4-5
ない夫は何をしでかすか分からない。短い付き合いだがそれだけは身に沁みていたトーコは、その行動の変化にすぐに気づいた。先ほどまではキマイラの後ろを取るように――やたらと樹にぶつかったり無駄に直角に曲がったりしながら――動いていたない夫が、逆に正面から近付いていくのだ。
自然、ずっと正面から気を散らすことに集中していたトーコとの距離も縮まる。何かをする気だと思って、トーコはない夫の側に駆け寄った。
「ない夫、どうするの?」
「はい」
これも無駄な会話ではない。「はい」ということは、無策ではないということだ。トーコはない夫を信じてみることにした。
「わかった。なるべく援護するよ」
「はい」
信じてみることにしたトーコだったが、さすがに次のない夫の行動には信頼が揺らぎかけた。
ない夫は持っていた剣を静かに地面に置き、無手でキマイラに歩み寄っていったのだ。
「は!? え、何で!?」
当然キマイラは牙を剥いて迎撃する体勢に入る。ない夫はゆっくりと近付いて――
――間合いに入った瞬間、キマイラのたてがみに猛然と掴みかかった!
「GRRR!」
当然そこはキマイラの間合いでもあり、鋭い牙で噛み付こうとしてくるが――
「GYAAA!?」
ない夫の馬鹿力でたてがみをごっそり引き抜かれ、悶絶した。
キマイラは思わず身をよじって逃れようとするが、ない夫はもう一方の手でたてがみを掴んだまま離さない。地面を引き摺られながらも、腕を交互に動かして着実にたてがみを引き抜いていく。皮膚ごと剥がされた白いたてがみが、まだらに血に染まって地面にばらまかれていく。
暴れ回るキマイラ、獣のようにそれに張り付いて離れないない夫。トーコは巻き込まれないよう離れながらも思考を高速で回転させていたが、口をついて出たこの言葉は止められなかった。
「どういうことなの――」
◇ ◇ ◇
「狙い通りです!」
「凄い! これは私にも分かりますよレンタローさん。べんりボタンからの草むしりですね!」
「はい! 正直ここでドア開け始めたらどうしようかと思ってましたが……」
「なんかその場合でも牙をねじ切ったりしそうですね」
「いやソラちゃん、いくらなんでもドア開けにそんなフルパワー設定してねーよ」
カグラさんが言うが、草むしりにフルパワーを設定するのもどうかと思う。
「だが実際やるなレンタロー。土壇場でこんなバグ技を思いつくとは」
「仕様じゃなかったんですか」
「べんりボタンで敵の毛むしり始めるのはバグだろ」
「そうですね!」
でも今はバグだらけのべんりボタンが役に立った。冒険者ギルドの前で草をむしり始めたときに、ゴツい草を軽々と抜いていく雑草に対する容赦のなさには気づいていた。「これモヒカンの人がうずくまってるところでべんりボタン押したら首ごと引っこ抜いちゃうんじゃないの?」と心配になっていたのだ。
結果は期待以上で、ない夫はキマイラのたてがみを軽々とむしり取っていくし、キマイラの方でも思った以上に嫌がってくれている。魔法を使うようなモンスターだけにたてがみも何らかの重要な器官になっているのか、それとも単にハゲるのが嫌なのか。ない夫にダメージを与えようというよりは、とにかく振り落としたいという感じで転がり周り、樹々をへし折る勢いで暴れている。
対するない夫もよほどフサフサの毛が憎いのか、引き摺られても樹に叩きつけられても掴んだ毛は決して離さない。むしろ足下が踏ん張れない関係で、片方の手が毛を引き抜く時には必ずもう一方の手で違う場所の毛を掴んでいることになる。ダメージ的にも打撲に強いのは前述の通りなので、ライフエネルギーもまだまだ頑張ってくれそうである。
その間僕はコマンドが終了しないよう、適宜べんりボタンを押し直すだけである。ギルドでの一件の後でカグラさんに『コマンドの割り込み』をオンに切り替えてもらっておいたので、草むしりが途切れることはない。祈るのは途中ドアノブっぽいものを見つけてそちらを捻りに行ってしまわないか、それだけが心配である。
だが限界はない夫ではなく、キマイラの方に先に訪れそうだった。
「レンタローさん、大変です! たてがみをむしり尽くしそうですよ!」
「可哀想にな……」
そう、キマイラの頭頂部のライフがゼロになりかけていたのだ!
「この後はどうするんですか!」
「考えてません」
「えっ」
本当はまったく考えてないわけでもない、が、考えてないのと同じことだろう。
「後はもう、チャンスを待つしかありません」
「チャンスって何です?」
「分かりません。でも、もともとない夫独りじゃ逆立ちしたって勝てそうにない強敵ですから――」
僕はそう言って、目まぐるしく変わる画面の中、ない夫が剣を捨てたはずの場所に視線を走らせた。剣はいつの間にか無くなっており、また、いつの間にか見なくなった人物もいる。
「――信じて待ちましょう」
◇ ◇ ◇
まさにその時、トーコもまた信じて待っていた。
ない夫が毛むしりない夫となってから、トーコの頭には様々な考えが駆け巡った。キマイラの妨害にはなっているが、決め手はあるのか? ない夫の体力はもつのか? そして、ない夫はなぜ剣を捨てたのか?
この作戦なら、鞘に剣を収めてもよかったはずである。そうすれば後にまた抜いて使えるのだから。頓狂な行動の多いない夫だが、トーコの知る限り抜剣、納剣の動作はいつも機械的なまでにスムーズだった。わざわざ剣を捨てたことには何か意味があるのかもしれない。そう思って剣を拾った。
ここからの行動はほとんど直感だった。重い長剣はトーコの膂力では振り回せない。この剣を有効に使うとしたらどこか。上を取るしかない。そう考えて樹に登った。
樹はキマイラと戦っている時から目をつけていた。それなりに登りやすく、キマイラの突進でも折れないぐらいの太さのある、いざという時避難所になりそうな樹である。
あとは待つだけだった。狂乱状態のキマイラはトーコが消えたことになどまったく気づいていない様子で暴れ回っている。待っていれば必ずキマイラはトーコの真下を通る。あとはそれまでない夫が頑張ってくれることを、信じて待った。
待って、待ち続けて、いよいよキマイラの頭頂部が砂漠になりそうなところで――
――ついにその時が来た。
「GGYYAAAAAAAA!?」
突如として空から振ってきたトーコが下向きに握った剣が、キマイラの左目に突き刺さる。その剣を残してトーコが吹っ飛ばされる。
――そして吹っ飛ばされたトーコが地面に叩きつけられるまでのわずかな時間に、すべてのことが起こって、終わった。
仮に近くで見ているものがあったとしても、何が起こったのか正確には理解できなかっただろう。
ない夫の目線で言えば、突然目の前に剣が刺さった。それも自分の愛剣である。
ない夫が、その剣の柄を掴む。ない夫の状態には『平常モード』と『戦闘モード』の二種類があり、ワンボタンで切り替えが可能である。もともと魔王との戦闘を意図して作られたプログラムだけあって『戦闘モード』はかなり優秀で、このモードに入ると、武器を持っている場合はそれを抜き、持っていない場合はすみやかに近くの武器を掴むようになっている。この瞬間を待っていたレンタローは、すぐさま戦闘モードに切り替えた。
しかし剣を掴むということは、当然たてがみから手を離すということである。痛みに顔を振り上げるキマイラから、慣性に従ってない夫は宙に投げ出され、剣が抜けそうになる。
まさにそのタイミングで、あらかじめ入力されていたコマンドが割り込んだ。
――――――――――――――――
【アクティブスキル】
|> 超 素 振 り
――――――――――――――――
それは素振りを極めしものの技。いつでもどこでも高速で剣を振り上げて振り下ろすことができるという、それだけの技。それを目に刺さったままの剣で発動すればどうなるか。
ない夫の馬鹿力で振り上げた剣はキマイラの脳に刺さり、振り下ろしたときにはもう剣は抜けていた。ない夫が剣を振りながら吹き飛んでいく、それぐらい微妙なタイミングだった。
だが運命はその綱渡りを超えて、キマイラは脳を破壊されて絶命した。
◇ ◇ ◇
「……」
カケダーシの街の西門の外、ナナミは祈るように手を組み合わせたまま、月が昇り始めた西の空を見つめていた。
「ナナミくん、ここは冷えるだろう」
「シラハ先生……」
背後から声をかけられて振り向くと、街の診療所のシラハが立っていた。弟のミサキを看てくれたのもこの医師だった。
「来て、くださったんですね」
「ああ。ナオール草が手に入ったらすぐに薬を調合する約束だからな。それに……」
シラハはニシーノ山を見やって言った。
「そろそろ怪我人が戻ってくるころじゃないかと思ってね」
「……」
ナナミはうつむいた。きっと今もニシーノ山で、あの大きな冒険者の人、ない夫が戦っているのだ。加えて彼を追っていったトーコという女の人、さらにはトーコの呼びかけに集まった多くの冒険者たちがニシーノ山に向かって行ったのだ。
「……わたし、とんでもないことをしてしまったでしょうか」
「ナナミくんが気に病む必要はない……と言われても無理かな。実際間違いなく怪我人は出るだろうし、ひとりふたり帰ってこないかもしれない。下手をしたら全滅する可能性だってある。キマイラはそれくらいの相手だ」
「……」
ナナミはそんなこと、考えもしなかった。ただ弟の命を救うことだけを考えて、強い冒険者の人ならなんとかしてくれると、その冒険者の人が命を賭けることになるなんて、考えもしなかったのだ。
「だがね、ナナミくんがしたことは間違ってない。君がしたことはただ、助けを求めただけだ。誰にだって、自分だけの力ではどうにもならなくなったとき、誰かに助けを求める権利はある。そして、それを受けたのはない夫自身だ」
「でも、トーコさんとか、他の冒険者の人たちもおおぜい出ていく大騒ぎになっちゃって……」
「それだってもちろん彼らの問題さ。……しかし不思議なものだね。ない夫君が来る前のこの街の冒険者だったら、いくら積まれたってニシーノ山に乗り込むなんてことはしなかっただろう。ない夫くんには他の冒険者たちとは少し違う、周りを巻き込む力がある。……或いはこれが、英雄の資質というものなのかもしれないね」
シラハはあくまで呑気に語り、楽しそうにすら見える。今にも泣きそうなナナミには、そんなシラハの態度が苛立たしかった。
「先生、なんでそんな余所事みたいに言えるんですか。この街の人たちが死んじゃうかもしれないんですよ。わたしのせいでそんなことになったら、わたしどうしたらいいか……」
涙をこぼすのを見て、シラハはあわてた。
「おっと、すまないすまない……少し脅かしすぎたね。
さっきはあんなことを言ったけどね、私にはなんというか、確信に近いような予感がするんだよ」
「予感、ですか?」
「ああ。英雄は女の子を泣かせないものだ――ほら」
シラハに食ってかかっていたナナミが、はっとして振り向く。薄暗くなってかすむように見えるニシーノ山の方に、ぼんやりとした人影が見える。人影は大小の二つがあって、大きい方が小さい方に助けられながら、ふらふらとこちらに近付いてきていた。
「――!」
ナナミは待っていられず駆けだした。あっという間に距離は縮まり、人影が明確に像を結ぶ。歩いてくるのは間違いなく、ナナミの願いを聞いてくれた冒険者、ない夫と、彼を助けに行ったトーコの姿だった。
トーコはともかく、ない夫の格好は出発時とは比ぶべくもなくボロボロであった。全財産をはたいたというフルプレートメイルは見る影もなく、かろうじてその残骸らしきものが手首にぶらさがっているのみ。その下に着込んでいた衣服もあちこちが破れ、たっぷりと血が染み込んでいた。
変わらないところはただ、禿頭の下に浮かべたとぼけたような表情だけ。ナナミの願いを二つ返事で聞いてくれた時と同じ、やさしい面差しだけだった。
「ない夫お兄さん!」
しがみつく勢いで駆け寄り、しかし怪我にさわったらいけないと直前で立ち止まったナナミが何を言ったらいいか分からずまごついていると、ない夫は足を止めてこう言った。
「はい」
ない夫がそう言って差し出したのは、可憐な一輪の白い花だった。ナオール草の花に違いなかった。
「ありがとう……お兄さん、ありがとう!」
言葉になったのはそこまでだった。ナオール草の花を受け取ったナナミは、あとからあとから溢れてくる涙をぬぐいながら、シラハ先生の言った『英雄は女の子は泣かせない』というのはうそだ、と思った。
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