5-5

「ねえない夫、本当にやるの?」


「はい」


「どうして急にやる気になったんだか……。気をつけてね?」


「はい」


 ない夫はトーコに心配されながら、街の外のひらけた平原までやってきた。もちろん後ろには勝負を持ちかけてきたアイリスと、物見高い冒険者たちがぞろぞろとついて来ている。


「よし、それじゃルールを説明するぞ」


 なぜか場を仕切っているアキトが説明を始める。


「まず、殺し合いじゃないんだから、二人には真剣じゃなく竹刀を使ってもらう。竹刀は長さや重さが違うやつをたくさん持ってきたから好きに選んでくれ。それで打ち合って、いいのがいっぱつ入るか、どちらかがまいったと言ったら終わりだ。『いいの』の基準は、それが真剣だったら死ぬか大怪我になる一撃ってとこだな。だから小手や足への攻撃も有効とする」


「ない夫は『まいった』って言えないんだけど……」


「それもそうだな。じゃあない夫の場合はトーコがタオルを投げたらまいったの代わりだ。それでいいか?」


「はい」


「あ、あたし? 分かった。投げてほしいときは言ってね、ない夫」


「はい」


「よし。ただし、武器の破損は仕切り直しだ。どちらかの竹刀がぶっ壊れた場合一時中断し、新しい竹刀を選んでいいものとする」


「普通は、武器が壊れた方の負けではありませんの?」


 アイリスの質問は想定していたようで、アキトはよどみなく答える。


「さっきも言ったが、もし真剣だったらと想定すればそう簡単には壊れないだろ。竹刀の脆さはそいつの弱さじゃない。」


「……なるほど。おっしゃる通りですわね」


「以上。他にないか? ……なければ竹刀を選んでくれ。立ち会いは不肖この俺、アキトが務める」


 特になかったため、アイリスは竹刀を持ち上げて握りを確かめはじめる。ない夫は悩む様子も見せず、無造作に普段の剣に一番長さが近いものを選び取った。


 冒険者たちは自然と円形に取り囲むように並び、場が整っていく。円の中心にない夫とアイリスが向かい合って竹刀を構えた。アイリスは不敵に笑った。


「ふふん、せいぜい怪我をしないように気をつけるんですのね」


「はい」


「素直ですわね……」


「よし、準備はいいようだな。それでは『闇を切り裂く光』アイリスと、『カケダーシの素振り入道』ない夫の試合をここに開始する。はじめっ!」


「さあ、どこからでも……」


 試合開始と同時、アイリスが言い終わるより先にない夫が動いた。



――――――――――――――――

【アクティブスキル】

|>スラッシュインパクト

――――――――――――――――



「ちょおおおおおおおッ!?」


 虚をつかれたアイリスの回避は紙一重で間に合った。一瞬前までいた場所を竹刀が切り裂くと、ドガン! という凄い音を立てて土煙が上がる。アイリスの頬に一筋の血が流れ、ない夫の竹刀はバラバラになった。


「おっと、ストップ! ない夫、得物が壊れたから選び直していいぜ」


「はい」


 立ち会い役のアキトが驚きもせずそう言ったので、アイリスはさすがに気づいた。


「……成る程、武器交換可というのは、彼のためのルールというわけですのね」


「あ、気づいた? ま、ない夫はカケダーシの冒険者だ。多少の身内びいきは許されるだろ?」


 しゃあしゃあと言うアキトだったが、なんのことはない。彼はない夫に大金を賭けているのだった。


「……構いませんわ。その代わり、判定は公平にやってもらいますわよ」


「その辺は心得ているさ」


 息を整えながらも、アイリスは内心で戦慄していた。ない夫の攻撃の威力の高さにはもちろんだが、真に恐ろしいのはその躊躇のなさだ。


 いくら竹刀とはいえ、人間相手に斬りかかるにはそれなりの覚悟がいる。ない夫のような怪力ならば尚更なはずなのに、いともたやすく全力で――殺す気で攻撃をしてきた。それはアイリスならばこの程度避けるだろうという信頼によるものなのか、それとも。


 さらに厄介なのは、アイリスの目をも欺く行動の『起こり』の見えなさだった。アイリスとて、勝負開始が宣言されて油断をしていたはずがない。間違いなくない夫はその直前まで自然体で構えたままだったし、視線も、表情も、最初に街で話しかけたときと変わらないトボけたような無表情のままだった。


 アイリスは『所詮は田舎町の冒険者』という侮りを完全に捨て去って、あらためて構え直した。


「それじゃ、代わりの竹刀はいいな? ――はじめ!」


――――――――――――――――

|> バックステップ

――――――――――――――――


 試合が再開されると先ほどとはうって変わって、ない夫は大きく跳んで距離を取った。無駄なく素早い動きで、アイリスにしてみれば驚くような行動でもない。初手の奇襲は避けられ、自分はこうして警戒している。それならば慎重に戦うのはむしろ当然である。


 しかしない夫をよく知るトーコは驚愕した。


「ない夫、今のって――」


「はい」


 ない夫はトーコにアピールするように動いて見せた。


――――――――――――――――

|> サイドステップ(右)

――――――――――――――――


――――――――――――――――

|> サイドステップ(左)

――――――――――――――――


――――――――――――――――

|> ジャンプ

――――――――――――――――



「ない夫があんなに滑らかな動きを連続で!? 凄いよない夫、また呪いが弱まったんだね!」


「はい」


 そのはいは、トーコにはどこか誇らしそうに聞こえた。



  ◇  ◇  ◇



「ショートカットキー機能、とりあえずちゃんと動いてるみたいですね」


 僕の肩越しに画面を覗き込んでいるソラさんが言う。


「ええ。4つぐらいならなんとか混乱せずに使えそうです」


 手元のコントローラーは最初のような扁平な形ではなく、厚みを増してやや立体的に進化していた。なぜ物の形がこうも簡単に変わるのかという疑問は、虚空から物を生み出す女神様たちの前ではむなしいものである。


 進化したコントローラーは持ちやすいよう左右に出っ張りがあり、上部に左右2つずつボタンが増えている。この4つのボタンに決まった役割はなく、状況に合わせてコマンドを割り振ることができる。とりあえずで割り振ったのが『バックステップ』と『サイドステップ』の左右、最後に『ジャンプ』である。前進するボタンは最初からあるので、つまり――。


「これでようやくない夫は前後左右に動けるようになったんですね!」


「むしろそれができなくて良く今まで戦ってこれたわね」


 冷めた目でアゲハさんが突っ込んだ。もっともな話である。カグラさんが弁解するように頭を掻いた。


「いやー。動き自体は最初から搭載してたんだけどな。メニューを3つほど開かないと選択できなかっただけで」


「何故その時に利便性にまで考えが及ばなかったんですか」


「まあ、途中から行動メニューを増やすこと自体が楽しくなっちゃってた感は否めないな」


 カグラさんは悪びれもせず言った。


「でもカグラちゃんが半分悪ノリで作ったメニューにも、今後陽の光が当たるかもしれませんよ。ショートカットキーの割り当ては自由なんですよね?」


「ええ。今後最適な割り当ては模索していくとして、とりあえず今はこの4つでどこまで戦えるかですね」


 僕は画面の中のアイリスに相対しながら、コントローラーを握り直した。



  ◇  ◇  ◇



――――――――――――――――

|> バックステップ

――――――――――――――――


「ぐっ、こいつ……」


 アイリスが軽く牽制で振るった竹刀は、ない夫に大きく跳んで避けられる。対人戦の実戦経験はないものの、訓練は十分に積んできたつもりだった。しかしその経験が役立つことがなく、アイリスは攻めあぐねていた。


(やりづらい。視線がまったく動かないから狙いが絞れないし、一つ一つの動作に予備動作がないから動きが読めない。こんな相手は初めてですわ……)


――――――――――――――――

|> スラッシュインパクト

――――――――――――――――


「おっと!」


 そして思い出したように繰り出してくるこの攻撃も厄介だった。動き自体はまっすぐなので避けること自体は難しくない――というか、むしろ避けなくても当たらなかったりするのだが、威力は一撃必殺である。一時たりとも気は緩められない。


「ほらない夫、次の竹刀だ。もう三本目だぞ、ちょっとは手加減してくれよな」


「はい」


(涼しい顔して、イラっとしますわ……)


 冷静さを欠きそうになっていた彼女の頭が、その時電波を受信した。


「はい女神様。……そうですね、すみません。冷静に対処すればあんな奴敵じゃないっすよ……はい、動きをよく見て……」


「うわ、また一人で会話してる……」


 トーコにはまたドン引きされていたが、アイリスは気にしない。


――――――――――――――――

|> サイドステップ(右)

――――――――――――――――


――――――――――――――――

|> サイドステップ(左)

――――――――――――――――


 ヒュンヒュンと左右に移動するない夫を冷静に観察すると、もともと高い戦闘センスを持つアイリスはすぐに気づいた。


(行動の『起こり』は読めませんが、動きのパターンは一定ですわ。それなら……)


――――――――――――――――

|> サイドステップ(右)

――――――――――――――――


 ない夫が右に跳んだ瞬間を見極めて、アイリスは飛び出した。ない夫に匹敵するほどの素早い踏み込みで距離を詰めると、電光石火に竹刀を振り上げる。


 バチッ! と大きな音が響き、気づけばない夫の竹刀の先半分がクルクルと宙に舞っていた。


「動き始めが読めないなら、動いてから行動の『終わり』を叩けばいい……。確かに、単純な攻略法でしたわね」


 ない夫は先端の無くなった竹刀を構えたままぼんやりと立ち尽くしている。優位を取り戻したアイリスは、勝ち誇ったように竹刀を掲げた。


「今のは竹刀を狙いましたが、次は当てますわよ。竹刀を交換して打ちのめされるか、ここで降参するかお選びなさい。怪我をしたくないなら、お勧めは後者ですわよ」


「な、ない夫! どうするの? 降参する?」


「……」


 トーコに心配の声を投げかけられ、カケダーシの素振り入道はしばし沈黙した。



  ◇  ◇  ◇



「ありゃりゃ、やっぱり付け焼き刃じゃこんなもんか」


 カグラさんがため息をついた。ソラさんも頷く。


「結局は同じ動きと言われればその通りですからね。その辺は今後の課題でしょうか」


「そうね。じゃあ、今回は降参するワケ?」


 金髪を掻き上げながらアゲハさんにそう言われて、僕はためらった。


「いえ……その、もう一回やってみてもいいですか?」


「それはもちろん、レンタローさんの自由ですが……結果は同じでは?」


「そうかもしれませんが……一つ試したいことがあるので」


 僕が言うと、ソラさんは笑って「レンタローさんって、意外と負けず嫌いなところがありますよね」と許可してくれた。負けず嫌い、自覚はしてなかったが、そうなのかもしれない。そもそも試合の初めからして、僕が押したボタンは『スラッシュインパクト』だった。ショートカットキーのテストだけならあれは必要ない行動だったし、つまるところ僕は最初から勝つ気マンマンだったようだ。


 それならば最後まで勝つ気で頑張ってみよう。僕はある技の封印を解くことにした。



  ◇  ◇  ◇



「……ない夫、降参する?」


「いいえ」


 ない夫はしばしの沈黙ののちにそう答え、アキトのもとに新しい竹刀を求めに行った。


「……ない夫がそう言うなら止めないけど、気をつけてね」


「はい」


「あら、続けるんですのね。まあいいですわ、どうせ勝つのはわたくしですから」


 余裕ぶったことを言いつつ、アイリスは慢心はしていない。ない夫の攻撃に細心の注意を払いつつ、さきほどのように動き終わりを見極めて確実に刈るつもりでいる。


「よし、竹刀はそれでいいな? それじゃ位置について……再開!」


 アキトの号令に従って試合が再開されて間もなく、ない夫が動き出した。


 ――その動きはその場の全員、ない夫をよく知るトーコや、油断なくその動きを見極めていたアイリスの度肝をも抜くものであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――

|> バックステッササイサイドジャバックサイドップ

――――――――――――――――――――――――――――――――



「ちょ、え、何その動き!?」


 その動きを目にしたトーコは思わず咳き込んだ。対峙するアイリスもさすがに隙をさらすほどではないが、驚きに目を見張る。


 後ろに飛びすさる、かと思えば空中にいるうちにサイドステップの動きに移り、着地した時には微妙なタイミングの差で、予想のつかない方向に跳ねる、と思いきや跳ねながらさらに空中を蹴り――と、言葉で追うのは無謀に思えるようなめちゃくちゃな動きである。例えば、前衛的なダンスのよう、とでも表現するのが近いような動きだった。


「な、なんて素早くて洗練された……無駄な動き……」


 そう、一つ一つの動作は舞踊の名人の型のように画一的であるのに、その連続性にはまるで法則性がない。それでいて動きのキレは『スラッシュインパクト』を放つ時のように常に全力なので、砂煙の中でない夫の輪郭が何重にもブレて見える。


「動きを見極め……いやこれ無理ですわ」


 アイリスも半ば呆れ気味にサジを投げた。



  ◇  ◇  ◇



「レンタローさん、これは……」


「はい」


 カチャカチャカチャカチャカチャカチャ……


 ボタンの音をやかましく立てながら僕は頷く。そう、封印されしゲーム初心者流奥義、『レバガチャ』を解禁したのである。


「行動のキャンセル&割り込み機能により、デタラメにショートカットキーを連打することによって誰にも予想できない動きを繰り出す。これぞ――」


 僕は画面内で高速で舞うない夫を見て、こう命名した。


「ない夫の新必殺技『軽やかない夫ステップ』です!」


「軽やかない夫ステップ」


 ソラさんは呆れ顔でオウム返しにつぶやいた。



  ◇  ◇  ◇



「ない夫ー!? 人間がしちゃいけない動きしてるけど大丈夫なのそれ!?」


「ははははいいいいい」


「声までめっちゃブレてる!?」


 ない夫の残像が舞う中、アイリスはかろうじて平静さを取り戻す。


(確かにこれじゃ動きは絞れないけど――あんな無茶な動き、長く続けられるはずがありませんわ。どこかで必ず仕掛けてくるはず。そして、攻撃の打ち終わりは同じなはず)


 アイリスはない夫の攻撃『スラッシュインパクト』を何度も見ている。その突進力と威力は大したものだが、毎回同じモーションなら慣れもする。どんな奇抜な動きをするにせよ、そこから攻撃に移った後、剣を振った後を狙えばいい。


 そしてその時は、そう後ではないはずだ。アイリスはそう思って、剣を構え直す。


 その覚悟が周囲にも伝播したのか、決着の近さを感じ取った観衆たちも息を飲む。うるさいのは視覚的にブレまくっているない夫だけである。


 ――そして、その時が訪れた。



――――――――――――――――

|> スラッシュイン――

――――――――――――――――



「そこッ!!!」


 土煙の中から猛然と突進してくるない夫。その瞬間をしっかりと捉えて。アイリスもすれ違うように飛び出す。しかし――



――――――――――――――――――――――――――――――――

|> スラッシュイン――サイサイドジャンップバックサイテップ

――――――――――――――――――――――――――――――――



「なッ――」


 スラッシュインパクトの動作に割り込んだショートカットキーがない夫の軌道を強引に変える。最小限の動きでない夫の突進を躱そうとしていたアイリスはない夫に近すぎた。謎の動きに巻き込まれ、肘だか膝だかに当たってバランスを崩す。


(しまった!)


 その一瞬、クルリと向き直ったない夫とアイリスの目が合った。


――――――――――――――――

|> 超 素 振 り

――――――――――――――――


 ドン! と破裂音が響き、これまでで一番の砂埃が巻き起こった。






「……」


「……」


「な、ない夫? アイリスさん? ――どうなったの!」


 砂煙が収まり、トーコの視界に映ったもの。それは地面に尻餅をついたアイリスと、バラバラになった竹刀の柄だけを握り、振り下ろした体勢のままのない夫だった。


 そして、ちょうどアイリスの広げた膝の間あたりの土が大きく抉れている。これが直撃すれば竹刀であるとかは関係なくタダでは済まなかったろうが、土にまみれているだけでアイリスに怪我はない。


(――外した? いや……)


 アイリスは尻餅をついたままの姿勢で、ほうっと息をついて言った。


「……わざと当てなかったんですのね」


「……」


 ない夫は黙して語らない。アイリスは土を払って立ち上がった。持っていた竹刀は地面に転がしたままである。


「……確かに当たっていれば怪我では済まなかったかもしれませんわね。完全に出し抜かれたうえに情けまでかけられるとは……完敗ですわ」


 そう言って、深々と頭を下げた。


「このアイリス、負けを認め降参すると共に、これまでの非礼を詫びますわ」


「……よし、そこまで! 勝者『カケダーシの素振り入道』ない夫!」


 アキトが宣言すると、その場の半分ほどの冒険者からわっと歓声が上がった。


 ちなみに残り半分はアイリスに賭けていたのは言うまでもないことである。

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