6-2

 一方その頃、ない夫はというと。


「へ、へへ……素振り入道さんよ、この辺に来るのは初めてだろ?」


「はい」


 そこは街の繁華街のはずれ、ひときわ路地の細くなっている一画であった。方向転換に難のあるない夫は、もちろん一人でここまで来たことはない。アキトと元酒浸り男に挟まれて引っ張られながら細い路地を進んで辿り着いたのは、いかにもいかがわしい地下へ続く階段だった。


「気をつけろよ。お前の図体で転がり落ちたら洒落にならん」


「はい」


 慎重に階段を下りていくと重厚な扉が待ち構え、ガードマンらしき黒服の男が正面に仁王立ちしている。アキトが軽く手を上げると、顔パスなのかガードマンはすぐ脇に退いた。


 ――扉を開くと、そこは別世界だった。


 田舎町に似つかわしくない最新式の魔導照明が煌めき、地下とは思えない広さの部屋を映し出す。その中を紳士淑女――いや、主に紳士と紳士ではない男が入り乱れ、ポーカー・テーブルやルーレットに熱を上げていた。


 さらに目を引くのは、彼らの間で動き回る女性店員の格好である。水着同然のハイレグスーツに網タイツ、頭には大きなウサギ耳をつけていた。


 そんなバニーちゃんの一人が、しなを作りながら駆け寄ってくる。


「きゃー、アキトちゃんじゃん。久しぶりい」


「よおレモン、今日は驚きのゲストを連れてきたぜ。こいつが誰か分かるか?」


「知ってるよお、カケダーシの英雄でしょお。英雄さんもこんなお店とか来ちゃっていいのー?」


 つんつんとバニーちゃんに脇腹をつつかれて、ない夫は「はい」と答えた。それを聞いて、周囲に集まってきた数人のバニーちゃん達がくすくすと笑う。


「ど、どうだない夫。分かったろう? 今日は先輩冒険者として、ここの楽しみ方をたっぷりと教えてやるっ……!」


「はい」


 元酒浸り男はない夫の肩を抱き、バニーたちに熱い視線を送った。この男も最近多少は真面目になったとはいえ、やはり根は遊び人であった。ない夫人気のおこぼれに預かって、あわよくば自分もモテようという魂胆なのである。


「とりあえず何か飲もうぜ、ない夫。適当なカクテルでいいだろ?」


「はい」


 妙に場慣れしたアキトを中心に、一行はバーカウンターへと向かった。






「はあ、はあ……!」


「うーん……」


 一方その頃、アイリスとひとしきり打ち合ったトーコは、樹にもたれて荒い息を整えていた。一方のアイリスは息も乱しておらず、さすがに一流冒険者の風格を感じさせている。トーコはアイリスから一本も取れず、逆に寸止めの一撃は何度も急所に打ち込まれていた。


「悪くはないのですけれど、やはりパワー不足は否めませんわねえ。タッパが違うので当然といえば当然なのですけれど」


「はあ、はあ……そうだよね。わたしもない夫といつも行動してるから、パワーが足りないのは常に思い知らされてるよ……」


「さすがにない夫さんと比べてもしょうがないと思いますけれど……。動きのカンみたいなものは良いですし、あとはそのスピードを威力に上乗せできると良いかもしれませんわ」


「スピードを威力に、って例えばどんな?」


「トーコさんの場合避ける動きが先行しすぎなのですわ。避けながら斬る動きは牽制としてはそれでいいのですが、ここぞという一撃では、例えばこう」


 アイリスは腹の前に真っ直ぐ木剣を構えたかと思うと、そのまま二歩踏み出して突きを放った。


「……!」


 切っ先はトーコの眉間から数センチのところで止まり、一拍遅れて風が前髪を揺らす。


「……こういう感じの真っ直ぐな突き技なら、体格やパワーの差を埋められるのではないかしら」


「す、すごい……。い、今の教えて! もう一回!」


「ただ突くだけですけれどね。体重移動が一直線になることを意識して――」


 そんな風にして、二人がしばらく稽古に汗を流していた時の事である。


「そうそう、いい感じですわ。後はもう少し……」


「……アイリスさん、待って」


「?」


「……何かいる」


 トーコの言葉に訝しげな表情をしていたアイリスだったが、一拍遅れて同じことに気づき、ニヤリと笑った。


「……なるほど、トーコさん、あなたの方がカンは優れているみたいですわね」


 と言うなり、振り向きざまに足下にあった石を投げる。それは同時にもの凄い勢いで茂みから飛び出してきた何かに命中し、軌道をそらした。


「――グレイウルフ。たくさんいるよ!」


 石にはじかれた灰色の狼はすぐに立ち上がり唸りを上げる。奇襲に失敗したことに気づいてか、茂みの中からはさらに多くの気配が感じられた。


「それだけじゃありませんわ。これは――」


 アイリスが向けた視線の先から、ひときわ大きな獣が姿を見せる。


「――グレーターウルフ? 群れのボスってこと!?」


「群れごと縄張りを追われてきたのでしょう。魔王復活いらい、よくあることですわ」


 笑みを崩さず、アイリスはポニーテールに結った金髪を揺らして、腰の長剣を抜き放った。


「今度は実践形式ですわね。不安でしたら隠れていてもよろしくってよ?」


「冗談! あたしだって、露払いぐらいはこなせるよ」


「結構ですわ。それでは――行きますわよッ!」


 アイリスの声を切っ掛けに、四方八方から多数のグレイウルフが飛びかかってきた。






 一方その頃、ない夫はというと。


「――それでぇ、そのお客さんがホント最悪だったんですよぉ」


「はい」


「あ、ごめんなさい、私の話ばっかり聞いてもらっちゃって。退屈じゃないですか?」


「いいえ」


「ない夫さんやさしー。ねえ、もう一杯飲みましょ?」


「はい」


「やった! 今度はこぼしちゃダメですよー?」


 ない夫が両隣にバニーちゃんを侍らせて談笑する中、元酒浸り男はぽつんと一人、ただの酒浸り男に戻って麦酒を舐めていた。


「何故っ……! 何故ない夫ばかり……」


「そりゃ、お前さんと飲んでたって愚痴を聞かされるばっかりだからなあ。それよか愚痴を黙って聞いてくれるない夫の方がいいだろ」


「何も言い返せないっ……!」


 酒浸り男がぐったりとうなだれる一方、馴染みの女の子とよろしくやっていたアキトはのんびりとない夫に話しかけた。


「ない夫、次はダンスでもどうだ? なにかゴキゲンな曲でも頼もうぜ」


「はい」


 部屋には楽隊が控えており、常に何らかの音楽を演奏している。曲の切れ間にアキトの目配せを受けた楽隊のメンバーは頷き、激しいリズムの曲を奏で始めた。


 ない夫は無言で立ち上がると、おもむろにステージに向かう。その一種異様な迫力に他の客がスペースを空けると、ない夫は猛然と踊り始めた。


――――――――――――――――

|> 軽やかない夫ステップ!

――――――――――――――――


『うおっ! 何だあの動き!』


『見たことないダンスだわ!』


『あはは、滅茶苦茶だけどおもしろーい!』


 その常軌を逸した、しかしどこかコミカルな動きに観衆は沸き、バニーたちからは黄色い声が上がる。


 ない夫はモテていた。






 まばらな木々の間に濃い血の臭いがわだかまる。アイリスとトーコが仕留めたグレイウルフの数は十を超え、一体また一体と死体の数は増えていく。が、増援の途絶える気配はない。


「何匹いるのこいつら!? 民族大移動なの!?」


「あながち間違ってないと思いますわよ! より強いモンスターに追い立てられて、どこかの地域にいた群れがまるっと移動してきたのですわ!」


 アイリスには似たような経験があるのだろう、余裕を持って立ち回りながら説明する。


「こういう時はボスをやるに限りますわ。合わせられます?」


「オッケー!」


 二人は矢のように飛び出し、林の奥で指示を出しているグレーターウルフに別々の方向から迫る。当然周囲のグレイウルフはボスを守ろうと集まるが、アイリスはそれらを鎧袖一触に吹き飛ばしていく。


「オーッホッホッホッホ!!」


 くるくると回転しながら剣だけでなく足も使い、どんどんグレーターウルフに迫っていく。一匹一匹へのとどめよりも前進することを優先しているため、周囲の敵の密度は増すばかりである。しかし舞うように迫るアイリスに届く牙や爪はない。


 その迫力に後退るグレーターウルフ。しかしそのさらに遙か後方にトーコがいた。アイリスが注目を集めている間に、ウルフたちの警戒網を抜けたのだ。


(体重移動が一直線になることを意識――)


 トーコは林の中を疾駆する。気づいたグレーターウルフが振り向くがもう遅い。


(――スピードを威力に乗せて、突く!)


 ガッ!


 剣がグレーターウルフの頭蓋骨を貫通し、それでも殺しきれなかった勢いのままに、トーコはごろごろと地面を転がる。


「で、できた……!」


 ボスをやられたウルフたちが逃げ散っていく気配を感じながら起き上がろうとすると、上から覗き込むアイリスの苦笑が視界に入った。


「上出来ですわ。――着地は優雅とは言えませんけれど」


「着地はまだ教わってなかったからね」


 差し伸べられた手をがっちりと握り返して、トーコは身を起こした。




「さっきも少し言いましたが、わたくしはスラムの出身なのですわ」


「うん」


 薄暗くなったカケダーシの町並みを、トーコとアイリスが歩いていく。グレーターウルフの出現はこの街ではちょっとした事件である。その出現と討伐がギルドに報告されると、死体の後始末と周辺に逃げ散ったグレイウルフ達の警戒に手空きの冒険者は片端から駆り出された。


 その際にない夫が見つからなかったのは少し気にかかったが――いたとしてもそういった後始末には役に立たない男である。探す必要も暇もなく、二人はあれこれと現場で差配し、ようやく他の冒険者達に後を任せて引き上げてきた頃にはもう日暮れ時であった。


 人気のない道で月を見上げながら、アイリスは語り続ける。


「守ってくれる人も、守るべき人もおらず、わたくしはずっと独りでした。冒険者になってからも独りで戦い続け、実力と名誉を得たのですわ」


「うん」


「ですから今日はトーコさんと共に戦って、なかなか新鮮でしたわ」


「どうだった?」


 その答えを知りながら、トーコは一応の儀礼として尋ねた。


「――悪くありませんでしたわね」


 二人は笑い合った。共闘の心地よい疲れの前に、二人の間にあったない夫を巡るわだかまりのようなものは綺麗に洗い流されていた。


「でもアイリスさん、あんな強かったんだね」


「あら、疑ってましたの?」


「疑ってたというか……強いのは疑ってなかったけど、どのくらい強いかはピンと来てなかったから。ない夫にも負けてたし」


「あれは……次にやったら負けませんわよ。ただ、真剣勝負だったら次はないわけですから、勝負の結果は結果として受け入れているだけですわ」


「へえ、そういうところはなんか貴族っぽい……ねえアイリスさん、ひとつ聞いていい?」


「アイリスでよくってよ。何かしら」


「じゃあアイリス。あたしのこともトーコでいいからね。――アイリスはさ、スラム出身だって言うなら、格好とか話し方とか、なんで貴族っぽいの?」


 豊かな金髪と長身は天性のものとしても、金糸をちりばめた乗馬服のような衣装は明らかに貴族に寄せている。ずっと気になっていたのだが、距離が縮まったのでトーコは思い切って聞いてみることにした。


「よくぞ聞いてくれましたわ」


 アイリスは上機嫌になった。どうも高貴とか貴族とか言われると上機嫌になるようだ。


「もちろん昔は――というか、つい最近まではこんな格好も、こんな喋り方でもありませんでした。今のわたくしからは想像もできないでしょうが、どちらかというと粗野でチンピラみたいな冒険者でしたの」


 トーコにはチンピラ時代のアイリスがありありと想像できたが、もちろん黙っていた。


「変わったのは女神様の声を聞いてからですわ」


「女神様の? 何か言われたの?」


「いえ、女神様からは何も。ですが、女神様がお選びになった勇者がチンピラもどきでは女神様の権威まで疑われますわ。いらいわたくしは着るものや美容にも気を遣い、喋り方も改めることにしたのです……あっ、女神様」


 と、アイリスは不自然に言葉を切って虚空に耳を澄ませた。


「はい、はい……えっ、女神様も疑問に思ってたんすか。何で急に小綺麗にし始めたんだろうコイツって……えー、言ってくださいよぉ~」


 そして虚空に向かってヘコヘコし始めた。どうも女神様相手には地が出やすくなるらしい。


「失礼しましたわね。女神様の声はいつ聞こえるか分からないものですから」


「……ねえアイリス、こんなこと言っていいのか分からないけどさ」


「なにかしらトーコ、あなたなら何を言ってくださってもよくってよ」


「それホントに女神様の声聞いてるの?」


「言ってはならないことを言いましたわねこの小娘!」


「わー! 何でも言っていいって言ったじゃんかー! だって女神様ってそんなフランクに話せるもんなのかなと思ってー!」


「わたくしの女神様はチンピラにもフレンドリーなのですわ!」


 拳を振り上げるアイリスにトーコは慌てたが、その表情が笑っているのに気づいて、自分も笑いながら逃げた。


「女神様を信じない奴はおしおきですわ~」


「女神様のことは信じてるってば! アイリスを信じてないだけで……」


「まだ言いますわね!」


 二人はキャアキャアとじゃれ合いながら、夜の大通りを駆け回った。


 あっという間に二人が止まる宿舎が見える通りまでやってきて、トーコは息を弾ませた。


「はあはあ……。もう家だね。ない夫帰ってるかなあ」


「そういえば、昼間は見かけませんでしたわね。ない夫さんのことですから心配ないとは思いますが」


「そうでもないよー。前も勝手に討伐に行って大騒ぎになったことがあって……っと」


 言葉を切って通りの奥に目を凝らす。薄暗いが、見覚えのある禿頭がキラリと月光を反射するのが見えたのだ。トーコがそれを見間違うはずがない。


「噂をすれば! おーいない夫、どこ行ってたの――」


 駆け寄ろうとして、トーコの笑顔が凍り付いた。


 ない夫の傍らには女が、明らかに水商売と思われる露出度の高い服を着た女が寄り添い、あまつさえ腕など組んで歩いていたのである。


 トーコとアイリスは無言で目配せをかわし、気配を消して近付く。女とない夫の会話が聞こえてくる。


「ねえ~ない夫さん、もう一軒行きましょうよ~」


「いいえ」


「え~? あたしのこと、キライですかぁ?」


「いいえ」


「ですよねー? あ、もしよかったらぁ、この先にあたしの知り合いがやってる店があってぇ、泊まることもできるんですけどぉ」


「はい」


「へえ~、『はい』なんだ?」


 我慢できなくなったトーコが、塀の影から姿を現した。


「……人が戦ってる間に、ずいぶんとお楽しみだったようですわね?」


 その脇からアイリスも月光の下に身をさらす。二人の表情を見て、女はない夫の腕からぱっと手を離した。


「エ、エヘヘ、今日は間が悪いみたいですねぇ? じゃ、じゃあない夫さん、またお店に来てくださいね~?」


 危険を察した女はそれだけ言って、足早に去って行った。一人残されたない夫に二人が迫る。


「お店、ねえ……ない夫? なんのお店に行ってたの?」


「……」


「楽しそうなお店のようですわね。トーコ、これは尋問が必要ではなくって」


「そうだねアイリス。ない夫、こっちでちょっとお話しようか?」


「……」



――――――――――――――――

|> バックステップ

――――――――――――――――



「あっ、逃げましたわ!」


「追えー!」


 後日、元酒浸り冒険者の男が、ない夫をイカガワシイ店に連れて行ったかどで二人の女冒険者からガン詰めされることになるのだが、それはまた別の話である――。

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