第4話 閑話:ブチ切れる帝国人

 帝国内務省所属の聖帝近衛騎士隊長、アニエス・ワーウィックは頭をかきむしりながら兵士を睨みつける。スミレの花と称された紫の細く繊細な髪が床に落ちた。


「まだ聖帝陛下の御身を見つけられんのか! それでも貴様ら帝国軍人か!」


 ガラスにひびが入るような怜悧な声が響く。革製の固い靴を床で鳴らし、軍帽をかぶった女性が宮廷警備本部でイライラしながら行ったり来たりしている。

 髪と同じ色の深い紫の瞳は、半分涙で沈没していた。


「申し訳ありません。南部方面に玉体を運ばれたという情報が出ておりますので、捜査員を増強してお探し致します!」


「貴様ら、ことの重大さをわかっているのか? 見つかりませんでしたなどとほざいてみろ。即刻断頭台に送ってやるからな」


「任務を徹底させます!!」


「聖帝陛下は神に祝福された唯一無二の、帝国の正当なる所有者であらせられる。我らが今日呼吸をしていられるのも陛下のお導きがあってのことだ。いいか、手段は問わない。ありとあらゆる犠牲を払ってでも陛下の御身柄を保護し奉るのだ」


 まったくの誤算、いや予想もしなかったことだ。1700年以上にわたり帝国を守護してきた聖なる王が行方不明などという事態になるとは。

 なんたる失態、なんたる不忠。


 アニエスは皇帝ローラント一世が発見されたのであれば、剣で喉を突いて自害する予定であった。帝室の警備責任者として殉死以外に道はないのは承知している。だが今は捜索が最優先だ。


 アニエスはガリガリと爪を噛むが、血が流れるばかりで事態に進展がないのがもどかしい。だめだ、まだ泣くわけにはいかないと、彼女は自分を叱咤する。


「いかん。陛下の宮中を私ごときの下賤の血や涙で汚してはならない」


 アニエスはレースがふんだんに使われた誕生祝のハンカチを使って、丁寧に床をふき取る。あとで業者を呼んで大理石ごと張り替えなくてはならないと、自らの失態を嘆いた。


「陛下、何故斯様な仕置きをされたのか。我らに至らぬところがあったというのか」


「報告します!」

「申せ!」


 南の果ての海辺で、陛下らしき人物がボートに乗っていたという老漁師の証言が入ってきた。その者が言うには、真っすぐに南大陸へと向かっていたそうだ。


「なぜお止めしなかった! クソが、その爺を私の前に引きずってこい。いや、私が南へ行く。陛下のいない宮中など精霊の宿っていない神像と同じだ。ついてこい!」


 帝国の者は誰も知らない。ローラント一世は執務室に置手紙を残してきたことに。ご丁寧に行き先と理由、出奔の期間まで書いてあるものだ。

 ローラント一世は知らない。皇帝の御座所は神聖不可侵で、その執務室も同様であることに。行き場をうしなった手紙が、ひっそりと机の上で乾いていく。


 アニエスはつぶやく。

「どこの豚野郎がそそのかしたのかは知らんが、必ず生き地獄を見せてやる!」


 帝国皇太子ローガン・ムーンシェイド。

 決して順番が回ることがない、皇位継承権第一位の青年だ。

 長い黒髪を後ろでまとめ、まるで女性のようないでたちだ。

 まだ若き頃は、始祖たるローラント一世の存在を疎んだこともある。だが彼の足跡を知れば知るほどに、そして不死の神秘を見れば見るほどに敬愛と尊崇の念が高まっていった。


 温厚で協調性が高く、誰に対しても丁寧な態度は、宮中での評判を大いに高めるものだった。

 始祖様に近づきたい。先に老いて死ぬ身ではあれど、万難を排してお役に立って見せると心に誓っていた。


 小鳥がさえずる声を背に、簡素な造りの執務室で書類を片付ける。皇太子になってからは事務仕事一本であるが、重要な役目であることは承知している。

 始祖たる聖帝陛下であればどう判断するか。その仁慈と徳を民衆に届けるためには、どのように富を分配するのが好ましいか。


 聖帝陛下は先月より巡幸の旅に出かけていると聞いている。戻ってきたらまた長き治世の知恵を乞いたいと願っている。


 すっかり近眼になってしまった黒い瞳をつぶり、眼精疲労を散らそうとしたときに、一人の兵士が飛び込んできた。


「緊急につき失礼いたします! 殿下にご報告が入っております」

「うん、お願いする」


 帝国で急報が来るのは珍しい。始祖たるローラント一世が築いた社会機構はうまく機能しており、大概の厄介事は短期間で解決できるようになっていたからだ。 


「せ、聖帝陛下が……所在不明とのことです。もう一か月近くお戻りになられていないと。近衛が捜索に奔走している状況です」

 ローガンは持っていたティーカップを床に落としてしまった。帝国のシンボルカラーである赤の絨毯に、茶色い染みが広がっていく。


「おい、もう一度言ってみろ。報告は正確に行え」

「聖帝陛下が、一か月の間行方不明で……」

「一か月……だと? 巡幸に赴かれていたのではなかったのか! 私を謀ったな!! 近侍は何をやっていたっ!! この痴れ者どもが! お守りする相手が誰だか理解しているのか? 帝国の全権をお持ちになる陛下を、なぜ……ぐっ」

「で、殿下っ!」


 あまりのことにローガンは声が出なくなる。

 あり得ていいはずがない。始祖様を失うということが、この帝国で許されていいはずがない。


「殿下、恐らく帝国議会より陛下御不在の間の仮帝位に任命されることでしょう。どうぞ聖帝陛下のご一門として、我ら帝国の臣民をお導きください」

 護衛を兼任する秘書のマリクに未来を提示され、ローガンは息をのむ。


「この私が帝国を? 陛下が御不在の間に玉座に触れるなど、帝国人にできるわけがなかろう。私を唆すつもりか」

「いえ、ほぼ確定事項をお話しているのです。殿下をおいて他にこの難局を舵取りできうる人物はおりません」


 ローガンは腕を組んで考える。ネクタイを緩め、眼鏡を机に置いた。

「この情報はどこまで広がっている?」

「残念ながら宮中と議会、そして近衛や書記官の間でも……」

「隠しきれんか。仕方がない」


 ローガンは決断する。聖帝の御稜威みいつを損なうことなく、帝国の中心に立つことに。不敬によって神から罰を受けるかもしれないと覚悟のうえで臨む。


「これだけは言っておくぞマリク。私は聖帝陛下のご不在の間、玉座をお守りするだけであると。そして宣言する。陛下の身をかどわかした者がいるのであれば、煉獄の果てまで追いかけてでも殺すと」


 かくして帝国議会は臨時招集ののち、『代理皇帝・ローガン一世』の即位を承認した。帝権はローガン一世が一時的に預かるという形であり、忠義はローラント一世に捧げ続けよとの詔勅を得て、帝国は新体制で稼働し始める。


 それは聖帝を探すために急遽編成された、軍事政権であった。


 帝国の者は誰も知らない。ローラント一世は執務室に置手紙を残してきたことに。ご丁寧に行き先と理由、出奔の期間まで書いてあるものだ。


 ローラント一世は知らない。皇帝の御座所は神聖不可侵で、その執務室も同様であることに。行き場をうしなった手紙が、ひっそりと机の上で乾いていく。


両大陸の現在の主な研究

帝国:『民主主義』『航空機』『統計学』『航空母艦構想』

南大陸:『ファランクス』『神学』『薬草学』『鐙』『鍛造』

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