4-3

 結論から言うと、ない夫によるニシーノ山登山は困難を極めた。


 ……が、だいたい僕が操作を初めてからというもの困難を極めなかったことがあんまりないので、ようするに平常運転だった。


「だいぶ日が傾いてきちゃいましたね。ない夫って夜目は効くんでしたっけ?」


「夜目というか、ない夫は目で見てるわけじゃないですからね。ほら、三人称モードもあるみたいですよ」


「おっ、本当だ」


 説明書を見ながらのソラさんに教えてもらって操作を切り替えると、見事に禿げ上がったない夫の後頭部が見えた。視点の位置も多少は調整できるようで、戦闘時なんかはこちらの方が便利そうだ。


 ニシーノ山の中腹、ときおり視界が開ける場所からは、見事な夕焼けの中に浮かぶカケダーシの街を見下ろすことができた。この世界では夕日は東に沈むんだな。


 ない夫の道行きは順調ではなかったが、概ね予想通りであった。慣れない全身鎧のせいでバランスを崩してコケたり、整備されていない山道で石に躓いてコケたり、急斜面を無理くりジャンプで登ろうとしてコケたりした。


 が、カグラさんが言うにはオートバランサーというか、環境を学習する機能もついているらしい。後半は重装備にも慣れて、比較的スムーズに登ってくることができた。そういう方面に関しては相変わらず高性能なシステムである。


「スタミナの残りも、戦闘をしなければじゅうぶん保ちそうですね。やっぱりない夫は重装備での行軍とかそういうのは得意ですね」


「元々馬力はあるからな。おっと、そろそろ気を引き締めて行けよ。ナオール草の生育域に入ると同時に、キマイラの縄張りに入るぞ」


「わかってます。ここからはダッシュも使っていきましょう」


 僕は奇襲を警戒して、三人称モードをめいっぱい離れた視点にして、画面を睨みながら進む。ソラさんもじっとモニターを凝視してくれているので、索敵精度は二倍だ(カグラさんはのんびり茶を飲みながら見ていた)。


『GRRAAAAAAAA……!』


 しかし、予想されていた奇襲はなく、スピーカーから聞こえてきたのはライオンのような雄叫びであった。まだ画面内に姿は見えないが、こちらは捕捉されているようで、威嚇の声が聞こえる。


「なるほど、縄張りの王としては奇襲よりそっちですよね」


「案外落ち着いてますね、レンタローさん。どうするんです?」


「まあ、とりあえずは突っ込みます」


 ガションガション音を立てるフルプレートない夫を隠れさせてもしょうがないので、ガションガションと枝葉をかき分け進んでいく。キマイラが生息しているからだろう、周囲の細い樹はへし折れ、下生えは踏み荒らされて開けた場所が多くなってくる。ない夫にとっても動きやすくていい。


『GRRR……』


 ついに木立の向こうにキマイラが姿を現した。臆せずない夫を警戒して唸り声をあげている。その姿は効いていた通りライオンの頭に蛇の尻尾、山羊の胴体……かどうかはよく分からない。普通に獣っぽい胴体である。というか、尻尾が蛇であることを除けばわりに普通のライオンっぽい。ただサイズは普通のライオンの倍近くはありそうだ。


 戦う気はないので剣は抜かず、キマイラを回り込むようにない夫を前進させていく。キマイラはじりじりとこちらに近づきながら威嚇していたが、ついに飛びかかってきた。


「来ましたよレンタローさん!」


「うおおおダッシュダッシュダッシュ!」


 意味はないが移動ボタンを連打する。ついでに体も傾ける。意味はなくともやってしまうのが魂のサガである。


 ない夫はけっこう機敏に走り出すが、ラグがあるので避け続けるのは不可能だ。おまけにキマイラは周囲の樹々を足場に機敏に跳ね回るので、ない夫はあっさりと跳ね飛ばされた。


「きゃあっ! だ、大丈夫なんですかレンタローさん!」


「落ち着けソラちゃん、派手に吹っ飛んだだけで、ライフエネルギーは大して減ってない」


「あ、本当だ! どうしてですか?」


「まあ、着ててよかったフルプレートメイルってことですかね」


 さすが大枚はたいて買った鎧だ、何ともない……わけではないが、ダメージは許容範囲内だ。ない夫はそもそもからして魔王を倒そうという目的のもと強化されているのだから、頑丈さは折り紙つきである。


 またライフエネルギーはスタミナと違って、ない夫の生命活動維持のために体内に溜め込まれているエネルギーだ。これは出血をすると大きく減るが、打撲や衝撃では減りにくい傾向がある――これは普通の人間でもある程度そうなのだが、普通の人間ならいくら頑丈な鎧を着ていても吹っ飛ばされたら脳もシェイクされるし、打撲は内臓にダメージを与えたり、単純に痛みで動けなくなったりする。その点ない夫は三半規管も痛覚もなく、内臓はあるがもともと機能していないのだ。まさに鬼に金棒、ない夫にフルプレートメイルというわけだった。


「このへんの仕様は過去の経験と、説明書を読み込むことで想像はついてました。操作がヘタな分、仕様ぐらいはちゃんと理解しないとですからね」


「おお……レンタローさん凄いです。さすがインテリマフィアですね」


「インテリマフィアはやめて下さい、想像ですし」


「だがレンタロー、ダメージが少ないからって無いわけじゃねーぞ。こっからどうするんだ?」


「とりあえず吹っ飛ばされることはもう避けようがないので、当たり方を調整してどんどん森の奥に吹っ飛ばされるようにして、ナオール草の群生地を目指します」


「斬新な移動方法だな……。それで?」


「それで……そうですね。この鎧ってけっこう堅いので、体当たりしてくるキマイラも多少は痛いんじゃないかと思うんですよね」


「そりゃまあ、そうかもな」


「だから何回もやってるうちに、嫌になってどっか行ってくれないかなー、とか?」


「「……」」


 なぜか呆れられたような沈黙が流れたが、僕は悪くない。もともと高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応する作戦なのである。


 とりあえず今は怒り狂うキマイラの突進に対し、臨機応変に吹っ飛ばされつつナオール草を探すことにした。




「……計算通りですね!」


 数十分後。ない夫がゴム鞠のようにポンポン吹っ飛ばされて突っ込んだ先には、図鑑で見たことのある植物が群生していた。ナオール草である。それなりに稀少な植物という扱いだったはずだが、キマイラが住み着いてよりのち採取する人がいなかったせいか、そこかしこに生えている。


 だというのに、横で見守るソラさんとカグラさんはジト目で僕を見ていた。


「確かに採取は問題なさそうですね。無事に帰してくれそうにはありませんけど」


「頼みの全身鎧はぶっ壊れたが、これも計算通りか?」


「計算外ですね」


「オイ」


 そう。ほぼ全財産をはたいたフルプレートメイルは何十回もキマイラの突進を受け、おまけにちょっと囓られもした結果、今の一回でもののみごとに分解していた。鎧の名残は腕のあたりにちまっとくっついているくらいで、フルプレートメイルの「ル」ぐらいしか要素が残っていない。すなわち全壊であった。


「素材が鉄でも、鉄同士をつなぎ合わせてるのは革や布なんだから、まあこうなりますよね……」


「気づいてたなら教えてくださいよ、ソラさん」


「いや、気づかないほうがどうかしてんだろ」


「ほら、ゲームとかだと装備って単純に防御力が上がるだけで、壊れたりしないじゃないですか」


「ゲームじゃないって何回も言ってるだろ。だいたいレンタロー、お前ことあるごとに自分でゲームには詳しくないって言ってるくせに、こういう時だけゲーム脳ぶっても説得力ねーぞ」


 ごもっとも。単純に考えが浅いだけであった。


「二人とも、言い争ってる場合ですか。普通に大ピンチですよ」


 まったくその通りで、僕はじわじわと背中のあたりに冷たい汗をかきつつあった。油断していた、甘く考えていたといえばそうなのだろう。正直モニターの中の出来事なので、現実味が薄く感じていた部分はある。今までわりと何とかなってきたし、これからも何とかなるだろうというような。物事は慣れ始めが一番危ないとはよく言ったものである。


 素早く考えを巡らせる。当初の予定通りナオール草をひっつかんで逃げ切れれば最高だが、想像よりもはるかに山深い場所である。ここから猛ダッシュで下山までスタミナが持つかどうかはかなり怪しい。またそれ以前に、こんな山の中で猛ダッシュしてない夫が転ばないわけがないし、そのままころころと谷底に真っ逆さまなんて展開も笑い事ではない。


 あまり迷っているヒマはない。僕はボタンを押して、ない夫に剣をとらせる道を選んだ。


「こうなったら、倒す――のは難しいにしても、一撃入れて追っ払うぐらいやるしかないですね」


「頼んだぞレンタロー、ない夫の攻撃力はキマイラにも通じる、後はお前の操作次第だ」


「頑張ってくださいレンタローさん……! 負けたら地獄行きですからね!」


「罰ゲームが重たい」


 女神様たちの声援を受けながら、モニターの正面にキマイラを見据える。飛びかかってきたところにカウンターを合わせるつもりでいたが、なかなか近付いてこない。


 剣を抜いたことを警戒しているのか、と思ったが、そうではなかった。先ほどからしきりと後ろ――ない夫が登ってきた下の方――を気にしているのだ。


 まさか。と思うと同時に、やはり、という気もする。


『ない夫!』


 スピーカーから響いてきた声に、僕たちは一斉に叫んだ。


「「「トーコちゃん!!」」」


 僕は信じてたよ! ホントだよ!

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