第7話 不死の皇帝、邪教徒になる
伝説の勇者になる。
そう思っていた時期が朕にもありました。
「な、なんだ、これ……は」
目の前に広がる惨憺たる町の風景。
窓から汚物を捨てる市民は、それらが流れていく道をべちゃべちゃと歩いている。
生ごみを貪る野生の豚と野良犬が闊歩し、女性たちは濁った水で洗濯らしきことしていた。ふと露店を見れば、生肉が空気中に丸出しのまま売られている。既に処理してから時間がたっているであろうか、腐敗したにおいが漂ってきている。
食堂っぽいところはもっとやばい。机の上に直接肉を置いて、ナイフで切って食ってる。その横では酒に酔った男が吐瀉物をぶちまけ、小用をたしていたりする。
カオス。何をどうやったらこうなるんだ。
路地裏に続く道はもう地獄絵図だった。道を歩く婦人のカバンを盗んだ男が裏に逃げようとして、いきなり闇の中から刺されてひきずりこまれた。周りの住人はまったく動じていない。
いやいや、事件でしょ。警察、警察はいないのか。
「マリカ、今あそこで人が刺されたんだが」
「ああ、縄張りの外でモノをギったからでしょうかねー。あの手のやつらはテリトリーにうるさいっすから」
「警察呼ばなくていいのか」
「ケーサツ? なんすかそれ。そのうちお駄賃目当ての浮浪者が埋葬しに来るんで、仕事とっちゃダメっすよ。一応その辺も縄張りあるんで」
落ち着け、朕。帝国建国初期も、このように礼節や順法精神が根付いていなかった時代もあった。南大陸は未だ混迷の時代だ。北大陸の価値観を当てはめるのは、今この場所で生きている者に対して失礼やもしれぬ。
「あ、ネズミゲット!」
「――食うのか?」
「それ以外にあるんすか? 半分いります?」
「疫病……いや、大丈夫だ。食べてくれ」
食文化はそれぞれだ。細かいことを気にするのはやめよう。
それに獣人は胃腸が強いのかもしれない。ウイルスに対抗する力もあるのかも。
「くっちゃくっちゃくっちゃ」
クチャラーやめろ。しかも中身はネズミだぞ。
「食事中悪いが、結局目的地はどこなんだ?」
「ああ、こっちっすよー」
え、ここ? この地下へと続く木の扉ですか。
「マリカ、先に言っておくが俺は金を持ってない。何も危険を冒してまで襲う必要はまったくないぞ」
「素寒貧だなんて知ってるっす。まあいいからいいから。気楽にドーン!」
マリカに押されるように、蹴とばされるように地下へと転がり落ちていく。いくら不老不死でも痛いものは痛いんだぞ。体の埃を払って辺りを見る。うむ、暗くてよくわからん。
何かお香のようなにおいが漂っているのはわかる。だが光源が無い。
「さあ、今日からここに住んでもらうっすよ!」
「えっ」
さっと光が射す。朕はとんでもない女狐に騙されてしまったようだと、今になって気づいたのだった。
目の前には大きな石像があった。
ヤギの顔に男性の体。ツノのような生殖器の形。背中からは蝙蝠のような翼が生えている。地球で言うところのバフォメット。
実に禍々しいオーラだ。像の首には二重十字が逆向きにかけられている。
ふぁぁぁぁぁああ!
ああもういい。言わなくてもいいよ。こんなん南の世情に疎い朕でもわかるわ。
「お前、マリカ……邪教徒だったのか!」
「声が大きいっす。私たちは『真実の教え』と『誠の愛』を教える正義の組織。その尖兵たるミストラ教の一員っすよ」
嘘だろ……。ついさっき門の前で異端審問官が町に入ったばっかりじゃん。なんでこんなところに連れてきちゃうの? 朕、火刑は経験済みだけど、割とあれは苦しいんだよ?
「驚いてるっすね。そう、私たちはこの腐敗した世界を変えるために、日々人々に教えを説いているっす。いやぁ、こうローエンを見たときにビビっと来たんすよね。こいつは使えるし利用すれば金にな――じゃなくて、いい説教師になるって」
「割と本音が駄々洩れだけど、まあいい。俺は帰る」
「どこに帰るんすかね。あーもぅ、いーじゃないっすか。ここまできちゃったんだし、ローエン独り身でお金がないんでしょ? 先だけ、先っちょだけ」
めんどくせえ奴だった。ふうむ、ならばちょいと真面目に聞いてみよう。
「お前たちの教義を教えろ。俺は割と宗教には寛容なつもりでいる。それが正しいと思えば誰にも密告しないでいてやる」
「お、その気になったっすね。お口は正直なんだから」
「いいから言え」
「はいっす、それでは――」
聞いた内容は割と驚き、というか南大陸では斬新な発想と言えるのかもしれない。そして朕にとっても見逃しがたい事実を含んでいた。
魔法……やはりあるのか、南にも。
「魔法という特別な才能があるんすよ。ディアーナ教は公式には否定していますけど、あいつらは魔法使いを囲ってるんすよ。それはこの世界をひっくり返すほどの力があるので、教会の秘密兵器にしてるっていう話です」
一つ一つの話は眉唾でミーハーな内容だが、行っていることは筋が通る。
マリカが言うには、魔法という能力は発見されてからまだそれほど世紀をまたいでいないということだ。過渡期だろう。新しい力を発見して、それが彼らの宗教的に異端であるか、それとも有用な能力かというところで揉めている最中だ。
だから魔法使いを外に漏らさないように教会が動いている。今日来たディアーナ教の異端審問官は、まあ火刑にしたり車輪引きにしたりもするだろうが、最重要の任務は魔法使いの確保に違いない。
「で、その魔法使いをお前たちは開放すると」
「いいっすか、世の中に美味しいものはたくさんあるっす。でもそれらを独占してるのは王侯貴族と教会っす。庶民にはまずいものしか回ってこないんすよ。魔法も同じっす。世の中を変える力があるっていうのに、独占してるのはやはり同じっすよ」
「貴族や教会が自分たちのために魔法を独占してるのが、世界のためにならないということか」
「その通りっす! 私は文字あんま読めなくて、数字がちょいとわかる程度の無学っす。けど、そういう力のない庶民のために力を使うのが、一番正しい魔法の力ってやつの使い方なんじゃないかと思うっす」
「意外だったな。もっとやべーことを考えてるかと思っていたが、活動の目的は概ね正しいと俺も思う。ただなぁ……」
だが社会基盤がぜい弱すぎるんよなぁ。無節操に魔法を手に入れた奴らが、どういった行動に出るかは火を見るより明らかだ。それは路地裏での一件が示している。
もう少し社会福祉と安全への課題を解決してからでないと、危なくて仕方がない。
「約束通り、お前たちの言うことには一定の納得はしたので密告はしない。ただ今すぐに魔法使いを自由にすることには俺は反対だ。安定して運用するにはまず上層部の意識改革がないと始まらない。今必要なのはデータの蓄積と社会で通用するかの試験だろう」
「うーん、説得が足りなかったっすかね。でもまあ、密告しないでいてくれるならそれでいいっす」
「殺そうとは思わないのか?」
「え、なんでっすか? 今日あったばかりだけど、私ローエンのこと好きっすよ。話真面目に聞いてくれるし、道で歩くとき馬車や泥水から守ってくれたし。優しいんすね」
そんなこともあったかもしれない。
「で、俺はここから出ていいのか?」
「んー、宿替わりにしていいっすよ。出入りは見つからないようにしてくださいね。ローエンは冒険者志望っすか」
「そうだ。ギルド的なものはあるんだろうか」
「にひひー。私Cランクっすよ。冒険者の」
Cって言われてもちょっとわからない。正直に言うか。
「すまんが俺はちょっと仕組みがわかってないんだ。Cってのはすごいのか?」
「まあ中級っすね。最初はみんなGからスタートっす」
G~Eランクが初級扱い。D~Bが中級。A~Sまでが上級者で。SSSが世界最高峰だそうだ。いいね、世界最高峰。燃えるわ。朕久しぶりに本気になりそうだ。
「行こう、早速行こう」
「いいっすよ、でもはい、行く前に」
なんか不吉な三又槍が描かれているの円形の紋章を渡された。
「ミストラ教団の聖印っす。もうローエンは組織の一員みたいなもんですからね。一緒に魂のステージを上昇させましょう!」
「待て待て待て。そんな流れじゃなかっただろう。やめろ、そっちの奴らも『ご新規さんいらっしゃい』的な目でみるんじゃない! 俺は無関係だ!」
「まあそのうち良くなってきますって。何事も経験っすよ!」
この狐、マジでどうしてくれよう。こんなの持ってうろついてたら、朕、お尋ね者になるのではないだろうか。
「ほいじゃあ話もまとまったことですし、ギルドにいきましょー」
「まとまってねえよ!」
やかましく騒がしいフォックスリングの少女は、朕の手を引いて外に出る。
予定と違う。ペド疑惑から抜け出せたと思ったら今度は邪教徒認定かよ。
こうなったら意地でも頂点に上りつめるしかない。清濁あわせ飲み、すべてを糧にするのが真の英雄というものだ!
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