3月3日    桜坂 陣

「昼ご飯も作らずに何してるの?」


 庭に繋がる窓を開け放ち、ウッドデッキで仁王立ちの姉が俺を軽くにらんでいる。


「八重姉が作ってもいいんだよ?」

「えっ、愛情たっぷりのご飯食べたいなら言ってよ! 喜んで作るから!」


 満面の笑みを浮かべて踵を返した姉の背に慌てて呼びかける。


「いや、いい! 俺が作るからっ」


 考え込みすぎて頭が回ってなかった。

 姉は料理が嫌いで俺に任せているのではなく、壊滅的に下手だから俺が担当しているだけ。

 この一ヶ月近くは忙しい毎日になるのに、体調を崩している暇はない。


「えー、久々に料理の腕を振るいたかったのにぃ」

「遠慮します」

「むぅー。でさ、なんで庭でぼーっと突っ立ってたの?」

「考え事をしてたんだよ」


 我が家の庭はそれなりの大きさがあるのに殺風景だ。

 雑草はこまめに引き抜いているので土はむき出し。その庭と家を守るように、俺を縦に二人分並べたぐらいの高さがある白い塀が、ぐるっと取り囲んでいる。

 高く飾りっ気のない塀は刑務所を彷彿とさせる威圧感がある。……当たり前だけど刑務所に入ったことはない。

 折角の風景を遮断している、威圧感しかない塀に囲まれた庭には何もない。

 いや、正確には庭の隅の方に井戸がある。手押しポンプ付きの。


 ここは水源が豊富で小川も近くに流れている。井戸の水も検査の結果、飲料水として十分な水質だ。

 本当はこの庭を母と父が一から自力で庭を飾り立てる予定だったらしいのだが、その夢は叶えられずこの有様だ。

 庭から家を眺めていたのだが、いつ見ても四角い。

 我が家は木造ではなくRC造(鉄筋コンクリート造)で灰色の四角い外観。

 周囲の壁と相まって刑務所感が増している。

 俺はこのシンプルで無骨なデザインを気に入っているのだが、姉はそうではないらしく。


「重苦しいし、地味だし、かわいげないよね。ごま豆腐みたい」


 とのことだ。この重厚で無骨なセンスを理解できないとは嘆かわしい。


「改めてこうやって我が家を観察してみるとさ、防衛には適しているなって」

「防衛って……ああ、そっか。ゾンビに襲われるかもしれないもんね」


 町中にあふれる予定のゾンビから身を守るためには、家に引きこもるのが上策。あれがなんなのかはわからないが、今は便宜上ゾンビとしておこう。

 これがゲームや海外映画なら銃で武装して打って出る、という選択肢もあるが日本でそんなものを手に入れようと思ったら、普通の手段ではまず無理。


「でも、籠城するにはちょっと甘いんだよな」


 家の周りぐるっと回って細部までチェックしてみた。

 塀は見た目だけなら防衛に理想的と言ってもいい。だけど、問題は強度だ。

 拳で軽く叩くと、コンコンと見た目に反して軽い音がした。


「手を加えるべきだよな。家の方は……」


 振り返り我が家をまじまじと観察する。

 木造の家より頑丈なRC(鉄筋コンクリート)造なので、家の壁を破壊される心配はまずない。だが建具はどうだ。

 扉は大丈夫だと思うが、問題は窓。


「せめて鉄格子がほしい」


 防犯用で窓に格子が備え付けられている家もあるが、うちにはない。

 二階はまだしも一階の窓には鉄格子をはめておくべきだ。


「外の風景が見にくくなるね」

「死ぬよりましだろ。それに元からこの塀が邪魔で庭から外なんか見えないし。風景なんて二階か屋上から見ればいいよ。他には……玄関脇と庭に出れる大きめの窓にはシャッターがあるけど、それも性能がいいのに取り替えるか」


 一応寝る前と台風などの風が強いときにシャッターは下ろしているが、あれでゾンビの体当たりを防げるかは疑問だ。


「そうなると結構手間がかかる工事になりそうね。太陽光パネルの取り付けもあるし」

「そのことなんだけど、一つ考えがある」


 業者に頼むのが一番なのはわかりきっているが、実は問題が発生している。

 去年この地域に大きな台風が直撃して、屋根や窓や壁などに被害が出た建造物が多くあり、近場の施工業者は補修工事で今年いっぱい手が空いてないらしい。

 おまけにここは都市部から離れている田舎なので業者が限られている。


「どうせなら海外製の防犯に優れたのを取り付けたいから、無理が利いて、つてがあって、こういた工事に手慣れている人に頼もうかと思ってさ」

「そんな都合のいい人いるの?」

「実は……一人だけ心当たりがある」


 スマホを取り出すと、数少ない連絡先の一つを選び出す。

 耳に当てしばらく待っていると、呼び出し音が途切れる。


『珍しいね。PCじゃなくてこっちに連絡くれるなんて。あっと、ファンとの直接な交流は避けてるからごめーん』

「登録者数が二桁で金がない時期に、何度も奢らされた記憶があるんだが」

『気に入った方はお気に入り、チャンネル登録をよろしく!』

「それ、動画の〆でもウザいからやめろ」


 何十回も聞いた定番の台詞。


「ねえねえ、ジンちゃん。楽しそうに話しているけどお相手は誰なの? 女の声よね?」


 いつの間にか俺の隣に並んでこっちを凝視している姉がいる。

 ちょっと不機嫌そうに見えるのは、説明もせずに放置していたからだろう。

 姉にも聞こえるようにスピーカー通話に切り替える。


「相手はミーチューバーだよ」

「んんっ? えっと、それって動画投稿サイトのミーチューブで活動している人ってことだよね?」


 説明口調ありがとう。その通りだ。


『何ぶつくさ言って……もしかして、噂のお姉さんですか! 初めまして、DIY系ミーチューバーのディヤでーす!』


 姉の声が聞こえたようで、スマホから元気な声が響く。


「は、初めまして。姉の八重です。――外人さんなのに流暢な日本語ね」


 後半は俺にだけ聞こえるように囁いているが、何か大きな勘違いをしているようだ。


「八重姉、ディヤって本名じゃないよ。配信上で名乗っている芸名みたいなもんだから。バリバリの日本人だよこいつは」

『DIY・Aと書いてディヤって呼んでくださーい』


 ちなみにこのネーミングの由来について一度尋ねたことがある。その答えは、


「DIY系ミーチューバー界のエースって意味だよ。自称だけど!」


 とのことらしい。

 自称であろうがそう名乗るだけあって、動画の内容はDIY、つまり家の内外装をいじったり修繕や家具作りをメインにやっている。

 それも少し特殊な。


「秘密基地を作ろう17、なかなか面白かったよ」

『ほんとに!? よかったら高評価ボタンをお願いします!』

「押した、押した」

『あじゃーっす!』


 ハイテンションなノリに感化されそうになる。

 動画でもこの調子で話しているので「ウザい」という批判コメントもちょくちょくあるのだが、当人はどこ吹く風でこのキャラを貫いていた。


「話が脱線しまくってるな。ちょっと、真面目な話をするから黙っていてくれるか。頼み事というか提案があるんだよ」


 また何か口を挟んでくるかと構えていたが、スマホからは何も声がしない。


「前に生配信でゲーム実況あげていたよな。ゾンビが襲ってくるのを防ぐタワーディフェンスを。そのときに『実際に要塞みたいな家建ててみてぇー』て叫んでいたの覚えているか?」

『あー、うん。もち、覚えてるよ。最終目標は要塞を自分の手でDIYすることだし』

「その望みを叶えてやる、って言ったらどうする?」

『ぷっ、何よその面白くもないジョーク。エイプリルフールには一ヶ月早いんですけどー。そんなものに騙されるディヤ様じゃないわよ。ウルチャ初体験の相手だからって安く見ないでよねっ!』

「ねえ、ジンちゃん。初体験、ウルチャってなぁに?」


 両頬に手を添えて強引に首を横に向けられると、そこには笑顔なのに目が少しも笑っていない姉がいた。


「なんか勘違いしてそうだけど、ウルチャっていうのはウルトラチャットの略。生配信中の相手に視聴者が電子マネーをプレゼントするみたいなやつだよ」

『弟さんは私にいーっぱい貢いでくれているのぉ』


 妙に艶のある声を出すんじゃない。

 ほら、姉の顔がみるみるうちに渋面になっていく。


「姉さんをからかうなって。こいつ、配信当時は人気がなくてさ、ヤバいぐらい迷走していたんだよ。服の露出度上げたり、着ぐるみとかコスプレしたりとかさ。それがあまりにも不憫で、可哀想で、つい仏心でウルチャしたら懐かれて今に至るって感じ」


 まだギリギリ二桁ぐらいしか視聴者がいなかった頃だったか。たどたどしい語りが妙に愛らしく見えて、気まぐれで高額ウルチャをしたら想像以上に食いついてきてしまい、それから常連になり――という経緯がある。

 姉はその説明でどうにか納得がいったようで、一旦は口をつぐんでくれた。今日の夜あたりに質問攻めに遭いそうな気がしてならないが。


「話を戻すぞ。冗談じゃなくてマジな提案だ。俺の住んでいる家をディヤが要塞化してくれ。それにかかる費用はすべて俺が持つ」

『うえっ? えっと、えっと……マジで言ってる?』

「本気も本気。こちらからの要望もあるから相談しながらってことになる。費用はそうだな……まずは一千万ぐらいでどうだ?」


 どれぐらい必要か見当もつかなかったので適当な金額を口にしたのだが、それに対する返答は無言。

 しばらく相手の返事を待っていたが、一向に反応がない。


「なあ、ディヤ。聞いているのか――」

『な、何でしょう、陣さん! いや、陣様がよろしいでしょうか! それともスポンサー様とお呼びしましょうか!』


 うわー、見事なまでの手のひら返しだ。

 スマホ越しにガタゴト音が聞こえるのは、その場で頭でも下げているのだろうか。


『でも、でもぉ、本当にそんな大金もらって好き勝手にやっていいの? にわかには信じられない。大金持っているって話は前に聞いたことあったけどさ。……くだらない見栄張って引っ込みつかなくなっているだけじゃなかったんだ』


 小さく呟いた言葉、しっかりと聞こえているぞ。


「好き勝手は困るな。でも、家を要塞化したいってのは望むところだから、期待には応えられるんじゃないか」

『あっと、えーと。こっちに不満はないんだけど、なんで家を要塞化したいのか理由を聞いてもいい?』


 おずおずと質問してきたが、どう答えるべきか。

 素直に「一ヶ月後に町中にゾンビが現れるから対策したくて」なんて言っても信じるわけがない。

 そこで俺は姉から少し距離をとり庭の隅に移動する。


「実は――うちの姉ってネットが生きがいの、お人好しですぐ騙されるタイプでさ。最近はネットの陰謀論を真に受けて「日本も危ないからもっと防犯対策をしっかりした方がいい!」とか言い出して聞かないんだよ。そこで安心させるために異常なまでに防犯設備を整えて安心させてやりたいなーって。こんなんでも俺の唯一の身内だから」


 真剣な口調で呟く。

 最後以外は全部嘘だけど。


『あんたって……ごほんっ。陣様って、なんだかんだ言ってもお姉さんには甘いんだね。もしかしなくても、シスコン? うーーーーん。納得はしてないし、なんか裏がありそうだけど、こっちにとっておいしい話には間違いないし、それ以上の追求はしないでおくわ。そうだね、うん引き受けるよ。あっ、一つご相談がありましてぇ。これを動画にして配信しちゃってもいい?』


 早口でまくし立てるディヤ。こびを売っている顔が鮮明に頭に浮かぶ。

 そう来ると思った。こんなおいしいネタを見過ごすわけがない。


「もちろん、OKだ。その代わり条件がある」

『やっぱり、そんなうまい話があるわけないよね――えっいいの!? まさかっ、一千万の代わりにディヤの足をなめさせろとか言うんじゃないでしょうね!』

「俺になんの得があるんだよそれ。条件は動画を必ず四月以降に投稿すること。それだけ」

『あ、なんだ。それなら全然いいよー。ある程度たまってからの方が編集もやりやすいし』


 快く了承がもらえた。

 一ヶ月後に投稿しても世界中で閲覧不可能になるだろうから、騙しているようなものだが……嘘は言ってない。

 細かい打ち合わせは後日するということになり、住所を伝えて通話を切った。

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