第22話 閑話:ディ=ハン王国の最後
「この私としたことが、まったくなんてザマだ」
イングリッド・ネルソン提督は己の判断をまだ深く恥じていた。
「だってわかるわけないでしょ! ガレー船四隻で鋼鉄の戦艦に向かってくるなんて。しかもそれが海軍の全兵力だなんて、誰が思うのよ!」
愚痴を聞かされるアニエス・ワーウィックは特に嘲笑することはしない。寧ろ聖帝ローラント一世を捜索するための障害が減ったことに歓喜の気持ちでいた。
船倉にブチ込まれて船酔いと戦っていたアニエスだが、流石にイングリッドが行った大人げない攻撃には驚いていた。しかし話を聞く限り、まあ仕方がないと判断した。
「だからといって戦艦の主砲をガレー船に撃つことはないだろう。あの角度で当たるわけが無かろうに。波で沈んだ生存者を収容していた兵が嘆いていたぞ」
「つい……うっかり」
「しかし、ここまでの技術差があるとはな。南大陸は聖帝陛下が侵攻するべからずと定めておられたから、てっきり重装備の軍が待ち構えていると思っていたが」
無残に破壊された港に味方の揚陸艇が進軍し、橋頭保を確保した。
ディ=ハン王国の残った数少ない、防衛意識を持った兵士が応戦してきたが、その攻撃方法は投石だった。
矢も散発的に飛んできたが、多くは石、石、石。
「損害は出たのか、イングリッド」
「海兵隊のヘルメットが多少へこんだり、装備の塗装が剥げたりしたそうよ」
「それは損害にカウントしていいのか……で、敵の装備は鹵獲できたのか?」
「これを見て頂戴」
イングリッドがどうでもよさげに渡してきた書類には、ディ=ハン王国兵の兵装が報告されていた。
頭部:鉢巻
胸部:皮鎧
脚部:草履
主武器:木製の槍、石器、木製の弓
防御兵装:木製の盾
「……なにこれ」
「捕縛した敵の一般装備だ。これを兵装と呼んでいいのか私にはもうわからん」
「銃器類は無いの?」
「あったら撃ってきてるだろう。帝国最新式とはいえ、連発式の小銃を見て震えあがっていたからな。火薬自体がまだ発見されていない可能性もある」
イングリッドの見立ては正鵠だった。この国は南大陸最弱である。
実際にディ=ハン王国は南大陸で一番発展が遅れている国であるが、他国も帝国の武器に耐えられるほどの武装を持っているわけではない。
「私は頭脳がオーバーヒートするほど敵の手を考えた。いかなる反抗にあっても踏みつぶし、裏をかいて征服する準備があった。だがこのむなしさはなんだ……」
「いいことよ。考えてもごらんなさい、聖帝陛下がおわすこの南では、陛下の脅威となる存在が少ない。この一国だけを基準にするのは危険だけれどもね」
「確かにそうだ。皮と木と石で武装した国が、国体を維持できていたことが不可思議なことではあるが疑問もないわけではない。果たして他の国もこの程度のものなのか、それともこの国はどこかの属国なのか。多分後者だろうがな」
読み通り、ディ=ハン王国は常に属国として生きながらえてきた国である。他国に帰順する際、金属製の物品は召し上げられてしまうので、原始的な装備でもなんとか国家を存続させることができるのだ。
「海兵隊は今なにを? イングリッド提督さん」
「絶賛清掃中だ。ああ、抽象的な意味ではないぞ。敵兵はほぼ捕縛したし、危険な物品……まあ物品か、その手のものも確保してある。問題は悲惨なまでに不衛生な国だということだ」
アニエスはまだ事態を飲み込めていない。彼女は海兵隊ともに上陸することを許可されず、未だに船上で待機状態だ。地上の様子はイングリッドから聞く以外にない。
「貴公は『黄金の花』と聞いて、何を連想する?」
「さあ……菜の花かしら。油がとれるのであれば多少はこの地も価値がありそうだけれども」
「クソだ。しかも人間の」
「はぁ? 何よ、そんなものを投げてきたの?」
ディ=ハン王国は厠の概念が乏しい。そこらで垂れ流し、そのそばで飲み食いし、そのまま寝る。黄金の花は道という道に咲き誇っているのだった。
「嘘でしょ……人として最低限の概念じゃないの? トイレを使うのって」
「実は人ではなかったりしてな。冗談だ。とにかくあんなところに兵士を駐留させておくと、疫病でバタバタ死ぬ。補給艦に搭載されている医薬品にも限りがあるからな。現地住民を使って掃除していくしかない」
「上陸するのが怖くなってきたわ。南大陸の文化にはなじめそうにない」
「なじめる者などおらんだろう。人によって害される可能性は少なくなったとしても、陛下の身が病魔に侵される懸念も浮かんできたぞ。急がなくてはならない」
「そうね。ああ、おいたわしや。このような地獄におられるなど、聖帝陛下の身にあってはならない苦行だわ」
帝国軍が区画を清掃し終え、正式にディ=ハン王国の国王から降伏を受諾したのは、一週間後の話になる。
「ディ=ハン王国は貴国に降伏いたします。どうか、どうかお慈悲を……」
国王としての矜持を示すどころではないようだ。圧倒的な格差を前に、ただひたすらに平伏するしかない。
聖帝陛下がおわさなければ、自分たちがこうなっていたかもしれないと考え、イングリッドは寛大な処置を約束した。もっとも責任の押し付け合いは醜くて見ていられなかったが。
「鼻が曲がりそうだったな、アニエス。まったく自己保身と他者への責任転嫁だけの実りのない会談であった。くそ、今気づいたのだが戦艦バルドルの主砲で地ならししたほうが早かったのではないのではないか」
「吐きそうなのは私だけではなかったのね。あの人たちの顔、垢で真っ黒だったわ。ねえイングリッド、いっそこのディ=ハン王国を放棄して別の国に上陸してはどうかしら。ここを橋頭保として確保するのはリスクが高いと思うの」
「ふむ……。王国首脳部の首を挿げ替えるだけの簡単な作業ではないしな。食料の挑発も迂闊にできんし、殺菌区画から兵士を出すのも危険だな。持たざる者がここまで手強いとは思いもしなかったよ」
総旗艦バルドルに集まった各指揮官と諸問題を吟味した末、西方にある広い海岸線を持つ場所へと転進することに決定された。
その国はダグラム王国。
聖帝ローラント一世が目指すシンハ王国の隣国である。
帝国軍はディ=ハン王国を放棄。一路新地を目指して航路を引きなおした。
なおディ=ハン王国は帝国軍が去った後に、大規模な内戦(石器による)が勃発し、王太子派と第二王子派で火花を散らしていた。
援軍要請したオルド=ハン王国の属国保護軍が到着したときには、すでに敵の姿はなく、ひたすらに身内同士で殺し合いをしている現地王族だけがいたそうな。
懲罰としてさらに多くの銀を献上するように申し付けられ、のちの数世紀はディ=ハン王国は苦難の道を歩むことになる。
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