3月2日    桜坂 陣

 目覚ましが鳴る前に目が覚め、時間を確認すると六時二十分。

 いつものようにストレッチをして、六時半に間に合うようリビングにたどり着く。

 そして、テレビのリモコンを手にしてニュースを確認。続いてノートパソコンを開き電源を入れて――


「あっ、そうか。もういいんだった」


 そこで我に返った。

 無意識のうちに流れ作業でこなしていたが、これからはこんなことをする必要はない。

 規則的な毎日を過ごしている理由は月に一度訪れる予知夢への対策。確実にやってくる一ヶ月後の未来を活用するためのルーティン。

 俺はこの能力で株や投資の相場をチェックして、値上がりするのがわかっている銘柄を買っていた。あとは公営ギャンブル。大穴があらかじめわかっていたら稼ぐことなんて容易い。


 軍資金は両親が残してくれた遺産と保険金。

 過剰に勝ちすぎて怪しまれないように、わざと外したり損をする駆け引きも忘れない。百発百中で当てるヤツがいたら誰だって不審に思うだろうから。

 なので、一気に大勝ちするようなのはたまにしか狙わず、地道に儲けを出してきた。


 他にもこの能力を活用してきた。ニュースで事前に大きな事件や事故や天災などを把握していると、危険に遭遇することもなく安全に日々を送れる。

 そんな生活をここ数年過ごしていた。

 月に一度の予知夢とはいえ確実に勝てる勝負なので資金は増える一方で、卒業後に一度はサラリーマンを経験したものの馬鹿らしくなり、今は悠々自適な毎日を楽しんでいる。


「一ヶ月後の未来が確定しているなら、もう相場なんて関係ないんだよな」


 株も公営ギャンブルも一ヶ月後には存在すらしていない。

 既に結構な金額を稼いでいるので、無駄に贅沢をしないのであれば今後の生活は安泰だったのだが、まさかこんなどんでん返しが待っているとは。

 昨日、あれからずっと今後どうするか考えていた。

 愛用のノートパソコンのファイルには、これから一ヶ月どうするべきかびっしりと予定が書き込まれている。

 しばらくしたら姉が起きてくるだろう。それまでに朝食を作って待っておくか。





「お、はよぅ」


 元気がみじんも感じられない囁くような朝の挨拶。

 ちらっと声の主を確認すると、いつもよりボサボサで寝癖だらけの頭でのそのそと歩み寄る姉がいた。

 目元にくっきりとくまがある。大あくびをかみ殺しているし、どうやらあまり眠れなかったようだ。で、当たり前のように俺のスウェットを着ている。


「ご飯できてるよ」

「いつもすまないねぇ。よっこらしょっと」


 老人のような言動で椅子に座り、ぼーっと卵焼きを眺めている。

 向こうが話しかけるのを待って食事を続けているが料理には手を付けず、それどころか口を開こうとすらしない。

 いつもは姉が無駄におしゃべりする賑やかな食卓だというのに。――ここは俺から切り出すべきか。


「考えはまとまった?」

「あっ、うん。なんとか。……ごめんね、ご飯冷める前に食べちゃわないと。いっただきまーす」


 流し込むように食べ終えると、テキパキと自分と俺の食器を流しに運んでいる。

 やることがなくなったのでリビングのソファーに座り、ノートパソコンを立ち上げておく。

 テーブルを挟んで正面に姉が座る。見つめる姉の表情は真剣そのものだ。

 少しは落ち着いたのかな。


「じゃあ、話をしよっか」

「まずは八重姉の考えから聞かせてくれる?」

「わかった。ええとね、あれからずっと考えていたんだけど、ゾンビだらけになる原因って見つけられないかな? もし、それがわかったらマスコミ……じゃなくてもネットに情報を流して、みんなを助けることができる、かも、しれないよね?」


 そうきたか。

 上目遣いで見つめられても返答に困る。だけど、ここは濁さずにはっきり言った方がいいよな。


「無理、だろうね。テレビやネットのニュースを毎日見張っていたら兆候ぐらいは見つけられるかもしれないけど、一ヶ月で根源にたどり着くのは不可能だと思う」

「で、でも、事前に防ぐことができたらゾンビだらけになることもないと――」

「そうだろうけど、このゾンビ化の現象の原因をつかめたとしても、そこからどうしようもないだろ。どこぞの巨大な製薬会社が作った生物兵器とか、国が絡むバイオテロとか、オカルト要素たっぷりのホラー展開とかだったらどうすんだよ。俺たちが太刀打ちできるとでも?」

「そうだ、けど……」


 露骨に落ち込むとうつむいてしまった。


「映画やゲームの主人公じゃないんだよ。それに、何かしらの陰謀だったとしたら、わざわざ目立つ行動をして、それを実行した連中に目を付けられたくない」


 姉の優しさは尊重したいが、変な期待を持たせるのもよくない。だけど――


「とはいえ、少しでも助けられる人がいるかもしれないから、毎日のニュースチェックを任せていい? 関連してそうな情報を目にしたら、どんな些細な内容でもいいから伝えてくれると助かる」

「わかった! やっぱり、ジンちゃんって優しいよね」


 テーブルに身を乗り出して抱きつこうとしたので手で制す。


「はいはい」


 指の隙間から見つめる、ニヤけ顔の姉と目が合う。


「それはさておき、次の方が重要なんだけど。この家に引きこもるか、それとも安全そうな場所に移住するか。どっちがいいと思う?」


 と問いかけてみたものの自分の中では既に答えは出ている。


「それね。お姉ちゃんとしては籠城した方がいいと思うんだ。どこかに逃げるとしても安全な場所とは限らないし。世界中が同じような状況になっているんでしょ?」

「ニュースを信じるなら、だけど。世界各地でゾンビのようになった人が暴れているそうだよ。もちろん、日本中でも同じような事件が伝えられていた」


 これが自分の住んでいる町や都道府県、国限定なら答えは簡単だった。今のうちに安全な地域に逃げればいいだけの話。


「タワーマンションの高層階に引っ越す、なんてのも考えたけど……このパニック状態が短い期間で収まるならありかもしれない。でも、ここから悪化していくだけだとしたら生き延びる時間が少し延びるだけだ」


 一年ぐらい猶予があれば安全そうな場所の土地や家を購入するのもありなのだが、一ヶ月は長いようで短い。


「じゃあ、この家に籠城した方がいいよね」

「俺はそう思う。保存食や日常品をかき集めて生き延びられる蓄えをしておく。数年の間に片がつけばそれでいいし、無理だとしても蓄えがあって損にはならない。それ以外にもいろいろ備えは必要になるけど」

「うん、そうよね。そっちの方がいいと思う」


 安心した顔で大きくうなずく姉。

 俺が籠城を選んだ本当の理由は――別にある。根っからの引きこもりで体力と精神力がミジンコ並の姉が、見知らぬ土地での逃亡生活に耐えられるとは思えないから。

 未来への不安点がないと言えば嘘だが、それは事前の対策でなんとかなる、かもしれない。

 ゾンビパニックの一番恐ろしいところは備えがない状態で発生することだ。もし、それが事前にわかっていて備えが完璧なら、話はかなり違ってくる……はず。


「まず重要なのは保存食。最低でも一年以上は日持ちするのを大量に購入したいんだけど、それは八重姉に任せていいかな。お得意のネットショップで見繕っておいて」

「まっかせなさーい。保存が利くだけじゃなくて、ちゃんと美味しいの選ぶから」


 衣食住の買い物をすべてネットで補っている姉なら目利きも確かだろう。


「あー、でも買う前にちゃんと相談するように」

「わっかりましたー」


 生きていくために必要な食はこれで問題ない。ネットショップだけではなく、俺も買い出しに行くつもりにしているから。


「あっ、ジンちゃん、ジンちゃん!」


 急に目を輝かせて俺の名を連呼しだした姉。

 互いにいい年なんだから、ちゃん付けはやめてほしい。だけど何度言っても聞く耳を持たない。それでも、口にせずにはいられないのだが。


「いい加減、ちゃん付けはやめてくれって」

「嫌よ。それより、電化製品も買い換えないと! 故障しても修理してもらえないし、買い換えることもできないし。予備でいくつか買わないと。ゲーム機とシャワートイレは必須よね!」


 すごい発見をしたから褒めて、と言わんばかりに目を輝かしている。


「その前に一つ疑問なんだけど」

「なに、なに?」

「当然だけど、世界中があんな状況になったら電気もそうだけど水道やガスとかのライフライン、全部止まるよ?」

「あっ」


 そこまで考えが回ってなかったか。

 とは言ったものの、うちの場合は水の問題だけは大丈夫だ。井戸もあるし、水道水も近くの湧き水を濾過して使っているので水道代はタダ。

 田舎暮らし万歳。


「じゃ、じゃあ、パソコンもゲーム機もテレビも使えなくなるの!?」


 眼球がこぼれ落ちそうなぐらい目を見開き、絶叫している。


「そりゃそうでしょ」

「お姉ちゃんに死ねというの!?」


 そこまで絶望的にならなくても。

 いや、毎日食う寝る以外の時間はゲームやっている姉にしてみれば死活問題か。


「終わった、始まる前から、終わった」


 異常なほどに落ち込んでいる。ゾンビパニックになることを伝えたときより酷いぞ。

 このまま放置しているのも面倒なので、事前に考えておいた対策を伝えておくか。


「まあ、電気を使う方法はあるよ」

「えっ、なになに?」


 テーブルにうつ伏せ状態から、上半身をのけぞらせる勢いで簡単に復活した。


「屋上にソーラーパネル設置して太陽光発電取り入れたらどう? あと他にも水力発電とか自然を利用した方法はあるからね」


 我が家は鉄筋コンクリート造の二階建てで、外から見たら灰色の四角い箱のような形状をしている。

 屋上には自由に上がれてかなりの広さがある。今は洗濯物を干すか、姉が日光を浴びる貴重な場所として活用しているだけ。

 一部に太陽光パネルを設置して、残りは家庭菜園で利用すれば新鮮な野菜も自給自足できるようになればいいなーと妄想している。


「ジンちゃん天才!」

「誰でも思いつくことだって。抱きつくなっ」


 感極まった姉が再びテーブルに身を乗り出して、俺の首にしがみついてきた。

 なんとか振りほどくと善は急げとばかりに、太陽光発電の受注をやっているメーカーをネットで検索する。

 日数的にきついかもしれないが、多めに払うなりして無理の利く業者を探そう。


「これでひとまず安心ね。電気が使えなかったらどうなることかと。あー、これで安心してゲームもネットもできるわね」


 世界があんな状況になったらそれどころではないと思うのだが、そういう心のよりどころは必要かと口をつぐみかけたが、どうしても突っ込まないといけないポイントが別にあった。


「八重姉、電気は確保できると思うけど……ネットは繋がらないよ?」

「……えっ?」


 再び、姉の顔が絶望で染まった。

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