第8話 閑話:ガン切れする帝国人

 転移方陣が起動し、南部の聖帝直轄領にアニエス・ワーウィックが姿を現した。暖かい気候の南部は軍帽を被り続けるのには向かない。汗を拭きながら、アニエスはスミレ色の髪を手櫛でなおす。


「帝国内務省・聖帝近衛騎士隊長のアニエスだ。時間が惜しい、移動しながら情報を述べろ」


「報告します。イカ漁師のモリソン・ハーネッツからの目撃証言です。聖帝陛下は当日未明に軽装でボートにお乗りになっていた模様。そのまま魔法の起動を続け、南大陸に向けて走り去っていったとのことです」


「全部吐かせたのか? 他に情報は?」

「ございません!」


 アニエスは持っている指揮鞭を叩き折る。


「おのれ……南大陸人の仕業か。陛下の御耳に何を吹き込んでくれたのだ」


 ローラント一世が姿を消して一か月以上になる。もうこれ以上の引き延ばしはできない。議会は聖帝の居所を探るために方々に手を伸ばしてきている。このままでは統制が取れなくなってしまうだろう。


「参謀本部はなんと言っている」


「はっ、陛下の御力や御稜威みいつが届かないことから推測して、南大陸でなにか身動きのできない状況に陥っている可能性が高いと。皇帝陛下の御意に背く形になりますが、南大陸に軍を派遣すべきとの見解です」


 まったく同意見でアニエスは少し心を落ち着ける。この期に及んで躊躇するような腑抜けな軍隊は帝国に必要ない。


「議会の政治屋どもは?」

「今のところ同意見です。近衛兵指揮官であるアニエス様の許可があれば、即座に武力侵攻をするべきであると一致しています」


「よかろう。陛下の御心を裏切るのは万死に値する行為だが、帝国三億人の臣民のためだ。帝国海兵隊の出撃を要請する、お偉方には報告しておくがいい、全責任は私が負うと」


 自嘲気味に顔を引きつらせながら、アニエスは見えない南の大陸を幻視する。


「覚悟しておけ南の蛮族ども。このアニエス・ワーウィックが文明の鉄槌を食らわせてやる」


 聖天歴1712年6月。

 この惑星で初の大陸間遠征が行われることになった。

 それがアニエスの期待を大きく裏切るのは、まだ未来の話であるが。


 帝国宰相・クレア・ウィンチェスター。弱冠二十七歳にて大役たる宰相の座に任命され、聖帝ローラント一世に様々な献策を行ってきた。

 帝都大学を主席で卒業後、民主主義と資本主義の均衡という名で論文を書き、聖帝自らが査読をして見事受賞と相成った。

 在野で研究しようとしていたところを、聖帝自らが礼を以て訪ね、その感激のあまりに即日幕下に加わった人物である。


 落ち着いた雰囲気の柔らかい物腰をした女性で、陽光に照らされるとほのかに薄く輝くプラチナの髪と黄金の瞳を持つ。肉体も鍛えられており、帝国陸軍訓練課程を成績優秀で修了していた。


 クレアはローラントこそが運命の相手であることに気づいた。

「お慕いしております、聖帝陛下……だめ、私は帝国宰相を賜った身。こんなのは不忠っ! 不忠っ!」

 燃えさかる思いをクレアは日々持て余していた。


 故にローラント一世が南大陸に誘拐された疑いがあると耳にしたとき、クレアは心痛のあまり泡を吹いて倒れてしまった。

 目覚めた彼女は、以前のクレアではなかった。

 愛する男性を救出するべく、その灰色の脳細胞をすべて用いて南大陸を叩き潰すと心に決めたのだった。 


「参謀本部長。艦隊の充足率は現在どの程度でしょうか」

「はっ。本日朝の報告では稼働率七割まで回復しております」

「南大陸に派兵するにあたり、必要な艦艇の編成を述べて下さい」


 参謀本部長・リチャード・グレイはしばしの思考ののちによどみなく述べる。


「総旗艦に帝国最新鋭の戦艦バルドル。副旗艦に重巡洋艦ティールを配置します。遠征艦隊は戦艦一隻、巡洋艦五隻、駆逐艦七隻をもって海上戦力とします。輸送艦は兵員と燃料物資の二手に分け、計六隻を投入予定です。その他工作艦ヘイムダル、水上観測気球搭載艦ダグダも参戦させましょう」


 参謀本部の者たちはあの南大陸相手にそんな、正規編成以上の艦艇が必要なのかと疑問の色を浮かべている。しかしクレアは一瞥して切って捨てる。


「この作戦に失敗は許されません。グレイ本部長、相手を侮っては取り返しのないことになるでしょう。『第一艦隊』の編成は現戦力でよろしい。続けて『第二艦隊』『第三艦隊』の編成も急ぐように。ああ、それから陛下が座上されるお召艦が抜けています。よもや駆逐艦の船室に玉体を置かれるつもりではないでしょうね?」

「承知いたしました。すぐに」


 バルドル級戦艦は射程15キロ。12.0cm砲三門を有している。

 クレアが入手した情報によれば、南大陸の主力艦艇は人力駆動によるガレー船であり、主武装は火矢と衝角突撃、そして抜刀突撃である。


「そんな馬鹿な話、誰も信じるわけないでしょう。今が何年だと思ってるの?」

 クレアは深読みする。南大陸が帝国よりも技術力が劣っているのは漂着物で分析されている。しかし1700年もたって未だに内燃機関が発達していないなどという情報は、恐らく偽装工作されたものだろうと。


「帝国の頭脳たる私に情報戦を仕掛けるとは……舐められたものですね」

 正面からワインをかけられ、手袋をたたきつけられたに等しい行為だ。

 よろしい。その挑戦確かに受け取った。


 最低でも戦列艦は出てくるだろう。下手をすれば駆逐艦レベルが存在するかもしれない。だが長距離の打ち合いになれば帝国の最新式砲塔が競り勝つ。

 問題は相手の水上防衛圏をいかに少ない損害で抜けるかにかかっている。

 輸送艦に搭載した海兵隊を陸地に降ろす。これが帝国の最低条件だ。


「万全の作戦を練らなければならないわね。開発中の新兵装が間に合わないのが残念だが、いつまでも待つわけにはいかないのが辛いところ……か」


 今この時も、愛する聖帝ローラント一世が雨露を屋外でしのいで、木の皮を食んでいると想像しただけで発狂しそうになる。


「海兵隊の訓練も受けておけばよかったわ。そうすれば私が一番槍でお側に馳せ参じることができるのに……」


 帝国宰相は知らない。

 崇拝する聖帝は今、邪教徒のたまり場で寝起きしていることを。そして帝国では僅かな額とはいえ、女性のヒモ同然の生活をしていることを。

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