2-2

「あいつが目を覚ましたって本当!?」


 カケダーシの街にある小さな診療所、その中の一室に赤毛の少女が飛び込んでくる。街の冒険者、トーコだ。


 森で強敵スケイルワームに襲われたところを、謎の大男に助けられた。男はワームを倒す際に重傷を負い意識を失っていたが、彼が目覚めたという知らせを受けて駆けつけてきたのだ。


「トーコくん、騒がしいぞ。ここは診療所だからな」


「あ、すいませんシラハ先生……。それで、あいつの様子は?」


「見ての通りだ」


 診療所の院長シラハは長い髪をかき分けると、半歩体をどけた。トーコの目に、ベッドに半身を起こした男が映る。


「あ……。良かった……」


 トーコはあらためて男を見る。かなり若い男だった。トーコと同じか、やや上ぐらいだろうか。その割に剃っているのか体質なのか頭はつるりと禿げ上がっており、それが年齢以上の迫力を感じさせる。しかしその下の顔には表情らしい表情がなく、そのせいでどこかとぼけているような印象に見せる。


 体は大きく、一目に鍛え上げられているのが分かる。治療後だからか上半身は裸で、あちこちに包帯が巻かれていた。


「命に関わるような傷はない。私のところに運び込まれた時にはもうほとんど血も止まりかけていて、やることがなかったぐらいだ。まったく、驚嘆すべき回復力だな」


「ありがとうございます、シラハ先生。あの……」


 トーコがシラハと男との間で視線を彷徨わせていると、シラハはふっと笑って、気を利かせたように部屋を出ていった。


 ほっと息をついたトーコは、男に向き直って笑顔をつくる。


「あのさ……ありがとう。助けてくれて」


「はい」


 じっと見つめていても、男の表情は微動だにしない。


「傷は大丈夫? 痛いところとかない?」


「はい」


「よかった。あんた、頑丈なんだね」


「はい」


「……」


「……」


 笑顔のまま、会話の接ぎ穂をなくして固まるトーコ。いっぽうで彼女の中で、仮説が確信に変わりつつあった。


「……あのさ、あんたってひょっとして、『はい』しか喋れなかったりする?」


「いいえ」


「そうだね、いいえも喋れるもんね……ってそうじゃなくて! はいとかいいえしか喋れないのかってこと!」


「はい」


「まあ、答えははい、だよね……」


 そんなことがあるだろうか、トーコは考える。まったく喋れないならともかく、はいといいえしか喋れないというのは……。


「なんだろう、そういう呪い? みたいなもんなのかな」


「はい」


 そんな呪いなどもちろん聞いたことはなかったが、トーコは妙に納得した。そもそも言葉以外にも、男の挙動はおかしかった。スケイルワームを一刀両断するほどの強さを持ちながら、動きはぎこちなく、攻撃を当てることすら満足にできなかった。もしかしたらそれも呪いに関係しているのかもしれない。


「難儀な呪いだね……。あんた、この街に知り合いはいる?」


「いいえ」


「家族は?」


「いいえ」


 それからしばらくトーコは同じような質問を繰り返したが、返答は全て「いいえ」だった。身を明かすような所持品もなく、生まれも素性も、自分の名前すらも分からない青年、それが彼であるらしかった。


 トーコは覚悟を決めた。


「よし……ねえあんた。いつまでも『あんた』じゃなんだし、あたしから呼び名をつけてもいいかな?」


「はい」


「ありがと……じゃあ、『ない夫』でどうかな。名前のない男ってことで……ちょっと安直すぎた? 気に入らなかったら遠慮なくいいえって言ってね。ない夫でいい?」


「はい」


「良かった! じゃああんたは今日からない夫ね。そういえば名乗ってなかったと思うけど、あたしはトーコ。あんたがこの名前を呼ぶことはないかもしれないけど……よろしくね、ない夫」


「はい」


 トーコが右手を差し出すと、ない夫はぎこちなく右腕を明後日の方向に差し出した。苦笑しながら、その手を取って正面に戻し、ぎゅっと強く握り込む。


「ない夫、あんたはあたしの命の恩人だよ。だからあたしは、ない夫が困ってるならその力になりたい。ない夫は喋れないけど――」


「いいえ」


「そうだねいいえは喋れるね、ごめんね! でも喋れないも同然でしょ! ちょっと大事なこと言おうとしてるから水差さないで!」


 トーコはこほん、と咳払いをして仕切り直すと、こう宣言した。


「ない夫がこの街にいるあいだ、あたしがあんたの口になる。ない夫がこの街で生活して行けるよう、できる限りのことはさせてもらうよ。もちろんない夫が良ければ、だけど……」


 だんだんと照れて声量が小さくなりつつも、トーコは最後に「どうかな?」とない夫の顔を見上げた。その表情はやはりとぼけたような無表情のままだったが、ない夫はしっかりとこう答えた。


「はい」


 このカケダーシの街で、(ある意味)伝説となる冒険者パーティが産まれた瞬間であった。



  ◇  ◇  ◇



「トーコちゃんめっちゃいい子ですね……」


「そうですねレンタローさん。死体に名前もつけてもらえましたし」


「いつまでも『死体』って呼ぶのもアレでしたもんね」


 僕は画面の中、死体――もとい、ない夫とがっちり握手を交わすトーコを見る。身体は小さく、ベッドの上に起き上がった状態のない夫よりも、立っているトーコの方がやや目線が下にある(ない夫が大概デカいせいでもある)。肩の上で切り揃えた赤毛に、少し子供っぽい丸顔、くるくるとよく動く瞳と表情が可愛らしい。


 冒険者としての実力は不明だが(というか、そもそもこの世界における冒険者がどういう職業かもイマイチ分かってないが)、『はいといいえしか喋れない』というない夫の欠陥をいち早く見抜いた洞察力と、明らかに迷惑物件なない夫を抱え込む決断をした正義感と義理堅さは頼もしい。ない夫の相方として、これ以上ない人材に出会えたのではないだろうか。


 ソラさんも同じように思ったのか、説明書を胸に抱えてニコニコしている。


「スケイルワーム戦ではどうなることかと思いましたが、得たものも大きかったですね」


「そうですね、トーコちゃんのおかげで、しばらくは心配なさそうです。あ、でも操作面の方はソラさんのサポートを期待してますからね」


「もちろんです、任されました!」


 僕たちは上機嫌にそんな会話を交わしていた。


 ――コントローラーをぶん投げたくなるのは、この十分後のことである。



  ◇  ◇  ◇



「んじゃない夫、まずはスケイルワーム討伐の報奨金を貰いに行こう。ラッキーなことにそこそこの賞金がかかってたみたいだから、当座の準備にはそれで十分なはずだよ!」


「はい」


 シラハ先生の許可を得て、トーコはない夫と連れ立って診療所を出た。スケイルワームとの死闘からまだ半日も経っていない。トーコはあらためて、ない夫の頑丈さと回復の早さに感心した。それらは単純な強さ以上に冒険者に求められる資質だ。トーコは頼もしく思いながら、まずは報奨金を受け取るために冒険者ギルドへと先導して歩き始めた。


 ――のだが。


「……ない夫、こっちだよ」


「はい」


 幾度目かの曲がり角で、トーコは呆れながら後方のない夫に声をかけた。


 四つ辻の中心までテクテクと歩いてきたない夫は、一旦そこで止まる。次にその場で足踏みをしながらゆっくりと旋回し、トーコの方を向いたところでまた止まる。それでようやくもとのように歩き出すのである。


「あのさない夫。ああしないと方向転換できないの?」


「はい」


「『はい』なんだ……」


 それに加えてない夫はしょっちゅう曲がりすぎたり、逆に角度が足りなくて壁に肩を擦りながら歩いていたりするものだから、トーコはそのたびにない夫を引っ張って正しい方向に戻してやらなければならなかった。


「ちょっと、また擦ってるって! ホントない夫ったら鈍感なんだから」


「いいえ」


「いいえじゃないでしょ!? なんでちょっと見栄張ったの!」


 時はすでに夕暮れ。報奨金を受け取った後も住むところの手配などやりたいことはたくさんあるのに、近いはずのギルドまでなかなか辿り着かない。


 早くも先ほどの宣言を後悔しそうになっていたトーコだったが、このくらいはまだまだ序の口であった。


「やっとギルドに着いた……。さて、報奨金受け取りは二階だってさ。行くよない夫」


「はい」


 何とか日が落ちる前にギルドに辿り着き、トーコは顔見知りの職員から報奨金のことを聞く。大金なので一般向けの窓口でなく、二階の応接室での手続きになるそうだ。


 遠巻きに冒険者仲間たちが興味深げにない夫を見ているが、それにトーコは軽く手だけ振って応えた。今日はだいぶ疲れている(精神的にも)ので、ない夫のことは後日説明する、という意味をこめて。


 ――と、二階への階段の半ば。


 ガッ ガッ


 という聞き覚えがあるような音に、トーコは足を止めて振り向いた。


「……ない夫、なにやってるの?」


「はい……」


 見ればない夫は、階段の一番下の段に延々とつま先をぶつけるばかりで、一歩も登れていなかった。「はい」の声にも心なしか覇気がなく聞こえる。


「ない夫、ひょっとして階段上れなかったりする……?」


「……」


 ない夫はぴたりと動きを止める。何を考えているのか、とぼけたような無表情のまましばらく虚空を睨んでいたが、やがて自信ありげにこう言った。


「いいえ」


「え? いいえつっても現に……」


 トーコが言い終わる間もなく。ない夫は軽やかにジャンプした。


|>ジャンプ


|>ジャンプ


|>ジャンプ


「何で急にそんなアグレッシブな登り方!?」


 ない夫が巨体をひらめかせ、三段飛ばし、四段飛ばしとジャンプして階段を上っていく。


 あっという間にトーコを追い越し――そして当然のように転がり落ちてきた。


「きゃあああああ!」


 間一髪トーコは飛び上がって躱したが、ない夫の巨体はけたたましい音とともに一番下まで転がり落ち、バウンドして止まった。


「な、ない夫生きてる!?」


「はい」


 何ごともなかったかのようにすぐ立ち上がる頑丈さだけは流石である。トーコは眉をいからせて詰め寄った。


「やっぱり上れないんじゃん! 見栄張らなくていいから! 下で受け取れるようにお願いしてくるから、ない夫はここでじっとしてる事! いい?」


「はい……」


 ない夫は悄然と……ではなく、いつも通りの無表情でそう答えた。




「はー。やっとお金受け取れたね……」


「はい」


 報奨金の受け取りは問題なく終わった。スケイルワーム討伐にいたる経緯を説明し、ない夫の素性、というか素性が不明であることを説明し、受け取りの証文にサインをするだけ。もちろんそのあたりはない夫は何もできないので、全てトーコが説明し、トーコが代筆でサインをした。その程度はトーコとしては全く問題はない。というか当初協力を申し出たとき想定していたのはこういう働きであった。


「ない夫も疲れただろうし、とりあえず後のことは明日に回して、今日は休もっか……」


「はい」


 トーコはない夫を気遣う言葉を口に出したが、疲れているのは実際自分の方だった。幸いギルドに隣接する宿泊施設の一階の部屋が空いていたので、とりあえずない夫はそこに押し込むことにした。


 狭い廊下の端にない夫が引っかかって進めなくなるなどの些細な問題はあったが、ようやく借りた部屋の前までやって来られて、トーコはほっと息をついた。


「じゃあ、ここがない夫の部屋だから。安宿だから鍵とかないけど、中からかんぬきは掛けられるから」


「はい」


 すでにない夫に慣れ始めたトーコは正直、ない夫にかんぬきを掛けるだけの器用さがあるとは信じていない。が、ない夫の強さだけは折り紙つきだし、盗られるようなものもないから問題ないだろうと思っている。報奨金はほとんどをギルドに預け、残りはトーコが預かっている。危なっかしすぎて大金を渡す気にはなれなかったのだ。


「それじゃない夫、また明日! ぐっすり寝てていいよ。朝になったら起こしにくるから!」


「はい」


 疲れはしたが、トーコの心には奇妙な充足感があった。『あたしはやり遂げたんだ』。手のかかる子をやっとこさ寝かしつけた時にも似た充足感である。


 しかしやり遂げてはいなかった。


 ない夫はじっと閉まったドアを凝視したまま、微動だにしないのである。


「……」


「……」


「……」


 トーコが黙ったままドアノブを回し、がちゃりとドアを引く。ない夫は無言のままてくてくと部屋の中に入っていった。


「ない夫、もしかしてドア開けられなかったりする?」


「……」


 また動きを止めるない夫に対し、トーコは先手を取って言った。


「ちなみにまた見栄を張って『いいえ』なんて言って、ぶん殴ってドアを開けようとかし始めたらあたしは泣くからね。もうギャン泣きする」


「……」


「ない夫、ドア開けられないんだね?」


「はい……」


 ない夫は観念して言った。トーコは怒り出すこともなく、にっこりと微笑んだ。


「そっかあ。うん、そうだよね、ドア開けるのって結構難しい……難しい? もんね! ない夫は大怪我したばっかりだし、仕方ない? 仕方ないよね!」


 自分に言い聞かせるようにトーコは言う。


「じゃあ、今度こそおやすみ、ない夫! また明日の朝、ドア開けにくるからね!」


「はい」


 朝になったら起こしにくる、は、ドア開けにくるからね、という結構切実なタスクに変わった。何しろトーコが開けに来ないと、ない夫は一生部屋から出られないかもしれないのだ。


 トーコは牢屋に囚人を閉じ込める看守のような気持ちで、ドアを閉めた。




「ソラさん」


「はい」


「もう僕これ止めたいです」


「気持ちは分かりますが止めないで下さい……!」


 モニターの画面の中では、ない夫がベッドと壁の間に挟まって寝ていた。長い長い一日を終え、僕とソラさんはぐでーっとちゃぶ台に突っ伏す。


「地獄の待遇ってどんな感じなんですか? 痛いのは正直嫌ですけど、労役系だったらわりと頑張れるんじゃないかなーって……」


「だから諦めて地獄に行こうとしないでください」


 思えばスケイルワームとの死闘。あれはよかった、今思えば楽しくすらあった。ラグや移動方法に手こずりながらも操作が上達していく感覚があったし、敵と戦う高揚感もあった。


 だが日常生活、これはダメだ。僕は早くも心を折られかけていた。


「だって、なんかもうトーコちゃんに申し訳なくて……。いい子だから余計に」


「最後の方半泣きでしたもんね」


「あれで『また明日も来る』って言えるの尊敬しますよ」


「まあレンタローさんも、トーコちゃんに申し訳ないからって無理して余計に迷惑かけてた気がしますけど……」


「ジャンプで階段上りはいけると思ったんですけどね」


 実際あともう少しのところで天井に頭をぶつけなければいけたと思うのだ。あそこはもう一回再挑戦させて欲しかった。


「ソラさん、実際どうするんですかこれ。さすがにドアも開けられない勇者で魔王を倒せる気がしないんですけど」


「私もドアも開けられないとは思いませんでした」


 ですがご安心ください、とソラさんは立ち上がる。


「もともとこれはテストケースって言いましたよね。実際に運用しながら、不完全な部分は修正しながら進めていく予定だったんです」


「ソラさん、ということは」


「ええ。運営に直訴します。そして――」


 ソラさんは可愛くふんす、と握りこぶしを作って見せた。


「必ず、ない夫にドアを開けさせてみせます!」


「あんまり聞かない決意ですね」


 力強く宣言して、ソラさんは部屋を出ていった。

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