6-9

 アイリスは相変わらず、無目的に破壊の限りを尽くしている。


「うぅっ、こっ、こいつ、わたくしに何の恨みがあってこんな……」


 バキッ、ドカッ。そう言う間もアイリスの攻撃は続いている。攻撃のキレは全く変わらず均一だが、体勢も呼吸も無視して攻撃を強いられているアイリスは、徐々に元気がなくなり初めていた。


「アイリス、頑張って! きっとなにか、ない夫が名案を出してくれるから!」


「……そういうのって、最もない夫さんから遠い概念じゃありませんこと?」


「みんなそう思うよね。でもこう見えてない夫は、今まで何度も絶体絶命のピンチを知恵と機転で乗り越えてきたんだよ!」


「知恵……? 機転……?」


「そうだよね、ない夫!」


「はい」


 ない夫はトーコの声に応えて、ぬうっと前に出た。


「まさか、本当に何か思いつきましたの?」


「はい」


「「おお……」」


 かたずを飲んでない夫を見守る二人。


 いつもの無表情を浮かべたない夫は、唐突に動き始めた。


――――――――――――――――

|> サイドステップ(右)

――――――――――――――――


――――――――――――――――

|> サイドステップ(右)

――――――――――――――――


――――――――――――――――

|> サイドステップ(左)

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――――――――――――――――

|> サイドステップ(左)

――――――――――――――――


 そして、無駄に機敏な動作で反復横跳びを始めた。


「な、何ですの……?」


 単調な反復横跳びから、ない夫の動きに変化が混じりはじめる。サイドステップの後に何かのアクションを挟むようになったのである。そのアクションはジャンプだったり、あるいは手を突き出したり、虚空を掴もうとしたり、しゃがもうとしたり、と統一性がない。


「いろんな動きを試してる……?」


 持ち前の察しの良さを発揮してトーコが呟く。その推測の通りか、一通りの動きを試し終わったない夫は一旦動きを止めた。


「「……」」


 アイリスを操作していた者すらない夫に注目しているのか、その動きが止まり、一瞬の沈黙が訪れる。


――次の瞬間、ない夫が猛烈な勢いで動き始めた。


――――――――――――――――

|> サイドステップ(右)

――――――――――――――――


――――――――――――――――

|> 草むしり

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――――――――――――――――――――――――――――――――

|> サイド草むサイド草むサイド草むサイド草むサイド草むサイド草む!

――――――――――――――――――――――――――――――――


「ほああっ!? 何事ですの!?」


 アイリスが目にしたのは、目にも留まらぬサイドステップで自分を中心として高速移動するない夫の姿であった。サイドステップとサイドステップの間に何やら、下に手を伸ばすような奇妙な動作が入るせいで重心が傾き、ちょうど円を描くように移動しているのである。


 その動きがあまりに速いので、ない夫の残像が繋がり、あたかもアイリスがない夫でできた円に閉じ込められているように見える。


「す、すごい動き……でも何の意味が?」


 トーコが呟き、アイリスもあまりのことにぽかんとしている。が、程なくしてはっとアイリスは自分の手を顔にあてた。


「う、動く! わたくしが身体を動かせますわ!」


「……なんで!? 凄いけどなんで!?」


「はははははいいいいい」


 ない夫の返事は、高速移動中のため何重にもぶれて聞こえた。



  ◇  ◇  ◇



「レンタローさん、これは……」


「はい。操作のために強力な女神パワーを流し続けているない夫をまとわりつかせることによって、相手の女神パワーをジャミングして通信障害を起こし、終わりのないメンテに陥らせる。これこそがない夫の新必殺技――」


 僕は忙しく両手を動かし続けながら宣言した。


「『軽やかない夫メンテサークル』です!」


「かろやかないおめんてさーくる」


 ソラさんは表情の抜けた顔で繰り返した。



  ◇  ◇  ◇



「がああっ、何だ、急に操作が効かなくなったぞ!?」


 一方その頃。魔王の住処からアイリスを操作していた無免許女神トモエは、急な事態に混乱していた。


 その隣ではレンタロー(悪い方)が爆笑している。


「あはははははは! そう来ましたか!」


「ど、どういう事だ! 説明しろ!」


「貴方にも分かるはずでしょう。あのない夫という冒険者も、あちらの女神陣営の誰かによって操られているのです。それを至近距離で高速移動させることで、意図的に通信を不安定にしているんですよ」


「……何? しかしそう簡単に……何だこの数値は!?」


 手元の計器をいじっていたトモエは、ぎょっとして叫んだ。


「ない夫に注ぎ込まれてる女神パワー、とんでもない量だぞ!? 人体にこんな量浴びせちゃダメだろ! 脳ぶっ壊れるぞ!」


「ろくに喋れませんし、もうぶっ壊れているのでは? 操り人形としてはそちらの方が理にかなっていますよね」


「何だと。おのれ向こうの女神め、なんという非道な真似を……」


 横で見ていた魔王は、お前らが言うな、と思った。



  ◇  ◇  ◇



「……理屈はわからないけど、ない夫の中にいる限りアイリスは自由に身体を動かせるんだね!」


「はははははいいいいい」


「『ない夫の中にいる』って表現イヤですわね……。ですがなるほど、この中にいる限り……」


 剣を手放し、痛む身体をさすっていたアイリスは、はっとして叫んだ。


「ということは、わたくし一生この中で暮らすんですの!?」


「そんなわけないでしょ! 今のうちにその首輪を外すんだよ!」


「そ、そうでしたわね! 混乱してましたわ!」


 慌ててアイリスの両手が首輪の鎖を掴む。


――が、そこから手がピクリとも動かない。


「は、外せませんわ! この首輪、呪われてやがりますの!」


「え――――――!?」


 外すことができない呪い装備の話は、半ばおとぎ話としてではあるがそれなりに知られている。アイリスも首輪を持って持ち上げるところまではできるが、それ以上動かそうとすると手が止まってしまうようだった。


 呪い装備を外す方法は、伝承ではいくつかあるが、一般的なのは破壊である。しかも装備している本人にはできないので、他の誰かにやってもらう必要がある。


 だが今は、ない夫のおかげでアイリスは動けるようになったものの、またそのない夫による『軽やかない夫メンテサークル』のせいで、トーコは近寄れそうにない。


 トーコの判断は素早かった。


「えっと……アイリス! あたしがない夫の間を縫ってナイフを投げるから、それをうまいこと首輪に当てれる!?」


「合点承知ですわ!」


 トーコはナイフを引き抜き、アイリスと目顔で頷きかわしてから、ない夫が通り過ぎた瞬間を狙って素早く投擲する。


 アイリスは首輪を持ち上げたまま射線上に入り、ナイフが首輪に当たる――と、キン、と鋭い音を立ててナイフが弾かれ――


 ――弾かれたナイフが吸い込まれるようにない夫の頭に刺さった。


「わー! ごめんない夫、大丈夫!?」


「はははははいいいいい」


 実際さして深くは刺さらなかったようで、サイドステップの勢いのままにナイフは吹っ飛んでいく。トーコはほっと息をつくが、アイリスの首輪には傷ひとつついていないようだった。


「困ったな……。あたしのパワーじゃ破壊できないとなると……」


 トーコとアイリスの視線がない夫を向く。もっとも、高速移動中なので視界の中でチラチラするばかりではあるが。


「ない夫! それ、あとどのくらい続けられる!?」


「いいいいいいいいええええ」


「そう長くは保たないみたい!」


「あなた達よくそれで意思疎通できますわね!? ……ともかく、ええい、わたくしも覚悟を決めますわ!」


 アイリスは決然として仁王立ちして叫んだ。


「ない夫さん! 道中何回もやっていた、あの斬りまくる技をわたくしに撃ってくださいまし! わたくしの方で避けて、うまいこと首輪にだけ当てますわ!」


「アイリス、マジで!? それなら普通に斬り下ろすだけの技とかの方がよくない!?」


「いいえ、一撃だけだと軌道によっては当てられません。ですがあの技なら、うまいこと当たる軌道を選べますわ。あれは一見めちゃくちゃに斬りつけているように見えて、実は毎回剣の軌道は測ったように同じなんですの。道中ない夫さんが撃ちまくっていたので、ハッキリ覚えていますわ」


 とそこまで言って、アイリスはハッとする。


「まさかない夫さん、こうなることを見越して……?」


「ないない。ない夫そこまで考えてないよ」


 トーコは冷静であった。


「ともかく、やるしかないか……! ない夫、わかった?」


「はははいいいい」


「ない夫さん、まだですわよ! わたくしが覚悟を決めて合図しますから、その後に『はい』と言ってからすぐにあの技を撃ってください! いいですわね!?」


「はははいいいい」


「よーし、フウ――」


 自信ありげなことを言ったアイリスだったが、その実全身冷や汗でびっちゃびちゃになっていた。失敗すればミンチになるのだから当然である。


 震えそうになる手を、バチン! と頬に当てて、アイリスは叫んだ。


「わたくしは一流冒険者『闇を切り裂く光』のアイリス! この位やってやりますですわ! ない夫さん、お願いします!」


 アイリスの言葉から数瞬、ない夫の足音のみが響く時間が過ぎ――


「はい」


「うおおおおおおやったらああああああ!」


 アイリスの怒号とともに、その瞬間が訪れた。




――――――――――――――――

|> フルアタック

――――――――――――――――




 キンッ。




 ない夫が繰り出した無数の斬撃に対して、響いた音は一つだけ。


 そこには真っ二つになった首輪を持ち、首筋からひとすじの血を垂らしたアイリスが立っていた。


「や、やってやり……ましたわ……」


 がしゃりと壊れた首輪を取り落としたアイリスは、へなへなとその場に座り込んだ。

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