5-3

 ない夫が出かけるのと時を同じくして。カケダーシの街の冒険者ギルドはざわついていた。見慣れぬ訪問者があったためである。


 何しろ一度見たら忘れられそうにない風貌である。女性ながら男性にも負けない長身で、すらりとした脚の長さが実際以上に背を高く見せている。膝まであるブーツと短いスカート、上半身のチュニックにはいずれも金糸で彩られており、腰に差した剣がなければ貴族かと思うほど優美である。また一番に眼を引くのはそのみごとな金髪で、動きやすいよう後ろで一つにまとめてはいるものの、リボンの下ではパーマのかけられた髪が腰下まで溢れている。


 顔立ちも美しかったが、ここまで際だって目立つと「おうおう、可愛らしいお嬢ちゃんじゃねえか」などと絡む者がいるはずもなく――もともとカケダーシの街にはあまり荒くれ者もいないので、周囲の冒険者はむしろ目が合わないように遠巻きにしていた。


 女性は周囲の視線を気にも留めず、かつかつとブーツの音を響かせて依頼掲示板に歩み寄ると、よどみない動作で一枚の依頼書をはがした。


「ごきげんよう」


「お、おう」


 声をかけられたギルド職員の声もうわずる。もちろん彼は生まれてこのかた「ごきげんよう」などと言われたのは初めてである。


「わたくし、ベーテランの街で冒険者をしております、アイリスと申しますわ。こちらの依頼を頂けますかしら」


「はあ……」


 アイリスがたおやかに微笑みながら差し出した依頼書を見て、ギルド職員はあっと驚きの声をあげた。その反応を見て、アイリスはますます笑みを濃くする。


「分かっていますわ、危険すぎるとおっしゃりたいんでしょう。ですがご心配は不要ですの。こう見えてわたくしは人呼んで『闇を切り裂く……」


「すいません剥がし忘れてました。これ先週解決したんですよ」


 アイリスの表情がぴしりと固まり、気まずい空気が流れる。彼女が手にしていたのは、ニシーノ山のキマイラ討伐の依頼書であった。



  ◇  ◇  ◇



「おっ、『キマイラ殺し』じゃねえか! おはようさん!」


「はい」


 店の前に水をまいていたおっちゃんが朗らかに挨拶をする。


「『毛むしり素振り入道』のお兄ちゃんだー!」


「はい」


 元気のいい子供が手を振って走り去っていく。


「よう『ロリコン素振り入道』のない夫じゃないか」


「はい」


 顔見知りの冒険者に肩をたたかれる。


 ない夫の名声は高まり、今や街を歩けばあちこちで声をかけられるようになっていた(一部悪評っぽいのも混ざっていたが)。ない夫はそれにいちいち頷きを返しながら、人にぶつからないよう慎重に街を歩いていく。


 なるべく人通りの少ない方へと歩いていると、冒険者ギルドのある通りに出た。カケダーシのギルドは規模も小さいうえに、モンスターの解体をする施設もあるので、血の臭いを嫌われて周辺はやや寂れているのだ。


 そんな通りを歩いていると、ひとりの女性冒険者がギルドから猛烈な勢いで出てくるのが見えた。長身に金髪の女性で、なぜか顔を真っ赤にしている。


 当然それは「分かっていますわ、わたくしは人呼んで……」などと得意げに難関依頼を受注しようとしたところ、すでに解決済みであるという大変恥ずかしい思いをしたアイリスであった。


 アイリスは気を取り直すように顔を両手で揉みながら歩いてくる。と、ちょうど通り過ぎようとしたない夫と目が合った。


「ちょっとあなた、よろしいかしら」


「はい」


 アイリスは若干赤みの引いた顔で、ない夫に話しかける。


「その風貌からして、この街の冒険者とお見受けしますわ。ちょっとお尋ねしたいことがありますの」


「はい」


「当然、ええ、当然わたくしは知っていたのだけれど、この街で先週キマイラが討伐されましたでしょう」


「はい」


「恥をかかせてくれた……ではなくて、そのように強い冒険者でしたらわたくし、一度お会いしてみたいのですわ。その方がどこにいらっしゃるか、ご存じではないかしら?」


 ない夫はしばらくフリーズした。


「……はい」


「――今一瞬妙な間がありましたわね。まあ良いですわ、どちらにいらっしゃるんですの?」


「……いいえ」


「……タダでは教えられないということかしら。駄賃程度ならお支払いしても良いのだけれど?」


「いいえ」


「――知っているのよね?」


「はい」


「でも教えられない?」


「いいえ」


「――ああああ! もうさっきからクソむかつきますわね!?」


 アイリスはキレた。


「何なんですのはいだのいいえだのばかり! あなたはいといいえしか喋れないんですの!?」


「はい」


「……なるほど、わたくしをおちょくってございますわね? チョけてますわね?」


 アイリスは自分が知らず正解を出しているとは思わず、さらにキレた。


「――最後に尋ねますわ。その冒険者の居場所を言いなさい。次にはいとかいいえとか抜かしたらその口、二度と開かないように縫い合わせますわよ?」



  ◇  ◇  ◇



 最後通牒を突きつけられて、僕はコントローラーを置いた。


「詰んだ……」


「まあ知らない人からしたらそう思うわよね」


 後ろで見ていたアゲハさんが言う。確かに、この街の人たちに受け入れられて久しいので忘れていたが、ない夫は今でも立派な不審者なのではあった。


「にしても短気すぎるでしょうこの人」


「そうですねレンタローさん。何か嫌なことでもあったんでしょうか」


「おい、何呑気に詰んでるんだよ」


 僕とソラさんがぼそぼそやっていると、カグラさんに突っ込まれた。


「渡されてるもんがあったろ。さっさと出せよ」


「おっと、そうでしたね。メニューを開いてと……」


 急遽追加した行動なので、不便なツリー構造メニューを使わなくてはならない。画面内をメニューでいっぱいにしながら、僕はボタンを押した。



  ◇  ◇  ◇



「……」


「何ですの、今度はだんまりですか。お? やんのか? ですわよ?」


 急に黙り込んだない夫にアイリスがメンチを切っていると、ない夫が急に動き出した。胸元に手を入れ、何かを取り出す動作だ。


「……!」


 即座に距離を取り、腰の剣に手を添えて警戒する。しかしない夫が取り出したのは武器ではなかった。


「――何ですそれは。小さな紙? それを読めというんですの?」


「……」


 はいいいえを封じられたない夫は黙っている。仕方なくない夫の差し出した紙片を取り上げると、そこにはこんな風に書いてあった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ない夫窓口のご案内


 ない夫にご用の方はまずは事務所にお越し下さい。


 シタマーチ通り6丁目24番地 鳥の宿り木亭1階


       ない夫窓口担当 トーコちゃんより


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……なにこれ?」


 アイリスが思わず素で問いかけるが、ない夫はとぼけたような無表情で見つめかえすのみであった。



  ◇  ◇  ◇



「トーコちゃん? というのはどなた?」


 用事を終えて冒険者向け集合住宅「鳥の宿り木亭」で休憩していたトーコは、アイリスがそう言いながらない夫を連れてきた時点でだいたいの事情を察した。


「あー……。ない夫おかえり、あたしがトーコですけど」


 それにしても、今回はまたすごいのを連れてきたなあ、とトーコはアイリスを感嘆の目で見つめた。ゴージャスな金髪に豪華な装備、また非常に長身で、トーコからすれば見上げるような女性である。ない夫はそこからさらに頭ひとつ大きいのではあるが、アイリスと並んでいるとその大きさも目立たないぐらいである。


「えーと、余所の街の冒険者さんかな。キマイラを倒した冒険者の噂を聞いてきたみたいな感じであってる?」


「……だいたいそんな感じですわ。えらく察しが良いんですのね」


「日々鍛えられてるからねー。で、ない夫にどんなご用件で?」


「?」


「?」


 きょとんとして見つめ合う二人に、後ろに控えていたない夫が割って入る。


「いいえ」


 するとトーコはポンと手を叩いて笑った。


「あーなるほど! キマイラ殺しは知ってるけどない夫のことは知らないパターンね! そっかそっか、最近あまりにない夫が有名人なもんだから思いつかなかったよ。街の外の人なんだから当然だよね、ごめんなさいね!」


「……なんで今ので分かるんですの? いえ、その口ぶりからして――?」


「そう、お探しのキマイラ殺しの冒険者は、こちらのない夫です! ぱちぱち」


「はい」


「ええ!? なんで教えてくれなかったんですの!? あなたやっぱりわたくしのことをコケにしてたんですのね!」


「いいえ」


「わーちょっと待った待った! 剣抜かないで! 短気な人だなあもう!」


 トーコは慌ててアイリスを止め、ない夫の事情を説明することになった。






「――なるほど、事情は分かりました。知らぬこととはいえ、申し訳ありませんでしたわ」


「いやいやー。なんか最近あまりにない夫が馴染んでたから、あたしはむしろちょっと新鮮だったよ。ない夫も気にしてないよね?」


「はい」


「だって!」


 トーコがへらりと笑う。アイリスは興味深げにない夫の無表情を覗き込んだ。


「しかし面妖なことですわね。喋れない呪いとは……」


「いいえ」


「うん、たしかにはいといいえは喋れるけど、そういう話じゃないからね? ややこしくなるからやめて?」


 ない夫を窘めて、トーコはアイリスに尋ねる。


「それで、あなたは何者なの? 余所の街のすごい冒険者なんだろうなーっていうのは、なんとなく分かるけど」


「おっと、わたくしとしたことが、失礼いたしました」


 アイリスはしゃなりと立ち上がると、カーテシーもどきを決めて言った。


「わたくしの名はアイリス=レーゲンスベルク。ベーテランの街所属の冒険者ですわ。人呼んで『闇を切り裂く光』とはわたくしのことですの」


「『闇を切り裂く光』……」


 聞いたことがないのは余所の街のことだからいいとして、人呼んで、とか二つ名とか自分で言っちゃうんだなあ、とトーコは思ったが、いい子なので当然口には出さなかった。


 アイリスは身振りを交えながら、気持ちよさそうに自己紹介を続けている。


「どうして『闇を切り裂く光』なのか。魔王が誕生し、モンスターが跋扈するいまは、まさしく闇の時代ですわ。その闇の時代を終わらせ、光を取り戻すのがわたくしの使命だからなのです。何故なら――」


「なぜなら?」


 謎のタメが入ったので仕方なくトーコが聞き返すと、アイリスは何百回も練習したと思われる優美な動きで胸に手を当て、にんまりと笑って高らかに宣言した。


「わたくしこそが女神様の声を聞き、力を授かった勇者だからですわ!」


「え、え――――!?」



  ◇  ◇  ◇



 僕は隣に座る女神様に話しかけた。


「だそうですけど」


 ソラさん、カグラさん、アゲハさんは一様に首を振った。


「いや知りませんよこんな人。誰なんですか?」


「何の声を聞いちまったんだろうなあ」


「ただの頭のおかしい可哀想な人じゃないの?」


 女神様たちは辛辣だった。

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