3章 二人のまほろば
はじめての恋愛相談
「じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。空木さん」
玄関先で「行ってきます」を言って学校に向かう。
自転車に乗るときに自分の部屋の方を見れば、窓からお嬢が小さく手を振っている。
それに手を振り返して、大学に行って授業を受ける。
授業を受けたら日雇いの交通整理のバイトをして、家に帰る。
家に帰るとお嬢が食事を用意していてくれていて、それを食べて風呂に入って、そして寝る。
それが、ここ最近の俺の生活習慣だ。
お嬢の作る料理はどれもおいしくて、さらには俺の部屋の細々した家事までやってくれるから前よりも負担が減った。
その分二人分の生活費を稼ぐために日雇いのバイトやらを多めに入れているけれど、今のところそれほど問題があるわけでもない。
美味い飯。バイトのやりがい。行くときには「いってらっしゃい」帰ったら「おかえり」と言ってくれる人。
少し前の俺では信じられないような、まるで物語の中にでもいるようなシチュエーションだ。
「俺の日常、充実しすぎだな」
「何急に。確かにオレは一緒に昼食を食べてて幸せになる程度には整った顔立ちをしているとは自負しているが……」
「お前のことじゃないっての、風野」
それは残念だと、俺の隣のベンチで焼きそばパンをかじっていた風野が肩をすくめた。
今は昼休み。午前の講義が終わって、次の講義まで少し時間ができた俺と風野は売店で勝ったパンを片手にだらついていた。
風野が食ってるのは大学の売店で三番人気くらいの焼きそばパン。甘辛く味付けられた焼きそばパンとコッペパンの相性が人気の商品だ。
俺は一番安く売っていたミニクロワッサンの3個入りの袋と、これまた安かった大きめのあんパンを買って、今はクロワッサンを食べ終わってあんパンに手を伸ばしているところだった。
「空木っていつもその二つの組み合わせだよな。好きなの?」
「好きだけど、まあどっちかって言うと値段を考えてのチョイスかなぁ。この二つはいつも安定して安いしな」
「ったく、余暇時間を消す勢いでバイトしてるんだからもうちょい高いもん食えよ。
ほら、金曜限定の学食のビーフカレー、美味いって評判だろ?」
「いーよべつに。並ぶのもめんどくさいしさ」
言いつつあんパンを袋から出してかじる。
美味い……けど、お嬢の作る料理には劣る。いや、手間暇かけてお嬢が作ってくれている料理と比べること自体がナンセンスなのだが。
毎日俺のために料理を作ってくれているお嬢には本当に頭が上がらない。
流石に、何かお礼をしておきたい気持ちになるなぁ。
でも、お礼ってどんなものが良いんだろう。
最近お嬢に服を買いはしたけど、あれは必要なものだし、最終的には経費でも落ちる。
ならもっと個人的な……個人的な……ううん……。
「なあ風野。お前なら日頃の感謝を女の子に伝えるなら、どんなことする?」
「お、おお? なんか急に明確なのか曖昧なのかわからない質問だな。何、彼女でもできたのか?」
「別にそういうわけではないけども、まあ、他愛もない雑談だと思って欲しい」
「にしてはやたらと具体的な気もするが……」
風野はいまひとつ俺の言葉に納得していなさそうだったが、焼きそばパンの残りを口に突っ込んで「そうだなあ」とぼんやりと空を見上げた。
どうやらひとまず俺のことを場を信じることにしてくれたらしい。
「まあ、オレならとりあえず一緒においしい酒でも飲んで近くにあるお城みたいなホテルで……」
「いきなりクライマックスじゃねーか! 馬鹿か!」
「空木が聞いたんだろ」
「俺は普段の感謝を女性に伝える方法を聞いたんだよ! ドン引きだろ! そんなことしたら!」
「オレが誘うとだいたいみんな喜んでくれるぜ? まあ、すぐにあっちから振られちゃうんだけどな!
はっはっは……どうした? 笑ってもいいんだぞ」
お前の目が笑ってないから笑えないんだよなぁ。
俺が抗議するように風野を睨むと、風野は大仰な仕草で「仕方ねえなぁ」とため息を吐いた。
「じゃあデートでいいよ、デートで。そんでそのタイミングで『いつもありがとー』とか言っておけばいいだろ」
「急に適当だな……」
「デートなんて好き同士でやるならよっぽどの阿呆じゃなけりゃ上手くいくって。で、俺が見る限り空木はそういう時にやらかすタイプの阿呆ではない。だから心配いらない」
「そりゃどーも」
「まあ、無難に水族館とかに連れていけば困ることはないんじゃないか? あれは魚の話題で話すことには困らないから、結構間が持つんだよ。
反対に遊園地とかはオレはあんまりおすすめしないな。仲良いならいいけど、待ち時間で話すことが尽きたら、待ち時間の退屈を『相手といることの退屈』と勘違いしちまうからな」
風野は空に流れる雲を見つつ、つらつらとデートの注意点を語ってくれる。
どれも実体験に基づいたアドバイスのようで、結構実利に富んでいるように思う。
「んで、最後には何でもいいからプレゼントだな。なるべく形に残る物がいい。
しばらくしてからそれを見て『あの日一緒に遊んだなぁ』って思い出せる感じのな。あ、でも重すぎるのは捨てにくいからやめとけよ?」
「重いもの……ダンベル?」
「物理的にじゃねーよ」
パシッと背中を軽く叩かれた。
にしても、プレゼントか。お嬢が喜ぶ、プレゼントな……。
俺が難しい顔をしているのに気づいたのか、風野が隣でにんまりといじわるな笑みを浮かべた。
「金が不安なら貸してやろうか?」
眼鏡の向こうで細い目がさらに細められる。口元なんか月みたいに深い弧を描いている。
明らかに面白がっているし、絶妙にうさん臭い。
絶対金借りたら、それを理由にいろいろと俺に恩を着せてきそうだった。
もともと借りる気もなかったのでここは断らせてもらう。
「遠慮する」
「そういうなって。オレとお前の仲だろ、親友よ」
「誰が親友だ、誰が。いいところ悪友だろ、風野は」
「つれねーなぁ」
ガシッと肩を組んでくる風野を押しのけようとするが、意外に風野の力は強くて押しのけられなかった。
「いいか空木、女を幸せにするには時に男は強がらないといけない。
それができない男は、肝心な時に自分を信じられないから誰も救えないんだぜ?」
ニッと風野が俺と肩を組んだまま笑った。
「今、俺のことちょっと臭いこと言うなって思ったろ?」
「いや、むちゃくちゃ臭いこと言うなって思った」
「ったく、俺の名言なんだから胸に焼き付けろよなぁ」
はいはい、わかったわかった。
とりあえず、デートの件のアドバイスだけは頭に入れておくよ。
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