1章 まほろばのお嬢様

御伽噺のお嬢様




 あるとき思った。

 楽して生きていきたい、と。


 きっと誰しも一度は考えたことがあるはずだ。俺は四六時中考えてる。


 就職でひいこら言うことなく、財布の中身を気にせずコンビニで買い物ができて、ファミレスでドリンクバーをつけることにためらわない。


 そういう人間に俺はなりたい。

 スケールが小さいかもしれないけど、人間あんまり多くを望みすぎても仕方ない。


 だから俺は程よい幸せと、程よいお金と、程よい平穏があればそれでよい。


 そのために大学生の俺が何ができるだろうと考えて、ある答えにたどり着いた。


「そうだ、コネを作ればいいんだ、って思ったんですよ」


「だから私の家で働かないかって申し出に頷いてくださったんですか?」


「ですね。いや、正直バイトは探してたんで渡りに船ではあったんですけど」


「ま。それは得してしまいましたね。空木うつぎさんが手が空いてる時で良かったです」


「いやいや、こっちこそ大学生の俺にこんなちゃんと仕事くれて感謝してますよ、


 俺の言葉に、それはよかったですと微笑む美少女。


 御伽々おととぎまほろ。

 あの有名な御伽々グループ社長の末娘で、使用人である俺の今年で13歳になるご主人様である。

 日本人離れした金髪と、宝石みたいな碧眼のせいで、まるで名前の通り御伽話おとぎばなしから抜け出したんじゃないか、なんて思ってしまう。


 普通なら俺みたいなただの一大学生では話すことはおろか視界に入ることだってないだろう人だ。

 以前、たまたま迷子になっていたお嬢を交番に連れて行ったのがご縁で、こうして働かせてもらえるのだから、人生ってのはわからない。


「はい、お嬢。お茶ですよ」


「ま。ありがとうございます」


 隣に控えていた俺が紅茶のお代わりを注ぐ。

 お嬢は楚々とした所作でソーサーからカップを持ち上げると、口をつけてほう、と息をつく。

 そして、御伽々グループの末娘に相応しい大きな部屋に釣り合うこれまた大きな窓から外へと目を向ける。

 窓から差す光が髪に溶けて、金髪が蜂蜜を溶かしたみたいにきらきらと流れる。


 まるで、おとぎ話のお姫様みたいだと、また思う。


「でも、いまの状況だと空木さんのその望みに答えられているかわかりませんね」


 望み?


「ほら、コネ、ですか? 私、いちおう御伽々の娘ですけどまだ大したことはできないですし……」


「? 俺のこと雇ってくれたじゃないですか」


「それはそうなんですけど、私じゃ空木さんの将来の進路とかまではどうにもできませんし……」


「んー、そんなことないですけどね」


 ここでの俺の仕事は大学の講義の合間に屋敷に来て、こうしてお嬢の話し相手になったり、掃除を手伝ったり、庭師さんの補助やったり、荷物を運んだりとなど多岐に渡る。言ってしまえば雑用をするのが俺の仕事だ。


 時間的にもかなり気遣ってもらえるし、交通費も出るし、そもそも時給がいい。

 お嬢も裏表がなくて純粋で、すごくいい人だからか、働いている人もみんな優しい。

 いやちょっと厳しい人もいるけど、うん。俺としてもかなり楽しくやれる、いい職場なんだ、ここは。


「なにより、主人のお嬢様も俺に優しくしてくれますしね」


「ま。空木さん、お上手ですね」


「いやいや本心ですって。お嬢には頭が上がりません」

 

 くすくす、とお嬢が口元を抑えてやや悪戯っぽく笑う。


「それなら空木さんに感謝のお気持ちを見せていただきたいですね、なんてわがまま言ってもいいんですか?」


「もちろん! ……と、言いたいですが、俺ができるのなんてせいぜいこうして働いて、たまーに話すくらいしかできませんよ」


「いいえ、いいえ。それで十分です。空木さんのお話はおもしろいですから」


「過大評価だなあ」


「空木さんのお話は以前観劇したシェイクスピアの戯曲くらいおもしろいですよ?」


「いやそれはさすがにガチで過大評価です!!」


「……チャップリンなら良かったですか?」


「その人も喜劇王なんだよなあ!」


 流石に世界的な劇作家と世界の喜劇王と並び立つと自惚れられるほどの話術も経験談も持っていない。


 まあ、でも。


 ちらり、と傍のお嬢の方に目を向けると、そこには俺を期待したように見上げる少女が一人。


 まあ、べつに、大した話があるわけでもない。だけどこうして期待されるからには、応えたくなるのが人の心というやつで。


「まあ、これはこの前大学に行った時のことなんですけど……」


 いつものように、俺はお嬢に自分の経験談を語る。


「ま。ねこさんにお昼ご飯を取られてしまったんですか」


「そうなんですよ。おかげで昼も腹が鳴りっぱなしで」


「それは一大事ですね。ふふ」


 ほんとうに大した話ではなくて、俺の大学での失敗とか、他にもやってるアルバイトでの常連さんとの話とか、そういうありふれた話題だったけど、まほろお嬢はそれをすごく楽しそうに聞いてくれた。


 やっぱり、お嬢はすごく笑顔がかわいい。

 こうした話しているとすごくよく笑ってくれて、それを見ているだけでも、こっちの方の気持ちもなんだかうきうきしてくる。


 だけど、いつまでも話してるわけにもいかないのが御伽々財閥の末娘たる『御伽々まほろ』でもある。


「まほろ、そろそろ稽古の時間になるわ。そろそろ準備した方がいいわ」


 俺とお嬢しかいなかった部屋に凛とした声が響いた。


 声の方に目を向ければ、そこには白と黒を基調とした服装―――いわゆるメイド服と言われる服装に身を包んだ女性が立っていた。

 長い黒髪は癖一つなく、その深い色合いはどこか夜を思わせる。


「ああ、かけがえさんありがとうございます」


「フッ。気にすることはないわ、深鏡みすみはそれが仕事なのだから」


 メイドにしてはやたらと尊大に受け答えをして、ふふんと彼女は胸を張った彼女は、深鏡みすみかけがえさん。

 主人のはずのまほろお嬢にまったく敬語を使わないし名前も呼び捨てなのは不思議だが、前聞いたら「昔からそうなの」と教えてくれたっけ。


「ええと、今日はなんのお稽古でしたっけ。英会話だったでしょうか」


「それは明日。このあとはバイオリンと華道よ。先生は応接間の方にお通ししているわ」


「ま。ありがとうございます、かけがえさん」


「はいはい、いいのよ。ほら、着替えもあるのだから、まほろもそろそろ、ね?」


 部屋に入ってくると、かけがえさんはてきぱきとクローゼットから荷物を取り出すと、必要なもの一式をお嬢に手渡した。

 それを受け取ったお嬢はいつものように稽古に行こうとして、「あ」という顔で俺を見た。


「あ、あのお話は……」


「ん。続きはまた今度にしましょう。別に今日じゃないと話せないってわけでもないんですし」


「! ええ、ええ。そうですね」


「じゃあ、俺は掃除しておくんで。お嬢も頑張ってください」


「はい、じゃあまた、です。空木さん」


 お嬢ははにかみつつ俺に小さく手を振ると、バイオリンとそのほかに必要な道具を持ってぱたぱたと部屋を出ていった。

 そして、部屋には俺と深鏡さんが残された。


 えーと。


「深鏡さんはお嬢についていかないの?」


「深鏡は深鏡でやることがあるの」


 じろり、と深鏡さんが俺に目を向けてくる。


「それとも、深鏡がいることで何か不都合があるかしら?」


「いやそんなことはないけど」


「フッ、深鏡がいることで、深鏡の美貌に目が釘付けになって手が進まない、と」


「別にそんなこと言ってないけど」


「?」


「いやそんな心底不思議そうな顔されても」


「もしかして『美しい』の概念を知らないのかしら? なら覚えるといいわ、それは深鏡のために生まれた言葉よ」


「すごいこんな『厚顔不遜』が似合う人俺深鏡さんしか知らないよ」


「深鏡は名前通り唯一無二よ」


 そう言って、御伽々まほろのかけがえのないメイド、『深鏡みすみかけがえ』はそのメイド服に締め付けられても尚大きいと分かる胸を張った。


 正直、かなり高慢な物言いだ。

 だけど、しみ一つない白い肌に、濡れ羽色の黒髪に、整った顔立ちに、澄んだ色の瞳、これにはモデルも裸足で抜け出すような「美人」の典型なせいで、あまり嫌味がない。


 この人の言葉には、なんというか不思議な説得力があった。

 俺と同い年らしいのに、大した人だよ。


 その後、深鏡さんが仕事を始めたので、俺もそれに習うように持ってきておいた掃除道具で掃除を始める。

 一応、週に三回は掃除の本職の人が部屋に来てホコリ一つ落ちていないようにしていくのだが、今日は俺や深鏡さんみたいな使用人が掃除をしなければならない日だった。


「お嬢っていつまでああいうことやるの?」


「ああいうこと、というと」


「だからああいうお稽古とかいろいろ」


 俺が知るだけでも、バイオリンに華道、テニス、ピアノ、料理とかで一週間に10個くらい習い事をしている気がする。

 俺もさすがに毎日この屋敷に来ているわけではないけど、お嬢はそのせいかいつも忙しそうな気がする。


 深鏡さんは仕事の手を少しだけ止めると、少し考え込んで、「そうね」と答えてくれた。


「いつか、ふさわしい相手のもとに嫁ぐまで、でしょうね。御伽々をより発展させるため、コネクションを作るために」


「……恋愛も好きにできないんだね」


「まほろはそういう生まれなんだから仕方ないのよ」


「そういうもん、なのか」


「ええ。今でこそあなたを雇ったりする道楽もしているけど、15歳になって本格的に花嫁修業が始まればそんな余裕はなくなるわ。

 メイドも、この屋敷にいる使用人たちも花嫁修業のためのものに変わっていくわ。貴方もここでバイトができるのもそれまででしょうね」


「えっ、何それ俺聞いてない」


「言ったわよ。契約書にだって書いてあるわ」


 ちゃんと読んでなかったの、とあきれ顔の深鏡さん。


 えー、困ったな。俺お嬢の屋敷でコネ作りつつあわよくば、このままいい感じにここに採用してもらえないかと思ってたんだけど。


 ちょと誤算だ……いやちゃんと契約書読んでなかった俺が悪いんだけど。


「コネが作れなくて残念、と言った顔ね」


「俺の心読むのやめてくれよ。なんでわかったの? 読心術者か何か?」


「ふ。深鏡が深鏡だから、といったところね」


「それなにも理由になってないと思うけど……」


 ふ、と何が面白いのか深鏡さんが頬を緩めた。


「ここ、やめたくなったかしら?」


「いやそれはないですね。俺この職場好きですし、お嬢も面白い子ですしね」


「面白い? まほろが?」


「面白いでしょ。なにが良いって、笑顔がいいよね。なんだか見ているこっちがほんわかするような、そういう笑顔」


「ふぅん。よく笑うのね、空木の前では」


 深鏡さんが少し思うところがあるように「笑う、ね」と俺の言葉を繰り返す。


 ま、まさか何かまずいことを言っただろうか。


 ハッ! 仮にも雇い主のお嬢様と談笑してるのはまずい? もっと敬わなきゃか?


「空木は知ってる? まほろがなんて呼ばれてるか?」


「え? 天使?」


「違うわ。空木は主人に対する評価高過ぎね」


 やれやれ、とでもいうように深鏡さんはため息をついた。

 そして今まで止めることのなかった仕事の手を止めて、ふ、と何か感情を吐き出すように、短く息を吐いた。


「おとぎの国のご令嬢、よ」


「……誉め言葉じゃないそれ?」


「違うわ。蔑称よ、これ以上ないほどに、ね」


 蔑称。馬鹿にされている、ってことか。お嬢が?


「あの子は生まれた時から『御伽々』としての立場を誰よりも強く求められていた。

 だから、あの子は作り笑いが誰よりも上手い。

 感情を見せず、誰にも反感を感じさせないような、そういう笑顔をね」


「それって……」


「そう。言われてるのよ、まほろの笑顔はってね」


 もちろん、まほろの作り笑いを見抜ける人の方が少ないのだけれど、と深鏡さんは付け足した。


 おとぎの国。つまり、現実味がないってことだろうか。

 まるで物語の都合のいいお姫様みたいに、って、そういうことか?


 いや、でもそれはおかしいだろ。


「お嬢、めっちゃ笑うよな? けっこう自然でかわいい感じに」


 うん、俺の記憶の中だとお嬢はそんな薄っぺらい感じには笑ったことないと思うけど。


「それは空木の前だから……いえ、これは深鏡が言うべきことではないわね」


 え?


「フッ、空木そのままでいなさい、と言ったのよ。

 空木はこれからもまほろと今のままでいてあげて」


「はあ、それくらいは当然だけど……」


 俺の雇い主だしな、お嬢。


「ならばよし。さて空木、今日の残りの仕事に取り掛かるわよ。

 まずはこの部屋の掃除を終わらせたら、次は庭の木の剪定を手伝って、そのあとは洗濯物を取り込んで、そのくらいになると厨房で食事の仕込みがあってるだろうから野菜の皮むきを手伝って、終わったら皿洗いもお願いするわ」


「多い多い多い! 俺の身体は一つしかないんですけど!?」


「まほろからシェイクスピアとチャップリンに並び立つと言われた逸材でしょう、空木は」


「過大評価はお嬢だけで十分なんだよ……!」


「今日の時給に300円上乗せしておくわよ」


「喜んでやりまあす!」


 その後、めっちゃ死ぬ目見たけどなんとか終わった。

 目の前に人参ぶら下げられて走る馬の気持ちがちょっとわかった日だった。





                   ◆





「今日のバイトも疲れたなぁ」


 深鏡さんに死ぬほどコキ使われた晩、帰宅するや否や、炭酸飲料をかーっと一気に喉に流し込んで、息を吐く。


「この瞬間が一番生きてるって気がする……うん」


 これが酒ならもっと格好がつくんだろうが、あいにく俺はまだ19歳だし。

 そもそもビールとか一本350円くらいするんだぜ。コーラが二本も買えちゃう値段だ。


 テレビをつけて、やっていたお笑い番組なんとなーく眺める。


『やから俺、ほんとに学生時代サッカー部のエースやったんやて。中でも俺のオフサイドは芸術的と言われた腕前で……』


『すごいな。オフサイド知らない奴からしか出てこない言葉や』


「あはは」


 スーパーの値下げギリギリに滑り込んだ弁当を食べる。

 バイト上がりの時間にスーパーの弁当コーナーに行くと、運がいいとこうして値下げした弁当や総菜が確保できたりする。


 運が悪いときは何も残ってないけど、今日はチキン南蛮弁当が残っていた。これはかなり運がいい。


 あんまり裕福とは言えないけど、まあ身の丈に合った生活だと思う。

 あまり裕福ではない大学生の生活なんてだいたいこんなもんなんじゃないだろうか。


「でも、贅沢言うなら……言っていいのなら、俺のために作られた料理とか食べたいなあ」


 ひとり暮らしだから帰ってきたらいつも暗い部屋。

 「おかえり」を言ってくれる家族はいないし、もちろん俺のために料理を作って待ってくれる恋人に類する人だっていない。


 いや、いるといいんだけどね……いたらいいな……急になんかそういう人現れたりしないかな……。

 ないですよね、はい。わかってる。


 そういうのは『おとぎ話』の出来事なんだよなあ。


 自分にそう言い聞かせて、チキン南蛮の最後のひと切れを口に入れようとしたとき、不意にポーンと間抜けしたような音が部屋に響いた。


「チャイム? こんな時間に?」


 荷物なんか頼んでたっけ?


 首を傾げつつ扉を開いて、思わず言葉を失ってしまった。


「こんばんは、です。空木さん」


 柔らかそうな金の髪と、宝石のような青の瞳。

 国でも有数のお嬢様学校として名高い真っ白な制服に身を包み、小さなトランクを引いて、まるでが目の前にいる。


 間違いない。俺の雇い主、御伽々おととぎまほろだった。


「お、お嬢? なんでこんなところにいるんすか!? ここは俺の家で……」


「ええ、ええ。知っています。でも、いえ、、私はここに来たんです」


 お嬢がスカートを持ち上げて、とん、と小舞曲メヌエットのステップを刻むように靴を鳴らして俺に頭を下げた。


「お願いです空木さん。どうか私を、空木さんのものにしていただけませんか?」


「……はい?」




 こうして、俺とお嬢の―――『没落お嬢様』御伽々まほろの同棲は始まったのだった。


 ……。


 いや、今思い出してもだいぶ急だな、まほろ。


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