4-6

「こいつはなんつーか……とんでもないな」


 ない夫救出のため、決死の覚悟でニシーノ山に向かった冒険者たちはしかし、到着した時にはすでに息絶えたキマイラの死体と、凄絶な戦いの痕に呆然とするばかりだった。


 ともかく目的は達せられたのである。急ぎ治療が必要と見られる重傷のない夫と、その付き添いのトーコだけを先に帰し、後続の冒険者たちはキマイラの素材剥ぎとナオール草採取のために残っていた。


「キマイラのたてがみっつーと、かなりの高級品らしいんだがなあ」


 ついて来ていた冒険者アキトが平然とつぶやく。と、近くにいた元酒浸りのおっさん冒険者がかみついた。


「何を呑気なことを言ってるんだ。こりゃ尋常な戦いの痕じゃないぞ。剣で刈り取ったんじゃない。素手でむしりとったんだ」


「馬鹿な、キマイラ相手に素手でだと!?」


「どうしてそんなことをする必要が……、いや、しかしこの状況は……」


 ただでさえ凶悪なモンスターであるキマイラに素手で立ち向かうなど、ましてたてがみをむしり取るなどおよそ正気ではない。しかし、いたるところに散乱したキマイラのたてがみと、そこにべったりとこびりついた血を見ると否定もしきれない。


 恐々とする冒険者たちに、アキトはあっさりと言った。


「正気で勝てる相手じゃなかったってことだろ、キマイラは。いやあ、実際に戦ってるところを見てみたかったぜ。吟遊詩人に歌われるような戦いだったろうになあ」


 そんなことを言いながら、実際その場に居合わせたら一目散に逃げ出していただろう。アキトはそういう男であった。


「うわっ、見ろよこれ……」


「げっ」


 と、一人の冒険者が拾い上げたのはひときわ血の濃いたてがみの塊だった。よほどすさまじい力でむしられたのだろう、頭皮ごとごっそりと剥がされている。


「そういえば、『素振り入道』はハゲてたよな」


「……」


 元酒浸りおっさんがぽつりと呟いた言葉に、アキトはぱちりと指を鳴らした。


「いいじゃないか、吟遊詩人に伝える話はそれで行こう。ハゲのない夫は常日頃から、フサフサの頭髪に対して執念を燃やしていた。キマイラと対峙しピンチになったない夫はついにその執念を解放し、頭髪への恨みを力に変えてたてがみをむしりとった――」


「お、おい、止めろよ」


「そ、そうだぞ。キマイラを倒した英雄が、ハゲを気にしてるみたいな」


「はは、本気にすんなよ、冗談だって。さ、さっさと仕事を終わらせて、本当の話を聞きに戻ろうぜ」


 アキトは笑ってナオール草を摘みに行く。他の冒険者たちも、そうだよな、冗談だよな、と笑いながらそれぞれの仕事に戻った。


 ――その後しばらくの間、カケダーシの街では都市伝説のように『毛むしり素振り入道』の名が語られ、頭髪の豊かな者の心を寒からしめたという。




 キマイラ討伐から三日が経った。人から人へと噂が広がり、『キマイラ殺し』の話は、今カケダーシの街で最もホットな話題である。


 その話題の中心たる『素振り入道』が、この日シラハの診療所を退院し、住んでいる冒険者向け集合住宅に帰ってきた。本当は一日経つ頃には女神パワーであらかた傷は治っていたのだが、「あれだけの怪我だったのだから」と念のため入院させられていたのである。


 ない夫は道中でも声をかけられたり子供に集られたり老人に野菜を渡されたりと大人気状態だったが、帰宅した後も建物じゅうの冒険者が集まってきて、ちょっとした騒ぎになった。


「おい、英雄様のお帰りだぞ!」


「もう治ったのか!? 傷はどこだよ!」


「キマイラの賞金貰ったんだろ! ちょっと金貸してくれねえ?」


「はい」


「はいじゃない! あんたらも、ない夫は病み上がりなんだから集らないの!」


 当然のように付き添っていたトーコが人だかりを散らし、ない夫はようやく食堂件エントランスの席のひとつに腰掛けることができた。


「まったく……ない夫、とりあえずなんか食べる? シラハ先生のとこ、ご飯美味しくないもんね」


「はい」


「オッケー! 何か食べやすいもの作ってきてあげるね!」


 ぱたぱたと厨房に消えるトーコを確認して、周囲の冒険者たちは声を潜めるでもなくまた噂話に興じ始める。


「あれだけの傷を負っていながら、たった三日でもうケロっとしてやがる。さすが『キマイラ殺し』だぜ」


「ああ。見ろよあの何でもなかったかのような無表情……『キマイラ殺し』に怖いものなんてないのかもな」


 そんな声を聞きながら、このアパートに住む一人であるアキトは若干ふてくされたようにブツブツ言っていた。このごろ自分がつけた『素振り入道』を上回る勢いで『キマイラ殺し』の二つ名が広まっているのが不満な様子である。


「『キマイラ殺し』なんて何のひねりもない……『キマイラ殺し素振り入道』だと語呂が悪いんだよなあ……」


 そんな折、むさくるしい男たちの声でざわつく食堂に、似つかわしくない来訪者があった。


「こんにちはー! ない夫さん帰ってますか――ない夫お兄さん!」


 エントランスの扉を開け放つなり、目立つ禿頭を見つけて駆け寄ってくる。長い金髪を可愛らしくポニーテールに結わえた少女、ナナミである。表情にあった陰はなくなり、生来の活発な少女に戻っている。


「ない夫お兄さん! 身体はもうすっかり良いんですか?」


「はい」


「良かった~! シラハ先生がぜんぜん会わせてくれないから、わたし心配で……」


 と、ナナミは確かめてみないと納得しないのか、ない夫の身体をぺたぺたと触っていたが、はっとしたように飛び退いて、姿勢を正す。


「あっ、ごめんなさいわたし、つい……。コホン。えっと、ない夫お兄さん」


「はい」


「このたびは本当に、ありがとうございました!」


 と、ふかぶかと頭を下げた。


「あの後すぐシラハ先生がナオール草を調合してくれて、弟のミサキも嘘みたいに良くなったんだよ! もう咳もないんだけど、まだ人には感染るかもしれないからって外出禁止なの。ミサキもぜひお兄さんにお礼したいっていってるから、シラハ先生のオッケーが出たら連れてくるね!」


「はい」


「うん。それでね……」


 ナナミは照れたように身体をもじもじとさせてから、ない夫の目をはっきりと見て言った。


「わたし、シラハ先生から、他の街の人から、ない夫お兄さんのこといっぱい聞いたの。凄く強いけど不器用だとか、それは呪いのせいで、普通の生活をするのにも困ってるとか、いろいろ聞いたの」


「はい」


「それでね、ない夫お兄さんはわたしを助けてくれたから、今度はわたしが助けてあげる番だと思って――わたし、今までは弟の看病にかかりきりであまり外にも出れなかったけど、これからは時間ができるでしょ」


「はい」


「――それで、わたしがお兄さんのお世話係に立候補しようかと思って。その、そんなに役に立たないかもしれないけど、お金とかもいらないし、わたしにできることなら何でもしてあげたいと思うの。だから――」


 ナナミは不安そうな上目遣いで、ない夫の顔を覗き込んだ。


「どうかな、わたしにない夫お兄さんのお世話、させてくれる?」


 ない夫は平素と変わらないトボけた表情で、あっさりと頷いた。


「はい」


「……やった! いいんだね! じゃこれから――」


 がしゃん。


 と、食器のぶつかる音でナナミの言葉は中断された。厨房から出てきたトーコが、危うくお粥を取り落としそうになった音だった。


 トーコはぶるぶる震えながらずんずんと歩いてくると、がちゃん! と音を立てて食器を置いてない夫詰め寄った。


「な、ない夫……どういうつもり!? あたしからこの子に乗り換えるの!?」


「……はい?」


 何やら混乱しているらしいトーコにも、ナナミはほがらかに頭を下げた。


「あ、トーコお姉さんも、先日はありがとうございました!」


「へ? それはどうも……ってそうじゃなくて、ない夫の世話をするとか聞こえたけどどーゆーつもり!? ない夫はあたしが……」


「うん! トーコお姉さんがお世話してるんだよね。でもお姉さんは自分も冒険者だし、ずっと見てるのは大変でしょ?」


「え? いや、そんなこと……」


「だからこれからはわたしも手伝うね! これからよろしくお願いします!」


「は、はあ。どうも……」


「それじゃない夫お兄さん、今日はシラハ先生のとこにお薬貰いに行かなきゃいけないから、もう行くね! またね!」


「はい」


 言い残してナナミは風のように去って行った。弟が病気になっていらい鬱屈としていたが、元はこういう性格だったらしい。


 一瞬変なスイッチが入りかけたトーコもあっけに取られていたが、はっと我に返るとおそるおそるない夫に問いかけた。


「あの、ない夫? 大丈夫だよね? あたし、いらなくなったりしないよね?」


「はい」


「そうだよね! あたしが相棒第一号だもんね!?」


「はい」


「――良かったー! あたしのポジションが奪われたかと……あっ、ごめんねない夫。冷めないうちに食べて食べて!」


「はい」


 『はい』しか言ってないない夫は、トーコ作のお粥を淡々と口に運ぶ。その様子を見て、周囲の冒険者がおののいた。


「おい見ろよ……あの修羅場の中、まったく動じてないぜ」


「流石だな。しかし羨ましいぜ、綺麗どこ二人に挟まれてよ」


「おいおい、トーコはともかくもう一人はまだ子供だろ」


「分からんぞ、『素振り入道』が実はロリコンという事も……」


 最後の男のつぶやきを耳にして、食堂の隅にいたアキトがはっと顔をあげた。


「なるほど、『ロリコン素振り入道』……これなら語呂もいいし、広まりそうだな」


「広めるなー!」


 さすがに聞きとがめたトーコが怒鳴る。詰め寄られて「冗談だって」と謝るアキト、「ない夫が小さい女の子が好きだなんてこと……分かんないけど、ないよね!?」とまた混乱しかけるトーコ。ない夫がこの街にやって来てからできた、新しくも平和な日常の一コマであった。


 ない夫はわたわたとするトーコの後ろ姿をじっと見つめていたが、ふと粥を運ぶスプーンを止めた。



「アリガトウ」



「……ん?」


 アキトを揺さぶっていたトーコがはっとして手を止める。


「今ない夫なんか言わなかった? ありがとうとか何とか……」


「は? ない夫が喋るわけないだろ?」


 周囲の冒険者たちも揃って首を振る。どうやら喧噪の中、聞き取れたのはトーコだけであるらしい。


「いやいや! 絶対聞こえたって! ない夫いま、あたしにありがとうって言ったよね!?」


「……はい?」


「何かトボけてない!? ない夫もう一回! もう一回言ってみて!」


「いいえ」


「何でよー!」


 いつもと変わらないはずのない夫の無表情が、心なしか満足げに見えた。



  ◇  ◇  ◇



「――あれで良かったのか?」


「はい。どうしても一言、お礼ぐらいは言いたかったので」


 僕はカグラさんに頼んで、一つだけない夫に喋らせる言葉をリクエストしていた。それがあの辿々しい『アリガトウ』だったのだ。


「カグラさんの言う通り、あまり喋れるようになっても混乱の元ですし。一度だけ喋ったような気がする――ぐらいがちょうどいい塩梅かなと」


「そうですね。うまくトーコちゃんにだけ聞こえたみたいですし。わたしも何だかスッキリしました」


 ソラさんがニコニコしながらお茶を淹れてくれる。それを飲みながら画面を見ると、粥を食べるない夫の口を拭いてやったりと世話をしながら、『今絶対喋ったよね? ない夫ってばー』とまとわりつくトーコちゃんの姿があった。不満そうな態度ながら、口元はわずかにニヤついていて嬉しそうだ。


「まあとりあえず、これで一区切りですかね」


 肩の荷が下りた気分で僕が言うと、ソラさんも頷く。


「そうですね。始めたときはどうなることかと思いましたけど――気づけばスケイルワームにキマイラと強敵を二体も倒せたんですよね。凄いですレンタローさん」


「いやあ、僕もなんか、けっこういけるような気がしてきました」


 思えば最初は歩いただけで壁にぶつかったり、ドアも開けられなかったのだ。それが少しずつアップデートも進み、僕の操作も上達してきた自覚がある。今やない夫は街の英雄だし、いずれ魔王を倒すというのも、夢物語ではなくなっている感触があった。


「今回のキマイラ戦で、ない夫のシステム上の課題もいくつか見えたしな。次はどこをアップデートするか考えどこだな。――本当はまずバグの修正をしようと思ってたんだが、レンタロー的には残しておいたほうがいいか?」


「何でですか。バグは直してくださいよ」


「だってお前、何やかんやでバグを利用して勝つじゃねーか」


「そうでしたけども。もう一回あれをやれるかといったら無理ですし、バグを利用して勝つより、まっとうにない夫が強くなってくれた方がいいんですよ」


 僕の言葉に「そりゃそうだがな」とカグラさんも頷く。が、ソラさんは苦笑いを浮かべてこう言った。


「そうは言うものの、この先もずっとバグはついて回るような気がします」


「……奇遇ですねソラさん、僕もです」


「実はあたしもだ!」


「いやいやカグラさんはそれじゃダメでしょう!」


 システム開発者に突っ込みを入れて、僕らは笑い合う。


 そう、今後もない夫の戦いはきっと、新たなシステム改良と、それに伴って産まれるバグとの戦いになるだろう。その度に三人で顔を突き合せて、創意工夫で困難を乗り越えていくのだ。我々はそのためのチームなのだ。


 それを繰り返しながら魔王討伐まで辿り着くのは、簡単な道ではないだろう。でもこのチームなら、何とかなりそうな気がしてきている。そう、僕たちの戦いはこれからだ――


 ――ぴんぽーん


 と、僕がチームの未来に重いを馳せていると、どこか間の抜けた音が響いた。


「……何ですか今の音、チャイム?」


「この家のチャイム、ですね。めったに鳴らないんでわたしも忘れかけてましたけど。誰でしょう? カグラちゃんはチャイムなんて鳴らさず勝手に入ってきますもんね」


「そもそもあたしはここにいるしな」


 ――ぴんぽーん


 首をかしげていると再びチャイムが鳴る。「はいはーい」とソラさんが立ち上がり、ぱたぱたと玄関に小走りで駆けていった。


 残された僕とカグラさんは、なんとなく顔を見合わせる。


「――誰でしょうね?」


「さあな。ソラちゃんはあんまり女神付き合いが広いほうじゃないし、保険のセールスか何かじゃないのか?」


「女神様に保険とかあるんだ……」


「いろいろあるぞ、担当する世界が魔王に滅ぼされちゃった時用の魔災保険とか」


「……それは入っておいた方が良さそうですね」


「おい」


 などと軽口を叩いていると、ぱたぱたとソラさんの足音が戻ってきた。ぱん! とふすまを開け放つと、ソラさんは真剣な表情で言った。


「ええと、レンタローさん! その、あの、えっと、とにかく逃げてください!」


「え?」


 逃げるって、どこへ? そもそも何から?


 混乱していると、ソラさんの後ろからもう一つの足音が迫ってきた。


「ソラっち、何を混乱してんのよ。逃げるとこなんてどこにもないでしょーに」


 声とともにその主が姿を見せる。ソラさんよりも頭ひとつ分背が高い、セミロングの金髪に派手な髪留めをつけた女性だった。ショートパンツに襟ぐりの緩いシャツという格好で、どことなくギャルっぽい雰囲気である。ここに現れるということは女神様なのだろうが――


「えっと、どちらさまで?」


 僕が尋ねると、ギャルっぽい女神様はキッとこちらを睨み付けて宣言した。


「出たわね、大悪党レンタロー。この女神アゲハの名において、アンタは今この瞬間、地獄行きよ!」


「え、え――――――――――!?」


 まさかのゲームオーバーのお知らせであった。

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