5-2
「何で方向転換するとき、いちいち立ち止まるワケ?」
「……ちょっとラグがあるんで、街中ではこの方が確実なんです」
「ふーん。……あ、一組揃った」
「マジすか。アゲハ様さっきから強くないすか」
「こんなの運でしょ。あ、ちょっとレンタロー、壁擦ってるってば」
「あ、この道は大丈夫です。ちょっと半端なカーブが多いんで、擦っていったほうが早いんですよ」
「街の人からも『素振り入道肩擦り小径』としてお馴染みですよね。あ、アゲハ様の番ですよ」
「呑気な住人ねえ……どっちがババ? こっち? ……こっちか」
「あっ、ずるいですよアゲハ様、わたしの表情読んだでしょう」
「ズルいもなにも、そういうゲームでしょうが。上がりっと」
というわけで、アゲハさんは速効で馴染んでいた。
最初に、不機嫌そうなアゲハさんの機嫌を取ろうとしたソラさんがコタツを与えると、そこにすんなりと収まって大人しく僕の操作を眺めはじめた。その後もミカンやら煎餅やらお茶やらを与えられるがままに受け取るので、途中からソラさんとカグラさんも面白がっていろいろと世話を焼いた結果、ついにはババ抜きで遊んでいる始末である(ルールは僕が教えた)。
どうもこの閻魔様、不機嫌そうに見えるのがデフォらしく、本当に不機嫌というわけではないらしい。今も不機嫌そうな表情のままババ抜きに勝利して喜ぶという器用なことをしていた。
またアゲハさんはない夫に興味があるらしく、言われるがままにされながらも画面で起こることに興味しんしんで、何かと質問を差し挟んでいた。
「これ、カグラっちが作ったんだって? 人間を直接操作するなんて、不思議なことを考えたものよね」
「いや、元々考えたのはあたしじゃないんだ。工学省で埃かぶってた女神論文をたまたま呼んだら遠隔操作に関する内容でさ、面白かったんで死体を対象にやってみたんだ」
「ふーん……、あ、レンタロー、またぶつかってる」
「おっと……すみません」
ついアゲハさんたちの会話を聞いていたせいで操作が狂った。ない夫は大男なので、屋台なんかに突っ込むと大惨事になってしまう。気をつけなくては。
「でも面白いのは面白いけどさ、こんなんで本当に魔王を倒せると思ってんの?」
とアゲハさんが本質的な問いを口にする。正直まったく自信はありません、と思ったが、僕がそう口にするより先にソラさんが胸を張って言った。
「――わたしも最初はそう思いました。でもレンタローさんは凄いんです! ラグや操作性の悪さをものともせず、時にはバグまで利用してこれまでも強敵を倒してきたんですよ! この間もキマイラに対してですね――」
と、自慢げに語られてしまうと嬉しいながら何ともむず痒い。
「へえ、レンタローやるじゃん」
「ど、どうも……」
これだけソラさんに期待され、信頼されている以上は僕も頑張らなければと気を引き締めるのだった。
「とはいえ、今のままじゃ厳しいのは事実なんだよな」
カグラさんが腕組みしながらアゲハさんに尋ねる。
「アゲハ様はどう思う? ほら、閻魔様的スーパー叡智でなんか凄い改良のアイデアとかないのか?」
「……そうねえ」
カグラさんの無茶振りにしばらく考えたのち、アゲハさんはコントローラーを指さして、
「それ、もっとボタン増やしたら?」
と、あまりに単純な閻魔様的スーパー叡智だったので一同は若干ずっこけた。
「アゲハ様、わたしたちもそれは考えたんですが、それをやるとキリがなくてボタンだらけになるっていう話になって……」
「そうそう、その結果べんりボタンを開発したんだよな」
ソラさんたちがやんわりと否定すると、アゲハさんは不満そうに首を振った。
「別にそこまで極端なことは言ってないでしょ。操作に問題ない数、例えば4つぐらい増やしてもいいじゃない。そこに厳選した動作を一つずつ割り当てるの。どう?」
「……あれ、意外とありですねそれ」
「意外とはなによ」
「す、すいません」
しかし実際、どちらかというとボタン押す手間を減らす方向に開発をしてきた僕たちには盲点の発想だった。日常遣いにはべんりボタンの方が良いとしても、よく考えたらない夫はゆくゆくは魔王と戦うのである。戦闘にしか使わない動作、例えば回避行動などをワンボタンで行えたら確かに役立つかもしれない。
「いやいや、さすが閻魔様かもしれないぞこれ。早速何のボタン作るか決めようぜ」
「でも4つに絞り込めますかね。やらせたいことはいっぱいありますけど……」
「固定じゃなくてもいいんじゃないですか? その時々に合わせて、ボタンに適した行動を割り振れるような……」
「それいいな! いただき!」
一度火がつくと俄然盛り上がり、様々なアイデアが出てくる。なんやかんや僕たち三人(うちふたりは神だが)、ない夫開発が楽しくなってきているのかもしれなかった。
アゲハさんはそんな僕たちをきょとんとして見守っていたが、やがて口の端をにやりと上げた。
「なんだか面白そうね。こうなったらあたしも強力するわよ」
「おう、閻魔様がいれば百人力だぜ!」
こうして僕たちは、新たなアップデートの予感に心を躍らせるのだった。
◇ ◇ ◇
ない夫お世話隊の朝は早い。
「おはようございまーす!」
「お、おはようございます……」
遠慮なく合鍵を使ってない夫の部屋に入ったのは街の孤児であるナナミ、ついでその弟のミサキである。二人とも揃いの金髪に似た顔立ち、身長までほとんど同じで、誰が見ても姉弟だと分かる。元気よく入ってきたのが姉のナナミ、その後に遠慮がちに続くのが弟のミサキだ。ミサキはつい先日まで病に伏せっていたが、ようやく外出許可が出るまでに回復したのだ。
「ない夫お兄さん……はまだ寝てるね。ミサキ、今のうちに掃除しちゃおう」
「いいの? 起こしちゃわないかな?」
「平気平気、お兄さんは一度寝たら何しても起きないってトーコお姉さんも言ってたから」
ベッドではない夫がすやすやと規則正しい寝息を立てている。横で喋っていても確かにいささかも眠りを乱された様子はない。
窓を開けて部屋の空気を入れ換え、床を掃き、ない夫のブーツの泥を落とし……と一通りの掃除が終わったところで、ない夫が唐突に身体を起こす。
「はい」
「うわびっくりした! ……ない夫お兄さん、絶対起きないわりに寝起きはいいよね。おはようございます」
「はい」
「お、おはようございます!」
「あ、ほらお兄さん、こっちが言ってた弟のミサキです。ほら、ちゃんとお礼言って!」
「うん。お兄さんのおかげですっかり良くなりました、ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
「……いいえ」
「えっ!?」
「今のは『一生覚えてなくてもいいよ』って意味の『いいえ』かな。でもお兄さん、それは無理な話だよ! わたしたちは一生感謝しちゃうからね!」
「はい……」
こうして目覚めたない夫は姉弟たちに世話を焼かれつつ服を着替える。一応ない夫一人でも服ぐらいはなんとか着られるのだが、やたらと時間がかかるうえにズボンが後ろ前だったりするので、介助するに越したことはないのだ。
「今日はトーコお姉さんは親戚に用事があって出かけてるんだって!」
「はい」
朝食を済ませ、ナナミはない夫の口元を吹きながらトーコの予定を伝える。最初は自分以外がない夫の世話をすることに拒否反応を示したトーコだったが、数日のうちにすっかりナナミを頼るようになっていた。いくら好きでやっているとはいえ、一日中介護するのは普通に大変なのである。自分にも自分の生活があるということを久々に思い出したトーコであった。
「ない夫お兄さんはどうする?」
「はい」
「出かけるんだね! わたし達は一旦帰るから、何か困ったことがあったらすぐ来てね!」
「はい」
そしてもちろんナナミもつきっきりではない。ない夫は何もない日でもやたらと出かけたがるので――それは天界のレンタローが操作に慣れるためとか、何もしないより動き回っていたほうが女神パワーが馴染みやすいとかそういう理由からだったが――日中はトーコもナナミも、わりにない夫の自由にさせているのだ。
「「いってらっしゃい、お兄さん!」」
「はい」
無口なカケダーシの素振り入道は、今日もこうして街に繰り出した。
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