第四話【仕様です】

4-1

「ちなみに耐久素振りの成果はどうだったんですか?」


「肉体と剣術の数値は相応に上がってましたよ。あと……」


 僕はメニューを操作して、ソラさんに見せた。


「何ですかこれ……『超素振り』?」


「素振りの熟練度が最大になったのでアクティブスキルに登録されたみたいです。効果はいつでもどこでもワンボタンで素振りができます」


「……使い道あるんですか?」


「さあ……」


 むしろアクティブスキルの選択肢が増えたことで、押し間違いの危険が増したというデメリットの方が大きい気がする。スラッシュインパクトを繰り出そうとして満を持して渾身の素振りを披露する未来を幻視しつつ、僕はメニューを閉じた。



  ◇  ◇  ◇



 カケダーシの街の郊外の小さな家に、孤児の姉弟が住んでいる。


「けほっ、けほっ……」


「ミサキ、大丈夫? 一回からだ起こす?」


「うん……」


 姉、ナナミはつらそうに咳き込む弟の身体を起こし、その背をさすってやった。


 姉弟は孤児とはいえ、死んだ親の残してくれた家があった。近所の人たちは皆同情的で親切だったし、ナナミは12、弟のミサキももう10になる。じゅうぶんに下働きに出られる年齢だった。だから姉弟ふたりで心細いながらも、なんとか健やかに生活することができていた。――ミサキが病気になるまでは。


「けほっ……はあ、はあ……」


「落ち着いた? お水飲む?」


 弟に水を飲ませ、そっと寝台に横たわらせる。乾いた咳を繰り返すこの病気は、最初はただの風邪のようにも見えた。しかしもう二週間ほどもこの調子で、少ない蓄え切り崩して医者を呼んでもらったのが数日前のこと。医師の口はこの辺りで死病として恐れられる風土病の名を口にした。


「特効薬になるのは、ナオール草を煎じて作る薬ぐらいだろうね」


 医師はその薬の製法は知っていたが、材料にはあてがなかった。材料を持ち込めば薬を作ることを約束してもらい、ナナミはこの数日少ない伝手をたどってナオール草のありかを探しもとめていた。


 ノックの音がした。ミサキがか細い寝息を立てはじめたのを確認して、家を出る。扉を開けると、少し離れた場所に知り合いの商人が立っていた。感染る病気なので当然の用心だった。商人は姉弟の両親と仲が良く、両親が死んだ後も何かと面倒を見てくれる叔父のような存在であった。


「ナナミちゃん、いろいろ買ってきてあげたよ。また何か足りないものがあったら言ってくれ」


「うん、ありがとう、おじさん」


 弟の看病で長く家を離れられないため、頼んでいた物を受け取ってお金を払う。おじさんの提示した金額が相場に比べて格安であることはナナミにも分かった。


「それでおじさん、薬の方は……」


「……」


 商人は申し訳なさそうに目をそらす。


「すまないが、俺のツテで何とかなる範囲では手に入れられそうにないんだ」


「……そうですか」


 それを聞いたナナミのあまりに沈痛な表情に、商人は余計なことを口走った。


「一応街の西にあるニシーノ山の山頂付近は、ナオール草の生息地として知られているそうなんだが……」


「! そうなんですか! じゃあそこに取りにいけば……!」


「い、いやごめん、それは無理なんだ。何年も前からニシーノ山はキマイラっていう凶悪なモンスターの縄張りになっていて、誰も取りに行けないんだよ。余計なことを言って悪かった。くれぐれも取りに行こうなんて、馬鹿なことを考えるんじゃないよ」


 商人はひととおり慰めの言葉を口にして、去り際にまた一つ口をすべらせた。


「余程腕利きの冒険者でもないと、キマイラの相手はできないだろうからね」


 商人の礼を言って別れ、部屋に戻る。弟は苦しそうにぜいぜいと息をしながら、「お姉ちゃん」とナナミを呼んだ。


「なあに、ミサキ。今商人のおじちゃんから食材を貰ってきたからね。精のつくもの作ってあげるね」


「お姉ちゃん、僕、死ぬのかな」


 どきりとはしたが、そう聞かれるのは初めてではなかったので、ナナミはどうにか動揺を押し殺して微笑んだ。


「馬鹿なこと言っちゃだめよ、弱気になったら治るものも治らないってお医者さん言ってたでしょ」


「うん……」


「さ、寝ていらっしゃいな。飲みやすくて栄養たっぷりのスープを作るからね」


 そう言うとミサキは頷いて目をつむったので、ナナミはようやく目尻から涙をこぼすことができた。


 ミサキのためのスープを用意しながら、ナナミは誰にともなくつぶやいた。


「冒険者……」






 翌日、ミサキの容態が比較的安定していたのを幸いと、ナナミは冒険者ギルドへ訪れた。


 朝のギルドは閑散としており、ロビーでは仕事待ちの荷運び冒険者が数人閑をつぶしており、受付には強面の職員が一人、つまらなさそうに煙草をふかしている。気後れしたのは一瞬で、寝込んでいるミサキの顔を思い浮かべて勇気をふるい、職員に話しかける。


「あの……」


「ん、どした嬢ちゃん。困りごとか?」


 職員は顔に似合わず物言いは親切だった。ナナミはそのことに勇気づけられながら、たどたどしくも事情を語っていく。


 だが、ナナミの話を聞くにつれ、職員の顔色は曇っていった。


「ニシーノ山のキマイラか……」


「……あの、ご存じ、ですか?」


「知ってるっつうか、なあ……」


 強面の職員は立ち上がると、カウンターから出て歩き出す。そして依頼掲示板の前まで来ると、いちばん端に貼ってある古びた用紙を手に取った。


「これ、読めるか?」


「はい」


 頷いて用紙を受け取る。生前に両親から教わっていたので文字は読める。


「ええと……、ニシーノ山の……キマイラ討伐依頼! わあ、すごい金額……!」


 ナナミは安堵の声をあげた。それはまさに、依頼したかった内容そのものだった。さらにその報酬として掲示された金額は孤児にとっては途方もない大金である。


 ギルドに来るにあたっていちばん心配していたのがお金の問題だったから、ナナミは正直ほっとした。なんだ、他にも困っている人がいたんだ。しかもその人はとってもお金持ちで、こんな大金をかけて依頼してくれた。これならきっと強い冒険者さんが、あっという間に倒してくれるだろう。


 しかしその様子を見ていたギルド職員は、決まりが悪そうに頭を掻いて言った。


「いやすまん……ぬか喜びさせるつもりはなかったんだ。その依頼が掲示された日付を見てみな」


「え……!?」


 言われた通りによくよく見ると、そこに書かれていたのは、三年近くも前の日付だった。


「三年前にな、ニシーノ山にキマイラの奴が住み着いて……街の近くだし薬草の産地でもあるんだ、当然俺たちギルドもすぐに依頼を出した。報酬も予算のめいっぱいまで頑張ったから、何人もの冒険者が意気揚々と討伐に向かっていった。

――そして、多くは戻ってこなかった」


「――!」


「その後、他の街のギルドにも依頼は回覧されたが、この金額でキマイラはずいぶん『マズい依頼』らしい。街に被害がねえから緊急性が高いとも認められなかった。

――以来、この依頼はずっと掲示板の隅っこで塩漬けだ」


「そんな……こんな大金なのに……?」


「俺たち辺境民にとってはな。一流の冒険者はこの何倍も稼ぐらしい」


「……」


 ミサキはしばらく立ち尽くしていたが、職員にひとこと礼を言って踵を返した。これ以上ここにいると、幼子のようにわんわんと泣き出してしまいそうだった。ギルドの人は孤児の自分にもせいいっぱい誠実に対応してくれた。これ以上迷惑はかけられない。そう思って、ギルドの扉を開いた。今は一刻も早く、どこか人のいない場所に行って泣きたかった。


 そう思って焦っていたのと、視界がにじんでいたのとの両方で――ミサキは扉の外にいた人にどん、とぶつかってしまう。


「! ご、ごめんなさ……」


 ミサキは思わず謝罪の言葉を飲み込んだ。彼女がぶつかった男は扉の間にうずくまっており、それでもその身体は巌のように大きかった。筋肉が隆起し、髪の一本もない禿頭は陽に焼け、血管が浮かび上がっている。そんな恐ろしげななりでありながら、彼の浮かべる表情だけは何も考えていないかのような無表情で、どこか人を安心させる優しさが感じられた。


「はい」


 そしてミサキを困惑させたことに――その大男は扉の前で背中を丸め、なぜかそのへんの雑草をぶちぶちと一心不乱にむしっていたのだった。



  ◇  ◇  ◇



「あのー、カグラさん」


「何か用かな?」


「ドアを開けようとしてべんりボタン押したら、ない夫が草むしり始めたんですが……」


 僕はいつものように、ソラさんとカグラさんと共にモニターを囲んでいる。トーコちゃんが今日の狩りは休みだと言うので、ない夫の操作練習がてらに街の中を散歩中、冒険者ギルドにやってきたところだった。ギルドのドアを開けようとボタンを押したところ、一瞬フリーズしたかと思えばおもむろにしゃがみ込み、周辺に生い茂った雑草をむしり始めたのである。


「カグラちゃん、これはいったい……」


「ああ、これはだな……」


 カグラさんは重々しく溜めて言った。


「仕様です」


「バグですよね?」


 どう見てもバグであった。


「いや、仕方ねーんだよ! べんりボタン押したときに何をやってるかってーと、映像認識で階段を見つければ『階段を上るか下りるかするんだな』とか、ドアノブなら『ドアを開けるか閉めるかするんだな』ってまず行動を確定させるんだよ。この映像認識ってやつが曲者でな?」


 カグラさんは急にすごい早口で語り始めた。


「ドアノブの形なんてドアによって違うし、もっと言えば見る角度や周囲の明るさなんかによってもぜんぜん違って見えるだろ? そうなるとあらゆるドアノブのデータをあらかじめインプットしておくことなんか不可能なわけで、システム側である程度融通を利かせて『これはドアかなー? 違うかなー?』って判断させるしかないんだよ。だからたまにバグるのは仕方ねーんだ!」


「バグなんじゃないですか」


 カグラさんは目をそらした。


「でもカグラちゃん、難しいのは分かったんですけど、それが何で草むしりすることになるんです?」


「自動判定の対象が見つからないときは、登録してある動作を総当たりで試す仕様になってるからな。ドアを認識できなくて、最終的に近くに生えてた草で判定されたんだろ」


「それ、『草むしり』とかいうどう考えても使わない動作を登録してるのが問題なんじゃ……」


「どっかで草をむしりたくなるかもしれないだろ!」


「……ありますかね。あったとしてもべんりボタンを使ってまで迅速にむしる必要はないと思うんですが……」


 話しつつもう一度ドア開けにチャレンジするためにない夫を動かそうとするが、ない夫は熱心に草をむしり続けていて言うことを聞かない。


「カグラさん、しかもこれ操作効かないんですけど」


「あー、動作途中で別の操作入るとややこしい事になるかと思って、割り込みオフにしてあるんだよな……。割り込みオンにしといた方がいいかな?」


「操作は僕の方で気をつければいいことなんで、できれば割り込み可でお願いします……」


「わかった、これ終わったらオンにしとく……っと」


「ありゃ、誰かにぶつかっちゃいましたよ。ドアの真ん前でしゃがんでるんだから邪魔なことこの上ない」


 画面にはひどく驚いた表情の少女が映っている。僕は『ごめん』の気持ちを込めて『はい』のボタンを押した。



  ◇  ◇  ◇



 ナナミはその男にぶつかったままの姿勢で困惑していた。返事はしていたからこちらの存在は認識しているはずだが、男は相変わらず道をふさぐ形でうずくまったまま草むしりを続けている。


 ギルドのドアを閉めてそのままそこに立っていると、道の向こうからまたひとり、冒険者風の若い男が歩いてきた。若い男は軽薄な調子で大男に向かって声をかける。


「よう、『素振り入道』のない夫じゃないか。何やってるんだ? 今日はギルドで奉仕活動か?」


「……はい」


「はいなのかよ。相変わらずよく分からんヤツだな……。通行のジャマだから程々にしとけよ」


「はい」


 それだけのやり取りを済ませると、若い男は『素振り入道』と呼ばれた冒険者の肩を親しげに叩いて去っていった。『素振り入道』は彼のアドバイスを聞き入れたのか、間もなくむしり終えた草を放り出して立ち上がった。


「あ、あの……『素振り入道』さん……?」


「はい」


 ナナミは思わず彼を呼び止めた。『素振り入道』――彼のことはちょっとした騒ぎになっていたので、ナナミもその噂は聞いたことがあった。街の外からやって来た凄腕の冒険者。あっという間に強力なモンスターを倒し、苛烈な訓練で街の人達の度肝を抜き、『素振り入道』の二つ名を得た男。『二つ名持ち』は一流の証であり、冒険者たちの憧れであるという……。


 聞きかじっただけの噂であり、今当人に出会うまで忘れていたことだったが、ナナミの中で一瞬にしてさまざまな情報が繋がっていく。


 ミサキを救うにはナオール草が必要。ナオール草の群生地に巣くったキマイラ、この街の冒険者では歯が立たないほどの強力なモンスター、街の外からやって来た一流の冒険者――。


 ――さまざまな思いがナナミの中で渦巻いて、半ば無意識にその口を開かせた。


「あの……わたしの弟、病気で……薬がいるんですけど……」


「はい」


「……ナオール草がニシーノ山にあって、でもニシーノ山にはキマイラがいて……」


「はい」


 話しはじめたナナミの声はしかし、だんだん小さくすぼんでゆく。先ほどのギルド職員とのやり取りが思い出される。


 『こんな大金なのに……?』


 『俺たち辺境民にとってはな。一流の冒険者はこの何倍も稼ぐらしい』


 二つ名持ちの一流冒険者、確かに彼はもしかすると、この街の冒険者では歯が立たなかったキマイラをも倒す実力を持っているかもしれない。


 だが、だからどうしたと言うのだ。ナナミには金もない、何もない。孤児の小娘が何をわめいたところで、この人にとっては迷惑以外のなにものでもないのに……。


 いつしかナナミの声には涙が混ざり始め、最後にはしゃくり上げながらこう言った。


「ごめん、なさい。……どうか、わたしたちを――わたしを助けてください!」


 それはもはや、依頼とも、お願いとも呼べない。ただ子供が駄々をこねているだけだった。誰も相手にもしない、ただ舌打ちをして通り過ぎていくだけの、見苦しい孤児の悪あがきだった。


 それなのに『素振り入道』は何も聞かず、何を求めるでもなく――


「はい」


 ――はいと、ナナミが一番欲しかったその一言だけを、力強く返してくれたのだった。

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