6-7
野を越え山を越え……というか、ひたすらに山の中をない夫たちは進んでいく。
ない夫には厳しすぎる道中、と思いきや、舗装された道でも転ぶない夫にはあまり関係がなかった。僕にできることは、転んでもぶつかっても滑落してもその都度歩くボタンを押し続けるだけである。
トーコちゃん達も最初はない夫が斜面から転がり落ちるたびに大騒ぎしていたが、一日が終わる頃にはいいかげん慣れたようで、数日後には『危ない場所にはない夫を先行させる』という方法で効率よく進むようにすらなった。
しかし、進めども進めども人跡の見当たらない原生林である。
トーコちゃんは二日目ぐらいから『本当にこんなとこに遺跡なんかあるの?』と言っていたし、女神様信者のアイリスですら昨日ぐらいから『あの女神様? ほんとに道あってます? 実は方向音痴だったとか言いませんよね?』などと言い出す始末であった。
ワルタローの陰謀だと知っている僕たちにしたところで、毎日毎日変わりない山の中ばっかり見せられるのにはいい加減うんざりしている。もしかしてこれ自体が僕たちに対する、手の込んだ嫌がらせなのではなかろうかとすら思える。夜の間にソラさんたちとボードゲームをやる時間だけが心の癒やしである。
「レンタローさん、これ帰れるんですかね」
「ない夫だけじゃ無理でしょうけど、トーコちゃん達はちゃんと目印をつけてるみたいですよ。とはいえいい加減、トーコちゃんが撤退を提案してくれるんじゃないですかね」
「そうだといいんですけど。……現実でも『幸運』や『目星』でダイスロールできたらいいんですけどね」
「1/100で必ずファンブルが起こる現実はどうなんでしょう」
変わり映えのしない毎日に、ソラさんの思考もゲームの方に引っ張られがちだ。だが現実はファンブルがない代わりにクリティカルもない。70点ぐらいの毎日を淡々と送るのが現実というものである。
そんな感じだったので、本当に遺跡が出てきたときには『本当だったのか』とか『嬉しい』という気持ちよりも、嘘から出た誠というか、1/1000000ぐらいのクリティカルでも振っちゃったかな、ぐらいの気分になった。
◇ ◇ ◇
「「……」」
「はい」
トーコとアイリスがあんぐりと口を開けたまま固まる中、ない夫だけが淡々と声を発した。
「はいじゃないでしょ、ない夫……」
「ほ、本当にありましたわ……いえ女神様、疑っていたわけではないんですが……」
険しい地形の中、それは本当に唐突に現れた。
無理矢理山の斜面を削り取って作ったような広場と、そこにぽつんと建つ一軒家ほどの大きさの聖堂。その前に三人は立っていた。
聖堂は小さいが外観は決してみすぼらしくはなく、誰が見ても一目で宗教建造物であると分かる。人の手でこんな場所に建てられるしろものでないのは明らかで、どれだけ頑固な無神論者でも、この光景を見れば入信するだろう。
「と、とりあえず……着いた、んだよね?」
「え、ええ。ええ。ここですわ。や、やりましたわ……」
唐突すぎて、喜ぶべきなのに気持ちがついて来てない二人は、唖然とした表情のまま静かにハイタッチを交わした。
「えっと……にしても立派だね。入っていいのかな?」
「はい」
「家主か。……いやまあ、入らないことには始まらないんだけど」
「女神様の許可があるのですから、勝手に入ったことにはならないはずですわ……」
おっかなびっくりアイリスが扉を押すと、重々しく、しかし軋みすらせずにゆっくりと開いた。
「わあ……」
室内は想像よりも簡素だった。
正面に祭壇があり、小さな女神像が安置されているだけである。しかし天井にはステンドグラスが丸く嵌め込まれており、そこから像に向けてスポットライトのように荘厳な光が注いでいる。思わずため息が出るような光景である。
「これはいかにも秘宝とかありそうな……。アイリス、秘宝ってどこにあるのかな」
「ちょっと待ってくださいまし、女神様の声が……はい。はい……え? ほ、本当にいいんすかそれ? 罰当たりません? ……」
アイリスはしばらくごにょごにょとやっていたが、やがて恐る恐るといった様子で、女神像を指さした。
「あの像にかかっている――首飾りを取れと、そうおっしゃってますわ」
「マジで。罪悪感すごいね」
光に照らされた女神像には、確かに高価そうな金色の首飾りがかけられている。アイリスがそっとそれを首から外すと、謎の声はさらに指示を追加してきた。
「わたくしが首にかけるんですの? ……あ、ありがたく頂戴いたしますわ」
アイリスが恐る恐る首飾りをかける。と、その瞬間。
どこからともなく、かちり、と硬質な音が響き、いくつかの不思議なことが起こった。
まずはアイリスをすさまじい頭痛が襲った。
「ぐううっ!」
「アイリス!? え、マジで天罰!?」
「そ、そんなはずありませんわ、だってこれは女神様が……」
狼狽してうずくまっていたアイリスが、急にぴんと立ち上がる。
アイリスは驚愕の表情を浮かべたまま、右手を挙げ、左手を挙げ、足踏みをし……次々と謎のポーズをとっていく。
「ちょ、ちょっと、どうしちゃったのよアイリス!」
「わたくしじゃありませんわ! 何かがわたくしの身体を、勝手に……!」
アイリスの表情が恐怖に歪む。だが次の瞬間、その恐怖の表情のまま、口元だけが急ににいっと吊り上がった。
そして喉の奥から、明らかにアイリスのものではない、別の声が響いてきた。
『どうやらうまく行ったようだな。私の声が聞こえるか?』
「だ、誰!?」
「はい」
トーコは後じさり、ない夫は無表情のままはいと言った。
◇ ◇ ◇
「あー……そういうことか。完璧に思い出したぞ」
「どういうことなんでしょう、カグラさん?」
驚いたのはトーコちゃんだけでなく、画面内で起こったことは僕とソラさんにとっても不可解で、不気味であった。が、カグラさんだけが訳知り顔に頷いていた。
「トモエって言ったろ、例の無免許女神の名前。どっかで聞いたことあると思ってたんだが、どこで聞いたか今やっと思い出した」
「カグラちゃん、それはどこで……?」
そこまで言われると、僕にもぴんと来るものがある。果たしてカグラさんは、想像通りのことを言った。
「あたしがこのシステムを開発するとき参考にした、異世界の人間を遠隔操作する方法についての論文。その作者の名前だよ」
「やっぱりそういうことですか……! アイリスの身体を乗っ取るのが、ワルタローたちの目的だったんですね!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよレンタローさん、それじゃあわざわざこんな山奥にやって来たのはどういうわけなんです?」
「ここまで来る必要があったと考えれば……アイリスを操作するために、あの首飾りが必要だったんでしょう。あの遺跡が何なのかはさっぱり分かりませんが」
「それは分かる気がするぞ」
カグラさんが腕組みして言う。
「こんな場所にあることからして、大神様の秘蹟なんじゃねえかな」
「大神様の……? どういうものなんです?」
「あ、わたしも聞いたことがあります。大神様はいくつかお気に入りの世界に、痕跡を残しているって。見るのは初めてですけど……」
「あたしも見たことはないけどな。だが、大神様の秘蹟となれば相応の女神パワーが宿ってるのは間違いないだろ。こういうシステムで悪巧みするには持ってこいだったんじゃないか?」
そう言って、カグラさんはポンポンとディスプレイを叩いた。
◇ ◇ ◇
「あれは要するに大神のアンテナみたいなもんでな」
ない夫たちから遠く離れた魔王の住処にて。ボサボサの黒髪の女が手に持ったコントローラーをひらひらとさせながら、得意げに語っていた。無免許女神、トモエである。
「あの方……いや、あいつは、気に入った世界には時々ああいうものを残すんだ。そいつをハッキングして、私の女神パワーを増幅するのに使った。これであのアイリスとかいう女のコントロールは完全に手に入ったぞ」
「逆に言うと、あなた自身の力だけでは人間一人すら支配できないということですよね。女神なのに」
傍らで興味深げにモニターを覗き込んでいたレンタローが茶化す。
「うるさいな、ああいう強い冒険者は、世界の女神パワーを吸ってるから抵抗力が高いんだよ」
「しかし、宜しいのですか? 大神のアンテナを奪ったりなどしては、貴方があんなに恐れていた大神様にバレてしまうのでは?」
「お、恐れてなんかないさ、あんな奴……。どうせ閻魔のやつあたりが気づいて報告してる頃だ。今更何をしても変わらんさ」
「ほう、では何故何もしてこないのですか?」
「さあな。大したことはできないと思っているのか、でなければどうでもいいんだろう。いち女神といち魂がやる事なんてな」
それを聞いたレンタローは何も言わず、ただ不快そうに鼻をふんと鳴らした。
「とにかく、ついに私の論文の成果を実地で試せるときがきたんだ。このアイリスという女のポテンシャルはもとからこの世界でもトップクラス。しかも大神様の力の一部を取り込んだ、まさに勇者級だ。おまけにこの私が操作するんだから、最強だぞ!」
「そうだといいですね」
レンタローは口だけで笑った。
魔王はそんな二人を冷ややかな眼で見ていた。
二人が設置した機器やコードで家の中は足の踏み場もないので、隅っこに体育座りしながらである。
「生きた人間を外から操作しようなどとは、おぞましいことを考えるものだな、女神というものは」
その言葉は喜々としてコントローラーを握る、当の女神には届いていなかった。
◇ ◇ ◇
「ど、どういうこと!?」
遺跡にあった首飾りをかけた途端、アイリスの動きがおかしくなり、さらには知らない女の声で喋り始めた。トーコの視点では事態がまったく理解できない。
アイリスは驚愕の表情のまま、しかしその口からは表情にそぐわない、嬉しそうな声が聞こえてくる。
『ククク、戸惑うのも無理はない。だがお前たちに詳しい事情を知る必要はない。どうせすぐに死ぬのだからな』
謎の声はそう言って、アイリスの身体はぎこちない動きで剣を抜いた。
と、その瞬間、アイリスがアイリス自身の声で言った。
「二人とも逃げてくださいまし! さっきから身体が勝手に――乗っ取られ――!」
「アイリス!?」
だが声はすぐに途切れ、また知らない女の声に切り替わる。
『……チッ、身体を動かすと声の制御が弱まるか。このへんは改良が必要だな』
「またさっきの声……! さては、その首飾りに憑いてた悪霊の類ね! なんだか知らないけど、アイリスの身体から出ていきなさい!」
『察しが良いな、当たらずとも遠からずといったところだ。だが私は悪霊などではない。この女が言うところの女神そのものだ』
「……アイリスがよく会話してた奴ね。道理でうさんくさいと思ってたのよ」
「はい」
『胡散臭いとか言うな。少なくとも女神なのはマジなんだからな。
――そんなことはどうでもいい。とにかく、お前らは私の試し斬りに付き合ってもらうぞ』
ゆらり、アイリスの姿をしたものが剣を振り上げる。と、また声の制御を取り戻したアイリス自身が叫ぶ。
「二人とも、戦っては駄目ですわ! さっきから身体中に力がみなぎっていますの! これはきっと――ない夫以上ですわ!」
『ええい、うるさいな。どうせ逃がすつもりなどない、死ね!』
謎の声の罵声とともに、アイリスの身体が剣を振り下ろす。
凄まじい剣圧と共に衝撃波が放たれ、それは首飾りのかけられていた女神像を粉々に破壊した。それを見てトーコが驚愕の声をあげる。
「うわ! ホントにない夫並の威力……。アイリスのスピードに、ない夫のパワーが加わったっていうの……?」
「はい」
アイリスの表情がニヤリと笑う。
『ククク……次は外さないぞ』
「え? 今のあたしたちを狙ってたの? 力を見せつけたとかじゃなくて?」
女神像はトーコ達とは正反対の方向である。
『そ、そう! 力を見せつけるためにわざと外したに決まってるだろ! 次はこう……あれ?』
アイリスはぎくしゃくと動き出すと、右手と右足を同時に出すぎこちない歩き方で部屋を突っ切り、壁にぶつかった。
『ん? 操作すると左右逆になるのか? 意外と……この、くそっ!』
壁と柱の間に挟まってじたばたともがくアイリスを見て、トーコは緊張感を失った声で言った。
「なんか、ない夫っぽいね?」
「いいえ」
「いや、ない夫あんなだよ。自覚なかったの?」
「いいえ……」
ない夫は心なしか不満げであった。
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