はじめての帰り道
お嬢とたい焼きを食べた後は、近くの店で細々とした買い物をした。
それより前に昼食を食べようかって聞いたんだけど、お嬢はたい焼きでちょっとお腹が落ち着いたらしく、昼食はなくてもいいと言われてしまった。
まあ無理に食べるように言うものでもない。その代わりに夕食を少し早めにでもすればいいだろう。
「これでとりあえず生活に必要なものはありそうかな?」
「おそらく。このメモに書いてあるものは買えたと思います」
「そかそか。お嬢は何か生活をするにあたってほしいものとかない?」
「いいえ、いいえ。私は空木さんのところに置いていただけるだけでありがたいので」
そういうの気にしないでほしいだけど、まあさすがにまだ無理か。
なんか適当に俺の方でお菓子とか買い足しておこう。
その後、会計を済ませると細々した日用品を入れた手提げ袋と、買い足した食料品と、さっき別の店で買った布団とで両手が埋まってしまった。
いやむしろ一個持ち切れないな。ええと、どうやって持ったもんかな……。
「ねー、たーくん、荷物いっこ持つから手繋いでもいい?」
「おいおいそんなこといちいち聞くなっての。恥ずかしいだろハニー」
「もー、適当言っちゃって~」
あ、そうか一個肩に掛ければいいのか。両手に一つずつ、一番軽い日用品の手提げを肩に掛けるとしよう。
うし、バッチリだ。
「手……」
? お嬢? どうかした?
「あ、あの、空木さん、私一個持ちますよ?」
「心配してくれてありがとうございます。でも、俺結構丈夫なんで大丈夫っすよ」
「いいですか空木さん。
隣の人の手がいっぱいいっぱいなのに、私が手ぶらなのを見られたらどう思うでしょうか。ええ、間違いなく私が空木さんに持たせているように見られてしまうでしょう。
まるでこれでは私が空木さんをいい様に使っているように見えてしまいます。その誤解は現状からはなはだしく乖離したものであって、私はそうした状況を好ましく思いません。
つまり、私のために、そのお荷物を受け取りたいのです」
「うわあ急に理詰めで詰めてこないで!
でも、お嬢は俺の元とは言えご主人様だし、その認識改めなきゃいけないかな?」
「いいですか空木さん。
隣の人の手がいっぱいいっぱいなのに、私が―――」
「あ、はい。わかりました。渡す、渡しますから」
同じ理詰めが繰り返されそうだったので、サクッと白旗を上げた。
お嬢はちょいちょい強情になるんだよな……。
一番軽い日用品の手提げからこっそりいくつか物を抜いて、お嬢に手渡した。
「重かったら俺が持ちますから強がらないでくださいね」
「ま。先ほども言いましたが、私が本気を出したら空木さんくらいならひょいっと投げられることを覚えておいてくださいね」
「武力をチラつかされている……!」
少し心配したが、お嬢は俺の渡した荷物を危なげなく受け取ってくれた。
「じゃ、じゃあ空木さんが、片手が空いたのでは……」
「ありがとうお嬢、一個持ってくれたおかげで荷物両手で持てたよ。バランス悪かったから正直助かっちゃったな」
「……そうなりますよね。ええ、ええ。わかっていました、わかっていましたとも」
「お嬢何か怒ってる?」
「いいえ、いいえ? 全くそんなことありません。ええ、そうですとも」
怒っては……いないらしい。
ただなんだかちょっと残念そうに、手をにぎにぎしてはいる。
何かあったのかと思ったが、お嬢がそれ以上特に何も言わず「行きましょうか」と言ってきたので俺も頷いてそれに従った。
商店街を出て、二人で並んでゆっくりと歩く。
お嬢は俺の肩くらいまでしか身長がないから歩幅も違うので、少し俺は歩幅を縮めてたりして。
ここら辺はバイトをしてた頃に深鏡さんに死ぬほど叩き込まれたので体に染みついてるんだよなぁ。
「お嬢、今日の夕飯何食べたい? 朝ごはんは作ってもらったし、夕飯は俺が作りますよ」
「いえ、お夕飯も私が作りますよ? 居候ですし」
「いやそれだと公平じゃなくないっすか? 俺としては一緒に住むのならちゃんと役割分担はしたいというか……」
「お金に関しては空木さんに頼りっきりなんですから私にそれくらいはさせてください。
私、お料理好きだから作らせてもらえるの、たのしいです」
それとも、とお嬢がキャップの向こうで目を細めた。
「私のごはん、もう食べたくないですか?」
「そりゃお嬢の飯はうまかったし、できれば毎日食べたいくらいではあるけど」
「ま。情熱的ですね。プロポーズですか?」
「え? あ? そうなります? やっべ、いや違うんすよそうじゃなくて……」
「空木さんに私がお嫁さんは嫌と言われてしまいました。よよよ……」
「そんなこと言ってない―――って言うかこの話題角が立ちすぎる! 俺が何と答えても詰んでるんすよ! からかうのやめてください!」
「ふふ、ごめんなさい。つい、空木さんとお話しするのが楽しくて」
口元を抑えてお嬢が肩を揺らして笑った。
心底楽しそうに、でも歳からすればやや大人びた微笑みを浮かべて、彼女は風に吹かれて揺れる髪を手で抑える。
「……私、ずっと憧れてたんです、こういう生活」
「俺をからかうのが?」
「ふふ、それもありますけど、こうしてお買い物帰りにおしゃべりして、それで家に帰る、みたいなことです」
そんなことに、憧れていた?
「あ、いまそんなことって思いましたね?
確かに小さなことですけど、それはずっと私が想像して、手に入らないだろうなぁって思っていたことでもあったんです」
とん、と
「クラスのお友だちが家族とお夕飯の買い物に行くお話を聞いても私にはわかりませんでした。
教室で男の子が話している、買い食いするときの心の動きを私は想像できませんでした。
でも、いまは違います。今はどちらもわかります。
それは、空木さんがいてくれたおかげです」
振り返って、お嬢は俺に微笑んだ。
まるで絵本の一ページに描かれているハッピーエンドを迎えたお姫様のような、そんな絵になる姿だった。
「ありがとうございます、一個夢が叶っちゃいました」
なんて、小さなことを喜ぶんだろう。
俺が意識しないようなそんなことでも、なんでこんなにお嬢は喜ぶんだろう。
今まで、この子の毎日はどんなものだったのだろう。
こんな日々が『特別』に感じてしまうような、そんな窮屈な生き方が、この子の『普通』だったんだろうか。
ああ、駄目だ。なんか腹立ってきたぞ。
「別に、こんなの普通だよ。普通」
「空木さん?」
そうだ、普通だ。こんなの『普通』なんだよ。
お嬢は『御伽々』の末娘で、いつかどこかに嫁ぐのが決まっていて、だから自由に恋愛する権利も、家族と買い物に行くようなことも、友だちと買い食いする経験もない。
そういうのが当たり前だったのかもしれない。
でも、まあそれ今までの話だろ?
今は俺の家に住んでる。仮とは言え同棲してるんだ。
なら、なんていうか、お嬢はちょっと受け取り方を間違えている気がする。
「このくらい、誰でも経験したことのある『普通』だよ。
だからそんな、すごいものをもらった!みたいに特別にするまでもないよ」
俺は一般人だ。ただの大学生だ。
俺みたいなフツーのやつの生活はお嬢みたいに劇的じゃないけど、その分楽しむコツはある。
お嬢が知らないものは、まだまだたくさんある。
「まだまだお嬢は、お嬢の知らない『普通』の毎日の中に、楽しいことを見つけられるよ」
俺の言葉にお嬢が目を丸くして、そして、次にうつむいた。
俺が被せた帽子のせいでお嬢がどんな表情なのかはわからないけれど、たぶん、笑っている気がした。
「期待しちゃいますよ? いいんですか?」
「俺にできることなら、お嬢のために何でもやるよ」
「それは―――それは、たのしみです。すっごく」
お嬢が顔を上げて花が咲くような笑みを浮かべると、たったっと走って俺の隣に戻ってくる。
そして下から覗き込みながら、今度は人を見透かすような翠の澄んだ目を細めて笑んだ。
「空木さん、貴方の『普通』の毎日で、私の『普通』を染めてくださいますか?」
……ほんとに、お嬢のこういうところ無意識でやってんのかね。
まったく、困ったもんだ。
「なら、まずはこれからですね」
「これ?」
お嬢のお願い。その答えの代わりに、俺はいつの間にか目の前になっていた家の前で、今度は俺が一歩先んじて家の表情を和らげた。
教えたいことも、決めたいこともたくさんあるけど、やっぱり「これ」から始めないとな。
だって、俺もお嬢にこれ言って貰えたのすげー嬉しかったし。
「おかえり、お嬢」
「―――ええ、ええ。ただいまです、空木さん」
うん。そうだ、『家』なら、そういう風に帰るのが『普通』だよ。
「ふふ」
「はは」
挨拶をして、二人で小さく笑う。
「そうだ、今日の夜はトランプでもしますか。二人だし、神経衰弱なんてどう?」
「トランプを使った神経衰弱? あ、もしかしてカードを引いて出た数を永遠に足していかせて相手の精神を崩壊させるのですか?」
「なにそれ中世の拷問!? いやね、神経衰弱っていうのはね―――」
「ま。そんなゲームがあったんですね」
くだらないことを話して、買い物の荷物の重みを感じながら。
俺たちは、荷物を分け合ういながら仮初の我が家に入ったのだった。
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