6-3

 今日も一日が終わり、ない夫を寝かしつけてコントローラーを置く。なんというか、いろいろ気疲れのする一日だったが、ソラさんはニコニコしながら言った。


「今日行ったお店は面白かったですね。また行きましょう」


「行かないですよ……。トーコちゃん達にも怒られたじゃないですか」


「えー……」


 結局尋問の結果、ない夫は不良冒険者たちに言われるがままついて行っただけで、いかがわしい事はしていないということで放免された。次はちゃんと断るようにと釘をさされた上でである。


 それに僕自身も、見た目少女であるソラさんに見守られながらのキャバクラは普通にたいへん気まずかったのである。当のソラさんは女神様メンタルなので、『なんか派手な格好をした人がいる賑やかなところ』ぐらいの認識で楽しんでいたようだが、気まずいものは気まずい。


 ただまあ、一度きりの事と思えば、確かに楽しい部分はあった。


「ない夫がモテてるのは、ちょっと嬉しかったですけどね」


「分かりますレンタローさん! なんだか最近はこの『ない夫』という存在に愛着が湧いてきちゃって……」


「ですよね! この無表情も、だんだん愛嬌があるように見えてくるんですよね」


 そしてそれは僕たちだけでなく、カケダーシの街のみんなもそうなんだろうな、と思えることが嬉しかったのである。


「魔王討伐っていうのも、最初はない夫ひとりでやるって意識だったので、無理じゃんと思ってましたが……こうやって現地の人たちに受け入れられて、仲間を増やしていった先でなら不可能ではないような気がします」


「きっとそうですね! レンタローさん、わたしも応援してます!」


 白銀の長い髪をさらりと揺らしてソラさんが微笑む。思えばソラさんにも最初はドギマギしてばかりだったが、今はこの笑顔を見るとほっとする。


 しかし、魔王か。


 最初は現実味のない存在だったので逆に気にならなかったが、魔王討伐を意識し始めると、いろいろなことが気になってくる。どんな姿で、どのくらい強くて、何を目的として何をやっているのか……。


「……ちなみに魔王って、どこにいるのかは分かっているんでしょうか」


「魔王ですか。わたしは女神なのでだいたいの場所は分かるのですが、今代の魔王はあまり目立った行動は起こさないので、詳しくは分からないんですよね。いずれにせよ、カケダーシの街からはずっと遠くですよ」


 魔王城みたいなのが分かりやすく聳え立っているわけではないらしい。


「じゃあ、この世界の人はどうして魔王降臨を知ったんですか?」


「預言の役割を持つにふさわしいと思われる現地の何人かに、神託という形で伝えてあります。それがなくても魔王は存在するだけでモンスターを活性化させますから、いずれ異変には気づくでしょうが」


 破壊の限りを尽くすとかそういうことをしなくとも、魔王はいるだけで影響をもたらすわけだ。あくまで人間たちとは相容れない存在だということだろうか。


「活性化するってことは、モンスターは魔王寄りの存在なんですね。他の原生生物とは根本的に違うんでしょうか?」


「うーん……わたしはあまり考えたこともなかったですね。ただ、魔王が定期的に現れる世界と現れない世界があって、前者には必ずモンスターと呼ばれるような存在が元からいるようです」


「そうですか……」


 以前にも聞いたことだが、魔王関係のことでは女神のソラさんでも分からないことが多々あるようだった。というかソラさんの役割は世界の維持管理っぽいし、『何故そうなっているのか』というようなことはあまり考えることもないのだろう。


 そこらへんのことを知るには、ちょくちょく話に出てくる『大神様』にでも聞いてみるしかないのかもしれない。


 そんなことを話していると、がたりと障子戸の向こう、縁側の方で物音がした。


「カグラちゃんですかね?」


 かこんと障子戸が開いて、そこにはソラさんの言った通りカグラさんが立っていた。玄関からでなくそちらから入ってくるのはカグラさんぐらいなのでそこまでは予測できたが、予測できない人も一緒にいた。


「おーっす……」


 どこか居心地悪そうに入ってくるカグラさんに続いて入ってきたのは、金髪のセミロングにTシャツとショートパンツ姿の、アゲハさんだった。もとからのジト目をさらに機嫌悪そうに眇めて、無言で入ってくる。


「ども、カグラさん、とアゲハさん……どうしました?」


「いやー、どうも色々と厄介なことが分かったらしくってなー……」


 一言も発さないアゲハさんの代わりに、カグラさんがぼそぼそと言う。普段と違ってどうにも歯切れが悪い。


「とりあえず立ったままじゃなんですから、コタツにどうぞ。アゲハ様も」


「ん」


 ソラさんに袖を引かれて、アゲハさんは素直にコタツの定位置に収まる。ソラさんはその前に蜜柑やら煎餅やら番茶やらを虚空から取り出して並べた。どうも厄介な話が始まりそうなので、僕も神妙にその対面に座る。続いて左側にカグラさん、右側にソラさんが座った。


「えーとアゲハ様、厄介なこととは何でしょうか。前に言ってた、あの頭のおかしい可哀想な人について何か分かったんですか?」


「……そうね、それもね」


 ソラさんに水を向けられて、アゲハさんはようやく重い口を開いた。


「……あの頭のおかしい可哀想な女だけど、頭がおかしいわけじゃなくてただの可哀想な女だったわ」


「ぜんぜん分からないんですが……」


「声は実際に聞いてたのよ」


「えっ、まさか本当に、他の女神ですか!?」


 アゲハさんは頷く。


「正確にはもと女神ね。免許切れの無免許女神よ」


「女神様って免許制だったんですか? そっちの方が驚きなんですが……」


 僕の突っ込みはやんわりと無視された。


「免許切れとはまた珍しい……。でもいったい誰が、何のために? わたしに無免許女神の知り合いなんていませんけど……」


「ソラっちじゃなくて、レンタローの方に関係があんのよ」


「えっ、僕ですか?」


 思わぬところで水を向けられてたじろぐ。ソラさん以上に無免許女神に心当たりなんてあるはずもない。


「……アゲハ様、言いづらいのは分かるけど、はっきり言わないと分からないぜ?」


 アゲハさんはそう言ったカグラさんをじろりと睨んだ。


「カグっち、言っとくけど、あたしのせいじゃないからね。ちゃんと正規の手続きであたしが裁いてれば、こんなことは起こり得ないはずなの。こうなったのは大神様の気まぐれのせいだからね」


「誰もアゲハ様が悪いとは言ってないって。むしろアゲハ様が調べなかったらこの先ずっと分からなかったかもしれないんだから、堂々と言えばいいだろ」


「むう……」


「あの、まったく話が見えないんですが……」


 正面のアゲハ様にきっと見つめられる。一瞬怒られるのかと思ったが、睨まれているわけではなく、これまでにない真剣な表情で見つめられているのだと分かった。居住まいを正して次の言葉を待つ。



「レンタローさ、あんた、レンタローじゃなかったみたい」



「……は?」


 しかし、聞いてもさっぱり意味は分からなかった。


「あの、名前は数少ない『覚えてること』なんですけど……」


「ん、名前とかじゃなくてさ。なんていうか、あんたたち魂っていうのはみんな元をたどれば大神様の一部なのね」


 話が急に大きくなった。


「その大神様の一部から無数に枝分かれしたうちのひとつがアンタ、レンタローなんだけど、もとが一つといってもやっぱり近い枝と遠い枝があるのよ。中でも同じ枝から分かれた魂同士はつながりが強くて、同じ名前になったり、同じ時期に生まれたり死んだりする運命を背負うこともあるのね」


「ああ……」


 ようやく話が見えてきた。同じように困惑顔だったソラさんが身を乗り出した。


「つまり……レンタローさんはもう一人いたってことですか!?」


「そーゆーこったな、ソラちゃん。そんでレンタロー」


 カグラさんにぽん、と肩を叩かれる。


「お前さんは悪党じゃなかったみたいだ、おめでとさん」


「わ、わーい?」


マジですか。そうなるとここに来てからの出来事の、全ての前提が崩れることになってしまうんですが。


「残念ながらマジなのよ。おかしいと思ったのよね、魂になってからしばらく経つのに記憶がないなんて。記憶が不安定な魂は多いけれど、普通は少しずつ思い出していくもんよ。ソラっち、レンタローが死んで間もない時に、『お前は悪党だ』みたいなこと言ったでしょ?」


「それは言ったと思いますが……。そもそもレンタローさんをここに呼んだ理由に関わることなので」


 そうだ、ソラさんは優しいのでそんなにはっきりとは言わなかったが、『本来なら即地獄行き』と言われたことははっきりと覚えている。


「よね。で、調べてみたら魂の近似体であるこっちのレンタロー、つまりアンタ。引くぐらいの善人だったわ」


「引くぐらいですか」


「引くぐらいよ。なのにアンタは一番記憶が不安定な時に、その正反対のことを信じさせられた。けれど悪党だった記憶なんてないし、あったとしても思い出したくないと思った。それが記憶の修復を阻害していたのよ」


 確かに思い出したくもない、とはいつも思っていた。


「それは……とてもよく思い当たりますし、悪党じゃなかったと知れて素直に嬉しいです。でもそれじゃあ……本物の――というか、僕の近似体の方のレンタローはどこに行ったんです?」


「ここよ」


 アゲハさんはそう言って、ディスプレイを――眠るない夫が映っている画面を指さした。


「どうしてこうなったのかはまだ分からない。だけど悪い方のレンタローは、どうやってかアンタと入れ替わったうえで、ない夫のいる世界にいる。アイリスとかいう可哀想な女に偽りの声を聞かせてる、無免許女神といっしょにね」



  ◇  ◇  ◇



 そこはカケダーシの街から遠く離れた、人の寄りつかない自然のままの山の中。


 山頂近くの川のほとりに、周囲に似つかわしくない掘っ立て小屋が建っていた。伐った、というより力任せに引っこ抜いたような木材を、これまた力任せに組み合わせたような不格好な小屋である。


 その小屋の主である男が川で水を汲んで戻ると、小屋の中から声がした。若い男女の声だ。


 女の方の声が言う。


「な、なあ。このへんで止めとかないか? なんか私、ひょっとしてシャレにならんことに手を出してる気がしてきたんだが……」


 それに対し、男の方の声はくすりと笑う。


「そのご希望には添えそうにありませんね。ようやく始まったばかりではないですか」


「お前は知らないからそう言えるんだ。私たちなんて大神様が出てきたら……」


 水を汲んできた男はため息をついた。何度も聞かされた言い争いだった。そもそも水を汲んできたのも二人のためだ。男は生きるのに水を必要としない。


 男は入口から、中にいる二人に向かって言った。


「おい女神、レンタロー。お前らは一体いつまでここに居座るつもりなんだ」


「あっ……エヘヘ、お、お帰りなさい、です」


 女神と呼ばれた方の女が気持ちの悪い愛想笑いを浮かべる。レンタローと呼ばれた方の男も微苦笑を浮かべる。


「ですから、我々は一蓮托生なのですよ。何度も申し上げているじゃないですか」


「俺は一度もそれに賛同したことはない」


「あなたがどう思おうと、これは事実なんです。あなたの運命を変えられるのは私たちだけだし、私たちの運命を変えうるのもあなただけです。あなただってこのまま何も知らないままで、勇者に殺されるのは嫌でしょう?」


 レンタローは眼を細め、こう付け足した。


「ね、魔王様」

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