1-2

「ちょ、ちょっとアンタ何やってんの!? 壁に頭を打ち付けるとかやめなよ!!」


 カケダーシの街の外壁にぶつかり続ける不審な男。街の冒険者トーコは彼に向かって慌てて叫んだ。すると――


 ――がんがんがんがんがんがんがんがん!!


「何で加速した今!? やめろって言ってるでしょ!?」


 この不審すぎる男を止めねばならぬ義理などなにもないはずだが、親切な性根をもつ少女なのだろう。可愛らしい丸顔の頬を上気させて、必死に呼びかけている。


「何か辛いことがあったのかもしんないけど! そうやって自分を傷つけるみたいなの良くないよ!」


 必死の呼びかけを聞いてか聞かずか、男は糸が切れたようにぴたり、と動きを止めた。


 ぎこちない動きでこちらを向いた顔に表情のようなものは何も浮かんでいない。ただ額からは血がひとすじ流れ落ちていて、痛々しかった。


「やっと止まってくれた……まったくもう、何であんなことしてたのさ?」


 トーコはほっと息をつきながら、男にそう訊いた。


 しかし、彼女の受難はまだ始まったばかりだったのである。



  ◇  ◇  ◇



「……と、止まりました」


 一方その頃、遠く離れた天界でコントローラーを握っている僕は、ようやく停止ボタンを押して死体を止めることに成功し、安堵のため息をついていた。


「よ、良かったです……」


 先程まで慌てて説明書をめくっていたソラさんも、まさか進んで止まるだけでこれほど大騒動するとは思っていなかったようで、ふうふうと肩を上下させている。


 しかし安心しているヒマはない。モニターにはいつの間にか、見知らぬ少女が映っていた。


 少女の言葉が、モニター内蔵のスピーカーを通して聞こえてくる。


『ちょっとあんた、何とか言いなさいよ! 何であんなことしてたの?』


 どうやら先ほどの醜態について、問いただされているらしい。


「ソラさんどうしましょう、早速第一現地人に接触しちゃったみたいなんですけど」


「お、落ち着いてください!」


 と、明らかに自分のほうが落ち着いていないソラさんは、また急いで説明書をめくり始めた。


「確か、簡単な言葉ぐらいは喋れると言っていたはずです!」


 誰が言っていたのだろう、と僕は思ったが、今は邪魔をしてはいけないと思い、じっと指示を待つのだった――



  ◇  ◇  ◇



 ――トーコは、うんともすんとも言わない男に業を煮やしていた。


「ちょっとあんた、ボーっとしてるみたいだけど大丈夫?」


 よもや頭を打ったせいで、などと考えていたころ、ようやく男が口を開いた。


「はい」


「!! 良かった、ちゃんと喋れたんだね!」


「はい」


 男は額から血を流しながらも、淡々と返事をする。さきほどまで異常な行動をしていたことをみじんも感じさせない、気の抜けたような無表情のままである。


 そんな男の様子をいぶかしげに眺めながらも、トーコは尋ねた。


「それで、何があったのよ。壁にガンガン頭ぶつけちゃってさ」


 ……。


「はい」


「いや、はいじゃなくて」


「いいえ」


「いや、いいえでもなくて!」


 ようやく口を開いたと思った男だったが、埒が明かないことには変わりがないようだった。


「だからさ、はいとかいいえじゃなく……」


 トーコが言いかけた途端、男は物凄い勢いで喋り出した。


「はいはいはいいいえはいいいえいいえはいはいはいはいいいえはいいいえいいえはいはいいいえはいはいいいえいいえいいえはいいいえいいえはいはいいいえいいえいいえはいはいはいはいはいはいいいえはいはいはいはいはいはいはいいいえはい」


「ヒイッ!? 何こいつ怖い!!!」


 トーコは物理的に三歩ぐらい引いた。


 いかに親切なトーコと言えど、


「(関わりたくない!)」


 と思ったのも無理からぬことであった。


「そ、そうだ、あたしモンスター狩りに行かなきゃいけないんだった!

 そんじゃね! もうあんなこと止めなさいよ!」


 トーコはそれだけ言うと、無表情のまま立ち尽くしている男を置いて、そそくさと立ち去って行ったのだった――



  ◇  ◇  ◇



「……」


「……」


 立ち去っていく女冒険者を見ながら、僕とソラさんはお通夜状態だった。


「……はいといいえしか言えないのは、喋れるとは言わないのでは?」


「ですよね!」


 すいません、とソラさんは冷や汗をふきふき謝る。


「まさかあれだけしか喋れないとは思いませんでした……。

 さすがにひどいので、あとで運営にアプデ要求しておきます」


「運営……? アプデ……?」


 耳慣れない言葉が聞こえたが、問いただすより先にソラさんはジト目で僕を睨んで言った。


「でも、逃げられたのは半分ぐらいレンタローさんが連打したせいですよね?」


「……困ったときはとりあえずレバガチャかな、と思って」


「レバガチャ……?」


 僕にもはっきりした記憶はないのだが、何となく昔ほんの少し触った格闘系のゲームで、同じようにしたら意外となんとかなったような覚えがあったのだ。


 しかし現地人にはドン引きされてしまったので、今後レバガチャは封印することにしよう。


「まあ、済んだことは仕方ありませんし……。

 とりあえず、さっきの女の子が行った方向について行ってみませんか?」


 ソラさんは気を取り直してそう提案した。


「追いかけるんですか?」


「ええ。さっきあの子は『モンスターを狩りに行く』と言ってたでしょう。

 チュートリアルついでに、モンスターとの戦い方も試してみたいなと思いまして」


 とソラさんは説明書の一枚を指さした。『基本的な戦闘について』と書かれたページが開かれている。


「……危なくないですか?」


 立って歩くだけで壁にぶつかるものが、戦闘などできるだろうか。


 しかしソラさんは、胸を張って太鼓判を押す。


「ここは駆け出し冒険者の街ですよ?

 この死体はこれでも魔王を倒すために、才能や身体能力を限界まで強化されています。この辺りのモンスターなら、危険はありませんよ!」


「……本当かなあ」


 僕は疑いながらも、先ほどの少女が走り去った方向に向けて、死体を移動させることにした。



  ◇  ◇  ◇



「はー、びっくりしたなあ。さっきのヤツ、いったい何だったんだろ……?」


 冒険者トーコは先程会った不審者のことを考えながら、森の中の小径を歩いていた。肩の上あたりで切り揃えた赤毛はふんわりと膨らんで、時折木立を通り抜ける風にさらさらと揺れている。


「冒険者っぽい身なりをしてたけど、この街じゃ見たことないよね。どっかヨソの街から来たのかなあ。魔王降臨いらい、冒険者の行き来が激しくなってるもんね」


 どうやら彼女は、考え事を口に出すのが癖らしい。ぶつぶつと独り言をつぶやきながら歩き続け、やがてモンスターが目撃されるポイントまで辿り着いた。


「ま、それはさておき、狩りに集中しないとね。今は木っ端冒険者だけど、いつかは魔王軍と戦えるような一流冒険者になるんだから!」


 トーコはそう言って気合を入れなおすと、辺りの茂みからモンスターの気配を探りはじめる。


 ややあって発見した足跡を辿っていくと、グレイウルフの小規模な群れを発見した。


「(……よし)」


 トーコは気配を殺しながら、ゆっくりとグレイウルフに近づいていった。




「……ふう。一匹逃がしちゃったけど、こんなもんかな」


 数分後。トーコは手に持った短剣を血振りしつつ、満足げに呟いた。足元には三匹のグレイウルフが血溜まりの中に絶命して横たわっている。


 グレイウルフは通常の狼がモンスター化した小型モンスターである。モンスターとしては弱い部類だが、ただの狼よりも狂暴で毛皮も堅く、群れやすいため決して油断ができる相手ではない。旅人や商人が襲われないよう、街の近くでのグレイウルフの間引きはトーコたち冒険者の大事な仕事のひとつである。


 それにしてもグレイウルフの群れに一人で対処できるのは、冒険者としては一人前である証拠とも言える。まだ顔立ちに幼さを残す十代半ばの少女でありながら、トーコはここカケダーシの街ではすでに中堅レベルの実力を持つ冒険者であった。


「まだ時間はあるけど、どうしよっかな」


 トーコはグレイウルフの死骸を眺めながら考えている。この毛皮を剥いで持ち帰れば金に換えることができるのだが、血の匂いに引かれて他のモンスターが寄ってくる可能性もある。近くに潜んでそれを待ち、さらに数匹狩るのも悪くないと思ったのだ。


「ま、とりあえず血抜きだけやっとこうかな」


 いずれにせよ、毛皮を剥ぐために持ち帰るなら血を抜いておいたほうが都合がいい。首を落として適当な木にぶら下げるので、囮としての役割も果たしてくれるだろう。


 そう思って、トーコが死骸のひとつに近寄ろうとした時だった。


「GRRRRRRRRR!!!」


 先程逃がした一匹だろうか、グレイウルフがすさまじい唸りを上げながら突っ込んできた。


 もちろんトーコは油断などしておらず、素早く身をかわす。が、グレイウルフはトーコなど眼中にないというふうに、後方に走り去っていってしまった。


「……? なんじゃありゃ?」


 狂乱したグレイウルフを見送って、首を傾げるトーコ。


 そうやってグレイウルフに気をとられたぶんだけ、背後の恐ろしい気配に気づくのが遅れた。


「っ!?」


 気付いた時には、トーコは吹き飛ばされ、近くの樹に叩き付けられていた。


 それでもトーコは、かろうじて最低限の受け身だけはとることに成功していた。が、体勢を立て直そうと足をぐっと踏ん張ると、一瞬視界がぐにゃりと揺れるほどの痛みが脇腹を襲う。一瞬で取り返しのつかないダメージを負ってしまったようだった。


「……スケイルワーム! どうして、こんな街の近くに!?」


 トーコの目線の先に、ヘビとワニの中間のような生物が鎌首をもたげていた。樹木ほどの太さのにょろりとした体は厚い鱗に覆われている。先ほどトーコを吹っ飛ばしたのは、その頑丈な尻尾による一撃だった。さきほどのグレイウルフは、こいつから逃げてきたのだ。


 スケイルワーム。そう呼ばれて恐れられているそれは、普段もっと森の奥地にいるはずの、賞金首モンスターであった。


(あたしが敵う相手じゃない。でも、この傷じゃ逃げられそうにない……)


 トーコはさあっと血の気が引いていくのを感じながら、それでも精一杯の虚勢をもって、スケイルワームに向かって剣を構えた。


 がさり


 その時、トーコの後方の茂みから何者かが近づいてくる気配があった。


「(まさか新手!? スケイルワームだけでもしんどいってのに……!)」


 警戒しながら、素早く音のした方に眼を走らせる。


 と、そこにいたのはどこかトボけた顔をした男だった。木々の枝葉が顔にぶつかるのを気にも留めず、真っ直ぐにこちらに歩いてくる。


「さっきの、頭のおかしい人!?」


 そう、男は先ほど街の近くで会った、壁に突進を繰り返していた変な人だった。状況に余裕がないため、つい『頭のおかしい人』などと失礼な呼び方をしてしまったトーコだったが、男は気にしたふうもなく


「はい」


 などと平然と答えてさらに近づいてくる。もう、とっくにスケイルワームの姿が目に入っているはずなのに。


「……こっちに来ちゃダメ! 危険なモンスターがいるから、ギルドに知らせて!」


 自分の命が危ないにも関わらず咄嗟にそう叫んだトーコは、まさしく高潔な冒険者であったろう。しかし、その足元は微かに震えていた。


「いいえ」


 男はそれでも歩みを止めない。


「いいえ、って、それじゃあ……」


 トーコはすがるように、無表情な男の顔を仰いだ。


「あたしを、助けにきてくれたの?」


「はい」


 男はただひとことそう言うと、剣を抜き放った。

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