4月1日 桜坂 陣
日めくりカレンダーを一枚破り捨てる。今日はエイプリルフールだ。
次に壁掛け時計の時間を確認する。朝の六時半。
よっし、予定通り。
念のために自分の服装を確認する。地味なねずみ色のスエットの上下。いつもと変わらない、お気に入りの寝間着。
足と手には姉お手製の冷え性対策グッズである手袋と靴下。暦の上では春だけど自然豊かな湖畔は朝晩冷え込むので、手放せない。
辺りをぐるっと見回す。
クッション性が弱くなっているソファー。冬場はこたつにもなるテーブル。
奮発して買った大きめのテレビ。ネットに繋いであって動画配信サイトも観られるので重宝している。
後方には台所。
対面型のキッチンに備え付けられたカウンターテーブルの前には、姉がお気に入りの青い椅子が二脚と違う色の椅子が四脚。
カウンターの隅に置かれたダンボールには、姉が買いだめした大量の菓子。
姉が衝動買いをしたコーヒーメーカーが、我が物顔で目立つ場所に居座っている。以前は出番がほとんどなかったけど、最近はちょくちょく使われている。
他にも……料理ができないのに姉が好奇心で買いそろえた調味料の数々。
家具や物もいつもと変わらない我が家のリビング。
昨日、みんなで掃除したので見える範囲は整理整頓が行き届いている。見えないところや収納の中については触れないでおく。
テレビのリモコンは寝る前に机上の定位置に並べたので探す手間がない。
リモコンを手に取り電源ボタンを押すと、画面がつく。
民放のチャンネル番号が右上に表示され映像が飛び込んでくる。
上空から町を見下ろした映像で、おそらく報道ヘリだろう。最近はドローンでの映像が多く、手軽さとコストの面でヘリの出番は減っているそうだ。
……どうでもいい知識は置いておいて映像に集中しよう。
町の至る所から炎や煙が上がっていて、小さな人影が逃げ惑っているように見える。
距離が離れすぎていて点にしか見えない人々が一斉に走り、それを点のような人が追いかけている。
結構な人数がいるけど、朝の通勤通学時間にしては人が少なく感じる。
もう少しズームしてくれないと詳細がわからないが、それはパニック映画のワンシーンのようだった。
わかっていたこととはいえ、人が襲われる映像の生々しさに思わず息をのむ。
「海外のテロ映像みたいだ」
手にしたメモをちらっと確認した後に呟いた。
さっきの呟きに反応したかのようにアナウンサーの声が響く。
『信じられませんが、これは日本での光景です! 昨日から原因不明の暴動が至るところで多発しています! 視聴者の皆さんは家から出ないでください! 繰り返します――』
焦りを含んだ必死な叫びに現状のやばさが嫌というほど伝わってくる。
唐突に映像が切り替わった。今度は視聴者から送られたスマホで撮った昨日の映像らしい。
ショッピングモール内で叫び声と悲鳴。逃げ惑う人々。
投稿者が震えているのか映像がぶれている。それでもなんとかスマホが捉えているのは、倒れている女性に覆い被さる一人の中年男性。
『何してんだ、あんた!』
怪しげな中年に立ち向かう勇気ある青年の後ろ姿。
その相手は怒鳴りつけられたにもかかわらず、意に介すことなく女性の上から離れない。
『離れろって言ってんだ……ろ……』
背後から掴みかかり引き離そうとした青年の動きが止まる。
百八十度、ぐるりと頭を回転させた中年の顔を間近で見てしまった。
赤く光る瞳。ニタニタと笑う口の端からこぼれる鮮血。顔中に浮かび上がっている血管。
誰もが一目見てわかる異常さ。
映像はそこで途切れ、スタジオのセットが映る。
『何度見ても信じられませんが、あれはどういうことなのでしょうか。今起きている非常事態についてご意見をうかがうために、今日は医大の船越教授にお越し頂きました』
『よろしくお願いします』
白髪交じりの髪に灰色のスーツ。見るからに頭の良さそうな雰囲気の男性がコメンテーター席に座っている。
『昨日から各地で暴れている人々には全員似たような症状が出ているそうですが、あれはいったいなんなのでしょうか? 噛みつかれるとうつるらしく、狂犬病のような伝染病ではないかという噂がネット上では流布されているようですが』
『今のところ原因は不明です。まるで映画の……ゾンビのようだ、などという噂も流れているようですが流言に惑わされることなく冷静な対応を心がけてください』
空調が効いているはずのスタジオで、額の汗をハンカチで拭っている姿からは動揺しか感じとれない。専門家らしいが現状の把握ができていないのだろう。
『しかし、昨日からネット上でこのゾンビのような人が暴れる映像が流れ、話題になっていたようですが。実際の映像をどうぞ』
アナウンサーが専門家の意見に口を挟み、映像が入れ替わる。
無数のモドキが堀に落ちて、矢を射られ、火を付けられる見慣れた映像が流れた。
これ以上は観る必要がないのでテレビを消して、ノートパソコンを立ち上げる。
株価や競馬の配当はスルーして、ニュースサイトやSNSを片っ端から調べていく。
どこもかしこもこの騒動でもちきりだ。やはり世界中で同じような事態になっているらしく、現場近くに住む人の書き込みや投稿された映像は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
だけど、一ヶ月前の記憶と比べると、被害が減っているように思える。……ただの願望による記憶違いかもしれないけど。
視線をディスプレイから上げ、再び壁掛け時計に移す。
時刻は七時二十九分。
そろそろ時間か――
「で、どうだった?」
壁時計の長針が六の数字に差し掛かったところで、台所からひょっこり顔を出すディヤ。
「ジンちゃん、予知夢と同じだった?」
リビングに繋がる扉が開くと、そこから姉、神宮一、日野山、岩朗さんが姿を見せる。
「ほぼ一緒だったけど、予知夢より被害が減っていたと、思う。あと、八重姉とディヤが流した映像は予知夢では触れてなかったから、未来が変わった証拠じゃないかな」
全人類が助かってハッピーエンド、みたいな展開にはならなかった。
それでも、俺たちのやったことには意義があったと信じたい。
「なら、上出来だろ。ネットの情報を本気で信じていなかった連中も、万が一を考えて会社や学校をサボったヤツも少なくないらしい」
「そういう人って予知夢のときには存在していなかったはずですよね」
神宮一も日野山も昨日は一睡もしないで、情報を集めてくれていた。
第三者を装って情報拡散にも協力していて、あとで聞いた話によると探偵事務所の力も使ったそうだ。
「死ぬべき定めだった人を大勢救ったのは事実です。だから、胸を張ってください。ここにも皆さんに救われた男がいます。ありがとうございました」
まだ包帯が取れずに、松葉杖を突いたままの岩朗さんが頭を下げてくれた。
姉と二人だけ生き延びる計画のはずが、何十、何百、何千、何万、もしかしたら、もっと多くの人を救えた……のかもしれない。
これがその場しのぎで数日程度の延命だったとしても後悔はしない。
自分で選んだ道なのだから。
「それで、これからどうするよ?」
神宮一の素朴な疑問の返事に困る。
今日をどうやって迎えるか、そればかり考えていて今後のことについては方針も決まっていない。
当初の予定はライフラインを確保して、屋上で野菜を作って、なんとか生き延びる、だった。
その為の準備が整った現状でやるべきことは……。
「神宮一さん、暗号がわかる表みたいなのもらえませんか?」
「暗号って……ああ、そういうことか。構わないぜ」
直ぐに察してくれて助かる。
これからはその表を毎日二回は見るように心がけよう。そうしないと父が困るだろうし。
「ジンちゃんは一ヶ月後の未来を見てきたんだから、それを参考に対策を練ったらどうかな?」
――そう、俺は知っている。
「あー、そういえばそうよね。詳しい未来を知っているのは陣なんだから指示をよろしく!」
――何が起こるかを知っている。
姉の質問に便乗してディヤが絡んできた。
他の三人は黙っているが俺に注目している。
「そうだな……防衛をもっと強化しよう! 何十、何百ものモドキが襲ってきても軽く撃退できるような強固な要塞に!」
――何があっても耐えられるように。
「いいわね! まだ、色々と未完成だから。堀を枠組みしてコンクリート流して補強したいし、防衛用の武器としてバリスタとか投石機も作って設置しようよ! 周りには罠とかも設置してさ!」
――それでもまだ、足りない。
乗り気のディヤが窓際に立つと、カーテンを勢いよく開ける。
朝日をバックに振り返り、俺に向かってウィンクをした。
「ねっ、陣!」
「そうだな。本格的に自宅を要塞化DIYするか!」
「「「「おーーっ‼」」」」
みんなが無事生き延びられるように全力を尽くすしかない。
予知夢で見た俺だけが知っている――あの地獄。
瓦礫の中、雨に打たれている俺。
周りにはディヤ、神宮一、日野山、岩朗……そして姉。
その死体に囲まれ、絶望の中で独り佇んでいた――未来を変えるために!
自宅を要塞化DIY ~ゾンビパニックまで残り一ヶ月~ 昼熊 @hirukuma
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