3月29日    桜坂 陣

 幹島はすべてを覚悟して目を閉じた。

 そして、矢が刺さって――いるはずの胸を擦り、驚愕に目を開く。


「どういうことだ! 何故、外し……た」


 怒鳴りつけている途中で違和感に気づいた幹島が振り返ると、胸元を押さえている運転手の老人と目が合う。

 老人の胸にはさっき放った矢が深々と突き刺さっていた。


「がはっ!」

「珠金! 何故だ! 何故、こいつを撃った!」


 膝から崩れ落ちた珠金に駆け寄ろうとした幹島の足下に矢を放つ。

 強制的に足を止められた幹島が俺を睨みつけている。


「なんの、真似だ、陣君」

「その老人、珠金の右手を見ろ」


 左手は胸を押さえているが、もう片方の手には注射器があった。


「どういうことだ……」

「俺が矢を放つ直前、後ろからあんたにそれを使おうとしてたんだよ」


 会話中にそっと背後に忍び寄っていた珠金。

 そこで幹島ではなく珠金に矢を撃ち込んだ。一切のためらいなく。


「その注射器に入っている液体。中身はモドキにする薬だろ? それも特別製の」


 見るからに毒々しい色をしている。

 誰がどう見ても健康にいい薬には見えない配色だ。


「何故、わかったのですか陣様。八重様に……触れられた記憶は……ないのですが」


 苦しそうに息を吐きながらも、表情は崩さずに疑問を口にしている。


「珠金、お前……」


 腹心の裏切りが信じられないのか、幹島が拳を握りしめわなわなと震えている。

 これで未来は変わったはず。

 珠金が逃亡し、化け物と成り果てた幹島が暴れ回る未来が。


「こうなることはわかっていた。この結末を……見てきたから」

 

 



 ――七時間前。

 防衛戦をディヤ、神宮一、日野山に託した俺と姉は一旦家に戻った。

 予め準備していたリュックサックを背負い勝手口を抜けると、脚立を立てかけて塀を乗り越える。

 コンクリート塀のおかげで、相手からは俺たちの姿は見えていない。

 そのまま家から距離を取り、湖畔へと下りる。


「みんな、大丈夫だよね」

「八重姉が幹島の心を読んだんだから、絶対にいけるって」


 三日前に姉が超能力者であることを告白した場面を、俺は思い出していた。




 

 昼食後、姉の話が終わり俺たちは――沈黙していた。

 話の意味はわかる。何を言いたいのかも理解している、と思う。

 だけど、ビンタの驚きを更に超えてくる爆弾発言があるとは。


「辻褄は合うわな。昨日のことも今までのことも」

「ですね。むしろ、納得したかも」


 探偵コンビは受け入れてくれたようだ。

 対人恐怖症の姉が話し合いの場に参加してくれた本当の意味が……今、わかった。

 姉は――触れた相手の心が読める。

 便利なように思える力だけど、それは常に他人の本心が丸出しになるってことだ。

 人は誰しも欲望を理性で抑え、本音を隠している。


 ずっと、むき出しの心に触れ続けてきた姉の心中はいかなるものだったのか。

 両親が事故死した一件では好奇の視線に晒され、ネットで罵倒され、マスコミにおもちゃにされ、醜い心の声を聞かされた。

 俺が想像していたより、ずっとずっと、辛かったよな……。

 うつむいている姉に歩み寄ると、強く抱きしめた。


「ジンちゃん……私は心が読めるんだよ」

「さっき聞いたよ」

「今まで勝手にジンちゃんの心の中を覗いていたんだよ……」

「わかってる」


 姉は俺に対してスキンシップが多かった。

 たぶん、怖かったんだ。俺に嫌われてないか、いつか見放されるんじゃないかって。

 だから、心から安心するために本心が知りたかった。

 なにがあろうと、俺は姉さんの味方だよ。

 心の声が聞こえたのか、姉は涙目で心底嬉しそうに微笑んだ。


「あーもーう、言われてみれば確かにって感じ。そっかーそっかーあーー」


 ディヤはクッションの上であぐらを掻きながら、天井を見上げて体を左右に揺らしている。


「俺は姉さんを信じる」


 天地がひっくり返ったとしても俺が姉を疑うことはない。だから、驚きはしたけど姉の超能力を忌避はしない。

 むしろ、姉のおかげで光が見えたんだ。暗雲が立ちこめた未来に差す一条の光が。

 

 

 


 あの日、あまりに衝撃の事実に俺は言葉を失った。

 ずっと一緒に暮らしていたのに、まったく気づかなかった自分の間抜けさに愕然とした。どれだけ、鈍いのかと。

 だけど、頭が冷静になっていくうちに納得がいった。集落で老人たちが姉を贔屓にしていたわけは、姉が力に目覚めていたから。

 俺をどうしてあそこまで見下していたのかも……理解できた。


 姉は幹島をビンタしたときに能力を限界まで使い、相手の思考を読んだ。気を失ったのは力を使った反動らしい。

 姉のおかげで相手の作戦は筒抜けになった。

 力押しでモドキを攻めさせて、自分は離れた場所で護衛も付けずに高みの見物をすることを知り、今回の作戦を決行。

 ディヤ、神宮一、日野山の三人はその場を死守。ど派手に暴れて目を引いてもらう。

 その隙に俺たちは抜け出して、なんとか幹島のところにたどり着き……討つ!

 単純だが一番成功率の高い作戦。


 目的の場所にたどり着くと、予め隠してあったゴムボートを取り出して空気を入れる。

 エンジン付きなので速度も補償されている代物だ。結構なお値段がしたので品質も安心。

 これを使って湖を横断して幹島の死角に回り込む。

 膨らんだゴムボートの強度を確認してから、姉の手を引いて乗り込んだ。


「見つかったら元も子もないから、時間がかかるけど遠回りするよ」

「うん。あっ、ジンちゃんはその間少し寝たら? 目のクマが酷いよ。ほら、ここに」


 姉が自分の膝を叩いている。

 膝枕か。この年だと少し、かなり恥ずかしい。だけど、拒否を許さない目をしている。

 人前では大人しいけど、実は頑固で譲らないところがあるからな。

 実際に寝不足で疲れているのも確かだ。ここは従うか。


「じゃあ、遠慮なく。目が覚めたら水の中ってオチだけは勘弁して」

「善処します」


 寝転ぶと後頭部にほどよい弾力が。

 見上げた姉の顔は嬉しそうだ。

 ボートの揺れがいい案配で眠りに誘ってくれる。これは、ぐっすりと……眠れそう……。





 そこは白の世界だった。

 白一色で何もない。殺風景を極めた空間。


「どこかで見たことあるな。……あっ、異世界転生するときに神様に会う場所か!」


 最近観たアニメでまったく同じ場面があった。


「残念だが、異世界転生はしないぞ」


 不意に声が聞こえたかと思うと、目の前に人が現れた。

 スーツ姿で中肉中背の男性。特徴のない髪型に人の良さが前面に出ている顔。詐欺師にころっと騙されそうな見た目をしている。


「お前、父親に対してなんてことを」

「父さんがいるってことは夢か」


 苦笑している父を見て、夢だと確信した。


「まあ、夢は夢なんだが普通の夢じゃないぞ。父さんは今、お前の心に話しかけている」


 なんか胡散臭い新興宗教じみたことを言い出した。


「心の声は丸聞こえだからな」

「ヤバッ」


 夢の世界だとはわかっているけど、予知夢と同じぐらい現実感がある。

 目の前にいる父親の仕草や声は記憶のままだ。


「そりゃ、本物だからな。お前の心臓は誰のだと思っている。父さんは心も肉体もお前と繋がっているんだぞ」

「その表現って危なくない?」

「気持ち悪い想像をするなよ……って、無駄話をしている暇がなかったんだ。時間制限があるから、ちょっと真面目に聞いてくれ」

「よくわからないけど、わかった」


 雰囲気がガラッと変わって真剣な声になったので、黙って聞き役に徹しよう。


「父さんがここにいる理由だが、事故で死ぬ間際に一か八か心臓に意識を移したんだよ。陣に移植されるのは予知で知っていたからな」


 心臓に意識を移す?

 そんな馬鹿げたことが可能なのか。


「可能なんだよ。父さんは七下上一族で最も優秀と賞賛された長だぞ。多種多様な超能力を使いこなせた、スーパーエリートだ!」


 大げさに胸を張って自慢している。

 スーパーエリートはダサいと思う。


「そうか、格好良いと思ったんだが」


 センスが古い。だからトオルキングなんて芸名を付けたのか。


「いやいや、トオルキングっていかした名前だろ?」


 全然。

 口には出してないけど心の声が聞こえるなら、一緒だよなと今気づいた。


「それはさておき、お前の中で見てきたから、何が起こっているかは全部把握している」

「ちょっと待って、全部見えてたの?」


 えっ、さらっと言ってるけど、それってかなり重要なことだぞ!


「プライベートな時間は見てない。それぐらいの気遣いはできるさ」


 本当かどうかは怪しいけど、今は信じよう。……信じるしかない。


「疑い深いヤツだ。まーた話が逸れた。時間がないから少し巻きでいくぞ。陣に伝えたいことがあるんだ。お前は予知夢を勘違いしている。その力を使い切れていない。予知夢とはどういう能力だと考えている?」

「年に十二回だけ使える。月初めの一日を六時半から七時半の一時間限定で見ることができる。予知夢は毎月の頭に見えて、その一ヶ月後が映像として現れる」


 これが俺の予知夢の特徴だ。

 何度も経験しているから間違いはない。


「初めの二つはその通り。年に十二回限定。月初めの一時間で時刻も決まっている。だけどな、毎月の頭に予知夢を見るってのは違う」

「でも、毎回そうだよ? 違う日に見たことなんて一度もない」


 予知夢を見る度に詳細なメモを取ってきた。それで何度も確認している。

 毎回、一日にしか夢を見ていない。


「それは思い込みだ。お前が初めて予知夢を見た日は八年前の三月一日だったよな」

「うん。父さんと母さんが死んで、心臓移植をして目覚めた日だから忘れようがない」


 姉が屋上から落ちそうになる夢だったから印象が強すぎて、今でもあの夢は鮮明に思い出せる。


「そう。お前はあの日に予知夢を見た。そして八重と一緒に考察した。一日に夢を見て、ちょうど一ヶ月後の予知夢を見たんじゃないか、と考えた。そして、次の予知夢は仮定を証明するかのように、五月一日に六月一日の予知夢を見た」

「そうだけど、じゃあ間違ってないんじゃ」

「陣、四月一日はどんな予知夢を見た?」


 えっ、あの日は姉さんが屋上から落ちそうになって助けたことは覚えているけど、そっちの印象が強くて予知夢のことは……覚えてない。

 あれ、なんでだ。月に一度見てるから、その日も予知夢を見ているはずなのに。


「超能力は心の力だ。強い想いで実行される。例えばテレキネシス」


 親父が指を鳴らすと、少し離れた場所に茶色い椅子が現れた。


「物体を動かす力。椅子を認識して、動けと念じる。すると、こんな風に」


 椅子がすっと宙に浮き、くるくると回っている。


「超能力は勝手に発動するようなものじゃない。手足を動かすように当人が意思を持って発動させる。それは予知夢も同じだ。月初めに見る、と思い込んだことでお前は予知夢を無意識のうちに月の初めに発動させていたんだ」

「……じゃあ、もしかして予知夢はいつでも発動可能ってこと?」

「それは違う」


 即座に否定された。

 今の話の流れだと肯定する場面じゃ。


「初めに言ったろ。年に十二回限定と一日の夢を見るというのは間違いないって。ただ、発動条件だけが間違っている。予知夢を発動したら最低二十八日、間をおかなければならない。まあ、発動エネルギーの充電期間だ。ほら、魔力の消費が激しい強力な魔法を使うには最大まで魔力を回復させる必要がある、みたいな感じだ」


 わかりやすいけど、ゲームに例えなくても理解したよ。


「つまり、二十八日経過したら、いつでも予知夢が見られるってことだよね」

「正解。でだ、今日は何日だ」

「――三月の二十九日」


 ということは……今日なら一ヶ月後の予知夢を見ることができる!?


「そうだ。俺が消えたら一ヶ月後の予知夢が始まる。そこでお前は今日何が起こるかを知るだろう。未来がわかるなら対応は完璧だよな」

「一ヶ月後に死んでなかったらね」

「怖いこと言うなよ。……陣、幹島を止めてやってくれ。本当は俺がなんとかしてやりたかったんだが、あんなことになったからな」

「父さんは幹島と知り合いだったのか?」

「親友だった。あの集落でたった一人、心を許せる相手だった。互いに過ちを犯しそうになったときは全力で止めるって約束も交わしていたよ。果たせなかったけどな」


 幹島の口ぶりから父の知り合いなのは薄々感づいていたけど、そんなにも親しい間柄だったのか。


「ヤツの行いを許してやれ、なんて言う気はない。友だからこそ止めて……終わらせてやって欲しい。俺が生きていたら顔面にグーパンして、甘えるな平人、って叱ってやるんだが」

「わかった。やれるだけやってみる」


 父さんの望む結果になるかはわからないけど、始末はつけるから。


「さーて、そろそろ時間か。話せて楽しかったよ」


 父の体が透明になり、青い輪郭だけの存在となった。

 粒子が少しずつ空に昇っていき、色が薄れていく。


「ありがとう、父さん。俺、頑張るよ」

「ああ、八重と仲良くするんだぞ。あとディヤちゃんは、お父さんも結構好みのタイプだ」

「母さんに怒られるよ。またね、父さん」


 満面の笑みの父が消え、世界が暗転した。

 

 


 

 そして、現在。

 予知夢で珠金が土壇場で裏切り、世界が悪い方へと突き進んでいくのを知った俺は照準を幹島から変更した。


「全部知ってるんだよ。姉の能力を見抜いていて、おあつらえ向きの場を用意したことも、あんたが死にたがっていることも。そして、珠金があんたを裏切ることも」

「どういうからくりかは知りませんが、ならば私が自ら化けも――」


 自分の首元に注射器を当てようとした珠金の頭に、二本目の矢が突き刺さった。

 最後の台詞を聞く気もなければ、最後のあがきを見逃すこともない。

 手にしていた注射器は地面に落ちて砕け、中の液体が地面に染み込んでいく。


「これで終わりか。呆気ないものだ。誰も何も手元には残らなかった……」


 幹島は苦悶の表情で息絶えた珠金の目蓋に手を添え、閉じさせる。

 その姿は今にも消えそうなぐらい小さく弱々しく見えた。


「じゃあ、姉さん家に帰ろうか」

「でも、あの人はどうするの」


 姉から差し出された手を繋ぐと、幹島に背を向けて歩き出す。


「自分の尻の拭い方ぐらい知ってるだろ。そうだ、父さんからの伝言があった。――甘えるなよ平人」


 一度足を止め大声で伝えると、その場を後にした。

 湖畔のボートへ向かう俺の背後から、一発の銃声が響く。

 だけど、俺も姉も振り返らなかった。

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