3-4

 ない夫と素振りを初めて一時間ほど経ったころ。トーコは剣を振る手を緩めて汗をぬぐった。


「……ふー、疲れたー。ない夫はまだやっていくの?」


「はい」


「ホントに? あたしよりでかい剣振ってるのに体力すごいね。部屋にいるから、気が済んだら呼びにきてよ」


「はい」


 この時は、ずいぶん熱心だな、ぐらいにしか思わず、トーコは自室に戻った。そういえばこのところ使いづめだったな、などと思いもして、いい機会だと短剣や防具のたぐいの手入れを念入りにおこなった。


 すっかり集中していたので、日はいつの間にか高く昇っている。一息ついてなんの気なしに窓から中庭を見下ろして――まだ剣を振っているない夫を見たときも、ギョッとする一方で、やっぱりまだやってたんだ、限度を知らないんだから、程度の感想にとどまった。


 とはいえそろそろ昼食どきだし、そろそろ止めに行かねばならないだろう。そう思って中庭に出ると、顔見知りの冒険者に声をかけられた。


「ようトーコ。すげーな、お前の相方は」


 彼はトーコよりやや年上の冒険者で、名をアキトと言った。何でも器用にこなすが少し軽薄なところがあり、若い女性であるトーコとしてはあまり積極的に関わろうとしたことはない。そんなアキトが、ない夫の方に顎をしゃくってみせる。


「朝からぶっ通しでやってるのはすごい体力だが、それだけじゃない。同じ姿勢、同じ太刀筋、同じペースをずっと保ち続けてる。視線すらまったくブレやしない。幼い頃から何万何億と振ってこないとあんな芸当はできないぜ」


「……そうなんだろうね」


 トーコの視線にうつるない夫は、流れる汗が眼に入ることすら気にせず、一心不乱に剣を振るっている。何を思って振っているのかはともかく、それが一朝一夕の努力で身につくものでないことは明白だった。


「よそ者が一撃でスケイルワームを倒したって聞いたときは何だよソレって思ったけどさ、あんなの見せつけられちゃ納得するほかないな。俺より剣を振ってるやつが俺より強いって、それだけのことだったんだ、ってな」


 素直に尊敬を示すこのアキトという青年を、トーコはいささか見直した。自分が保護者的役割を果たしているない夫が褒められて単純に嬉しかったというのもある。


 そして周囲に目を向けてみれば、ない夫の評価を改めたのはアキトだけではなかったと分かる。ちらほらと遠巻きに眺めている冒険者たちの姿があり、彼らの表情はいずれも、少なくともトーコが食後にない夫の口を拭ってやるのを見る目とはちがっていた。


 もしかするとない夫が突然に素振りを始めたのは、こういう効果を狙って――という考えはしかし、トーコはすぐに打ち消した。あいつって何にも考えてなさそうだし、そんな計算高さはない夫には似合わないもんね。


「――ま、とはいえそろそろ止めさせなきゃね。いい加減腹ペコだろうし」


「おう、止めてやってくれ。お前さんの言うことぐらいしか聞きそうにないしな」


「そんなことないと思うけど――」


 と言いつつ、ちょっぴり誇らしい気持ちでない夫に近づいていく。近くに寄るとぴうっ、ぴうっ、と剣の鳴る音が聞こえて、改めてその素振りが変わらず鋭いことに驚いた。


「ない夫、もうお昼だよ。そろそろ切り上げてご飯にしよ」


「……」


「……ない夫?」


 様子がおかしい、とトーコはここで初めて思った。いつもなら素っ気もなにもない無表情でも、唯一しゃべれる「はい」とか「いいえ」だけは返してくれるのに。


「な、ない夫ー? おーい!」


 素振りに巻き込まれないよう気をつけつつ、ない夫の正面で手を振ってみる。ない夫は相変わらずトーコが眼に入ってないかのように剣を振り続けているが、普段からどこを見ているやら分からないトボけた無表情人間のない夫なので、実際のところは分からない。


「おい、どうしたトーコ?」


 様子がおかしいと見て、アキトが近付いてきた。


「あ、アキト……。なんかない夫の様子がおかしくってさ。あたしのことも目に入ってないみたいで……」


「そうみたいだな。おい! ない夫! ……うわっと!」


 アキトが大声を出しながら強引に近付こうとすると、それすら見えていないかのようにない夫の剣が振り下ろされ、アキトは危うく飛び退った。


「あっぶねーなー……」


「だ、ダメだよ不用意に近付いたら。ない夫はそもそも、相手を見てから攻撃を止めるなんて器用な真似はできないんだから」


 初めて会ったとき、スケイルワームと間違えて(?)斬られそうになったことがトーコの頭をよぎった。


 そこで今度はトーコとアキトで左右に分かれ、両側から肩を掴んでみる。だがそれでもない夫は止まらず、掴んだ手ごと素振りを続ける。ものすごい力なので、下手に止めようとすれば身体ごと持っていかれそうである。


 ならばと揺さぶってみるとびくともしない……かと思えばそんなことはなく、


「ちょっ!? アキト押しすぎ! 傾いてるから、引っ張って引っ張って!」


「! おいおい、しっかりしろよない夫!」


 押してみれば呆気ないほどにもろく、しかし斜めになっても斜めに傾いたまま斜めに素振りを続けるのだから危なっかしいことこの上ない。下手をしたら倒れたあとも素振りを続けそうな気配である。二人は協力してない夫をもとの姿勢に戻した。


「うーん、ここまでしても無反応……どーしちゃったんだろない夫。なんか変なスイッチ入っちゃったのかな?」


 トーコの目から見て、ない夫は一度にひとつの事しかできない不器用な奴である。今更奇行に驚きはしないとはいえ、困惑は深まるばかりである。


「……いや、もしかするとこれは、ない夫からのメッセージなのかもしれない」


 いっぽうアキトはアキトで考えていることがあった。


「メッセージ? どういうことだ?」


 問い返したのはトーコではなく別の冒険者だ。二人が騒いでいるので、遠巻きにない夫を見物していた冒険者達が集まってきていたのだ。アキトはそれらの面々をぐるりと眺め渡していった。


「ない夫は自由に喋ることができない。その上、文字を書くこともできない。そうだろ?」


「あ、うん。『はい』『いいえ』しか喋れないし、文字が書けないどころかペンを持つなんて器用なことはできないね」


 話を振られてトーコが肯定すると、意を得たりとアキトは頷く。


「つまりない夫は言いたいことがあるとき、主張したいときには、行動で示すしかないんだよ。

――だからこれは、ただひたすら愚直に素振りを繰り返すこの姿は、俺たちへのメッセージなんじゃないだろうか」


「え、ええ~……」


「メッセージか……だとしたらどういうメッセージなんだ?」


 トーコは懐疑的だったが、周囲の冒険者には最もと聞こえたらしい。アキトに問いかけたのは酒びたりで有名な年かさの冒険者だ。


「分からないか? いや、少なくともこの素振りを見れば、分かることはあるだろう。ない夫はあんたが冒険者人生で振ってきた全てよりも剣を振ってるぜ。この歳でな」


「ぐっ……、し、しかしそれは、お前も同じことだろうが」


「その通り! そしてお前も! お前も! そこのお前も! この場の全員同じことだ!」


 いきなりアキトに指をさされて、野次馬気分で集まっていた冒険者たちがぎょっとした態度を見せる。皆自分に飛び火してくるとは思ってもみなかったのである。


 アキトは高らかに言いつのる。ちなみに言うとアキトは実力は大したことないが、弁が立つことで冒険者仲間の中では一目置かれている、そういうタイプの人間である。


「ない夫はそのことに気づいて欲しかったんじゃないか。ここカケダーシの街は駆け出し冒険者の街なんて言われているが、俺を含めてこの場の全員、『駆け出し』であることに満足してしまってはいないかと。

――実際魔王復活の影響か、この街の近くにもスケイルワームなんて大物が出没している。そいつは運良くこのない夫が倒したが、次に遭遇するのはこの中の別の誰かかもしれない。その時のためにお前達は努力をしているのか。ない夫が言いたいのは、そういう事なんだよ」


「なるほど……!」


「そんな深い考えが……!」


 どよめく冒険者たち。トーコはそんな事あるかなあと思ったが、面倒なので黙っていた。


「お、俺、剣取ってこようかな……」


 ぼそりと言ったのは、最初に声をかけてきた酒浸りベテラン冒険者の男だった。


「荷運びばっかりで剣なんて何年もまともに振ってない俺が今更って、思うかもしれないけど……」


「なに、笑うやつには笑わせておけばいいさ! 努力するのに遅すぎるということはないんだ。少なくともない夫は笑わないさ!」


「そ、そうだよな!」


 男は剣を取るために駆けだしていく。そうしている間にも、淡々とない夫が剣を振るぴうっ、ぴうっという音が響いている。


「確かに素振りなんて、最後にやったのいつだったかなって感じだよな」


「俺も、冒険者になりたての頃ぐらいだ。そういえばあの頃は、一流の冒険者になるんだって息巻いてたなあ……」


「ちょっと俺も剣とってこようかな」


「俺も……」


 その音に背中を押されるようにして、ひとり、またひとりと駆けだしていく。その行動は集団にあっという間に伝播し、その場にいるのはトーコとアキト、そして素振りを続けるない夫の三人だけになった。だがそれも一時的なことで、間もなく剣を取って戻ってきた冒険者たちで、この広場は埋め尽くされることになるだろう。


 トーコはそんな状況を作ったアキトに話しかけた。


「あんたは取りに行かなくていいの?」


「俺のことはいいんだよ。みんなが努力の重要性に気づいてくれただけで十分さ」


「あきれた」


 良い話っぽく言ってはいるが要するに自分はサボるということである。トーコはない夫に向かって言った。


「ない夫、そーゆーことにされちゃってるけど、大丈夫?」


 ない夫の表情はいつもと変わらぬ何も考えてないかのような無表情で、その振るう剣閃は表情とうらはらにどこまでも鋭い。


 相変わらず、『はい』の声は聞こえてはこなかった。トーコは、たぶんそんな難しいこと考えてないだろうなあ、と思いつつもこう言った。


「まあいっか、気の済むまではトーコちゃんも付き合ってあげますよ」

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