はじめての没落


 夜。俺のアパートの部屋の前に一人のお嬢様がいる。


「お願いです空木さん。どうか私を、空木さんのものにしていただけないでしょうか」


「……はい?」


 え、どういう状況これ? 俺のものに? お嬢が?


「ここからは深鏡が説明するわ」


「うわっ、急に出て来た」


 俺が戸惑ってると横からにゅっとお嬢のメイドさんの深鏡さんが生えて来た。

 どうやら俺の見えないところに控えていたらしい。


 深鏡さんは髪をふぁさっと払う。


「フッ、深鏡の美しさは唯一無二。求められればどこにでも現れるわ」


「仮面ライダー?」


「そうね、全ての人間に憧れられる価値がある、という意味では同義でしょうね」


「日本有数のヒーローと並び立つとはすごい自信だ……」


 とりあえずいつまでも二人を玄関先に立たせるわけにもいかないので、ひとまず中に招いた。

 昨日掃除したばかりだから、たぶん、汚くはないはず。


「粗茶ですが、どうぞお嬢。深鏡さん」


「ま。ありがとうございます、空木さん」


 ふ、とお嬢が口をつけて表情を緩めた。

 それだけでこの部屋の空気が少し柔らかくなったかと思うような、強い癒しオーラだった。


 その隣では深鏡さんが同じようにお茶に口をつけて、うん、と頷いていた。


「本当に粗茶ね。税込み586円! お買い得! ってセールの声が聞こえたわ」


「なんでばっちり値段当てれんだよ……」


「深鏡だから、としか言えないわ」


「そっすか……」


「ま。深鏡さん、でもこれすごくおいしいですよ。空木さんが私たちの丁寧に淹れてくださったのがわかります。

 それってとっても嬉しいことではないですか?」


「フッ、それは確かにそうね。深鏡の負けよ」


「なにと戦ったの?」


 いやそんなことはどうでもよくて。


「それで、あの、お嬢、俺のものになりたいって……どういう意味です?」


 とりあえずそこを早急に明らかにしておきたいのだが、説明してくれるだろうか。


 お嬢は俺への質問にあっさりと答えてくれた。


「実は、私を空木さんのおうちに住まわせてほしいんです」


「へ、住む?」


「はい。おうちに住めるのは家族と、深い仲の方だけでしょう? ですが私は空木さんにとっては赤の他人です。

 なので、まずは空木さんのものにしてほしいんです」


「流石まほろよ。一分の隙もない完璧な理論だわ」


「ま。かけがえさんはお上手ですね」


「どこが!? 俺は全く納得できてないんですけどォ!?」


 なんか二人は納得してるけどさあ!


「そもそもなんだってお嬢が俺の家に来てるんです? ここはお嬢が来るようなとこじゃないっすよ」


 なにせ、お嬢―――御伽々まほろは日本有数の大企業御伽々グループのご令嬢なのだ。

 そんな彼女がこんな時間に抜け出して、しかも俺みたいな一般人の家に来るのなんて、屋敷の人たちはいい顔しないのではないだろうか。


 そういう意図で俺が問いかけると、お嬢は少しだけ困ったように目を伏せて、そして薄く微笑みながら答えた。


「実はその、没落しまして」


「はい?」


「ちょっとあの屋敷にいるとまずい状況になってしまったんです。

 そこで、まずはかけがえさんに連れられて信頼できる人のところに行こうということで……」


「待って待って待ってお嬢、もうちょい俺に思考を整理する時間をちょうだい?」


「あ、はい。そうですね、すみません。自分のことばかりですみません……」


「いやそれはいいんですけどね」


 え? 没落したのお嬢? というか現代でも起きるモノなの、没落。


「ここから先は深鏡が説明するわ」


 困惑する俺を見かねたようにお茶に口をつけた深鏡さんが言葉を引き継ぐ。


「実は数時間前に御伽々グループのトップ、御伽々おととぎおきなが亡くなったの。もともとご高齢でお体の悪い人ではあったのだけれどね」


「それってつまり……」


「はい。お父様です」


 静かに、あまり感情を感じさせないトーンでお嬢が肯定した。


「その、お嬢は平気なの?」


「もともと、あまり会ったことない人だったんです。私ともすごく年が離れてますし……」


「だからって言って、それは平気な理由にならないでしょ。家族が亡くなったならそれはつらいことだよ」


「……ありがとうございます。やさしいですね、空木さん」


 ふ、とお嬢が微笑んだ。

 良く見せる表情だが、そのせいでお嬢の気持ちはよく読み取れない。


 御伽々グループには後継者がいないというのは聞いたことがある。

 それで、今までのトップの御伽々翁氏は今年で80くらいのご高齢だったはずで、そう考えると13歳のお嬢が娘というのは……もしかしたら、お嬢としてはあまり、触れられたくな話題なのかもしれない。


「会社では既に権力闘争が起きているわ。

 開封された遺言で株は幹部たちにある程度分けられているけれど、それ故に明確な『後継者』が指名されていないの。まったく、なぜそんなことにしたか甚だ疑問ね」


「えーと、つまり?」


「みんなの戦力が同じくらいだからこれからはいかに相手を引きずり落とすかの戦いになるってこと。がっぷり四つに組みあってのまわしの取り合いってところね」


「それはまた、荒れそうだね」


「お父様は、役員のみなさんの合議で次のトップを決めてほしかったんだと思います。だから、そういう風に……」


「実際そうはなってないのだからあの人の思惑がどうだったかなんて考えるだけ無駄よ」


 ぴしゃり、とどこか厳しさを感じさせる言葉を口にする深鏡さん。


 まあ、なんとなくわかった。

 どうやら今の御伽々グループは次のトップを決めるための戦国時代らしい。


「で、それがお嬢の件とどうつながるの?」


「御伽々は財閥を前身に持つ組織。それ故に、御伽々家に深い恩を感じている役員、幹部、社員たちも少なくないの。そして、そういう『御伽々』に恩を感じている人間は、『御伽々』以外がトップに立つことに、やや忌避感を感じているわ。

 けど御伽々翁に後継者になれるような息子はいなかった。なら、どうすればいいと思う?」


「……なるほど、お嬢を旗頭にするのか」


「空木のそういう頭の回転の速いところは嫌いじゃないわ。

 そう、『御伽々』の正当なご令嬢であるまほろが頼めば御伽々に恩を感じている古い役員たちも考えを変えるかもしれないわね。

 それこそ、まほろが次のトップとして御伽々ではない人間を推していたとしても」


 つまり、それは。


「まほろを確保できた人が次のトップになる」


 言い方は悪いけどね、と深鏡さんが付け加える。


「……そんなうまくいくもんなの?」


「さて、ね。深鏡は知らないわ。でもそう考えている人間がいるのは事実よ」


「ちなみにそういう人にお嬢が確保された場合は?」


「悪い扱いはされないわ。ただ、『御伽々』としての立場を利用されるでしょうけど」


「なるほどね……」


 だいたい、話は飲み込めた。


「ならつまり、お嬢が俺の家に住みたいって言ってるのは……」


「ええ。一連の出来事が落ち着くまで貴方にまほろをかくまってほしいの」


 匿う。それは、お嬢を守っていてほしい、ということだろうか。


「なにも俺に頼まなくたって……」


「いえ、貴方がいいの。大した家柄もなく、まだコネも大してなく、働き始めたばかりの下っ端だから顔も覚えられておらず、人柄だけで生きている貴方がね」


「俺今まあまあ面倒な頼み事されてるんだよね?」


「空木を見込んでのことよ」


「今の貶し方でリカバリ効くと思ってるんだ」


「深鏡は空木を褒めているわ」


「うそでしょ……」


「あとまほろに手を出す勇気もなさそうな安パイ男と思っているわ」


「今度は本気で貶したね。ね、貶したよね?」


「褒めたわ」


 めっちゃけちょんけちょんにされてた気がするけど……。


「深鏡さんがかくまうじゃダメなの?」


「深鏡は深鏡でやることがあるの。

 特に、まほろのことを思うなら『まほろ』の居場所を作ってあげなきゃいけない。それができるのは、今のところ深鏡だけよ」


 たしかにお嬢をかくまうにしてもそれは根本的解決にはならない。

 これからもお嬢が生きて行くためには、利用されない立場を作らなければならないだろう。


 俺はお嬢と深鏡さんがいつからの付き合いかは知らないけど、こうしてわざわざお嬢の……『御伽々まほろ』を守るために動くってことは、かなり大切に思ってるのかな。


 しばらく、考えた。

 でも結局、俺じゃ答えを出せなかった。


 なので、さっきから制服のスカートを握って静かに話を聞いているお嬢の気持ちを聞いてみることにした。


「お嬢はどうなんです?」


「わ、たしは……」


 お嬢が長い睫毛を震わせて、ぽつぽつと言葉を口にする。


「よくわからないひとのところに行くのは、怖いです。

 お父様が亡くなって、次を私に決めろと言われるのが、怖いです。

 でも私は、空木さんにご迷惑をかけたくありません。空木さんはいい人で、私のお願いで働いてくださっていただけですから。

 でも、もし、もし……もし、ですよ」


 お嬢が顔を上げる。翠の澄んだ色の瞳が縋るように、俺を見つめていた。


「もし、空木さんが許してくださるなら、貴方のところにいたいです」


 ぐっ、くそっ、顔がいい。

 やばい、こんなかわいい子に頼られているということにかなりくらくら来る。


 お嬢がこんなに頼ってくれてるのなら答えてあげたい。

 でも俺は普通の大学生だし、それに俺の部屋は狭いし……というか、男と女だ。


 相手は六歳も下の女の子とはいえ、そういうのはまずいと思う。


 うん、お嬢には悪いけど、ここは断らせて―――。


「100万払うわ」


 ボソッと、囁かれた。


「えっ」


「深鏡が役員のタヌキどもと交渉してまほろの居場所を作ってやれるまで長くて一ヶ月ってところよ。

 それまで、まほろをかくまってくれていたら成功報酬で100万出すわ。

 その間の生活費はそっちでなんとかしてもらうしかないけど、一か月後にはまとめて経費で出してあげる」


「……ガチっすか?」


「ガチよ。それに役員に空木のことを売り込んであげてもいいわよ」


「それはつまり、コネを……!」


「そういうことになるわ」


 くそ、なんてことだ。深鏡さん、俺の動かし方を心得すぎている。


 成功報酬100万円。そして御伽々グループとかいう人生勝ち組の大企業のコネ。

 なんてことだ、普通の大学生の俺には余りにも誘惑が強すぎる。


 しかし、同じ部屋に男女が二人……しかも相手は未成年で……お嬢様で……しかし、俺を頼ってくれていて……報酬も悪くなくて……いや、しかしそれでも他の人の目線とかが……。


 悩んで、悩んで、悩みまくって、ちらっとお嬢の方を伺った。


 そこにはすごく不安そうに俺を見ている小さな女の子がいて。


 ……。


 あー、もう。ダメだなこれ、部屋にいれた時点で俺の負けだった。


「あー、もうわかりましたわかりましたよ! 乗り掛かった舟だ! お嬢をかくまいます! それでいいんでしょう!」


「ほ、ほんとうですか!?」


「フッ、流石まほろと深鏡が見込んだ男ね」


 ほ、と息をつくお嬢。


 こうして、俺は日本有数の大企業のご令嬢の御伽々まほろと同居することになったのだった。


「あ、もしまほろに手を出したらクビが飛ぶからそのつもりで」


「……それは、免職になるとかそういう意味の?」


「物理的によ」


 ……もうちょっとやめたくなってきた。

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