3-3

 我ながら、悪魔的な発想という他なかった。


 ソラさんが虚空から取り出したセロハンテープで、ボタンを固定する。たったそれだけでない夫は僕の手を離れて、半永久的に鍛錬を続けてくれるのだ。


「レンタローさん、こ、これはすごい発見をしたのでは……」


「で、ですよね。僕もこれを思いついた時は、自分が恐ろしくなりました」


 ゲームには詳しくないが、これが革新的かつ、狡猾な方法であることは疑いようがない。僕は生前に自分が悪党であったということを、初めて信じられるような気がした。


「と、ともかく、これでない夫を効率的に鍛えつつ、自分の時間を作れるわけです。もちろんずっと放置するようなわけには行きませんけど、たまに休憩を取るには丁度いいんじゃないかと思うんですが……」


 一応探りを入れるようにソラさんの様子を伺う。一応これは僕の贖罪を兼ねているのだから、楽をしようとするのはアウトの可能性があったからだ。しかしソラさんの表情を見る限り、それはまったくの杞憂らしかった。ソラさんはきらきらと目を輝かせてこちらを見ていた。


「つまり……もっとしりとりをする時間が取れるということですね! 次はレンタローさんの番からでしたよね? 『ぬ』からでしたっけ?」


「確か『ゆ』だったと思いますが……ソラさん、しりとりもいいんですけど、他の遊びも試してみませんか?」


 昨日ほとんど冗談のつもりで言った『しりとり』をここまで気に入られるとは思っていなかった。楽しそうなソラさんを見ているとこちらも楽しくなってくるが、さすがに半日耐久しりとりは神ならぬ魂には辛いものがある。


「他の遊びですか? どんなのがあります?」


「例えば、リバーシとか分かります?」


「分かりますよ、こういうのですよね」


 ソラさんがそう言い終わるか終わらないかのうちに、ちゃぶ台の上にはリバーシの道具一式が現れていた。驚いて駒を取り上げると、何ともご丁寧なことにマグネット式である。


「えらく手際がいいですね」


「一応私も神ですからね。人間の遊戯についての知識ぐらいあります。まさか自分がそれを遊ぶことになるとは考えたこともありませんでしたが……」


「女神様同士で遊んでみたりしないんですか? カグラさんとかとは仲良さげでしたけど」


「その発想もありませんでしたね。カグラちゃんとは仲良しですし、会えばお茶ぐらいしますけど、そもそも数百年も会わなかったりしますし」


「交友関係も神様スケールですねえ。それじゃ、今みたいに人間に付き合うのは目まぐるしくて大変なんじゃないですか?」


「目まぐるしくて楽しいですよ。リバーシもこうして見ると面白そうですね、早速やってみましょう!」


 ちらと画面を確かめると、ない夫は相変わらず無表情で素振りをし続けている。スタミナゲージにも変化はなく、一、二戦やるぐらい問題はなさそうだ。


「じゃあやりますか、最初はソラさんが先手でいいですよ」


「いいんですか? 初めてですけど、神の叡智であっさり勝っちゃうかもしれませんよ?」


 僕はどこまで本気か分からないソラさんの言葉に苦笑しつつ、白黒の駒を手に取った。




 結論から言うと、第一戦はソラさんの勝利だった。


「ふふん、レンタローさんもなかなかやりましたが、最後は神の叡智に屈したようですね!」


「むむむ……」


 得意げに胸をそらすソラさんは大変可愛らしかったが、それはそれとして僕はものすごく悔しかった。


 大熱戦だったのである。


 ソラさんは初心者らしく、一手一手うんうん悩みながら神の叡智(?)をひねり出していたが、これなら勝てそうだな、などと不遜にも考えてしまったのが間違いだった。


 僕もど素人だったのである。


 互いの色石の数は逆転につぐ逆転を繰り返し――いや、リバーシってそういうゲームだから当然なのだが、最終的にはどちらが勝っているかも分からなくなり、ふたりで「いーち、にーい」と自分の石を混沌に投げ込んでいくことで決着した。僕が全て投げ捨てたあとでも、ソラさんはさらに二個の石を持っていたのだ。


「私、このゲーム才能あるのかもしれません! もう一回やりましょう!」


 そのためソラさんは大変に上機嫌だ。


「……いいでしょう、次は本気でやりますよ」


「まるでさっきは本気じゃなかったみたいな言い方ですね? いいでしょう、受けて立ちますよ、レンタローさん!」


 そういうソラさんもすでにディフェンディングチャンピオンとしての物言いになっている。この二戦目は絶対に負けられない。


 ――と、始める前に、ちゃんとない夫の様子を確認するのは忘れない。ない夫は変わらず淡々と剣を振っている。表情は変わらないが、額に汗が光っている。死体なのに汗をかく機能は一応ついているのだろうか。


『……ふー、疲れたー。ない夫はまだやっていくの?』


 画面内ではない夫に並んで剣を振っていたトーコちゃんが、汗をぬぐいながらへらりと笑みを向けてくる。僕は『はい』を選択した。


『ホントに? あたしよりでかい剣振ってるのに体力すごいね。部屋にいるから、気が済んだら呼びにきてよ』


『はい』


 去っていくトーコちゃんを確認して、僕はコントローラーを置く。隣にトーコちゃんがいると話しかけられる可能性があるので、今はひとりの方がありがたい。


「こっちは大丈夫ですよ」


 声をかけると、ソラさんは縁側でさきほど投げ捨てた駒を混沌の中から回収していた。かざした手にひゅぽぽぽんと白黒の石が吸い付いていくのが面白い。


「それ回収するんですね。また新しく作るのかと思ってました」


「私もそのつもりだったんですが、よく考えなくても毎回作るのは手間だなと思いましたので」


「……一瞬に見えましたけど、手間なんです?」


「作らないのと比べれば、まあ多少は」


「なるほど」


 石を回収し終わったソラさんの手招きに応じて、僕は縁側に出る。いつの間にか木製の立派な盤が置いてあり、高級そうな座布団と、茶菓子まで置かれている。今から名人戦でも始まるのかという風情である。


 僕も僕で名人戦に臨むぐらいの気合いで座布団に座ると、ソラさんは障子戸を閉めた。なんで閉めたんだろうと思っていると、その疑問に先回りするようにこう言った。


「素振りしてるない夫が視界の中でチラチラするので」


「なるほど」


 この大一番にそれだけ集中したいということか。ない夫はいま独りだし、最悪数時間放置していても大丈夫だろう。誰かに話しかけられたら無視する形になってしまうが、どうせ大したことは喋れないのだ。


「ではどうぞ、レンタローさんは黒を」


「甘んじて受け入れましょう。しかしさっきのようには行きませんよ」


 正直なところ、リバーシで先後どちらが有利なのかも分かっていないのだが。


 ともかく、僕にとってのリベンジマッチがおごそかに開始された。






「……」


「……」


 勝負は中盤から終盤にさしかかっていた。最初は雑談などしながら打っていたのが、今では完全に無言で、互いに長考を繰り返している。


 やはりいい勝負である。一戦目の敗北を教訓として、たくさん石がめくれる場所に漫然と打つのではなく、相手の一手先二手先を読みながら打っていく。『カドを取ったら有利』ぐらいの知識はあるので、そこを目指して一手一手を積み上げていく。


 一戦目の最中に「カドを取れると有利なんですよ」とは言ってしまったので、ソラさんもそうやすやすとは取らせてくれない。しかし終盤、ついに均衡が崩れるときがきた。


「うぐぅ……」


 無言で打っていたソラさんが思わずうめき声を漏らす。白石を置ける場所がひとつしかなく、そこに置くと次にカドを取られることに気づいたのだ。


「……」


 趨勢は完全にこちらに傾いた。互角だった盤面には次第に黒石の数が増えていく。盤面が全て埋まったとき、僕とソラさんはどちらからともなく頭を下げた。


「「ありがとうございました」」


 もはや数えるまでもない。人間の魂の知恵が、女神の叡智に打ち勝ったのである。


 しかし僕にはことさらに勝ち誇ってみせる気はなかった。激闘を制した満足感と、この名局を作った相手であるソラさんへのリスペクトが心に湧いていたからだ。ソラさんも同じ気持ちだったのだろう。多くは語らず、微笑んでこう言った。


「……次は負けませんよ」


「ええ!」


 僕たちは盤面の上で、堅い握手を交わした――


「何やってんだ、お前ら?」


「「わっ」」


 急に横合いから声をかけられて、慌てて手を離す。


 混沌の中から唐突に現れたのは、真っ赤な髪の大柄な女性――カグラさんだった。


「お、脅かさないでくださいよ」


「脅かすもなにも、来くるなりなんか熱い握手を交わしててびっくりしたのはあたしの方なんだが……。何やってんだ?」


「カグラちゃん。実はレンタローさんに、人間の遊びについて色々と教わってまして……」


 と、ソラさんがしりとりに始まり、これまでのいきさつを説明する。


「――というわけで、とてもエキサイティングな体験でした! どうですか、カグラちゃんも一緒にやってみませんか?」


「あー、ソラちゃんが楽しそうで何よりだが、あたしはいいや。今はそれより、ない夫のプログラムをいじってた方が楽しいんでね。

――つーか、えらくのんびり遊んでるみたいだが、ない夫の方は大丈夫なのかよ」


「それは問題ありませんよ。レンタローさんが凄いウラワザを考えつきまして――」


 と、セロテープ素振りのことを説明しかけて、ソラさんはひとつの疑問をぶつけた。


「――というかカグラちゃんこそ、何かありましたか? 今日は来ないみたいなことを言ってたと思いますが」


「僕も気になってました。昨日の今日で、何かあったんですか?」


「はあ? 昨日の今日だ?」


 カグラさんはあきれた声をあげた。


「何ボケてんだ。あたしが帰ったのがおとといの話だろ。一日置いてまた来るって言っといたじゃねーか」


「はい? え? そんなはずないですよねソラさん。ついさっき朝になったばっかりで、それからリバーシをたった二戦やっただけで――」


 が、ソラさんの表情を見れば答えは明白だった。女神の能力的な何かで現在時刻を確認したのか、涙目になって謝罪してくる。


「ご、ごめんなさいレンタローさん! つい夢中になっていて気がつきませんでしたが……今の勝負を初めてから、一日以上経ってます!」


「ええ!? ま、丸一日ですか? そんな、ついさっきの事だと思ったんですけど……」


「魂は時間の感覚が曖昧なんです! だから私が気をつけていないといけないのに……本当にごめんなさい!」


「おい、謝るのは後だろ。先にない夫の様子を確認しようぜ、起きてこないって騒ぎになってるかもしれねえ」


 何も知らないカグラさんが、慌てて障子戸を開ける。だが僕とソラさんは知っているのだ。ない夫に素振りをさせ続けたまま放置させてしまったことを。


 ぶっ倒れて治療院に担ぎ込まれているならまだ良い。その状態でもボタンは押され続けているわけで、それがプログラムにどんな影響を及ぼしているか分からないのだ。最悪、女神パワーの供給が絶たれて死亡している可能性も――。


「……おい、こりゃどういうことだ?」


 そんな最悪の可能性も考慮していただけに、画面を見たカグラさんにそう言って尋ねられても、僕もソラさんも何も答えることができなかった。


 画面の中ではまだない夫が剣をふるっていた――そこまではいい。さすがにスタミナゲージは尽きかけているが、僕が思っていた以上に有酸素運動(というか、有女神パワー運動)ならば、ない夫は長時間耐えられるということで、それが分かったことは収穫でもある。


 僕たちの理解を超えていたのは、ない夫の周囲で一緒に剣を振っている、大勢の冒険者たちの存在であった。

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