第六話【わたくし、一生この中で暮らすんですの?】
6-1
アイリスがカケダーシの街にやってきて、一週間が過ぎた。
「ない夫お兄さん、ご飯できたよー……」
ない夫たちの暮らす『小鳥の宿り木亭』では今日も、幼いナナミが甲斐甲斐しく給仕をしている。
「だそうですわ、ない夫さん。朝食ご一緒してよろしくて?」
「いいえ」
「ウフフ、ない夫さんは素直じゃありませんわね」
と、勝手に正面の席に座るのはアイリスである。ナナミは困り笑顔を浮かべつつ、ない夫の前に食器を並べていく。
「おはよ……あんた、いつまでいる気?」
ちょうど起きてきたトーコが呆れ顔で言う。ない夫との勝負から一週間、アイリスは『小鳥の宿り木亭』の空き部屋に転がり込み、いらいこうして何かとない夫にまとわりついていた。
「それはもちろん、ない夫さんをわたくしの仲間に――いえ、負けたのですから順番が逆ですわね。わたくしをない夫さんの仲間に加えていただけるまでですわ!」
「いいえ」
「そんなつれない……ええ、はい女神様。はい、はい、そうですよね。ない夫さんも志を同じくする冒険者同士、きっと真心が通じる時が来るっつーことですわよね」
例によって突然虚空に向かって会話を始めるアイリスを見て、トーコはナナミと顔を見合わせる。
「ない夫、えらいのに好かれたね……」
「はい……」
そんなやり取りを、冒険者アキトが少し離れた場所からニヤニヤと見つめている。
「賑やかになっていいじゃないか、なあない夫。さしずめ『カケダーシのハーレム素振り入道』ってとこか」
「はい」
「はいじゃない! アキトもヘンな二つ名を広めようとしないの!」
トーコのツッコミが響き渡るのも、『小鳥の宿り木亭』ではもはや日常の光景になっていた。
◇ ◇ ◇
ぴんぽーん、と、チャイムが鳴った。
カグラさんは今日は来ていないが、彼女ならチャイムを押して入ってくるようなことはしないだろう。しばらく前にもチャイムが鳴ることはあったが、その時の来客であるアゲハさんは僕と同じコタツに入っている。それでも思わずそちらを見ると、ジト目でぎろりと睨まれた。
「あによ」
「いえ、何でも……」
「誰でしょうね、見てきますね」
ソラさんがぱたぱたとその場を去り、しばらく玄関先でやり取りをしていたようだったが、すぐに戻ってきた。
「閻魔庁の職員さんでした。閻魔様がこちらに来てないかって……」
「まあそりゃ来ますよね」
アゲハ様は突然の訪問以来、なんと一度も帰らずこの部屋に居座っていた。最初はソラさんも迷惑がっていたが今ではすっかりコタツに付属の備品のように馴染み、夜は僕とソラさんとのボードゲーム仲間にもなっている。
なので忘れかけていたが元々激務と評判の閻魔様である。仕事は滞りに滞っているに違いなかった。が、その当人は涼しい顔で
「いないって言っといて」
などと言っている。そういうわけには……と苦笑いするソラさんの後ろから、もう一人女性の姿がひょこりと頭をのぞかせた。
「いるじゃないですか、アゲハ様。帰りますよ」
「……ちっ」
どうやら彼女が閻魔庁とやらの職員さんらしい。ぴちっとスーツを着込んだいかにも秘書じみた格好だが、彼女も女神様なのだろうか。
「ちゃんと代理でアゲハちゃん人形は置いてきたんだからいいでしょ」
「アゲハちゃん人形、いまいち仕事遅いんですよ」
「むしろ仕事できるんですね、アゲハちゃん人形……」
ギャルっぽいアゲハちゃん人形の前に、いかつい顔の犯罪者たちが並んで裁きを受けている様子を想像すると、何ともシュールで哀れみを感じる光景である。
アゲハさんはしばらくコタツに顎を乗せて頑張っていたが、職員さんに襟元を掴まれて引きずり出されると観念して立ち上がった。
「……ま、いいわ。気になってることもあったし」
「気になってること、ですか?」
「ん。あの女勇者の正体が、ちょっとね」
そのもの言いにソラさんが首を傾げる。
「正体もなにも、アゲハ様が言ってた通り、頭のおかしい可哀想な人じゃないんですか?」
「常識的に考えればね。でもあの子は嘘をついてないし、少なくとも本気で謎の声と会話してると思ってる。それが頭の中にしか存在しないお友達ならいいけど、万一他の女神が関わってたらマズいでしょ」
「それはマズいですけど……わたしの管轄の世界にわざわざ干渉してくる女神がいますかね?」
「だから念のためよ。……調べたいことはそれだけじゃないし」
アゲハ様は僕の方をじっと見る。何かあるのかと聞こうとすると、閻魔庁の職員さんが遮った。
「はいはいアゲハ様、何を調べるか知りませんけど、当分そんな時間はありませんよ。裁き待ちの列が三途の川を逆に超えそうになってるんですからね」
「はいはい」
「……あ、お邪魔しました」
「い、いえいえ」
最後にソラさんに会釈をして、職員さんはアゲハさんを引き摺って出て行った。
◇ ◇ ◇
「相変わらずシケた依頼しかありませんわねえ」
アイリスが転がり込んで来てしばらく、ある日のカケダーシの街、冒険者ギルドでのことである。
ない夫とトーコにくっついて来たアイリスの呟きに、ギルド職員が苦笑いする。
「ベーテランの街と一緒にされちゃあ困るよ。こんな小さな街でゴロゴロ賞金首モンスターが湧いてたらとっくに滅んでる」
最初はアイリスの雰囲気に気圧されていた職員や他の冒険者もさすがに慣れて、軽口を叩ける程度には馴染んでいた。
「それもそうですわね。では適当な討伐依頼でも……ない夫さんもご一緒にいかが?」
「いいえ」
いつものやり取りである。この後にトーコが取りなして三人で討伐に向かうか、あるいはアイリスを断って二人で向かうか、というのがお定まりのパターンだった。
しかしこの日は、少し言いづらそうにトーコがこう切り出した。
「……ねえアイリスさん、今日はちょっと、あたしの方に付き合って貰えない?」
「? もちろん結構ですわよ。ない夫さんも一緒ですわよね?」
「いや、今日はちょっとない夫も抜きで、女二人で……ない夫には悪いんだけど」
「いいえ」
「ありがと。そういう感じで、どう?」
「――まあ、よろしいですけれど……。何をなさるんですの? 依頼を受けようという感じではなさそうですけれど」
「うん、まあちょっと、それは後で話すから! とりあえず街の外で、ね!」
「ちょ、ちょっと引っ張らないで下さいまし。何か企んでいらっしゃいますの?」
「何も企んでないってば! あ、ごめんねない夫、じゃあね!」
「はい」
訝しげなアイリスをトーコが引っ張って行き、ギルドを後にする。
珍しく置いて行かれたない夫がぽつねんと立ち尽くしていると、誰かにぽんと肩を叩かれる。誰かと思えば、何かと縁のある冒険者アキトだった。その後ろには、元は酒浸りでダメ冒険者として知られていた壮年の男の姿もある。元酒浸り男はない夫の素振りに触発されて、最近は真面目に冒険者として活動していると評判であった。
「よう、素振り入道。どうやってトーコを引き離そうかと思ってたが、手間が省けたぜ」
「はい?」
「す、素振り入道、き、今日この後、時間あるだろ? お、俺たちに付き合えよ、な?」
つっかえつっかえと喋る元酒浸り男の誘いに、ない夫は二つ返事で頷いた。
「はい」
「おっ、即答とはやるねえ。ない夫、お前も男だもんな。どこに行くつもりか、見当がついてるんじゃないのか?」
「いいえ」
「フ、フフ。どちらでもいい……行けばわかる」
「そうだな。ない夫もいつも保護者つきで大変だろ。たまには羽を伸ばそうぜ!」
「はい」
こうしてカケダーシの素振り入道も、怪しげに笑う男たちに連れられて行った。
一方その頃、トーコとアイリスは街壁の外、人気のない草原で対峙していた。
「……剣を教えて欲しい?」
「うん……」
赤毛の少女は恥ずかしそうに頷いた。
「あたしに限らず、この街の冒険者って我流の人ばっかりだからさ。今まではそれで不便も感じてなかったけど、ない夫のパートナーでい続けるためには、今のままじゃダメかなって」
トーコの告白を聞いて、アイリスは拍子抜けしたように息を吐いた。
「なんだ、わたくしてっきり『騙して悪いが』って物陰から大勢出てきて、『ない夫にちょっかい出すんじゃねえ』ってボコにされるのかと思いましたわ」
「そんなことしないよ!?」
「まあ、どうせ返り討ちにして差し上げますのでそれでも良かったんですけれど。――剣を教えるのはかまいませんが、わたくしもほとんど我流ですわよ」
「ええっ、そうなの!? 高貴な感じだし、てっきりどっかの流派の剣術指南みたいなの受けてるかと……」
トーコが驚くと、アイリスは上機嫌に胸をそらした。
「おほほ、そう、高貴な、高貴なオーラをまとったわたくしですものね。勘違いするのも無理はありませんわ……。ところがどっこい、生まれは貧民ですのよ。そこからこの腕いっぽんで成り上がったのですわ」
(それでたまにチンピラみたいになるんだ)
とトーコは思ったが、「すごいね」とだけ口には出した。
「――というわけなので体系だてて教えたりはできませんが、逆にわたくしが身につけてきた技術を隠す気もございませんわ。勝手に学んでくださって結構ですが、それでよろしければ」
「それで全然いいよ! ありがとう!」
「どういたしまして。ではまず実力のほどを見て差し上げましょう。どこからかかってきてもよろしくってよ」
「――うん! じゃあ、よろしくお願いします!」
トーコは木剣を構えて、アイリスに突撃していった。
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