3-5

 剣を、あるいは剣を持っていないものは棒やら箒やらを持って三々五々冒険者たちが戻ってくる。ない夫と、その隣で剣を振るトーコとを中心にそれぞれの得物を振るい始めた。


「おい、何だそのへっぴり腰は! ない夫を見ろ、腹に力を入れるんだッ!」


 アキトはその中を歩き回りながら、なぜかちゃっかりと指導者のようなポジションに収まっている。


 さして広くもない中庭である。噂を聞きつけてやってきた冒険者たちや、面白がって混ざってきた子供たちなどですぐにいっぱいになり、道の外にまで溢れ始める。そうなると一般人も何だ何だと見物に押し寄せ、名もない冒険者向け集合住宅の周りはちょっとした祭りのような様相を見せはじめた。


 たくさんの冒険者の中でも、ひときわ身体の大きいない夫はよく目立つ。いつの間にか素振り集団から抜け出してきたアキトは、集まってきた野次馬たちに講釈をぶっていた。


「あの中心でひときわ目立つハゲてる男がない夫だ! 彗星のごとくこのカケダーシの街に現れ、あっという間に強力なモンスターを倒してみせた期待の星、しかして彼は完全無欠の超人などではない。それは語るも涙聞くも涙、どんな薬でも治し得ぬ呪いをその身に宿しており……」


 アキトは滔々と語り、見物人の中には涙を流すものまで現れる。トーコはそれを遠目に見ながら、冒険者より講釈師にでもなった方がいいんじゃないかと思った。とはいえこれで、「はい」と「いいえ」しか喋れない不器用な冒険者ない夫の存在は街の人に知れ渡るだろう。事情を知らない者がない夫と絡むとトラブルになりかねないので、それ自体はありがたいことだった。


 さて。このように好意的にとらえられたない夫の素振り騒動。アキトははしゃぎ、トーコは呆れ、他大多数の人々はなんかその場のノリで付き合っていたのだが。さすがに日が暮れ始めると動揺が走りはじめる。


「ない夫! もう十分でしょ! 何があんたをそこまで駆り立てるのよ!」


 一緒に素振りをしていた冒険者たちの大半はすでに疲れ切ってへたり込んでいる。トーコの必死の呼びかけにも耳を貸さず、ない夫は淡々と素振りを続ける。その衣服は汗に濡れそぼっていたが、その剣筋にはいささかの乱れもなかった。


 こうなってくると、民衆の心にはこれまでとは違った感情が湧き起こってくる。


 その感情は、畏怖。自分にはとても真似のできぬ努力を今も続けている存在に対して、敬して畏れる気持ちであった。


「もーない夫ー……いいかげんお腹すいたよー。さすがにあたしでも、これ以上付き合ってらんないからね……」


 約一名ほど、そんな感情とは無縁の者もいたが。


 トーコは呆れて去っていく。アキトはとっくに飽きて帰っていたので、ない夫の行動を説明してくれる者はいない。街の人々はさすがに付き合ってはいられないと、ひとり、また一人とその場を去っていく。


 しかし家に帰ったところで、彼らの脳裏からない夫の影は去らない。寝るときになってもふと思うのだ。もしかしたら彼は、今も剣を振り続けているのではないか――?




「……うーん」


 翌朝。トーコは容赦なく照りつける朝日と降り注ぐ小鳥の声で目を覚ました。ぴうっ、ぴうっ、と剣を振る音については、聞き慣れすぎて睡眠の妨げにもならない。


 そう、昨日トーコはけっきょく、食料や毛布を買い込んで戻ってきた。ない夫が突然素振りを止めなくなってしまった理由は分からない。分からないがまたいついつものようにぶっ倒れるとも知れず、そうなってしまった時に診療所まで担ぎ込むのは自分の役目だと思ったからだった。最後まで見守ってやるつもりだったが、どうやらいつの間にか眠り込んでしまったらしい。


「ない夫おはよー……」


「……」


 やはり返事はない。ここで「はい」とでも返ってくれば少しは安心できるのにな、とトーコは思う。周囲を見渡すと、まだ早朝だというのに何人もの野次馬が遠巻きに見ていた。『もしかしたら』の思いが頭を離れず、よく眠れなかった者たちだ。


 さらに時間が経つと、無言で剣を振り始める冒険者も現れ始める。彼らはアキトの煽りや場の空気に流されただけではなく、本気でない夫に触発された者たちだった。その中には昨日真っ先にアキトに同調した、酒浸りで有名なベテラン冒険者の男の姿もあった。珍しく酒の臭いのしない口を開いて、男はない夫に話しかける。


「ない夫さんよ……アンタはすげえよ。俺ならそんなに鍛錬したら、すぐにぶっ倒れて診療所行きになっちまう」


 ない夫もしょっちゅうぶっ倒れるけどね、とトーコは思ったが黙っていた。


「だが、あんたも最初から強かったわけじゃないんだ。なんて、当たり前のことを実感させられちまってよ……。こんなロートルが何をってバカにされるかもしれんが、もう一度鍛え直してみようか、なんてな。邪魔かもしれんが、俺も付き合わせてくれ」


 集まった他の冒険者たちも、口にするしないはともかく似たような気持ちのようだった。ない夫の素振りは、一部の人に対しては間違いなく良い影響を及ぼしていたのだ。


 ――しかし、当然ながら好意的な視線ばかりではない。


 一晩中無表情で素振りをし続ける男。よく考えなくても不気味であった。


 陽が高くなるにつれ人が集まってくる。ない夫を指さし眉をひそめる者、ない夫に同調して剣を振るもの、悪魔に取り憑かれたんじゃないかとか憶測を語るもの、人が集まっているからなんとなく集まってきただけのものなどが今日も中庭からあふれ出る。好意と恐怖と畏怖とその他あらゆる感情が渦巻く中、一人の男の登場が待たれた。


「ふわあ……すげえなない夫、まだやってんのかよ」


 その男、アキトは陽が中天にさしかかるころにようやく寝起きの表情で現れた。


 野次馬たちは昨日演説をぶっていたアキトのことを覚えていた。それとなく耳をすまして、アキトがない夫をどう解釈するのかを注視している。


 アキトはそんな視線に気づいてか気づかずか、眠そうな目をこすりつつ言った。


「そうだな……“素振り入道”なんてのはどうだろう」


 周囲の人の頭の上に「?」が浮かぶ。トーコは仕方なく尋ねた。


「おはよアキト。何なの、やぶから棒に」


「ようない夫の保護者。なに、昨日から考えてたんだよ、ない夫の二つ名を」


「ふたつ名~?」


 困惑顔になる周囲をよそに、アキトは「必要だろ?」と頷く。


「スケイルワームを倒したことから甲鱗の破壊者とかなんとか考えたんだが、よく考えたらない夫がワームを倒した事実はそこまで広まってないしな。こんだけ人も集まってるんだから、素振りの方が通りがいいかなって」


「だから、何の話……」


「入道ってのはあれだ。ない夫のハゲ頭は、僧形にも見えなくもないだろ。そう思って見てみると、あの素振り。あれも一種の祈りというか……たんなる肉体的鍛錬じゃなく、スピリチュアルな修行の一環みたいにも見えてこないか」


「あんた、昨日と言ってることが違……」


 トーコが突っ込むが、その声はあまりにも小さい。周囲の野次馬にはすでに「成る程……」というささやきが広がり初めていた。


 未知のものを人は畏れる。一晩中素振りをするという行為は意味不明だからこそ不気味なのである。しかしそこに『祈り』という意味を与えてみれば、彼らは心にすとんと落ちるものを感じた。なんとなれば、ない夫の素振りは正確無比で力強く、美しくすらあったからだ。


 さらにその『祈り』を捧げている存在にも『素振り入道』という二つ名が与えられてみれば、未知なるものは残っていなかった。残っているのはない夫という一人の求道者が、ただ一心に修行に打ち込む神聖な姿である。


「素振り入道か……」


「カケダーシの素振り入道、こいつは御利益がありそうじゃないか」


「魔王だなんだときな臭かったが、これでこの街も安泰だな!」


 ちなみにもうお分かりかと思うが、能天気な人間が多いのがこの街の特徴であった。


 アキトは周囲の反応に気をよくして頷く。


「うんうん、好評みたいだな。ちとシンプルすぎる気はしたが、最初はシンプルすぎるぐらいの方が定着しやすいからな。いずれは『金剛不変の龍殺し素振り入道』とかゴテゴテくっつけてけばいいんだし」


「アキト、あんたねえ。面白がって勝手にやり過ぎでしょ」


「まあまあ、トーコだってない夫が気味悪がられるより、尊敬されてた方が気分がいいだろ?」


 悪びれず言うアキトに、トーコは唇をとがらせる。


「アンタがそこまで考えてやってるとは思えないんだけど?」


「おっと鋭いな。まあ、この方が面白かったから……」


 アキトが言葉を途中で止める。トーコはさらに問いただそうとして、周囲の冒険者たちもいっせいに口をつぐんだことに気づいた。


 静寂が広場を満たす。そう、一定のリズムで続いていた剣の風切り音が止んだのだ。ない夫が、素振りをやめていた。


「「「……」」」


 その場の誰もが、ない夫の次の行動を注視して息を呑んだ。祈りは終わったのか、それとも次の行動に移るのか。なにかを言うのか――


 ――簡単に言うと、民衆はこの騒動の『オチ』を期待していた。


「……はい」


 ない夫はたっぷりの間を空けてそれだけ言うと、その場を逃れるようにそそくさと歩き出した。


 あっけに取られる人々の中、いちばんに我に返ったのはトーコだった。


「……あ、ま、待ってよない夫! お腹すいたでしょご飯食べる? いやたくさん汗かいてるし水が先か! あと水浴びして着替えも……」


「はい」


 わたわたと後について行くトーコを伴い、ない夫の姿はあっという間に建物の中に消えていった。


「あー、オホン!」


 オチを放棄されて立ち尽くす人々の中、アキトはぽんと手を叩いてこう言った。


「はい、解散!」



  ◇  ◇  ◇



「……何だったんでしょうか」


「さあ……」


「お前らが分かんなかったら他に誰が分かるっつーんだよ」


 画面内の意味不明な光景から逃れるように、僕は速やかにない夫を退散させた。なんとなく周囲からの『何かを期待する』ようなオーラは感じていたものの、それに応える余裕も方法もなかったのだ。


 今はとりあえず、世話を焼いてくれるトーコちゃんのなすがままにさせている。トーコちゃんだけは普段と変わらない様子であることは救いだった。


「とりあえず、どうしてこんな状況になったのか説明してもらうぞ」


 カグラさんに迫られるが、僕たちとてどうしてこうなったのかは分からない。仕方ないので、セロハンテープ修行法のことから分かっている全てを話すことになった。


「――なるほどな、経緯は分かったが……意味は分からんな」


「カグラちゃんでも分かりませんよね……。人間の社会は不思議です」


「もと人間の僕にも分かりませんが……」


 とりあえず何か怖かったので、セロハンテープ修行法は以後封印することとなった。

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