はじめての同棲




 これまでのあらすじ。


 普通の大学生の俺、空木うつぎ陸人りくとは、勤め先のお嬢様が没落したことをきっかけに、日本有数の大企業御伽々グループのご令嬢御伽々まほろと同棲することとなってしまった。

 だいたい一か月後まで彼女を会社の人たちにバレないようにかくまっておければ報酬として100万円という甘言に乗せられた俺は、これからいったいどうなるのか。


 ……。


 いやほんとにどうなるんだろう。


「空木さん?」


「あ、ごめんお嬢、ちょっと考えごとしてた」


 いかんいかん、先のことを考えても仕方ない。

 引き受けてしまったんだから、今は目の前のことを考えなきゃな。


 いま机を挟んだ向かい側にはお嬢―――御伽々まほろが正座で座っている。

 お嬢はさっきから興味深そうに俺の部屋をきょろきょろと見回してる。

 服装は都内でも有数のお嬢様学校の制服で、側にはトランクが一つだけ。


 深鏡さんはもういない。

 俺がお嬢をかくまってくれることが決まったら、「傷一つ付けることは許さないわ」と釘を刺して、どこかに行ってしまった。


 なにから話したもんかな。


「えーと、お嬢、食事とか風呂とかは?」


「あ、はい。終えています。深鏡さんがそれだけはする余裕を作ってくれたので」


「そっすか。流石深鏡さんっすね」


「はい。かけがえさんはいつも頼りになります。私のわがままにもいつも答えてくださいますし」


 ゆっくりと語るお嬢の口調は大きな変化はない。


 ちょっと、意外だな。


「お嬢、結構落ち着いているんですね。その、いちおう知り合いとはいえ男の部屋にいるのに」


「相手が空木さんだからかもしれませんね。空木さんは、私にひどいことをしないって信じてますから」


「そ、そ、そっすか……」


「はい」


 にこ、とお嬢が俺に信頼を表現するように柔らかい笑顔を向けてくる。

 その屈託のない明るさに、なんとなくこそばゆいような気持ちになってしまう。


 ああもう相手は中学生だぞ! 何緊張してんだ俺は!


 ガシガシと頭をかくと、でかい深呼吸をひとつして気持ちを整える。


 目の前にいるのは俺の元雇い主。俺は元使用人。それで相手はまだ子どもで、俺は一応成人している大人。

 それを忘れるな。俺は親戚の子どもが俺の部屋にしばらく泊まることになった、そう思えばいい。


 オーケー? オーケー。それで行こう。それなら緊張しなくてよさそうだ。


 ならまずは、そうだな。


「えーと、お嬢。いくつか認識のすり合わせというか、質問? をしたいんすけど、いいですか?」


「はい、なんでしょうか」


「うっす、ありがとうございます。

 ええとまずは、お嬢ってここにいる間学校はどうするんすか?

 やっぱ外に出ると見つかるかもしれないからなるべく俺の部屋にいた方がいいんすかね。

 あ、あと着替えとか服とか。食事とかなら一応出せますけど、流石に俺はそこらへんはどうにもできないんで」


「ま。質問がたくさんですね」


「あ、すんません。つい、ちょっといろいろ整理したくて……」


「いいえ、いいえ。空木さんの気持ちは最もです。

 むしろ、説明が不足しているのにこうした面倒ごとに巻き込んでしまったことを謝らなければいけませんね」


 お嬢は「失礼しますね」と、もうぬるくなりかけているであろうお茶に口をつける。


 その後、お嬢は、彼女自身が深鏡さんに説明してもらったらしいことも交えつつ、俺の質問に答えてくれた。


 まず、外出についてだがこれがそれほど気にしなくてもいいらしい。

 お嬢は確かに古い役員を動かすための強力なカードだが、だからと言って四六時中探さなければならないほど重要視されているわけではないとのこと。

 もちろん見つかればややこしいことにはなるが、俺の家はお嬢の屋敷からは結構離れてるし、普通に出歩くくらいは問題ないらしい。


 次に学校だが、こちらは少し注意がいるそうで、しばらくは休むことになってるらしい。

 深鏡さんが家庭の事情でしばらく学校にいけないと連絡してくれているため、そちらは心配しなくていいとのこと。


 そして俺が気になっていた服などの件であるが、お嬢はそれの答えはキャリーケースをぽんぽん、と叩くことを答えとした。


「一応、持ち出せる分の最低限の身の回りのものはこれに入れてきました。

 私服などもある程度はこれに入れてきましたが、あんまり多くはないので少し不安かもしれません」


「なら、どこかで買い足しておいた方がいいかもですね。お嬢、手持ちはある?」


「てもち……?」


 こてん、とお嬢が不思議そうに首を傾げた。


「ああ、なんて言うか、お小遣い? お嬢くらいのお嬢様だったら財布はかなりあったかそうだけど」


「おこづかい……」


「そうそう。普段買い物してる時とかあるでしょ?」


 だが、俺の言葉にお嬢はしゅんっと肩を縮めてしまった。


 あれ?


「すみません。実は、私おこづかい、というものを持ったことがなくて……ですので、お財布もないんです……」


「えっ」


「あとお買い物も深鏡さんと行ったときにお店の方がお屋敷に回してくださるので、そもそもお金をあまり見たことがなくて」


「やばい俺が思う百倍くらいお嬢の生活が俺と違う」


「あ、でも五円硬貨は見たことあります」


「それはあるんすね。いいですよねあれ。俺一番好きな硬貨なんですよ」


「はい、私も好きですよ。たまに深鏡さんがくれる5円チョコとそっくりで愛嬌がありますよね」


「あっ、お嬢にとってあの形5円チョコが基準なの!? どういう価値観!?」


「す、すみません……」


「いやいや謝らないで! ちょっと、うん。びっくりしただけだから」


 すげーな。金持ちって天元突破したら一周回ってお金見たことなくなるんだ。

 よく悪い金持ちのイメージで札束がごっそり財布に入ってたりするけど、あれは実は低ランク金持ちだったらしい。


 ということはお嬢の手持ちは今は無しと考えて……まあ、今度買いに行くときは俺が立て替えるか。


 いつか必要経費で深鏡さんに請求しよう。

 ……経費で落ちるよね? 落ちてほしいもんだ。


「空木さん」


 お嬢に名前を呼ばれて、そちらに目を向ける。

 すると、お嬢は三つ指をついてす、とこちらに頭を下げていた。


「不束者ですが、よろしくお願いいたします」


 その所作はまるで教科書にでも載っているかのように淀みなく、美しいものだった。

 まるでいつか「それ」を言う本番の時に粗相がないように、若いころから幾度と指導されているような、そういう跡が見て取れた。


 その所作ひとつにもお嬢のいた世界が俺と違うことを感じる……と、いうか。


「あー、お嬢、それ、ちょーっと使い方が違うかもしんないです」


「でも男性の方と同居するときはこれを言うのが作法なのでは?」


「うーーーん、間違ってはないんだけど。ないんだけど、そういうのは、もっと大切な人に大切なときに言った方がいいと思うよ」


「空木さんは、その、大切な人ですよ?」


「うん、それはとてもありがたいですけどたぶん意味が違いますからね。うん」


 びっくりした天然ですごいこと言うんだから。

 やや赤らんだ頬でそんなこと言われたら勘違いするやつが出てきてしまう。


 ……まさか本当にそういう意味……は、ないか。ないな。


 いくらお嬢が恥ずかしそうでちょっと緊張してそうだからと言ってそれはないわ。


「やれやれ、お嬢はちょっと言葉遣いを気を付けた方がいいですね。

 あまり悪気はないのはわかりますが、本気にされたらお嬢も大変ですよ」


「……そう、ですね。そうですね。

 ふふ、気をつけさせていただきます。ご指導、感謝いたします」


 お嬢は一瞬何かを言おうとしたように口を開きかけたようだったが、結局何も言わずに微笑んだ。


 気のせい……いや、俺には言いたくないことか。ならわざわざそれを指摘することもないだろう。


 なので、とりあえずお嬢を勇気づけるようにどん、と胸を叩いておく。


「お嬢は不安も多いでしょうけど、ここはドーンと俺に頼ってください!

 深鏡さんと違って有能って訳ではありませんけど、お嬢を不自由なく生活させるくらいはやってみせるんで!

 なにせ俺、故郷では町内随一のしっかり者として有名でしたから」


「ま。それは頼りになりますね」


「ええ。俺は頼りになるんです」


 くすくすとお嬢が笑ってくれる。


 まだお嬢とやっていけるか不安だけど、お嬢も歩み寄ってくれているし、これならきっとやっていけるだろう。

 俺はそう思って、少しだけ肩の力を抜いたのだった。

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