4-4

 ない夫と別れたトーコは、小骨が喉にささったような居心地の悪さを感じていた。


 朝の時点では違和感はなかった。いつものように部屋に迎えに行き、朝食を食べ、一日の予定を決めた。狩りは休みにすることにして、ない夫が街中を歩きたがっていたので――もちろん「はい」「いいえ」問答を繰り返した末にトーコがそう判断したのだが――いったん別れて、トーコは自室に戻った。


 ところが、昼前に会ったない夫は少し様子がおかしかった……ような気がする。わりといつもおかしいと言えばそうなのだが、やはり何かが引っかかる。トーコはため息をついて、やりかけていたナイフ研ぎをあきらめた。もやもやとした気持ちで午後を過ごすよりは、ない夫を探しに行こう。何事もなければそれでいい、屋台でサンドイッチでも買って一緒に食べようと、そう思って。


 どこにいるかは知らないが、目立つヤツだからすぐに見つかるだろう。トーコはそう考えて表通りに出たが、目当てのヤツは想像した以上に目立っていた。歩き出して間もなく、トーコは何人もの冒険者に声をかけられた。口にするのはだいたいこんな事である。


「やあトーコ。あんたの相棒は何だって急にフルプレートメイルを必要としたんだい?」


 ない夫のことは全部トーコに聞けば分かると思っているのである。当然トーコにとっても青天の霹靂であった。トーコは名探偵さながらにない夫の足跡を追って駆けずり回るハメになった。


 まず鍛冶屋のコグサに話を聞き、フルプレートメイルの証言を追って西門に辿り着く。そこで門番に話を聞いたトーコは、最短ルートで郊外に住む孤児の家に辿り着いた。


 風土病のことも気にせずナナミたちの家に上がり込んだトーコは、急な訪問者に驚くナナミをなだめすかして話を聞く。聞き終わると顔色を蒼白にした。


「何てこと……すぐに助けに行かなきゃ。ギルドのみんなにも声をかけて――」


「あ、あの、どういうことなんですか? 『素振り入道』さんは二つ名持ちのすごく強い冒険者さんなんですよね?」


 ナナミにとっても戸惑うことばかりである。ない夫はすでに彼女を救ってくれたのであって、あとはキマイラを倒して颯爽と帰ってくるのを待っていればいいと思っていたのだ。


 トーコは首を振った。


「あいつは確かにめちゃくちゃ強いけど、一人じゃウルフも満足に仕留められないぐらい不器用なの。本人もそれが分かってるから全財産はたいて鎧を買ったんだろうけど、それもどれだけ役に立つか……」


「え? 全財産? 鎧?」


 ナナミの頭をガションガションと歩いていった全身鎧の後ろ姿がよぎる。それが鍛冶屋にディスプレイされていたことなど知らないナナミにとって、当然あれは以前からのない夫の装備品だと思っていたのだ。だが今思えば、門の前で転んでいたのも、なかなか起き上がれなかったのも、買ったばかりの不慣れな装備だったからなのだ。


 私の願いのために、不器用なのに無理をして、全財産をはたいて。


「こうしちゃいられないわ。――ナナミちゃん、あなたが悪いわけじゃないのは分かってるから大丈夫。安心して待ってて。あたしはない夫を助けに行くから」


「あ、あの! 『素振り入道』――いえ、ない夫お兄さんは、どうしてそこまでして――?」


 ナナミの問いかけにトーコは一瞬だけ足を止めて、ニッと微笑んで言った。


「分かんないけど、ない夫はそういうヤツなんだ」


 そして今度は振り返らず、一直線に走り去っていったのだった。




「ない夫! ……ギリギリ間に合ったみたいね!」


 トーコは剣を抜き、息を整えながら言った。ギルドの冒険者たちにも声はかけたが、何しろ相手は塩漬け賞金首モンスターのキマイラである。出発するにはそれなりの編成を組まざるを得ず、待ちきれなかったトーコが先行してきた形である。


 トーコは一瞬のうちに状況を見てとり――フルプレートメイルの残骸、剣を抜いたない夫、周囲の地形、キマイラの戦意――戦いが避けられないことを悟って、覚悟を決めた。


(もうスケイルワーム相手に何もできなかった頃のあたしじゃない。ない夫の背を追って、冒険者としていつでも命を賭ける覚悟はしてきた。今度はあたしが助ける番だ)


 キマイラの雄叫びにも負けず、トーコは声を張り上げた。


「あたしが援護する! 行くよない夫!」


「はい」



  ◇  ◇  ◇



「流石トーコちゃん。一体何をどうやって事情を察してここまで来れたのか分かりませんが、なんとなく来てくれるような気もしてました」


 ディスプレイの向こうで凜々しく短剣を構えるトーコちゃんを見て、僕の心情的にはもう「勝ったな……」という感じであった。いや、戦いがこれからなのは分かっているのだが。


「私、ない夫が魔王と戦うときもこの子は隣にいる気がします」


「流石に気がはえーだろソラちゃん。あたしもそう思うけど」


「僕もそう思います」


 とまれまだキマイラ戦の最中、さすがに僕も気を抜いてはいない。しかし現状キマイラを前後に挟むような形で、かなりやりやすくなったのは間違いない。僕はない夫をじりじりと前進――させるような機能はないので、普通にスタスタと歩いてキマイラに近づけていく。


 キマイラがこちらに飛びかかるような様子を見せるが、すかさずトーコちゃんが尾の蛇に斬りかかる。キマイラがうるさそうに後ろを気にした瞬間、僕はアクティブスキルを発動させた。


――――――――――――――――

【アクティブスキル】

|>スラッシュインパクト

――――――――――――――――


 ない夫が爆発的に加速し、あっという間にキマイラに迫る。ない夫は基本的に行動の予備動作がまったくないのでディスプレイ越しに見ていてもちょっとビビる。キマイラはもっとビビったはずである。


 勢いのまま剣を振り下ろすと、ドガン! と爆発音のような音がして土煙があがる。なぜ剣で爆発音が起きるのかは謎である。


「やりましたか?」


「ソラさん、それはやってない時のセリフですね」


 そう簡単に決まるとは思っていなかったが、キマイラは想像以上に厄介だった。避けられそうな体勢ではなかったはずだが、キマイラはその体勢のまま3メートルぐらい宙に浮いて『スラッシュインパクト』から逃れていた。そのまま空中を移動して、少し離れた場所にふわりと着地する。


「飛行魔法……!」


「使えるって話でしたねそういえば。これはスラッシュインパクト当てるのは厳しいかな……」


 ない夫に予備動作はないが、スラッシュインパクトというアクティブスキル自体『走る→斬る』と二動作を一気に行うスキルなので、『走る』の時点で攻撃を察知されるのは避けられない。体勢を崩していても飛行魔法で躱されるとなるとかなり厳しい。


「『かいてんぎり』なら当てられるかもしれませんが……」


 僕はそう呟きつつ、喋るボタンを二度押す。


 『はい はい』


 『……分かった! なるべくない夫の方に誘い込むようにするね!』


「トーコちゃんってこっちの声聞こえてたりします?」


「ホントそうとしか思えないぐらい察しがいいな」


 なぜか意図が伝わることに定評のあるトーコちゃんはまたキマイラの後ろに回り込もうとする。キマイラも牙や尾で攻撃しようとしているが、トーコちゃんは樹々を盾にしながらうまく立ち回っている。キマイラもスピードタイプだが、同じく身軽さがウリのトーコちゃんも相性は悪くなさそうだ。


 とはいえトーコちゃんはない夫ほど頑丈ではないので心配ではある。ハラハラしながら剣を振りやすいポジションに移動していくと、キマイラの攻撃を掻い潜ったトーコちゃんがこちらに駆け寄ってきた。


「ない夫! スイッチ!」


「はい」


 トーコちゃんは身を低くして、ほとんど滑り込むようにしてない夫とすれ違う。その位置なら『かいてんぎり』が当たらないことを熟知しているのだ。ラグがある関係でタイミングを合わせるのが難しいので、そういう気遣いはマジ助かるのである。


――――――――――――――――

【アクティブスキル】

|>かいてんぎり

――――――――――――――――


 トーコを追ってきたキマイラが画面いっぱいに迫る。僕は自分でも会心のタイミングでボタンを押した。


 ――バキン!


 『GRRRRR……』


「っ! こいつ……」


 思わずコントローラーをぎゅっと握り込む。ない夫の『かいてんぎり』はキマイラの分厚い牙に受け止められ、画面中央で鍔迫り合いのように拮抗していた。


「そんな、『かいてんぎり』が完全に入ったのに……」


 ソラさんが呟く。ギリギリと剣と牙の間で火花が散る。


 『ない夫っ!』


 トーコちゃんが前足を浅く切りつけると。嫌がったキマイラは大きく飛び退り、支えを失ったない夫がぐりんと一回転した。


 『ない夫、大丈夫?』


 『はい』


 『さすがに強いね。ない夫の「ぐるっと回ってズバッ」が通じないなんて……』




「トーコちゃんの中ではアレそういう名前になってたんだ……」


「かいてんぎりが『ぐるっと回ってズバッ』なら、スラッシュインパクトはどうなんですかね?」


「『走っていってドガッ』?」


「んなこたどうでもいいんだよ。現実逃避すんな」


 カグラさんに怒られた僕とソラさんは、真面目に今の出来事を考察する。


「……まあやっぱり、『かいてんぎり』って剣持って一回転してるだけだし、むしろあれで威力が出る方がおかしいってことじゃないですかね」


「レンタローさんが考えたアクティブスキルじゃないですか」


「だからこそと言うか。ない夫の馬鹿力だからそのへんのモンスターには通じるけど、ボスクラスにはちゃんとしたアクティブスキルじゃないと通じないのかもしれません」


「つまり、スラッシュインパクトをどうにか当てる必要があると」


「はい。で、スラッシュインパクトは見てから避けられます」


「詰んでるじゃないですか」


「はい」


「はいじゃねーよ。ない夫じゃないんだぞ、ちゃんと考えろ」


「考えてはいるんですが……」


 例えばスケイルワーム戦のように、周囲を耕す勢いでスラッシュインパクトを連打したら威力にビビって逃げてくれないかなーとか……。だが実際スケイルワームだって逃げなかったし、モンスターの習性的に逃げるとかないのかもしれない。


 あるいは完全に隙を突ければスラッシュインパクトも当たるかもしれない。しかしスタミナ消費の激しい技だけに数撃ちゃ当たる方式は取れない。いっそスケイルワーム戦のように一回食われてから撃ってみるか? いや、スケイルワームとはサイズが違いすぎる。食われたらもう死んでる可能性が高い気がする。それに、その一撃で仕留めきれる保証もない。


 考えている間もトーコちゃんは攪乱で動き回り、ない夫も牽制のためにキマイラの死角になる側へ移動させている。キマイラはいい感じにやりにくそうにしているが、トーコちゃんの体力もそう長くはもたないだろう。そうなったら先にやられるのはトーコちゃんの方だ。そうなる前に何かしら手を打つ必要がある。


「うーん……あ」


「何か思いつきましたか? レンタローさん!」


「まあ、いっこアホみたいな作戦なら思いついたんですが……」


「アホみたいな……?」


「おい、トーコちゃんがもう余裕がなさそうだぞ。アホみたいだろうが何だろうが、思いついたならやってみろ!」


 カグラさんからの好感度も高いトーコちゃん。うん、トーコちゃんは何も知らなかったはずなのに、こんなところまで駆けつけてくれたない夫の相棒だ。僕もトーコちゃんを信じてやってみる事にしよう。


「と、その前に……。カグラさん、さっきは使わない機能とか言ってすいませんでした」


「は? 何の話だ?」


 バグの話です。いや、バグではない、仕様だったのだ。


「名付けて『お前もハゲにしてやろうか作戦』! 開始します!」

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