6-5
「あ、女神様オハザーッス! はい、はい、今日も麗しいお声を聞けて幸せですわ……」
「またやってるね、ない夫」
「はい」
ない夫たちの住む冒険者向け集合住宅『鳥の宿り木亭』にアイリスが転がり込み、なし崩し的に仲間のような感じになってからさらに数日が経った頃である。
突然話し出すアイリスの奇行にも皆慣れきっていて、動じることなく食事を続けている。
「――というわけでない夫、トーコ! 女神様から耳寄りな話を聞きましたわよ!」
ひとり当事者のアイリスだけは、謎の声を聞いてしばらくはとても上機嫌である。
「はい」
「あ、ない夫、食べながら喋っちゃダメだってば! アイリスごめん、ない夫が食べ終わってからにしてくれる?」
「し、失礼しましたわ……」
アイリスは素直に引き下がり、トーコの介助を得ながら程なくしてない夫は食事を終えた。
「はい、口拭きますよー……っと、ごめんねアイリス、それで何の話?」
「はい。……大男のない夫が、幼児のように世話をされている光景、未だに慣れませんわ」
「すぐ慣れるって。ね?」
トーコが周囲の冒険者を振り返ると、皆ウンウンと首を縦に振った。
「ほら。それで、何の話?」
「え、ええ。コホン……実は女神様から、極めて重要な啓示がなされたのですわ。魔王にも、ここカケダーシの街にも関わることですの」
「へえ、面白そう。聞かせて聞かせて!」
「はい」
二人にねだられてアイリスが語ったのは、次のようなことだった。
実はこのカケダーシの街は、何代も前、古代の勇者の出身地であった。
勇者は魔王を討ち果たしたあとでこの街に戻り、いつかまた魔王が復活した時のために、大きな力を秘めた秘宝を人里離れた場所に隠した。
今でもその秘宝は、カケダーシの街周辺の山中に眠っているという。
「わたくしがこの街に来てから、女神様はそれを探して下さっていたのですわ。そしてつい先ほど、キタノ山脈の奥深くに古代の遺跡を見つけたんだそうですの」
「そこに、古代の勇者の秘宝があるの?」
「確かではありませんが、可能性は高いとのことですわ」
「おお……凄いねない夫! 秘宝探しなんて、おとぎ話の冒険者みたい!」
「そうでしょう、そうでしょう! 本来なら勇者たるわたくし一人で向かうところですが、お二人のことは女神様もお認めでいらっしゃるわ。特別に同行を許してもよろしくてよ」
「ありがとう、アイリス! 宝探しなんて素敵だね、ない夫!」
「……」
「……ない夫?」
トーコは話の途中から、ない夫が黙り込んでいることに気づいた。
「えっと……せっかくだし、行ってみたいよね? ない夫」
「……」
素振り入道はいつものとぼけたような無表情で虚空を見つめながら、いつまでも沈黙を保っていた。
◇ ◇ ◇
「で、どう思います? これ」
「罠だろ」
「ですよねー」
無免許女神とワルタローに取り憑かれた自称勇者、ことアイリスの話を聞いて、僕とカグラさんはそう結論づけた。
「でもカグラちゃん、どういう罠なんでしょうね?」
「想像もつかねーな。そもそも目的が分からねーし」
が、ソラさんの疑問ももっともで、何のためにどういう罠にかけようとしているのかはさっぱり分からない。ちなみにアゲハさんは無免許女神の調査を兼ねて閻魔庁に戻っているため、今日はこの三人のみだ。
「話をまとめますけど、アイリスに話しかけてるのは謎の無免許女神なんですよね。その後ろにワルタローがいて、さらに魔王もいると。主体は誰なんでしょうか?」
「まあ……レンタローさんに聞いたこともあわせて考えると、ワルタローさんの差し金なんでしょうね。何かしら企んでるのは確かですし」
「そこに魔王も協力関係にあるわけだから、ワルタローの企みには魔王にもメリットがあるってことですよね。となると、単純に勇者――つまりない夫のことですけど、ない夫の殺害とかも目的になり得ますかね」
「だが、勇者を殺してワルタローに何の得があるんだ? 無免許女神の方は尚更だ。勇者なんて殺しても後釜が湧いてくるのは元女神なら当然知ってるはずだ」
「そもそも女神の皆さんは異世界に干渉できないんじゃなかったでしたっけ。無免許女神はこの世界に居るんですよね?」
「ええ。正確には干渉できないというか、干渉すると力を失います。ですからこの無免許女神もその権能のほとんどを失ってるはずですよ。せいぜい頭の中に謎の声を響かせられるぐらいじゃないですか」
「そう考えると、罠にかけようにも大したことはできなさそうなんだよな」
なるほど、もと女神とはいえ、異世界の中では大した力を行使できない。生前は大悪党だったとはいえ、今はいち魂に過ぎないワルタローだって同様だろう。となると、大きな力を持つのは魔王ひとりということになる。
「ノコノコ誘い出されて行ってみたら、魔王が待ち構えているというのは? RPGの序盤でレベル1の勇者を魔王が殺しに来るっていうのはある意味定番ですけど」
定番というか、『なんでそうしないの?』という意味での逆定番ではある。最近はかなり記憶を取り戻したので、このぐらいの浅い知識はある。
「あーるぴーじーのことはよく分かりませんけど、魔王は動いていませんよ。今から殺しに来れる距離じゃありません」
「そっか、魔王のだいたいの位置は分かるんでしたね。となると……」
「うーん……」
僕たち三人は黙り込んでしまった。この調子で考えていても、結論は出そうにない。
僕は思い切って、楽観的に決断することにした。
「……とりあえず誘いに乗ってみましょうか。その中で、向こうの目的も見えてくるかもしれませんし」
「ええっ。危険じゃないですか?」
「危険はあるかも……というか、あるんでしょうけど。何となく、致命的なことにはならなさそうな気がするんですよね」
「何となくかよ、頼りないな。まあ、レンタローの判断に従うけどよ」
『何となく』の根拠は、ワルタローと話したときの印象から考えると、いきなり殺すような短絡的な方法は選ばないんじゃないかな、という一種の勘なのだが。それを言うと余計に不安にさせそうなので、僕は黙ってボタンを押した。
◇ ◇ ◇
「はい」
「……おっっっっそ! ない夫それさっきの返事? ずいぶん遅かったね!?」
「いいえ」
「いや遅かったよ! たっぷり十分はフリーズしてたけど! ――まあいいや、ない夫も賛成ってことでいいんだね?」
「はい」
「宜しいですわ。では早速準備をいたしましょう」
目的地は、街の北にあるキタノ山脈の奥深く。野営の必要もありそうなので、一行はまずは入念な準備にとりかかった。
◇ ◇ ◇
一方その頃。はるかに離れた山奥でも、準備に余念のない者たちがいた。
「トモエさん、このコードはどこに繋げれば?」
「あー馬鹿! そんな雑に引っ張るなよ! さっきも説明しただろ!」
「原理を明かさずに手順だけを列挙するのはよい説明とは言えませんよ。学者肌なのは構いませんが、相手の知識に何があって何がないのか、それをきちんと理解したうえで喋るのが賢い態度というもので」
「うるさい! レンタローが理屈臭いのは知ってるが、こっちは繊細な作業中なんだぞ!」
レンタローとトモエと呼ばれる女――自称女神らしいが――がわちゃわちゃやり合っているのを目にして、魔王はため息をついた。
「お前ら、何をやっているんだ」
「アッ魔王……お、お帰りなさい。これはそのう……」
初めて魔王の存在に気がついたトモエがしどろもどろになる。レンタローとかいう魂に対しては強気なのに、魔王に対してはずっとこの調子だ。対してレンタローは、年来の友人のように親しげに話しかけてくる。
「魔王さん。これはまあ、ちょっとした実験ですよ。ご迷惑はおかけしません」
「いや、狭いんだが。めちゃくちゃ迷惑なんだが」
ここは言うまでもなく魔王の家である。家というか自力で建てた掘っ立て小屋なので、当然もともと狭い。
その狭い室内に、トモエたちはごちゃごちゃと意味不明なコード類を繋いで回っていた。
「狭いというのは私も感じていましたよ。魔王様なんですから、もっと城みたいなところに住んでいてくれてもいいと思いませんか?」
しゃあしゃあと図々しいことを言うレンタローに対して、魔王は今更怒りも湧かない。
「文句があるなら出ていけ。この広さで十分だったんだよ。お前らが来るまでな」
「無欲なことで。あなたなら人里に降りて、城のひとつやふたつ分捕るぐらいの力はあるでしょうに」
「……理由もなくそんなことが出来るか。可哀想だろ」
魔王がそう答えると、レンタローとトモエは顔を見合わせる。
「魔王ってこういう性格なのが普通なんですか?」
「たぶん違うと思うぞ。破壊衝動みたいのに生まれつき取り憑かれていると聞いていたんだが……」
「……俺に破壊衝動があったら、真っ先にお前らを殺してるだろうな」
「ヒッ……、そ、そうですよね。ナマ言いました」
ペコペコと頭を下げる卑屈な自称女神に、魔王はため息をついて踵を返した。今はこれ以上話しても仕方ないと思ったのだ。もとより、コードと機械類で足の踏み場もなかったのもある。
魔王には今の状況も、自分自身のことも、よく分かっていない。
この世界における一般常識などは知識として備わっている。また自分に大きな力があることも、その使い方も、それが人間たちに恐れられていることも、最初から知っている。
しかし、なぜそうなっているのか? という疑問に対しては、何も答えを持っていなかった。なぜ自分が生まれたのかも、いつ生まれたのかも知らなかった。
そんな状態でぼんやりと山奥に暮らしているところに、おかしな二人がやってきた。自称女神と死にたての魂である。女神は怯えた様子で話にならなかったが、魂の方は妙に自信満々に協力を持ちかけてきた。
協力もなにも、自分に目的などない。魔王はそう言って断ったのだが、レンタローは魔王と協力し合えることに確信があるようだった。その態度をどうにも突き放しきれず、二人を追い出すことができずに今日に至っている。
◇ ◇ ◇
「つーわけで、無免許女神の素性が分かったわ」
アイリス提案の遠征が決まり、ちゃくちゃくと準備が進むある日の夜。
僕と女神様たちは、調査を終えてやってきたアゲハさんの報告を聞いていた。
「名前はトモエ。女神だった時の権能は『隠遁』、まあ、もとから大した権能ではなかったみたいね」
「ちょ、ちょっと待ってください」
が、いきなり躓いた。権能ってなに。新しい概念出てきたんですけど。
「権能といっても別に大げさなものじゃなくて……まあ女神ごとの性格の違いぐらいなものですよ。分かりやすいように簡単な言葉で免許証に記載されてます」
とソラさん。免許証あるんだ……。
「あたしなら『審判』とかね」
と、アゲハさんが話を引き取る。
「そのまんまですね」
「そのまんまなのよ。だからこのトモエってのも女神だったころから、引きこもって何やら怪しげなことをいろいろやってたみたいよ。数千年前まではその成果を論文にして提出したりもしてたみたいだけど、最近はとんと音沙汰なし。で、免許が失効したみたい」
「ふうん。論文、トモエ……なんとなく聞き覚えがあるな」
「カグラちゃん、読んだことあるんですか? そのひとの論文」
「……いや、あんまり自信ないな。読んでるかもしれん。何しろ死体の遠隔操作システムを作るために、数百年ぐらい資料室で論文を片っ端から漁ってた時期があるからな」
「流石時間のスケール感が違いすぎますね……」
女神様免許の有効期限もきっと数千とか数万なんだろう。どうやって更新するのか知らないけど。
「つーわけで『隠遁』が何のつもりで表に出てきたのかは分かんないけど、とりあえず素性は分かったんで、一応有罪判決は出しといたわ」
「おお、さすがアゲハさん、他の女神様も裁くことができるんですね」
「裁けないわよ。女神を裁けるのは大神様だけ。無免許でも女神は女神だし」
「駄目じゃないですか」
「駄目なのよ。一応大神様に申請は出しといたけど」
「……ちなみに聞いていいのか分かりませんけど、ちょいちょい話に出てくる大神様ってどういう人――神様なんですか?」
僕がそう言うと、アゲハさんは眉根を寄せ、カグラさんは首を傾げ、ソラさんは困ったように微笑んだ。
「大神様は――なんというか気まぐれな方なので、あまりあてにはしない方がいいかと」
「なんでもできるけど、なんにもさせちゃいけないひとよ」
アゲハさんはぶっきらぼうにそう言った。全然分からないが、偉い人すぎてアテにはできないということだろうか。
「どっちみち女神による世界への直接干渉は禁じられてるし、それを破ってトモエがこの世界にいる以上、大神様の裁きは下るはずよ。いつになるかは分からないけど」
「……女神様目線でいつになるか分からないってことは、数万年後かもしれないってことですよね」
「分かってるじゃない。だから今代の魔王は、あたしたちで何とかしなきゃいけない可能性が高い。だからこそ……」
「トモエさんと、そしてワルタローの企みが何かを看破することが重要ってことですね」
「そういうこと。そしてそれは、なぜかいち魂でしかないはずのアンタにかかってるってわけ」
「が、頑張ります……」
ない夫たちの遠征が始まる。
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