第28話 笑えよ、ザハール
洞窟にある突起物には気をつけよう。朕はこのぬめぬめした岩場でそれを学習した。「早速出立」とモモに言われ、彼女が何か壁を押した途端に隠し階段が現れた。
「要塞化されてたのか。南大陸の技術力もなかなかどうして……」
「上階すぐ到着。戦闘準備完了?」
「問題ない。ミィはどうだ」
「完璧。まぢボコってやるし」
薄暗がりの階段を一歩一歩上がっていくたびに闘志がわいてくるようだ。ほんとどないしてくれようか、本気で検討中だよ。
しかしながら相手は病人である確率が高い。なるべく傷つけないように無力化しないと、夢見が悪くなりそうだ。
◆
「ぐへへ、もう逃げられねえぞ。お嬢ちゃんがた」
「今まで裏切られたことなかっただろうになぁ。可哀そうな子だよ」
――
時間はさかのぼり、ローエンたちが洞窟に侵入して数十分経過したころに移る。
「あれ、あれれれ」
異変に気付いたのはマリカだった。彼女が持っていた非常用の縄がぷらりと力を失い、地面に落ちた。恐る恐る引いてみると、ずるりと奥から鋭利なもので切断された縄が現れる。
「まずいっす、中で何か起きてるようっすよ! 加勢したほうが良くないっすか?」
「この切り口は……ウェンディゴの仕業ならば噛みちぎるなり引き裂くなりで、もっと荒い断面のはず。まさか――」
うめき声と共に、シャマナが後頭部を殴られて昏倒していた。注意喚起を受けて、後方を見たキサラは自分たちが罠にはまったことに今更ながらに気づく。
「動くなよお嬢さんがた。じゃないと首をポッキリといっちまうぞ」
「その女が人質になるとでも思っているのですか? 私にとっては不愉快で目障りなだけなので、処分してもらっても構いませんよ」
「へえ、じゃあこいつはどうなんだ?」
振り返るとマリカが拘束されていた。押さえつける力は相当強力なようで、獣人の身体能力を以てしても引きはがすことができずにいた。
「貴方たちは……一体」
ぼりぼりと首筋を掻いている元山賊たちが、焦点の合っていない瞳でどろりと答える。首をコキコキと鳴らし、よだれを垂らし始めた。
「ハハハ、このウェンディゴめ。とうとう捕まえたゾ!」
「ハヤク武器を捨てろ! さもないと」
「なんて力っすか……この、こいつっ!」
「離しゃしねえよ、このウェンディゴが!」
「私はフォックスリングだっつうの。キサラさん、早く逃げてくださいっす。こいつらおかしいくらい腕力があるっすよ!」
キサラは洞窟前にも山賊が固めていることを目視で確認し、そっと杖を捨てた。
「降参です。言うとおりにしますので、どうか短慮は起こさないでください」
「タンリョだぁ? 全員ぶっ殺すのに何を考える必要があるんだ?」
「ゲッゲッゲゲゲ」
およそ人間の者とは思えない下卑た哄笑が周囲を包む。
廃墟跡を見下ろす、森林を背にした洞窟は、今野人たちの声を木霊させていた。
「てめえら、よくやってるじゃねえか」
首領であるザハールが戻ると、山賊たちはより一層活気を増す。誰も彼も狂気の顔つきを浮かべ、目の前にいる無抵抗な羊をどう捌こうかと楽しく思案していることだろう。
――
「状況は最悪だな。気絶一名、捕獲二名。首筋には腕と短剣か。発見されたら一気に殺害するだろう。それぐらいの残虐行為を村で平然とやってたしな」
「なんだ、キサラもシャマナもざこだったんだねー」
ミィの罵倒に切れがない。体が小さく震えていることから、これから彼女たちがどのような目に合うのか十分理解しているのだろう。
「心配するな、耳を貸せ」
「きっも、触らないで」
「ローエンはキモい。把握」
場合じゃねえよ。いいから早くしやがれ。
――
朕は一人で堂々と山賊の前に出る。ちょいと体を傷つけて、そこそこにミィに殴らせてからボロボロの状態でだ。さて、油断さんは仕事してくれるかな。
「おー、見事だ見事だ。救世主さまはよくぞお戻りになられましたなぁ。お連れの方はどうされたので?」
「聞くのか、それをよ」
一瞬の沈黙。ザハールが体を掻く音だけが聞こえる。
「ふざけやがって、この外道どもがっ! ミィに何の恨みがあった! あんな死に方をさせるために同行させてたんじゃねえぞ!! ザハール、お前だけは生かしておかねえ!」
「っひゃー、こええこええ。なんだ、おっ死んじまったんですかい。そりゃあ気の毒でやすなぁ。で、のこのこお宅もくたばりに来たと。笑っていいのか憐れんだらいいのかわからねえなぁ」
スッ――
「おーっと、剣捨てようぜ。お値打ちものは全部お預かりしますからよ。あの洞窟に入った奴はみんなウェンディゴになっちまうんだ。もうモノなんかいらねえだろ?」
「あそこには何があるんだ。気持ちわりぃ壁しかなかったぞ」
「壁さわりやがったんだな、あーあ、おしまいだよ。それがウェンディゴになる呪いの水だぜ。そのうち……ああくそかゆい。お前も真っ白になって爛れてくるんだぜ」
スッ――
「知っていてあそこに入ったのか。お前らはよく無事でいたな」
「手下があそこの壁触った手で顔の汗を拭いたのを見てたんだよ。そしたらそいつ一週間もしねえうちにボロボロになりやがったさ。まあ俺らは幸運だったな」
スッ――
「お前も壁の仕掛けを押してたようだが。触らなかったのか、ぬめりに。だいぶがっつりと素手で作動させていたように見えたが、平気なのか?」
「はぁ、触ってねえよ。お前とうとう幻覚が見えちまってんのか? こりゃいい、救世主様も人の子ってことか。語り草にしとくぜ」
いや、触ってたぞ。もう何が現実で何が幻覚かわかってないんだろうか。
しきりに体を掻きむしっているのは、発症が近いということだろう。
スッ――
「なあ、お前らも笑えよ。馬鹿だろ、この救世主! なあ?」
そこにはもう誰も仲間はいなかった。
「え、あれ、あいつら、人質放ってどこ行きやがった!」
ミィを自由にした甲斐があったというものだ。締め技は音もなく相手を昏倒させることができる。さんざん俺との会話でイキる前に状況確認をするべきだったよ、ザハール。
「あー頭痛った。ボク今なら何でもブチ壊せそうなほどイラついてるよ。ほんとこれどうしてくれようかな」
モーニングスターは鎧も盾もお構いなしに破壊する、中世最強の近接兵器だ。鉄製品が少なく、製造方法も確立していないなか、シャマナがもっているブツはほとんど国宝と言っても差し支えない逸品だ。
「ご存知でしょうか。旧ディアーナ教においては聖職者への加害は、一件の例外もなく車輪引きの刑になることを。手足叩き折ってカラスの餌にして差し上げますから、今のうちに祈りを済ませておきなさい」
右手には150センチ以上の長さを持つ、重みを兼ね備えた二重十字の銀杖。左手で切るのは神への許しを乞うための作法だろう。ザハールたちが病人とはいえ、異端審問官を相手に喧嘩を売った末路は十分に創造を掻き立てられるものだ。
「おい、笑えよザハール。面白ぇだろ? なあ?」
「え、いや……あの……」
「じゃあ私らが代わりに嗤うっすかね。よく見とくんすよ。こうやって歯を見せて、頬をあげて腹から声をだすんす」
タンタンタンタンタンタンタン♪
マリカの合図で朕たちは一斉に笑い始める。
「はーっはっは。楽しいだろザハール。そんなシケた面してないで、ほらニッコリしろよ。なあ、おい」
「あの、急用を……へへ、へ」
「くすくす。面白い人。まだ自分が助かると思ってるの?」
「へっへへ。キサラ、過度な期待を抱かせるのはかえって酷だよ。運命は決まってるんだから早めに済ませようよ」
「そうね、うふふ」
がさりとザハールの後ろの茂みが揺れる。毛むくじゃらの手が彼の頭を掴み、ぶらんと釣り上げた。
「投薬はすんだのか、モモ」
「肯定。万事抜かりなし。ミィの手加減に感謝。気絶前に服用済」
「マジ最悪。ほんとありえない。このおじさんたち、ほんとにオトすだけでよかったの? ミィ全然気分が晴れないんだけど」
指関節をコキ、コキと鳴らしながら、自分たちよりも体格のいい山賊を眠らせてきたミィ。ゆらりと歩を進める姿勢はまったく隙が無い。重心をうまく正中線上に保ち、飛んでいる小さな羽虫の動きですら見逃さないほど、神経を研ぎ澄ませている。
「お、おろして、なんで俺がこんな……ウェンディゴが全部悪いんだ! 俺は悪くねえ! ああ痒いかゆうい……」
ウェンディゴという言葉が一人歩きしているようだ。化け物は普通の人間のことを化け物と認識するのだろうか。興味深い事例だが、さきにやるべきはやっておこう。
「ザハールぅ、口開けな。今からとーってもおいしい水を飲ませてやるからよ」
「い、いやだ! やめろ、俺に……あがっ、がが、があ!」
有無を言わさずにモモが頬を締め上げ、顎部を開く。
朕は目の前で水薬が入った陶器の入れ物を振り、ちゃぽちゃぽと音を立てて近づく。くっくっく、随分とはしゃいでくれたからなぁ、お仕置きぐらいはしてもいいだろう。
「んんんんー--んっ、んぐ、ごく、んぐう」
「暴れるなよザハール。ほーらだんだん気持ちよくなってきただろう? 目覚めたら自分がお花畑にいるかもしれんから、気をつけてな」
ぐるん、と白目をむき、ザハールはそのまま意識を手放したようだ。
「ふっ、愚か者め。俺たちを罠にはめようなどと考えるからこうなるのだぞ」
まあ治療行為なんだけどね。この後彼らがどうなるかは、キサラとシャマナ、マリカの機嫌次第だろう。
モモの紹介もしなくてはいけないし、割と忙しくなるかもしれん。
さて、一晩世話になった村にお礼をしに行こう。放送できない内容になってしまうかもしれないが、そこは大人の都合ということで我慢してもらうしかないな。
「ローエン。顔悪人。吾輩恐怖」
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