6-10

 カケダーシの街に戻ってくるころには、出発時から一月以上が経過していた。


 トレードマークの赤毛が少し伸び、童顔も心なしかたくましくなった、冒険者少女トーコ。長旅に多少くたびれたものの、金髪を腰までたなびかせたゴージャスな装いは揺るぎない、一流冒険者アイリス。そして図抜けた長身の上に禿頭を光らせ、それでいながら圧迫感を感じさせないとぼけた表情の大男、『カケダーシの素振り入道』ない夫。


 三人の冒険者たちは、熱烈な歓迎をもって迎えられた。なんとなれば、彼らが赴いたのは前人未踏の地ゆえに風の便りもない。無事であるかどうかすら分からない期間が長くなるにつれ、街の人たちもいい加減不安が募っていたからである。


 なので、とりあえず無事に帰ってきたというだけでない夫たちは大歓迎され、とりあえずは長旅の疲れを癒やす三人を置いて、繁華街では夜遅くまで酒を酌み交わす人々で溢れることとなった。




「この街の人たちは温かいですわね。目に見える功績があるわけでもないのに、あんなに喜んでくださって」


「単純なだけじゃないかな。バカが多いんだよ、たぶん」


 と憎まれ口を叩きつつも、トーコもこの街出身なのでまんざらでもない。


「それに実際秘宝はあったわけだしね」


「秘宝は秘宝でも、呪いの秘宝でしたけれどね……」


 ない夫たちが帰ってきて数日が経過している。長旅の垢を落としてぐっすり一晩眠ったあと、まずはギルドに報告。それからは物見高い街の人たちに道中のエピソードを話したりしながら、身体を休める日々である。


 ギルドへの報告はこんな風にした。女神様の助言通り進んでゆくと、どう考えても前人未踏なはずの場所に神殿があり、女神の遺産があった。だがそこで魔王のけしかけたモンスターの襲撃に遭い、遺産は破壊された。しかしアイリスはその前に遺産から力を得ることには成功しており、無事撃退することができた。とこんな感じである。


 冒険の証拠としては、壊れた女神像や神殿の外壁の一部を持ち帰った。真っ二つにした首輪は、さすがに不気味なのでない夫が細かく刻んで山に埋めてきた。また、アイリスが操られた件や、その際に聞こえてきた謎の声などについては伏せてある。どうせ分からないことだらけで、いらぬ不安や恐怖を煽るだけだからだ。


「でも本当、なんだったんだろう。神殿も、遺産も、アイリスを操った奴も……わかんないことだらけだよ」


 現在はない夫の部屋で、久々に三人だけの時間を過ごしていた。


「……あれから女神様の、いえ、女神様を騙る声は聞こえてこなくなりましたわ。首輪を壊したことで死んだのか、単に諦めただけなのかは、分かりませんけど」


「やっぱり悪霊とか呪いとか、そういう類なのかなあ。魔王復活とも関係があるのかも。もしまた声がするようになったら、すぐ相談してね、アイリス」


「もちろんですわ、トーコ」


 二人はあの事件について、首輪に宿った悪霊の類が、身体を手に入れるためにアイリスを呼び寄せた――と、おおむねそんな風に解釈している。


 なぜ『軽やかない夫メンテサークル』内でアイリスは動けたのか――それは説明がつかないが、悪霊でもビビりそうなぐらい異常な動きだったことは事実である。


「まあ、なぜかアイリスがパワーアップしたことは事実だから。収穫はあったってことだよね」


「はい」


「それも、あの悪霊のせいだと思うとイヤなのですが……。とはいえ、得られたものは使うべきですわね」


 アイリスは事件後、明らかに動きが良くなり、力も強くなった。二人には知る由もないが、大神の遺産に込められた女神パワーを取り込んだ結果である。ちなみに間近でそのパワーを浴びたない夫も同様で、トーコも、二人ほどの吸収率を持っていないため気づいてないが、多少はパワーアップしているはずであった。


「はい」


 アイリスの言葉に頷いたない夫を、トーコが上目遣いにじっと見つめる。


「ねえ、ない夫はあの悪霊みたいな奴の言ってたこと、少しは意味分かった?」


「はい」


「マジで!? ない夫すごいね。それを聞かせてもらえないのが残念だけど……」


「はい」


「……わたくしには説明できないのをいいことに、見栄を張っているようにしか見えませんわ」


「あはは! そうかもね!」


「いいえ……」


 アイリスもくすりと笑って立ち上がる。


「これ以上新しい解釈もないでしょうし、わたくしは先に失礼しますわ。理由がなんであれ、胡乱な声に騙されて身体を乗っ取られたのはわたくしの不徳の致すところ。初心に返って鍛え直すつもりですの」


「あ、じゃああたしも手伝うよ。あたしも、一人だったらアイリスを助けられなかったし……ね」


「はい」


「ええ、いつまでもない夫さんにばかり頼ってはいられませんもの。それではない夫さん、ご機嫌よう」


「はい」


 金髪をなびかせてアイリスが出て行く。トーコはその背を追おうとして、ふと足を止めた。


「あのさない夫、変なこと聞いていい?」


「はい?」


 トーコの心をよぎったのは、操られていたときのアイリスの動きのこと。あの時『ない夫みたいだね』と何の気なしに言ったことが、今頃になってトーコを不安にさせていた。




「ない夫はさ、誰かに操られてたり、しないよね?」




 トーコは口にしたとたんはっとした顔をして、嫌な考えを打ち消すようにぶんぶんと手を振った。


「ごめんごめん、ホントに変なこと言った! ない夫が悪いものに操られてたりなんか、するはずないもんね!」


「はい」


「そうだよね! ごめん、本当に普段そんな風に思ってるとかじゃないから――ついぽろっと口から出ちゃっただけ! 気にしないでね?」


「はい」


「じ、じゃああたしもアイリスと訓練してくるから! ない夫はゆっくり休んでてね!」


 慌てたようにトーコが出て行く。


 残された素振り入道は、無言のまま何を考えているか分からない表情で、壁をじっと見つめていた。



  ◇  ◇  ◇



「あークソ、私の考えた理論にあんな穴があったとは……」


「考えれば分かりそうなものですけれどね。人間をボタンで操作しようなどと、机上の空論もいいところです。魔王様もそう思うでしょう?」


 水を向けられた魔王は、しぶしぶ頷く。


「……そうだな。傲慢な上位存在気取りの考えそうなことだ」


「ぐぬぬ……」


 トモエは魔王には言い返さず、レンタローの方を睨みつける。


「だが、この計画が失敗して困るのはお前もじゃないか。勇者が魔王……様を倒しにきたら、私たちだってきっと成敗されるんだぞ。したり顔で分かってましたなんて言ってるが、レンタローにとっても誤算だったんじゃないのか!?」


 トモエとしては痛いところを突いたつもりだったが、レンタローは憐れむような目で、ため息をついた。


「最初から言っているでしょう、これはただの実験だと。トモエさんの理論で人を操ることができるのか、それを試したかっただけですよ」


「なら実験は失敗だ! 大神のアイテムは壊され、アイリスのような高位冒険者のコントロールを手に入れる方法は永遠に失われた!」


「いえ、成功ですよ。インターフェースは改良の余地があるものの、部分的に人の操作は可能だと証明されました。高位冒険者ではなく、何の力もない一般人であればトモエさん単独の力でもコントロールが可能なのでしょう?」


「それはそうだが……一般人を動かして、何か意味があるのか?」


「大いに意味がありますよ。人を動かすのはボタンではなく、口先であるべきです」


「……どういうことだ? 何を考えている?」


 レンタローはその問いにはふっと笑うのみで答えず、こう続けた。


「ともかく、最初はあなたのやりたいようにやらせてあげたのですから、次は私の指示で動いてもらいますよ。魔王様にも協力して頂きます」


 いきなり断定的に言われた魔王は眉をひそめる。


「……俺が素直に協力するとでも?」


「思っていませんよ。でも最終的には協力して頂けると思っています。だって……」


 レンタローは手を広げて、いい笑顔で言った。


「他にやる事、ないでしょう? あなたは退屈しているんですよ。その証拠に、何だかんだ言っても私たちを追い出さないし、今も私たちのそばにいる」


「……」


「まあ、今からでも人里に降りて破壊の限りを尽くすというなら止めませんけど。そうでないのなら私に協力してくださいよ。どうせ暇なんですから」


 魔王はなにも答えなかったが、レンタローはその沈黙そのものに満足したのか、頷いた。


「それで? 私はどうすればいいんだ?」


 トモエが尋ねると、レンタローは人差し指を額に当てて言った。


「もちろん機材を改良してもらうのですが……少し考えさせてください。さきほどは格好つけましたが、正直なところ私にも誤算はありました。あのアイリスという冒険者はまず死ぬと思っていましたからね」


「ああ……だがそれは仕方ないだろ。まさかあんな馬鹿らしい方法でコントロールを妨害できるなんて、誰も思わん」


「ところが、思いついたものがいたわけです。……ですから、相手が思いもよらない手段を取ってくる可能性も、計画に織り込む必要があります」


「成る程な。面倒臭いヤツがいたもんだ」


 トモエは不満げに鼻を鳴らしたが、レンタローは小声で呟いた。


「……まあ、もうひとりの私なんですから、それぐらいやってもらわないと困りますね」


「ん? 何だって?」


「いえ、独り言ですよ」


 レンタローの唇は、嬉しそうに吊り上がっていた。

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