


 ――本当に情けない姉。あれ以来、ずっと他人を避けてきた。

 両親の死に対してのマスコミの執拗な追求。鳴り止まない嫌がらせや、からかいの電話。

 道を歩けば多種多様な感情が降りかかってきた。大半は優しい言葉だった。でも――

 同情するふりをして、下心ありで近づいてくる男。

 保険金と遺産狙いの親戚。

 瞳の奥に宿るどす黒い光と本心。アレに晒されてから人が……無理になった。

 初めは人の目が見られなくなり、近くに他人がいるだけで目眩がして呼吸が荒くなり、最終的には他人に見られることすら無理になった。

 こんなんじゃ就職なんてできるわけもなく、ずっと引きこもっている。

 弟のおかげで生きていけるが、もし独りだったら今頃は――


「私は無駄飯ぐらいで、何の役にも立ってない……」


 不意に頭にぬくもりを感じた。

 見上げると弟がそっぽを向きながら、頭に手を置いている。


「色々と考えすぎなんだよ。能力の使い道を思いついたのは八重姉なんだから、能力で得た金は山分けが当然だろ? ってことは自分で稼いだ金なんだから気にしなくていいんだって」


 そう言って不器用に微笑んでくれた。

 ぶっきらぼうなところもあるけど、根は優しいのよね。

 少し照れたような横顔を見つめながら、ずっと言うか迷っていたことを口にする。


「あのね、ディヤさんには本当のこと話した方がいいんじゃないの? その方が親身になってやってくれそうだし、それに、できあがった家にディヤさんも呼んであげた方がいいんじゃ」


 私の提案を聞いた弟が驚いた顔でじっと見つめてきた。

 えっ、そんなに変なこと言ったのかな?


「それは考えてはいたけど、八重姉は大丈夫なのか? 俺以外の人と一緒に暮らすのは?」

「……わかんない。だけど、見捨てるのは駄目だよ……」


 世界中の人々が救われて欲しい、なんてきれい事を言う気はさらさらない。正直に言えば弟の命が何よりも大事。それが本音。

 だけど、ディヤさんを見捨てたら弟は罪悪感できっと苦しむ。そんな姿を見たくない。


「そっか。わかったよ。でも、しばらくは様子を見て信用できると判断したら真実を明かす。それでいいかな?」

「うん、任せる」


 それからは二人で映画を最後まで見て「殺されるのがわかっているのに戻る神経がわからん」「愛じゃないの?」とか感想を語りながら晩ご飯の用意をする。

 まあ、調理は弟が全部やるので、私は配膳と雑談の相手をするだけなんだけど。


「ジンちゃんは……お姉ちゃんのこと好きだよね?」


 昔と比べて大きくなった弟の背を見つめていると、不意に口が滑った。

 茶化して言うなら問題なかったのに、真面目な声で問いかけてしまった。

 規則的に聞こえていた包丁がまな板を叩く音が止まり、弟がゆっくりと振り返る。

 無言だったが眉根にしわの寄った表情が――何言ってんだこいつと語っている。


「そんな顔しなくてもいいでしょ! ちょっと、聞いてみただけじゃない」


 さっきと違ってふざけた口調で、わざとらしくいじけてみせた。


「まあ、あれだよ。好きに決まってるだろ。……アンとハルカの次ぐらい」


 前半は百点だったのに後半で評価がマイナス千点。


「お願いだから、サツマイモの品種を変に略すのやめて」

「愛称で呼んで何が悪いんだよ。安納芋と紅はるかを馬鹿にしないでいただこう!」

「そのサツマイモに対する愛情を私にも分けてよ」

「断る!」


 弟の唯一にして最大の欠点というかキモいところが、サツマイモに対する異常なまでの愛情。

 好きな物を訊かれるとなんのためらいもなく即答するぐらいだ。


「あの紫色の肌」

「皮でしょ」

「優しくそれでいて甘いところもある内面」

「味でしょ」

「煮ても焼いても蒸しても揚げても、どんな装いでも素晴らしく映え――」

「もうわかったから、料理続けて」


 サツマイモ愛を熱く語り始めたので、負けを認めて話を強引に終わらせる。

 

 

 


「うーん、おいしぃー」

「作りがいがあるよ」


 人生の楽しみはゲームと食事。

 どっちの方が大事かといえば、弟の作った料理にかなうものなんて何もない。


「こうやって普通に食事できるのもあと一ヶ月ぐらいなんだよね」


 それを考えるだけでウツになりそう。

 未だに弟の見た夢がだたの夢であって欲しいと、願うことがある。

 この備えも全部無駄で杞憂に終わる。それで後になって笑い話になって。


「何言ってんだよ。予知夢通りの未来が訪れたとしても、俺たちは変わらずこうやって食卓を囲むために今、色々やってんだろ。世界が変わっても、俺たちは変わらない日常をおくるんだよ」


 弟がそう言うなら大丈夫。

 今までもこれからもずっと弟に任せていれば上手くいく。


「今度こそ……絶対に、八重姉を守ってみせるから」

「なんかプロポーズみたいね」

「何言ってんだよ」


 私が茶化すと頬を赤くして照れている、かわいい。





 風呂も歯磨きも済ませて自分の部屋に戻る。

 いつもなら、これからネットゲームにログインして朝日が昇るまで熱中するのだけど、そんな気には少しもなれない。

 PC机の前を素通りして、ベッドに寝転び天井を見上げる。

 毎日毎日、寝て起きてゲームをする。そんな日常に不安を覚えたことは一度や二度じゃない。

 負担をかけている弟に対して申し訳ない気持ちが日に日に膨れ上がり、爆発しそうになる。


 だけど、私は踏み出すことができなかった。

 自暴自棄になって「こんな世界壊れてしまえばいい」なんて思ったこともある。だけど、実際に世界が崩壊する未来が待っているとわかると……恐怖しかない。

 さっきの映画のように、家へゾンビが大量に押し入り私も弟も食われる。その光景が頭をよぎる。

 この家を要塞のように強固なものにする、というのは正しいと思う。

 世界各地でゾンビがあふれているのなら逃げるのは難しい。家にこもって騒動が沈静化するのを待つ、というのは間違いじゃないはず。


 そもそも、ゾンビだって永遠に動けるわけじゃないと思うから。

 創作物のゾンビは人間を食べる。だったら、その人間がいなくなったらどうなるのか?

 食事以前に死体が動いているならじきに腐敗して動けなくなる、と思う。特に梅雨や夏に腐敗は進む。

 そこまで耐えたら向こうが勝手に滅んでくれる。こっちが無理に倒さなくても自滅してくれるのだ。なら、引きこもり生き残るのが最良の策。


 ……という願望。

 こんな話を弟と何度もしている。

 ただ、この前提は相手がゾンビだったらという条件付き。

 私たちは勝手に『ゾンビ』と呼んでいるが実際はそれに似たナニか。予知夢で見た限りの話だと勢いよく走れるゾンビっぽい元人間。

 今までやってきたそういった類いのゲームなら、何かしらのウィルスに感染して増殖する、というパターンが多い。

 人間に噛みつくことで移り、その人もまた同じような状態になりどんどん増えていく。

 なので本物のゾンビなら……ゾンビに本物があるの? という疑問は後回し。それなら、さっきの推測が成り立つ。動く死体なら腐敗するから。


 でも、人間が変異した存在なら腐敗はしない。それこそ人間以外も食べられるなら自滅してくれる可能性が少なくなってしまう。

 限られた資源を人間と奪い合う、なんて展開もよくあるストーリーだから。

 あと、不安要素としては知性がどれほどあるのか。

 弟の話だとがむしゃらに走って噛みつくだけだったようだが、これもゲームでありがちな設定だと変異種や上位種が存在していて、そいつらは知性が高いというパターン。

 それこそ人間と同等の知能が残っていたら、この家の防衛をどれだけ固めても突破されてしまう。


「だめだめ。悪いことばかり考えたら」


 自分のよくない癖だ。ついつい、ネガティブな発想ばかりが頭に浮かんでしまう。

 弟だって不安があるのに私がこんなだから、そんな素振りを一切見せないようにしてくれている。

 頑張ろう。自分のできることはしっかりやって足は引っ張らない。

 ――終末世界でも姉弟が生きていられるように。

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