3月1日    桜坂 陣

 目が覚めると天井が見えた。


「ふぅ、寒いな今日は」


 ベッドから起き上がる前に枕元で鳴り続けている置き時計を止める。

 時刻は午前の六時二十五分。いつもと変わらない。

 猶予まで五分あるので慌てることなく起床すると、軽くストレッチをする。

 三分ほどやって体がほぐれて温まり、部屋を出て一階へと下りていく。


 六時三十分より少し前に定位置に到着。

 正面には机を挟んでテレビがある。机上にはあらかじめ用意していたメモ帳、ボールペン、ノートパソコン、テレビのリモコン。

 まずはメモ帳にさっき見た夢の内容を書き込む。状況、自分の発した言葉、どういった行動をしたのかをつぶさに。

 まだ寝起きで頭がスッキリしていないせいか、あのリアルすぎる夢の内容を思い出しても実感が湧かない。


 書き終わり時間になったので、テレビを付けてニュースを確認する。

 これといって目を引くものはない。途中で芸能ネタになりどこぞの俳優が不倫したのを週刊誌に嗅ぎつけられた、とかどうでもいい話題が流れた。

 他人の色恋沙汰なんぞ興味ないので、俺にはさっぱり理解できない。

 他のチャンネルに変えてみたが代わり映えのない同じニュースばかり。早々にテレビから目をそらしノートパソコンを起動させる。

 あっという間に操作可能になった。時間との勝負なので、立ち上がりの早い高性能なものに代えたかいはあったようだ。


 まずは株価やFXやピットコインのチェック。

 変動の大きい銘柄を特に注視してメモをしておく。

 続いて競馬、競輪、競艇などの倍率の高い配当を探す。





 ふと我に返って時間の確認をすると、かなりの時間が経過して七時二十分になっていた。

 あと十分か。

 今度はニュースサイトやSNSや動画投稿サイトも軽く目を通しておく。

 ある程度は満足したところで時刻は七時半を過ぎた。


「ふううぅ、これでゆっくりできる」


 俺は大きく息を吐いて体を伸ばす。

 いつものことだが起きてから一時間はやることが詰まっていて気が抜けない。


「あっ、そうか。もう必要ないのか……」


 アレが現実となるなら、こんなことをする必要もないのだが。染みついた習慣って怖い。


「あーっ、腹減ったな。朝飯でも作るか、卵と牛乳あったよな。パンはどうだったっけ」


 誰かがいるわけでもないのに独り言が止まらない。

 さっきまで一言も話さなかったので、その反動だ。

 もう慌てる必要もないのでまったり料理を続けていると、完成直前にパタパタと階段を下るスリッパの音がした。


「んー、いい匂いねー。今日もお姉ちゃんのために温かい料理を用意してくれるなんて、ヤエ感激っ!」


 喜ぶ声が響くと同時に首元に腕が回され、背中に弾力のある二つの控えめな塊が押しつけられた。


「八重姉(やえねえ)。今起きたのかそれとも今から寝るつもりなのかどっち?」

「そ、れ、は、ひ、み、つ」


 俺の肩に顎を置いてふやけた顔でニヤリと笑う姉。

 黒い髪の毛は所々がはねていてボサボサ。至近距離から見るすっぴんの横顔は色白で整っている方なのに何もかもがもったいない。

 服装なんて俺とおそろいで色気も可愛らしさもない。少し大きめのねずみ色のスエット――っておい。


「また俺の部屋着を勝手に着てる」

「だって、大きいぐらいが楽なんだもーん」


 密着していた俺から離れると拳を口元に当てて、体をくねらせている。


「八重姉、何キャラだよ。年相応って知ってるか?」

「失礼ね! まだナウなヤングよ!」

「昭和かっ!」


 二つ上の姉は俺の前だとこのノリで、よく言うなら精神も見た目も若い。

 悪く言うなら……ズボラでだらしなく自分に甘い。

 家事はほとんど俺が担当していて、光熱費や家計費もすべて俺がまかなっている。

 じゃあ姉は何をしているかというと、引きこもりでゲームやネットに夢中な日々。つまり、ニートだ。

 学生時代は頭が良くて活発な方だったのに、今はその名残すら感じられない。

 流しっぱなしのテレビで結婚式特集をしていたので、何の気もなく口から言葉がこぼれ出る。


「八重姉は結婚する気ないの?」


 口にした瞬間、しまったと後悔したが時すでに遅し。

 動揺を顔に出さず、ゆっくりと姉の顔色を確認する。


「花嫁修業中ですぅ。なんなら、ジンちゃんが一生養ってくれてもいいのよ」


 にやついた顔でじっと俺を見つめ、気持ちの悪い猫なで声を出す姉。


「結構です」

「結婚です?」

「禁断の関係に興味はない!」

「からのー」

「ねえよ。いい加減うっとうしいからそのキャラやめてくれ」


 こっちをチラチラ見ながら、俺に一生つきまとう宣言をしてきたので丁重にお断りしておいた。


「おっかしいわね。男はこういうのが好きだって描いてあったのに」


 なんか今日はいつにも増してテンション高めでウザ絡みしてくるな。

 そういや、古き良きラブコメでこんなベタな展開を見たことあった。待てよ……一昨日、ちょっと昔の漫画を電子書籍で大人買いしていたけど、それの影響か。


「ジンちゃんなんか不機嫌よね? どったの、もしかして夢見が悪かった?」


 いつもと変わらない態度で接しているつもりだったが、さすが毎日顔を合わせる唯一の肉親。見抜かれてしまったか。

 これまでのふざけたノリも気遣っての行動……なのか?


「まあね。ちょっと……どころじゃないか。相当ひどい夢だったよ」

「マジで。えっ、何があったのお姉ちゃん興味津々なんだけど」


 ぐいぐい迫ってくる姉の顔を鷲づかみにして押し戻すと、朝食を運ぶように促す。


「詳しい話は食べながらするよ」

「了解。じゃあ、とっとと運ぼうかな~」


 意外にもあっさり引き下がると、食卓に手際よく料理を並べていく。

 全部運び終わったところで手を合わせ「いただきます」と声をそろえる。

 二人きりになってからというもの、用事がない限り朝と夜は一緒に食べることにしていた。

 栄養バランスを考えたメニューにはしているが、朝の量は互いに少なめだ。


「んー、今日もおいしい。そして、ぷはぁー。炭酸きつめのコーラさいっこう!」

「和食にコーラはやめてくれって言ってるだろ」

「お姉ちゃんの健康を気遣ってくれているのね。大丈夫、これゼロカロリーだから」

「そういう問題じゃ……もういいよ」


 何度言ってもやめないので無駄だとわかっているのに毎朝同じやりとりをしてしまう。

 朝起きてからここまでが日課になってしまっている。

 俺が黙ると姉は急に真面目な表情を作り、食卓に両肘をついて手を組むとゆっくりと口を開いた。


「でさ、アレ見たんでしょ。miracle once a month」


 キメ顔で妙に発音がいいのがイラッとする。


「なあ、そのネーミングダサいからやめてくれって何度も言ってるだろ」

「えー、最高に格好良いじゃないの。一ヶ月に一度の奇跡。その能力にぴったりじゃない。これがわからないなんて、センスないわね」

「その言葉そのままお返しするよ。適当に予知夢とかでいいだろ」

「オリジナリティーが感じられない」

「いいよ、そんなもん」


 話がわき道にそれまくっている。

 姉と話しているといつもこんな感じになってしまう。このやりとりが嫌という訳じゃない。むしろ、好ましいと思っているが今は話を進めないと。


「真面目な話をするから、ボケも質問も後回しで。いいね?」


 声のトーンを落として淡々と話す。そこでようやく事態の深刻さに気づいたようで、背筋を伸ばして俺の言葉を待っている。


「昨日見た夢は――」





 すべてを話し終えると、ただでさえ不健康な白い顔から、更に血の気が失せた姉が目の前で小刻みに震えている。

 普通なら夢の話なんて聞き流すか、適当に相づちを打つ程度の反応だろう。だけど、姉は俺以上に真摯に受け止めている。


「冗談……いや、ごめん。そんなたちの悪い冗談なんて言わないよね。それがもし、本当……じゃない、本当になるから。う、うーーん」


 考えがまとまらず言葉にならないようで、頭を抱えて唸っている。


「普通なら、そんな馬鹿げた話なんて漫画やゲームじゃないんだから、って笑うところだけど、そもそもジンちゃんの力が常識外れだし」

「八重姉も知ってるだろ。俺の予知夢は……余計なことをしなければ百発百中なのを」


 他人が聞いたら信じられないと思うが――俺は俗に言う超能力者だ。

 といっても、テレポーテーションとかサイコキネシスとか派手で見栄えのいいものではなく、ただ予知夢が見られるだけのしょぼい能力。

 更に言うと利便性が驚くほど悪い。

 まず、月に一回のペースで年に十二回だけしか発動しない。それも予知夢の内容は月初めの一日のみ。

 そして見る夢の内容は朝の六時半から七時半までの一時間で、夢を見た日から一ヶ月後に限定された未来。

 加えて実際に見た夢とまったく同じことをしなければ、夢の的中率が下がる。だから、あんなにも詳細にメモを取っていた。


 ――欠陥だらけの超能力。


「昔はこの力に気づいてすらなかったんだよな」


 過去を思い出し、思わずぼやいてしまう。


「そうね。ちっちゃい頃は『お姉ちゃん、真っ黒い夢見て怖かった!』とか、寝起きで泣きじゃくるだけだったわ」


 その姿を思い出したのか、姉の顔が少しだけほころんだ。過去の汚点なんだが、深刻さが薄れたならよしとしよう。


「いつも起きるのが七時半より遅かったから、予知夢は常に真っ黒。まぶたを閉じて寝てるときの夢なんだから、そりゃ黒いわけだよ。それまでは月に一回、黒い悪夢を見るだけだとずっと思ってたけど」

「病院でいきなり『姉ちゃん死んじゃダメだっ!』って叫んだのは驚いたなぁ。私に抱きついて泣いているジンちゃんをなだめて。話を聞いたら、高いところから落ちそうになっていた姉ちゃんがいたって。あんなことがあったから怖い夢を見たのよ、って慰めてあげたのよね。でも……一ヶ月後、本当に屋上から落ちそうになって」

「あまりにも鮮明でリアルすぎて、当時は夢と現実との区別もつかなくてさ。本当に驚いたんだよ」


 夢というにはあまりにも現実味があった。

 あの出来事がきっかけで、当時は……今もか。遅めの中二病に目覚めていた姉が「もしかして、それって予知夢じゃないの?」と疑い始めた。

 そこで姉は俺から詳しく話を聞いて、こんなアドバイスをしてきた。


「あの日は珍しくジンちゃんが早起きしたから見れた。そう考えるなら……うん。今日から早起きしなさい。最低でも七時前には起きること。それで、夢の内容はちゃんとメモして」


 提案という名の命令をしてきた。

 当時の姉は勝ち気で自分本位だったので、逆らうと怖いことを理解していた俺は渋々だが従うことになる。

 姉のアドバイスの結果、そのおかげで予知夢の存在を認識できるようになったのは感謝している。


「って、昔話に花を咲かしている場合じゃない。今後のことを考えないと」

「そ、そうよね。パニック映画みたいな展開になるのがわかっているなら、みんなにこれを伝えて備えるようにした方がいいんじゃない?」


 まず自分の身の安全より、人々を助けることに頭がいくのは根が優しい証拠だ。俺なんて自分や姉のことしか頭になかった。


「八重姉。一ヶ月後ぐらいにゾンビが町中にあふれる! と吹聴している人がいたらどう思う?」

「……やばい人かなーって避ける」


 姉は少し考え込むと眉根を寄せてぼそっと呟いた。


「だろ。普通は誰も信じてくれないって。それと――あのマスコミに教えたい?」

「ない、わね」


 俺が何を言いたいのかを察した姉は顔を伏せてぼそりと呟く。隠れた表情は憤っているのか、それとも怯えているのか。


「で、でも、大切な人には伝えておくべきだよね!?」


 テーブルに身を乗り出して迫る姉の顔面。そこに手のひらを当てると軽く押し返す。


「両親は事故死。保険金目当てで近づいてきた性悪の親戚一同とは絶縁。友人を家に招いたことのない俺と、結婚はおろか独身カレシなしで引きこもりの姉。……大切な人って?」

「淡々と事実を並べるのやめてっ!」


 現実に打ちのめされた姉がテーブルに突っ伏している。

 あの一件以来、俺も姉も人との関わりを避けてきた。その結果、この家に訪ねてくる人物は宅配業者ぐらいになってしまった。


「でもネットにはいっぱい友達いるもん!」


 毎晩オンラインゲームを一緒に遊んでいる人がいるのは知っている。互いに声しか知らない間柄らしいが。

 ネットのみで繋がっている友人なら俺も――。

 そんなことは今どうでもいい。問題は他にもある。

 あのゾンビみたいなのがどうやって発生したのか。もし、それが何かしらの組織や事件がらみだとしたら、事前にそれを予見する者がいたら……関係者はどう思うのか。

 自分はともかく、姉が危険に晒されるような行動をするわけにはいかない。


「幸いにも、まだ一ヶ月近くは猶予がある。今日は冷静になって明日以降何をするべきか別々に考えてまとめておく、ってのはどう?」

「う、うん。急な話で正直まだ混乱しているから時間ほしいかも」


 慌てふためく姉の手前、冷静を装ってはいるが、正直まだ実感がないだけで俺だってうまく考えがまとまらない。


「じゃあ、明日本格的な話し合いをするってことで……そうだな。大まかな方針を考えておいてよ。まず、この家に立てこもるか逃げるか。立てこもるなら何が必要で今後どうする、とか」

「わかった。じゃあ、考えてみる」


 姉は珍しく真剣な面持ちで何度もうなずき、席を立つと自分の部屋に戻ろうとする。

 そんな後ろ姿に俺は優しく声を掛けた。


「食べた皿を片付けずに逃げるな」

「ちっ、バレたか」

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