4-2
「……」「……」「……」
バグったない夫が草むしりをしていたら、少女からすごい重たい話を聞かされてしまい、僕たち三人は頭を抱えていた。
「レンタローさん、なに安請け合いしちゃってるんですか」
「断れる空気じゃなかったじゃないですか……」
これが異世界ものの主人公だったらまず断らないし、よしんば断ったとしても後から結果的に少女の願いを叶えてあげるとかそんな感じになるやつである。
「私も助けられるなら助けるべきだと思いますけど……実際今のない夫で倒せる相手なんです?」
ソラさんが尋ねると、カグラさんは虚空から本を取り出してぱらぱらとめくり始めた。背表紙を見ると『異世界モンスター大全』と書いてある。
「キマイラ……こいつか。ライオンの頭にヤギの胴体、尻尾が蛇って怪物だな」
「この世界、いったいどんな摂理でそんなのが産まれるんです?」
「さあな。でもレンタローのいた世界にだって変なイキモノなんていっぱいただろ?」
「確かに……いやそういうレベルの話ではなくて、キマイラって僕のいた世界では想像上の生き物だったと思うんですが、なんで余所の世界の想像上の生き物がこっちの世界にいるんですか」
「そりゃ、ソラちゃんがお前の知ってる言語に合わせて聞こえるようにしてるからだろ。そもそも異世界の言葉が分かるのがおかしいんだから」
「あ、成る程、翻訳機能みたいのをつけてくれてたんですね。だからキマイラとかいうのも、僕の知ってる言葉の中でなんか近いやつが当てはめられてるだけだと」
「そんな事より、そのモンスターはどれくらい強いんですか?」
とソラさんがモンスター大全集を覗き込む。僕も気になったので反対側から、カグラさんを挟み込むように覗いてみる。カグラさんは胡座をかいて座っているが、カグラさんはすごくデカいので僕たち二人は立ち上がっている。
「どれどれ……モンスターとしては高い知能を持ち、非常に動きが機敏で、飛行魔法を使って空を飛ぶこともできる。尾の蛇は猛毒を持っている……絶対無理じゃないですかこんなん」
「諦めるの早すぎんだろ」
「レンタローさんが受けちゃったんですから、もう少しがんばりましょうよ」
「だって!」
僕は反論する。
「そもそも『はい』の反対が『いいえ』なのがおかしいんですよ。僕的には『はい』の反対は『申し訳ありませんが、あなたのご期待には応えられそうにありません』だと思うんですよね」
「なげーよ。そんなの実装できるか」
「だいたいソラさんカグラさんだったら、あの子に泣きながらお願いされて断れますか? あんな小さい子に……」
「……レンタローさん、生前はもっと小さい子でも容赦なくこ」
「あーあー聞こえないー!」
僕はとんでもない自分の悪行を聞かされそうになり、慌てて耳をふさいだ。
「マジで生前の悪行を聞かせるのやめて下さい。眠れなくなるんで」
「魂なので睡眠必要ありませんけどね。……分かりました、もう言いませんよ。言いませんけど、やっぱり不思議ですね。記憶を失っているとはいえ……」
ソラさんの言葉を引き取って、カグラさんが頷く。
「ああ、おかしいよな。不安定な魂の状態とはいえ、普通は言葉遣いなんかはそれほど変わらないもんだ。あのレンタローがいちいち『申し訳ありませんがあなたのご期待には』なんて言ってたとはとても思えねえ」
「……逆に、生前の僕ってどんな喋り方だったんです?」
喋り方ぐらいならトラウマにはならないだろう、と思って恐る恐る聞いてみると、
「直接見てたわけじゃないので、私達もそういう細かい部分は知らないんです。ただ職務上、どんな所業を犯してきたかは知っているので……」
とソラさんが言うので、僕はピンときた。
「なるほど、分かりましたよ。悪役っていっても分かりやすいチンピラみたいなやつじゃなくて、妙に慇懃な感じのキャラもいるじゃないですか。そしてそういう奴の方が得てして悪くて、大物っぽかったりするっていう」
「他人事みたく言うなあ……」
心情的には他人事なのだ。ソラさんは僕の説明を聞いて一瞬考え込むようなしぐさをした後、ピンときた様子でこんな演技を始めた。
「ひいっ……、お、お願いですレンタローさん、命だけはお助けください……」
突然命乞いを始めたソラさんに、僕もピンときて『レンタロー』を演じてみた。
「(無い眼鏡クイッ)申し訳ありませんが、あなたのご期待には応えられそうにありませんねぇ――」
「「「……」」」
一瞬の沈黙ののち、女神様二人は同時に言った。
「それだな」「それですね」
そういうことになった。
「って、茶番をやってる場合じゃないですよ。どうするんですかレンタローさん」
「そうでした。とりあえずトーコちゃんに相談できるといいんですが……」
ナナミちゃんという女の子から詳しい事情を聞いたのが先ほどのこと。『はい』とナオール草の一件を安請け合いしてから、間が持たないのでギルド前から移動し、現在はない夫が寝泊まりしている宿からほど近い往来の真ん中である。僕らが茶番をやっている間ずっと無言で突っ立っていたので大概不審者ではあるが、この辺りの人は早くもない夫に慣れているのか気にも留めず、あるいは親しげに挨拶をして通り過ぎていく。つくづく順応性の高い住民性の街でよかったと思えるところである。
と、そんなところに丁度よく、宿の入り口から赤毛の少女が顔を出した。ソラさんが僕の肩をつつく。
「レンタローさん、流石ない夫の保護者トーコちゃんですよ。タイミングが神がかってますね」
「神はソラさんの方ですけどね。……でも助かりました。さっそく相談してみましょう」
「ええ、さっきのナナミちゃんのことを話して……」
「どうやって?」
カグラさんに言われて、僕とソラさんは黙った。
「……はいを単音、いいえを長音ということにして、何とかトーコちゃんにモールス信号を習得してもらえないですかね」
「現実逃避するな。話しかけられてんぞ」
画面内ではトーコちゃんがぱたぱたとない夫に駆け寄ってくる所である。
『今日は休みにしたはずだけど、何やってるの、ない夫? 微動だにせず突っ立ってるから何か用なんじゃないかって、近所の人が呼びに来てくれたんだけど……』
どうやら尋常ならざるない夫の様子に、不審に思った人がトーコちゃんに知らせてくれたらしい。女神様たちとだべっていたせいだが、結果オーライだったかもしれない。
『はい』
『あ、今回はちゃんと反応するんだね。体調は何ともない?』
『はい』
『なら良かった。やっぱりお休みだと退屈だった? あたしは今からでもウルフ狩りに行ってもいいけど』
『いいえ』
『そっか。じゃあ今日はのんびりする感じ?』
『いいえ』
『表情は常にのんびりしてるのにね……。狩りもしない、のんびりもしないとなると、また例の素振りかな。鍛えるのはいいけど、適度に休みを入れないとダメだよ』
『いいえ』
『休む気なし!? 仕方ないなあ、せめて夜はちゃんと寝ること、いい?』
『はい』
『よろしい。じゃあない夫、鍛錬がんばってね。口うるさく言ってごめんね?』
『いいえ……』
僕はやけくそ気味にメニューから「手を振る」コマンドを選んで、去っていくトーコちゃんを見送った。
「……どうにもなりませんでした!」
「だよな」「ですよね」
当然の結果であった。
「もうちょっと粘れるかと思ったんですが、語尾に『ごめんね?』とか言われると『はい』って言っても『いいえ』って言っても会話終了するので詰みました」
「人間の言葉って難しいですね……」
と、ソラさんは感心するようにうなずいた。
「ともあれ、今回はない夫の力でなんとかするしかなさそうですね」
「あ? なんとかする算段があるのかよ」
「あんまり自信はありませんけど、今回の目的はあくまでナオール草であって、キマイラを倒すことじゃないので」
僕はカグラさんに向けてあいまいに笑って、なんとなく考えていた作戦を実行に移すことにした。
◇ ◇ ◇
コグサは自他ともに認めるカケダーシの街いちばんの鍛治師である。田舎町でのこととはいえ、若い頃はベーテランの街で修行していたこともあった。従って平和なこの街では腕をもて余しぎみであったが、最近は急に錆びた剣などを持ち込む冒険者が増えて、久々に嬉しい忙しさを味わっているところだった。
その忙しさの原因として、『素振り入道』なる冒険者の存在は聞き知っていたが、会うのはこの日が初めてとなった。
「あんたが素振り入道か」
「はい」
名乗られずともすぐに分かった。入り口に頭をぶつけそうなほどの長身に、岩のような体躯、日焼けした禿頭。一度見たら忘れようのない印象の男であった。
しかしコグサには分からないこともあった。素振り入道が頑丈そうな木箱を抱えていたことである。
木箱は要所を金属で補強されてそれなりに重量もありそうな、見たところ金庫のようだった。ない夫はおもむろにその金庫を土間に置くと、ずらりと腰の大剣を引き抜いた。
「お、おい。何するつもりだ?」
「はい」
はいじゃねえよ、とコグサが突っ込む間もなく、ない夫は大剣を振り下ろした。すさまじい音をたてて金庫はバラバラになり、大小の銀貨が散らばっていく。
「ホントに何だよ!? 何がしたいの!?」
「はい」
聞きしにまさる話の通じなさである。ちなみにコグサには知る由もないが、金庫はトーコが用意したもので、ない夫が倒したスケイルワームの報奨金や、日々の狩りで稼いだ額のほぼ全てが入っている。どう考えても金の管理などできそうにないない夫に代わり、生活費以外の銀貨はトーコがこの金庫に詰め込んでいるのである。
そしてない夫は当然金庫を開けるなどという器用な真似はできないし、何なら鍵すら持たされていないので金庫ごと持参し、現地で解錠(物理)するに至ったのであった。
ない夫はそうして散乱した銀貨に目もくれず、すたすたと店内の展示スペースに歩を進める。そこに飾られているフルプレートメイルの前で足を止めた。コグサがベーテランの街で修行中に作った自慢の一品だったが、ここカケダーシの街でフルプレートメイルの需要などなく、ほぼ宣伝用の飾りになっているものである。
「はい」
「……」
コグサはトーコほど察しが良くなかったため、「何なの?」「はい」「え?」「はいはいはいはい」「はいは一回!」みたいなやり取りを十分ぐらい繰り返したのち、ようやく結論に達した。
「……もしかして、この金でそのフルプレートメイルが欲しいってことか?」
「はい」
さんざんはいはい言いつづけたためにいささか信憑性に欠ける『はい』ではあったが、ともかくコグサは納得することにした。拾い集めた銀貨はそのフルプレートメイルのお代としては若干足りなかったが、それも面倒臭かったので触れないことにした。
「……で、もしかして着せてやらなきゃいけないのか?」
「はい」
ない夫はフルプレートない夫となって鍛冶屋をあとにした。
◇ ◇ ◇
「というわけで、フルプレートない夫の防御力でキマイラの攻撃を無視して、ナオール草だけ摘んでとっとと帰ってきましょう。名付けて『そうびしないと意味がありませんよ』作戦です」
「ゴリ押しとも言いますね」
「おいレンタロー、役に立たないとか言ってた草むしりが早速役に立ちそうじゃねーか」
「むしっちゃダメなんですよ。確かメニューに『採取』ってありましたよね?」
「あるけど、あれも動作としてはむしって袋に入れるだけだぞ」
「……根が必要だったりしないことを祈りますか」
例によってカグラさんが虚空から産み出した「異世界植物大全」によって、ナオール草の見た目と、それが生えそうな場所は確認している。あとは高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応していくしかないだろう。
僕はフルプレートなせいでいつも以上に取り回しの悪いない夫を慎重に動かして、とりあえず西門に向かって移動を開始した。
◇ ◇ ◇
「お嬢ちゃん、外に出る気かい? ニシーノ山は危険だぞ」
「いえ、人を待っているだけなので……」
「そうかい? ならいいんだが」
ナナミは街の西門で、遠くそびえるニシーノ山を見つめていた。
すがるような気持ちで二つ名持ちの冒険者『素振り入道』に事情を話し、「はい」と頷いてもらったのが今朝のこと。一日でも早く薬が欲しいナナミの願いに応えて、素振り入道は今日にもナオール草を取りに行くと約束してくれた。
弟の看病があるため長く家を空けられないナナミはそこで一旦別れたのだが――時間が経つほどに不安になってきた。よく考えなくとも素振り入道は「はい」「はい」とナナミの言葉に頷いていただけだ。約束してくれたと思っているのは自分だけで、実際はただ話を聞いてくれていただけなのではないだろうか――。
不安になったナナミは弟を寝かしつけるとこうして西門にやって来た。そこで門番にニシーノ山に向かった冒険者がいないかと聞いてみるも、今日は誰も通ってないと言う。ナナミは落胆しつつも望みを捨てきれず、しばらくここで待つことにしたのだった。
(初めて会った二つ名持ちの冒険者さんが依頼を受けてくれるなんて都合のいいこと、やっぱり起こるはずがないのかな……)
何もせずに待っているだけだと、悪いことばかり考えてしまう。思わずこぼれそうになる涙をこらえていると、ガション、ガションと背後から重たそうな金属音が聞こえてきた。
「おや、あんたは――」
門番の男が声をあげるのと同時に、ナナミはぱっと表情を明るくして振り返った。
「素振り入道さん! 来てくれたん――」
そこに立っていたのは顔まで真っ黒な鎧で覆った、そびえ立つ鉄塊であった。絶句したナナミは恐る恐る尋ねる。
「あの、素振り入道さん、ですか……?」
「はい」
「……! 良かった……。ごめんなさい、びっくりしちゃって。冒険者さんなんだから鎧を着ることだってありますよね」
「はい」
門番の男はない夫を上から下まで眺め回してしきりに感心していた。
「それひょっとして、コグサの爺さんとこに置いてあった鎧か? あんなもん着て動ける奴がいるんだな。さすが素振り入道だわ」
「はい」
「そんな重装備で来たってことは、ニシーノ山へ行くんだな?」
「はい」
「そうか……。なるほど分かったよ、この子のためなんだな? 確かにアンタならキマイラをやれるかもしれない。頑張れよ、素振り入道」
「うん、頑張ってください! わたし、待ってますから!」
「はい」
なんの気負いもない返事をひとつして、素振り入道はガション、ガションと金属音を響かせてまた歩き出す。これから命を賭けた戦いに赴くというのにそんな雰囲気はまったくなく、自然体そのものだった。実際彼にとってはキマイラなど、大したモンスターではないのかもしれない。
そんな素振り入道の頼もしい背中を、ナナミは見えなくなるまで見送って――
――ガシャーン……
「転んだ!?」
あともう少しで山に入るというあたりで、頼もしい背中は派手な音を立ててすっ転んだ。
――ガシャ、ガシャガシャ……
「……なかなか起き上がらないな」
門番の男が言う通り、転んだない夫はジタバタともがいている。鎧が重かったのだろうか……。
――ガション ガション
「あ、やっと起き上がった……」
ようやく立ち直ったない夫は何事もなかったかのように歩を再開し、やがて梢の向こうに見えなくなった。
「……本当に大丈夫なのか?」
「……」
門番の言葉に、何も答えることのできないナナミであった。
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